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第1章 少年、冒険をする
第17話 神の消えた月下の教会
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「……ふむ。これは、まずいね」
「お昼に来たときには、こんな気配はなかったのですが……」
「ピリピリしてる感じがありますね」
「ピィ……」
周囲を探る以前に、廃教会に近づいたところで、僕らは異変に気付いた。
何か変な感覚が肌に走り続けている。ピリピリとした感覚……。
「もしかして、魔力が吸われている?」
「そうですね。どうやら教会の内部に魔力が流れて行ってるみたいです」
「となると、教会の中に何かの陣が張られてる可能性があるね。エスメラルダ、場所はわかるかい?」
「お任せください」
エスメラルダさんがメガネを持ち上げて、キリッとした声を出す。
おお、すごい。出来る女って感じだ! かっこいい……!
「エスメラルダは魔力量は少ないけれど魔力制御が上手でね、メガネに魔力を流すことで、魔力の流れなんかを見ることが出来るんだよ」
「おお! じゃあ、その力で」
「ええ。お昼は何も見えなかったのですが、今なら何か見えるかもしれません。行ってみましょう」
ライトに照らされた顔は、少し照れたみたいな紅を晒しながら、彼女は僕らに背を向ける。
色々と確認した後、教会の内部へと入ると、彼女は迷うことなく奥にある小部屋の方へ歩みを進めた。
魔力の流れが見えているからこその、淀みのない動き……! 僕も出来たりしないのかな? 今度教えてもらおう。
「ラトグリフさん。この部屋です」
「わかった」
ホールの左右から伸びる廊下が繋がる、その一番中央にある部屋の前で彼女は立ち止まった。
何の変哲もない部屋の扉……確かこの奥は物置みたいに棚が左右に置かれてたような。
お昼に調査した時も特に変なところはなくて、埃やカビの臭いがしたくらいだった気がする。
「リヒト君、君は私の後に入ってきてくれるかい?」
「はい。わかりました」
「夜空君は、ひとまずエスメラルダと共に廊下で待機だ」
「ピッ」
戦えないエスメラルダさんを夜空に守らせるってことなのかな? そうなると、僕はラトグリフさんに守られてるって感じなのかもしれない。間違いじゃないし、僕もできればそうしてくれると心に安心が生まれる!
「それで、ラトグリフさん、どうします?」
「生体反応は特にないけれど、魔物の中にはそういった反応を消せるモノもいるからね。慎重になるに越したことはないよ」
「では、さっきと同じで石を」
「そうだね」
ありがたいことにというべきか……廃教会となって長いのか、あちこちの壁が剥がれ、瓦礫はそこかしこに散乱している。だから僕は特に困ることもなく投げ込む石を手に取り、少し開いた扉の隙間へと投げ込んだ。
直後、カンッと音がして、続けざまにカンッカンカカカ……となぜか音が消えることなく遠ざかっていった。……おかしい。
僕らが昼に見た部屋であれば、普通の部屋だから、カンッと跳ねてもすぐ音が止むはず。しかし、さっきの音はまるで“階段を降りていく音”みたいだった。
確かティアちゃんが僕の部屋から遠ざかっていくときも、あんな感じに音が跳ねて、遠ざかっていった気がするし。
「エスメラルダ。この部屋に地下室への入口なんてあったかい?」
「いえ、なかったです。ビスキュイで発見した見取り図にも、そのようなものは描かれていなかったかと」
「そうなると、これは……隠し部屋というものかもしれないね。昼に二人と夜空君が確認してくれたことは、嘘ではないだろうし。まぁ、真相は見てみればわかること、かな」
音が遠ざかっていった以外は変な反応もなかったため、ラトグリフさんはそう言って扉に手をかける。
一瞬僕らの方を確認して頷いた後、彼は勢いよくその扉を開いた。
直後、僕らの目に飛び込んできたのは、左右に並び立つ棚と、地下へと伸びる階段。そして、階段を囲むように展開された魔方陣だった。
「なるほど。魔法による錬成通路か。夜になると魔方陣が起動して地下への入口を作るといったところかな?」
「そうですね。この魔方陣もお昼にはなかったものですので、床下などに隠されていた可能性がありますね。それであれば、発動と同時に床表面が消え、見えるようになるのも頷けますから」
「そうだね。それで、エスメラルダ。魔力の流れはどうなっているかな?」
「この階段の先へと流れていっているようです。この魔方陣にも多少繋がっていることを考えると、この魔方陣も他者の魔力を利用しているといったところでしょう。しかし、そうなると他者に見つかるリスクが高くなると思うのですが……」
エスメラルダさんはそう言って首を傾げる。すぐさまメガネに手を当てるのは、熟練の技というよりも、癖みたいなものなんだろう。
でも、たしかに不自然かもしれない。
わざわざ見つからないよう床下に隠しているのに、見つかりやすくなる方法で魔力を調達するなんて。こういうのって何て言うんだっけ? 爪が甘い? あ、爪じゃなくて詰めだっけ?
