ふたつの嘘

noriko

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ひとつの想い

ひとつの想い 3

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恵さんの会社にお世話になってひと月が過ぎた頃。

ようやく社長室の片付けを終えた僕は、次なるミッションを与えられ……事務室の書類棚を片付けつつ、会社の事務作業も手伝うようになっていた。

職場の人たちとも、そこそこに仲良くなって、ランチタイムは年の近い若手社員の人たちと話をすることもできた。

中には大学で数学を勉強していた人もいて、ちょっとつらい思い出に苦い顔をしながらも、大学での勉強について教えてくれたりもした。

平日毎日の仕事は体力的にも心配だったけれど、だんだん疲れもたまらなくなってきた気がする。



それから。

恵さんは相変わらず多忙で……。

僕は半月ほど前から、彼の夕食を作り置くようにした。

単純に、自分の夕飯を作るついでに。

それから、また大助と暮らす時に、腕が鈍らないように、というのもあるけれど。

稀に恵さんが早く帰った来た時に、少し嬉しそうに夕食を食べてくれるのが、見ていて嬉しかったから、続けている。



今日もその、稀な早めの帰宅。

20時に帰ると連絡があったから、僕も帰りを待って、2人で食事をすることにした。

鯖の味噌煮を箸で丁寧にほぐし、上品に口へ運ぶ恵さん。

「煮魚というのは、疲れた身体に沁みますね」

「ふふ。……会社じゃ絶対言わないことですね」

「ここは会社じゃありませんから」

恵さんとも、ずいぶん打ち解けた。

会社ではやはり、社長だからか硬い表情をしているし。

最初はやはり僕がいるから家でも緊張していたのだろうが。

最近はめっきり、家ではリラックスした表情をみることが多くなった。

食後の珈琲を嗜みながら、少しだけ話をするのも日課だった。

「まだしばらく忙しいんですか?」

「ええ。来年の予算編成がありますから。でも、今年はあなたがいるので、去年よりずいぶん助かっています。ありがとうございます」

「お役に立てていれば……よかったです」

「ええ。……にしても民人くんも。私の帰りなんて待たなくて良いのに。あなた、身体が弱いんですから早くお休みください」

「心配しすぎですよ。大助みたいなこといいますね。……案外平気なんです。たしかに、ちょっと身体は弱いけど……体力ついてきたかも」

「ならいいですが。どうか無理はしないでくださいね」

「恵さんこそ。……すごく眠そうですし。今日は夜更かししないでくださいね」

「ああ、失礼」

恵さんはとろんとした目を開き、数回まばたきをした。

「あなたの前だとつい、気が緩みますね。……もっとも、あなたからしたら私なんて、ちょっとした付き合いしかないおじさんなのでしょうが……」

その言葉には、綺羅への親しみが込められているのを感じた。

「無理もないです。……覚えてないだけで、同じ顔なんで」



「言動は全く違いますけどね……それでも、やはり落ち着きます」

「……はは、そうですか」

……僕は、左手にはまった指輪を撫でながら、言葉を飲み込んだ。

僕も、恵さんと共有しているこの時間がとても落ち着きます。

そう言ってしまったら……何か、いけない気がして。

うとうとしながら、恵さんは続ける。

「あなたを、綺羅くんと重ねてはいけないって、わかってはいます。それでもやっぱり……時折、呼びそうになる。……呼んでしまっているときも、ありますね」



そう。

特に疲れてうとうとしているとき、僕のことを「綺羅くん」と呼ぶ。

そのたび、申し訳なさそうに名前を呼び直してくれるが。

綺羅くん、と呼ばれるたび、……なぜか胸が締め付けられる思いがした。

呼び間違えられるのが嫌なんじゃない。

大助からそう呼ばれても……何も感じなかったのに。

夕食を平らげた恵さんは、両手を合わせて小さくごちそうさま、とつぶやく。

「時間はかかると思います。大助もそうだったので、僕は慣れてます」

「……そうでしたか。それは……また民人くんに、ご負担をおかけしますね」

「いえ。大助よりも、綺羅との時間が長かったと思いますから」

その言葉に、恵さんは頬を緩める。

「……夜更けまでお付き合いさせてしまってすみません。先にお休みしてください」

「では、お言葉に甘えて……おやすみなさい」





風呂を済ませてから、寝室に戻る。

毎日、大助とは連絡を取っている。

でも、今日は無性に……大助の声が聞きたかった。

『……民人くん、なんか元気ない?』

僕に悩みがあるときのうじうじは、大助に話すことはできない。

「うーん……元気なんだけど」

指輪を撫でながら、寝転んで天井を見つめる。

でもこれは……大助には言えない。

だから、かわりに。

「……ねえ大助、好きだよ」

『えっ、……民人くん、どうしたのいきなり。なにかあったの?』

「言いたくなった」

『もう……不意打ちはやめてよ。録音しとけばよかった』

「ムードもへったくれもないな……」

ひと笑いしてから、大助が続ける。

『はは……俺も好きだよ。安心して。俺は民人くんの恋人、民人くんは、俺の恋人。何があっても変わらないから』

その優しい声色が、僕の不安を少しだけ溶かす。

「大助は、いつも僕が言ってほしいこと、言ってくれるね」

大助が、電話の向こうでふふ、と笑う。

『そっか。……こういうことならいくらでも言うよ、俺は。もう1回好きって言ってくれたらね?』

「や……それはちょっと、もう恥ずかしい」

大助の声が耳元でするだけで、心臓が跳ねるのに。

『ふふ。……今度会った時までおあずけかな』

「そうだね」



二人で笑いあって、そして、しばらくの沈黙。



『……ひと月、民人くんがいないのがむなしかったけど、あっという間だった』

大助がつぶやくように漏らす。

「うん……僕、いろんな仕事させてもらえるようになったよ」

『俺が高校生の時を思い出すよ。民人くんに全然会えなくて……。時々会う民人くんは、俺の家で何か役に立ちたいって言って、家政婦さんたちと仲良くなってて。俺より仲良くて悔しかったな』

「はは。大助はそんな時からヤキモチ妬きだったんだね」

『そうだね。……もうずっと、妬いてたよ。でも最近になってようやく余裕ができてきた。今は、民人くんに会いたいとは思うけど、恵さんとか会社の人たちのこと、妬ましいとは思わないから』

「……何か、心境の変化があったの?」

『そうだなあ……。前は民人くんが、どっかに行っちゃうと思って怖かったんだと思う。でも今は、民人くんが俺のこと、……好きでいてくれて。俺のそばにいてくれるって思えるから』

「大助……」

その声色は、表情が頭に浮かぶくらい弾んでいて。

僕の心臓も弾んでしまう。

大助が僕のこと、こんなにずっと大切に思ってくれていたんだ。

『むしろ嬉しいんだ。民人くんが、いろんな人と接しているのが。あんなに怖かったのに……ごめん。俺がそういう機会、奪ってきたんだね』

「ううん……僕も怖かったんだ。新しい世界に飛び込むの。それで、どっかで大助の言葉に甘えてたんだと思う。僕は……嫌いじゃないよ。大助に独り占めされてる感じ」

『はは。……ありがとう。俺も随分、民人くんの言葉に甘えてるね』

「僕だけが大助に甘えてるんじゃないなら……よかった。ねえ大助」

『ん?』

「やっぱりここにいるとね。いろいろ思い出すんだ……断片的にだけど。確かに僕はこの地方で生まれ育ったんだなって思う。思い出すの怖かったけど……今日、大助と話せて、ちょっと向き合う勇気出た」

『よかった。……無理しないで。つらいこともあると思うけど。俺もいるし……恵さんだっている』

「うん。……ありがとう、すっきりした」

『ああ……こんな時間か。明日も仕事だろ? 長電話になっちゃったね。おやすみ……また明日』

穏やかな大助の声が、心地よい。

「うん。……また明日、おやすみ」

通話終了のボタンを押すのが、ちょっとだけ名残惜しくて。

目を閉じながら、ボタンを押した。

「大助……好きだよ」

確かめるように、天井に向かってつぶやきながら、柄にもなく指輪を唇で触れる。



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