「その辺りの理由は私達ではわからないだろうね。それよりも、この先のことだよ。まさかここまで大がかりな調査になるとは思ってなかったからね」
「そうですね。ですが、このままにしておくわけにもいきませんし……」
「夜にしか現れない階段、そしてその奥に吸われ続ける魔力、か。……リヒト君、夜空君」
「はい」「ピ?」
「何かあったら、エスメラルダを連れてすぐに逃げてほしい。何が起きるかはわからないし、なにも起きない可能性もあるけれど、もし戦いとなった場合、量産型の槍で三人(二人と一羽)も守りながら戦うのはさすがに厳しいからね」
そう言うラトグリフさんの顔は、今まで見たこともないほどに真剣そのもので、僕らはただ頷くことしかできなかった。
なにもない可能性……それは、もう絶対にありえないだろう。
戦いにならない可能性ならあるけれど、魔力を吸われ続けている状態で、なにもないなんてことは絶対にない。だからせめて願うことしかできない。危険なことが起きないでほしいと。
「では行こう。私が先に降りるから、合図をしたら降りてきてほしい」
「わかりました」
背を向け降りていくラトグリフさんに、僕はなぜか言い様のない不安を感じてしまった。
この先に何があるのかはわからないのに、なぜか……何があるのかを知っているような、そんな不思議な不安を。
ラトグリフさんの合図を受けて、僕らも地下室へと降りれば、そこは空間を切り抜かれたような、無機質な部屋。地面をそのままくり貫いたような壁が、上下と四方を囲み、床の中心には先程見た魔方陣とよく似た魔方陣が描かれていた。
この魔方陣……見たことはないはずなのに、なぜか知ってるような気がする? いや、魔方陣を知ってるんじゃない。この魔力の流れを、僕は……。
「エスメラルダ、この魔方陣がなにか分かるかい?」
「紋様から察するに、特殊魔法の魔方陣かと思われます。錬成か召喚か……転移の可能性もありますね」
「ふむ。なにかを作ったり呼び出したり、というところかな?」
「はい。その辺りの魔方陣はどれも特殊な描き方をしますが、その中で種類が多く、判別が難しいもので……」
「それは仕方ないね。召喚魔法であれば、召喚する魔物の情報を組み込む必要もあるからね」
錬成、召喚、それに転移の魔方陣?
ああ、そうか……それで覚えがあったのか。この魔方陣、いや、この魔法は――僕がよく使ってる魔法だから。
「ラトグリフさん」
「ん? なんだい、リヒト君」
「この魔法、たぶん召喚魔法です。魔力の流れに覚えがあります」
召喚魔法の魔力の流れは、五つの流れで構成されている。
まず、扉の作成。次に、目標の索的から交渉。そして、こちらへと誘導し、最後にこちらで定着。
その五つの流れのうち、この魔方陣からは、最初の二つの魔法発動と同じ流れを感じる。
「この魔方陣は召喚用の扉であり、僕らの魔力を使って、今まさに召喚をしようと試みている、といったところかと」
「なるほど。それは危険だね。私とエスメラルダだけなら問題はなかったかもしれないけれど、今回はリヒト君、君がいる」
「僕がいると、危険なんですか……?」
そんな、僕が危険人物みたいな謂われを受ける覚えはないんだけど!?
「ああ、誤解しないでおくれ。君が危険人物だと言ってるわけではないんだよ。……いや、あながち間違いでもないのだけれど」
「どっちですか!?」
「どうどう、落ち着いてね。えーっと、リヒト君の魔力量が危険なんだ。それに、適正魔法がね」
「僕の魔力量と適正魔法、ですか?」
そう言われて一応思い出すと、僕の魔力量は“すごいいっぱい”で、適正魔法はすごいのが“召喚・回復”。それから、普通が“空間・生活・変質”だったっけ?
あー、もしかして……適正が召喚魔法で、魔力量がいっぱいだから……。
「言わなくてもわかったみたいだから、言うのもアレなんだけど、一応言っておくね。適正魔法っていうのは魔力の質で決まる。つまり言い換えれば、その魔法が発動しやすい魔力の形をしているってことなんだ」
「だから、僕がいると、僕の魔力で召喚魔法が発動しやすくなる、と」
「そういうことだね。それに君の魔力量は、あのポルカさんをして、“すごいいっぱい”と言わしめたと聞いているからね。この魔方陣が君の魔力を吸い続けると」
どうなるのか……?
その答えは、ラトグリフさんが言うよりも先に、現実となって僕らの前へ訪れることとなった。
眩いほどの光を放ち始めた魔方陣。その中心から、影が実体を成すように、一匹の魔物が姿を表す。
捻じ曲がった雄々しい角に、鼻が高い獣の顔。ラトグリフさんよりも頭一つ、いや二つ以上抜けているほどに大きい身体は、細く引き締まった筋肉を浅黒い皮で包んであった。……すごく、大きいです。
「……バフォメット、か?」
「それが、この魔物の名前ですか?」
「ああ。だが、これはまずい。リヒト君、最初に言ったね? ――すぐ逃げろ!」
「ッ!?」
刹那、ラトグリフさんの声と共に、ギィンと硬質な音が響いた。振り下ろされた大鎌を、ラトグリフさんが槍で受け止めた音だ。
「ここは私に任せて行きなさい!」
「で、でも」
「リヒト君! 今は、とにかくラトグリフさんの指示に従って! 夜空ちゃん!」
「ピィッ!」
「ッ!」
動けずにいた僕の後ろ襟を、夜空が咥えて走り出す。
その速度は今までの夜空では見たことのないほどの速度。ものの数秒ほどで、僕らは地下室から地上へと戻ってきていた。
「夜空、ラトグリフさんが!」
襟を引っ張られたままの僕の言葉に、夜空はなにも言わず首を横に振る。その衝撃で、僕の身体も揺られ、頭が……あと首が死ぬ。ラトグリフさんより先に、僕が死ぬ。
「よ、夜空ちゃん。そろそろリヒト君を放してあげて」
「……! ピッ」
「ごふっ……死ぬかと思いました。エスメラルダさん、あなたは命の恩人です……」
「そんな軽口が言えるなら、結構落ち着いてるみたいですね」
落ち着いてるというよりも、頭に上ってた血が強制的に止められかけて、頭が冷えたというべきか。
でも事実として、僕の頭は落ち着きを取り戻していた。
「あの、エスメラルダさん。バフォメットっていったい……?」
「リヒト君は知らなくて当然かと思います。魔族領にしか生息していないとされてる魔物ですからね」
「魔族領!? それって、つまり……」
「あの魔方陣を描いたのは魔族。正確に言えば魔人でしょう。他者の魔力を使う理由も、あれならば説明がつきます」
「そうなんですか?」
「ええ。距離、そして呼び出す魔物の強さによって必要な魔力量は変わってきます。バフォメットほどの高位な魔物を呼び出すのなら、普通一人の魔力では足りませんから」
高位な魔物――それはつまり、あのバフォメットという魔物は、相当強いということになるんじゃ……。ラトグリフさん、大丈夫なんだろうか……。
「ですが、バフォメットということは、朗報でもあります」
エスメラルダさんは、メガネをカチャッと持ち上げて、僕へと言い切る。
その言葉に、僕はただ驚き「え?」と、間抜けな声を出すことしかできなかった。
「バフォメットほどの高位な魔物であり、魔族領から遠く離れたこの地であること。そして今日初めてその召喚が成されたことを考えると……あのバフォメットは、ギリギリの魔力で呼び出せる程度、ということになります」
「そ、それがなにか?」
「リヒト君。距離と魔物の強さで、必要な魔力が変わってくるって、先程言いましたよね?」
「あっ! そっか! なら、あのバフォメットは、溜まった魔力で呼び出せるギリギリの強さの可能性が高い、ってことですか?」
「そうです。それであれば、ラトグリフさんであればなんとか対処でき「――ブルアァ! 弱い、弱いぞ!」……え?」
笑顔で言い切ろうとしたエスメラルダさんの声を遮って、すさまじい音と声が階下から響いた。
その声は、ラトグリフさんのものではなく、聞いたことのないほどに低く、おぞましいものだった。
「ラト、グリフ……さん? まさか……」
「お昼に来たときには、こんな気配はなかったのですが……」
「ピリピリしてる感じがありますね」
「ピィ……」
周囲を探る以前に、廃教会に近づいたところで、僕らは異変に気付いた。
何か変な感覚が肌に走り続けている。ピリピリとした感覚……。
「もしかして、魔力が吸われている?」
「そうですね。どうやら教会の内部に魔力が流れて行ってるみたいです」
「となると、教会の中に何かの陣が張られてる可能性があるね。エスメラルダ、場所はわかるかい?」
「お任せください」
エスメラルダさんがメガネを持ち上げて、キリッとした声を出す。
おお、すごい。出来る女って感じだ! かっこいい……!
「エスメラルダは魔力量は少ないけれど魔力制御が上手でね、メガネに魔力を流すことで、魔力の流れなんかを見ることが出来るんだよ」
「おお! じゃあ、その力で」
「ええ。お昼は何も見えなかったのですが、今なら何か見えるかもしれません。行ってみましょう」
ライトに照らされた顔は、少し照れたみたいな紅を晒しながら、彼女は僕らに背を向ける。
色々と確認した後、教会の内部へと入ると、彼女は迷うことなく奥にある小部屋の方へ歩みを進めた。
魔力の流れが見えているからこその、淀みのない動き……! 僕も出来たりしないのかな? 今度教えてもらおう。
「ラトグリフさん。この部屋です」
「わかった」
ホールの左右から伸びる廊下が繋がる、その一番中央にある部屋の前で彼女は立ち止まった。
何の変哲もない部屋の扉……確かこの奥は物置みたいに棚が左右に置かれてたような。
お昼に調査した時も特に変なところはなくて、埃やカビの臭いがしたくらいだった気がする。
「リヒト君、君は私の後に入ってきてくれるかい?」
「はい。わかりました」
「夜空君は、ひとまずエスメラルダと共に廊下で待機だ」
「ピッ」
戦えないエスメラルダさんを夜空に守らせるってことなのかな? そうなると、僕はラトグリフさんに守られてるって感じなのかもしれない。間違いじゃないし、僕もできればそうしてくれると心に安心が生まれる!
「それで、ラトグリフさん、どうします?」
「生体反応は特にないけれど、魔物の中にはそういった反応を消せるモノもいるからね。慎重になるに越したことはないよ」
「では、さっきと同じで石を」
「そうだね」
ありがたいことにというべきか……廃教会となって長いのか、あちこちの壁が剥がれ、瓦礫はそこかしこに散乱している。だから僕は特に困ることもなく投げ込む石を手に取り、少し開いた扉の隙間へと投げ込んだ。
直後、カンッと音がして、続けざまにカンッカンカカカ……となぜか音が消えることなく遠ざかっていった。……おかしい。
僕らが昼に見た部屋であれば、普通の部屋だから、カンッと跳ねてもすぐ音が止むはず。しかし、さっきの音はまるで“階段を降りていく音”みたいだった。
確かティアちゃんが僕の部屋から遠ざかっていくときも、あんな感じに音が跳ねて、遠ざかっていった気がするし。
「エスメラルダ。この部屋に地下室への入口なんてあったかい?」
「いえ、なかったです。ビスキュイで発見した見取り図にも、そのようなものは描かれていなかったかと」
「そうなると、これは……隠し部屋というものかもしれないね。昼に二人と夜空君が確認してくれたことは、嘘ではないだろうし。まぁ、真相は見てみればわかること、かな」
音が遠ざかっていった以外は変な反応もなかったため、ラトグリフさんはそう言って扉に手をかける。
一瞬僕らの方を確認して頷いた後、彼は勢いよくその扉を開いた。
直後、僕らの目に飛び込んできたのは、左右に並び立つ棚と、地下へと伸びる階段。そして、階段を囲むように展開された魔方陣だった。
「なるほど。魔法による錬成通路か。夜になると魔方陣が起動して地下への入口を作るといったところかな?」
「そうですね。この魔方陣もお昼にはなかったものですので、床下などに隠されていた可能性がありますね。それであれば、発動と同時に床表面が消え、見えるようになるのも頷けますから」
「そうだね。それで、エスメラルダ。魔力の流れはどうなっているかな?」
「この階段の先へと流れていっているようです。この魔方陣にも多少繋がっていることを考えると、この魔方陣も他者の魔力を利用しているといったところでしょう。しかし、そうなると他者に見つかるリスクが高くなると思うのですが……」
エスメラルダさんはそう言って首を傾げる。すぐさまメガネに手を当てるのは、熟練の技というよりも、癖みたいなものなんだろう。
でも、たしかに不自然かもしれない。
わざわざ見つからないよう床下に隠しているのに、見つかりやすくなる方法で魔力を調達するなんて。こういうのって何て言うんだっけ? 爪が甘い? あ、爪じゃなくて詰めだっけ?
「その辺りの理由は私達ではわからないだろうね。それよりも、この先のことだよ。まさかここまで大がかりな調査になるとは思ってなかったからね」
「そうですね。ですが、このままにしておくわけにもいきませんし……」
「夜にしか現れない階段、そしてその奥に吸われ続ける魔力、か。……リヒト君、夜空君」
「はい」「ピ?」
「何かあったら、エスメラルダを連れてすぐに逃げてほしい。何が起きるかはわからないし、なにも起きない可能性もあるけれど、もし戦いとなった場合、量産型の槍で三人(二人と一羽)も守りながら戦うのはさすがに厳しいからね」
そう言うラトグリフさんの顔は、今まで見たこともないほどに真剣そのもので、僕らはただ頷くことしかできなかった。
なにもない可能性……それは、もう絶対にありえないだろう。
戦いにならない可能性ならあるけれど、魔力を吸われ続けている状態で、なにもないなんてことは絶対にない。だからせめて願うことしかできない。危険なことが起きないでほしいと。
「では行こう。私が先に降りるから、合図をしたら降りてきてほしい」
「わかりました」
背を向け降りていくラトグリフさんに、僕はなぜか言い様のない不安を感じてしまった。
この先に何があるのかはわからないのに、なぜか……何があるのかを知っているような、そんな不思議な不安を。
ラトグリフさんの合図を受けて、僕らも地下室へと降りれば、そこは空間を切り抜かれたような、無機質な部屋。地面をそのままくり貫いたような壁が、上下と四方を囲み、床の中心には先程見た魔方陣とよく似た魔方陣が描かれていた。
この魔方陣……見たことはないはずなのに、なぜか知ってるような気がする? いや、魔方陣を知ってるんじゃない。この魔力の流れを、僕は……。
「エスメラルダ、この魔方陣がなにか分かるかい?」
「紋様から察するに、特殊魔法の魔方陣かと思われます。錬成か召喚か……転移の可能性もありますね」
「ふむ。なにかを作ったり呼び出したり、というところかな?」
「はい。その辺りの魔方陣はどれも特殊な描き方をしますが、その中で種類が多く、判別が難しいもので……」
「それは仕方ないね。召喚魔法であれば、召喚する魔物の情報を組み込む必要もあるからね」
錬成、召喚、それに転移の魔方陣?
ああ、そうか……それで覚えがあったのか。この魔方陣、いや、この魔法は――僕がよく使ってる魔法だから。
「ラトグリフさん」
「ん? なんだい、リヒト君」
「この魔法、たぶん召喚魔法です。魔力の流れに覚えがあります」
召喚魔法の魔力の流れは、五つの流れで構成されている。
まず、扉の作成。次に、目標の索的から交渉。そして、こちらへと誘導し、最後にこちらで定着。
その五つの流れのうち、この魔方陣からは、最初の二つの魔法発動と同じ流れを感じる。
「この魔方陣は召喚用の扉であり、僕らの魔力を使って、今まさに召喚をしようと試みている、といったところかと」
「なるほど。それは危険だね。私とエスメラルダだけなら問題はなかったかもしれないけれど、今回はリヒト君、君がいる」
「僕がいると、危険なんですか……?」
そんな、僕が危険人物みたいな謂われを受ける覚えはないんだけど!?
「ああ、誤解しないでおくれ。君が危険人物だと言ってるわけではないんだよ。……いや、あながち間違いでもないのだけれど」
「どっちですか!?」
「どうどう、落ち着いてね。えーっと、リヒト君の魔力量が危険なんだ。それに、適正魔法がね」
「僕の魔力量と適正魔法、ですか?」
そう言われて一応思い出すと、僕の魔力量は“すごいいっぱい”で、適正魔法はすごいのが“召喚・回復”。それから、普通が“空間・生活・変質”だったっけ?
あー、もしかして……適正が召喚魔法で、魔力量がいっぱいだから……。
「言わなくてもわかったみたいだから、言うのもアレなんだけど、一応言っておくね。適正魔法っていうのは魔力の質で決まる。つまり言い換えれば、その魔法が発動しやすい魔力の形をしているってことなんだ」
「だから、僕がいると、僕の魔力で召喚魔法が発動しやすくなる、と」
「そういうことだね。それに君の魔力量は、あのポルカさんをして、“すごいいっぱい”と言わしめたと聞いているからね。この魔方陣が君の魔力を吸い続けると」
どうなるのか……?
その答えは、ラトグリフさんが言うよりも先に、現実となって僕らの前へ訪れることとなった。
眩いほどの光を放ち始めた魔方陣。その中心から、影が実体を成すように、一匹の魔物が姿を表す。
捻じ曲がった雄々しい角に、鼻が高い獣の顔。ラトグリフさんよりも頭一つ、いや二つ以上抜けているほどに大きい身体は、細く引き締まった筋肉を浅黒い皮で包んであった。……すごく、大きいです。
「……バフォメット、か?」
「それが、この魔物の名前ですか?」
「ああ。だが、これはまずい。リヒト君、最初に言ったね? ――すぐ逃げろ!」
「ッ!?」
刹那、ラトグリフさんの声と共に、ギィンと硬質な音が響いた。振り下ろされた大鎌を、ラトグリフさんが槍で受け止めた音だ。
「ここは私に任せて行きなさい!」
「で、でも」
「リヒト君! 今は、とにかくラトグリフさんの指示に従って! 夜空ちゃん!」
「ピィッ!」
「ッ!」
動けずにいた僕の後ろ襟を、夜空が咥えて走り出す。
その速度は今までの夜空では見たことのないほどの速度。ものの数秒ほどで、僕らは地下室から地上へと戻ってきていた。
「夜空、ラトグリフさんが!」
襟を引っ張られたままの僕の言葉に、夜空はなにも言わず首を横に振る。その衝撃で、僕の身体も揺られ、頭が……あと首が死ぬ。ラトグリフさんより先に、僕が死ぬ。
「よ、夜空ちゃん。そろそろリヒト君を放してあげて」
「……! ピッ」
「ごふっ……死ぬかと思いました。エスメラルダさん、あなたは命の恩人です……」
「そんな軽口が言えるなら、結構落ち着いてるみたいですね」
落ち着いてるというよりも、頭に上ってた血が強制的に止められかけて、頭が冷えたというべきか。
でも事実として、僕の頭は落ち着きを取り戻していた。
「あの、エスメラルダさん。バフォメットっていったい……?」
「リヒト君は知らなくて当然かと思います。魔族領にしか生息していないとされてる魔物ですからね」
「魔族領!? それって、つまり……」
「あの魔方陣を描いたのは魔族。正確に言えば魔人でしょう。他者の魔力を使う理由も、あれならば説明がつきます」
「そうなんですか?」
「ええ。距離、そして呼び出す魔物の強さによって必要な魔力量は変わってきます。バフォメットほどの高位な魔物を呼び出すのなら、普通一人の魔力では足りませんから」
高位な魔物――それはつまり、あのバフォメットという魔物は、相当強いということになるんじゃ……。ラトグリフさん、大丈夫なんだろうか……。
「ですが、バフォメットということは、朗報でもあります」
エスメラルダさんは、メガネをカチャッと持ち上げて、僕へと言い切る。
その言葉に、僕はただ驚き「え?」と、間抜けな声を出すことしかできなかった。
「バフォメットほどの高位な魔物であり、魔族領から遠く離れたこの地であること。そして今日初めてその召喚が成されたことを考えると……あのバフォメットは、ギリギリの魔力で呼び出せる程度、ということになります」
「そ、それがなにか?」
「リヒト君。距離と魔物の強さで、必要な魔力が変わってくるって、先程言いましたよね?」
「あっ! そっか! なら、あのバフォメットは、溜まった魔力で呼び出せるギリギリの強さの可能性が高い、ってことですか?」
「そうです。それであれば、ラトグリフさんであればなんとか対処でき「――ブルアァ! 弱い、弱いぞ!」……え?」
笑顔で言い切ろうとしたエスメラルダさんの声を遮って、すさまじい音と声が階下から響いた。
その声は、ラトグリフさんのものではなく、聞いたことのないほどに低く、おぞましいものだった。
「ラト、グリフ……さん? まさか……」
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16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。
23歳の公爵家当主ジークヴァルト。
年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。
ただの女友達だと彼は言う。
だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。
彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。
また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。
エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。
覆す事は出来ない。
溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。
そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。
初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。
だから愛する男の前で死を選ぶ。
永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。
矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
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