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ひとりじゃない
ひとりじゃない 2
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「大助くん、来てくれるかなあ」
なるべく早く用事を済ませよう、ということで、大助とランチの約束を取り付けたのが、西部から帰ってきて数日経ってから。
千菜は乗りかかった船だ、とでも言わんばかりに東に協力してくれて、ランチにも同行してくれた。
……だけではなく、あの東と犬猿の仲の大助が本当に来てくれるのか、東以上に心配していた。
「お前、ホント良いやつだよなあ……この数日で何回も惚れ直したわ」
そんな千菜の姿をうっとりと見つめる東に、千菜は照れつつも、引きつった笑みで返す。
「東はもう少し自分ごとで考えたほうがいいと思う」
「大丈夫だよ。大助クン、民人のことならさすがの俺相手でも絶対来るって。ドタキャンするようなやつじゃないだろうし」
指定した場所は、駅前に新しく出来たカフェ。
……理由は長居ができるソファ席があるからだ、というのが半分、もう半分は東と千菜の興味だったのだが。
大助に断られてはこまるため、民人のことで話があると率直に要件は伝えた。
大助は検討します、と答えたが、その表情はやや動揺を滲ませていたから、当然白黒つけに来ると思う。
……そんなわけで当日を迎え、几帳面な千菜に促されて約束の時間より早く到着した彼らは、メニュー表を見ながら、大助の到着を待つ。
「しっかし。コーヒーの種類多すぎるだろ、ここ。千ちゃん、違いわかる? どれがいいの?」
「わからないけど。とりあえず一番上のやつでいいんじゃないか。おすすめブレンドって名前だし。あとは……通いつめたらわかるかもな。居心地もいいし」
「まあ近いし、休みが合ったら今度は普通にくるか。……お、来た来た」
千菜と談笑しつつも入り口を気にしていた東が、約束の相手を見つける。
手を振ってアピールすると、彼――大助は入り口のほうで会釈し、少し表情を和らげたあと、少しだけばつの悪そうな顔をして口を真一文字に結んだ。
「すみません、おまたせしました」
きびきびと東たちの方向に向かった大助は、表情を変えないままもういちど一礼する。
額に滲んだ汗を拭って、東の真向かいに腰掛ける。
「オンタイムだよ。俺たちが早すぎただけだし。さ、コーヒー飲める? あとグラタン」
「はい。……千菜さんも、お久しぶりです」
「こんにちは。じゃあ、アイスコーヒー3つでいいね」
大助が一息つくと同時に、店員が水を差し出す。
「すみません、アイスコーヒーとグラタン3つ、お願いします」
千菜が伝えると、店員は一言返事をして端末を取り出しながら、バックヤードへ消えていった。
「ここ、グラタンがうまいんだってさ。……民人、なんて言ってた?」
「民人くんには相手は伝えてません。出かけるとだけ。……どうせあなたが言ってますよね、民人くんに」
腕を組みながら東を一瞥する。
「まあね。大事な彼氏を借りてくわけだから、一言いわねえと」
「あなたは俺の恋人をかなり勝手に借りてるみたいですけど……」
目を細める大助に、東は両手を合わせる。
「ああ、悪いって。友達だから俺たち。ほんと、大助クンが困るようなことしてねーから」
大助は大きく息を吐いてから、組んでいた腕を解いた。
「……まあ、今日はこの話はしないでおきます。いつまでも俺ばっかりヤキモチ焼いて、ガキみたいだし」
大助は東のことを目の敵にしているが、東は大助の、こういう年相応なところに好感がもてた。
「民人はまんざらでもないと思うけどなあ。大助クンがそこまで思ってくれてんだから。なあ千菜」
突然振られた千菜は、思わず水を飲む。
「なんで俺に振るんだよ」
「ヤキモチ焼きの先輩としてのご意見を?」
「……お前がまんざらでもないなら、そうなんじゃないか」
仏頂面で答える千菜に、東は破顔する。
「そりゃよかった。……ああ、ごめんな、呼び出しておいて置いてけぼりにしちまって」
「ああ、いえ……」
大助は目を泳がせつつも、険しい表情は抜けていた。
他愛のない話を続けていると、店員が冷たいコーヒーを3つ、机に置く。
東はストローで一口、コーヒーを飲むと、早速話を切り出した。
「……じゃあ、せっかく大助クンが来てくれたから、無駄話はほどほどにするかな。単刀直入に聞くけど、朝倉恵って知ってる? 西部にいるんだけど。今は経営者をやってる」
大助はコーヒーに伸ばした手を止めて、東を見上げた。
「……はい、その恵さんであれば確実に、知り合いです」
困惑しつつも、うなずいて見せる大助の反応を見て、東と千菜たちの想像が確信に変わる。
「やっぱり。ああ、俺は実は恵くんのいとこで」
そう伝えると、大助は今までにないほど目を見開いた。
「は?」
「まったく、世間は狭いわ。ま、とりあえずリラックスして聞いてほしいんだけど」
東は大助が先程飲むのを止めたコーヒーを指差し、いまにも飛びかかりそうな大助を制止する。
「……民人くんの話だって聞きましたけど」
コーヒーを一気にごくごくと飲んだ大助が、ひと呼吸ついてから東に尋ねる。
「ああ、まあな。順番に説明するか。恵くんと会ったのは単に久々に顔出すだけのつもりだったんだけど、恵くんから、このあたりで気にかけて欲しい人がいるって頼まれたんだ。ただ、名前も知らない。記憶がない、栄知大学の学生を頼ってるんじゃないか、という情報だけ。……まあでも、これだけで十分、民人の可能性が高いなと思ったわけ。だからこれは、恵くんの話でもあり、民人の話でもあり、大助クンの話でもあるってわけ」
食い入るように聞いていた大助は、ただ一言、ぽつりとつぶやいた。
「信じられない……」
それ以上の言葉が、見つからないのは無理もない。
「俺もだよ。……それで、恵くんが何考えてるか正直わからなかったから、俺たちはその場ではごまかして帰ってきたって感じ。今日は大助クンに事実確認しにきた」
「この話、民人くんには」
「言ってねえし、言わねえよ。だからお前だけ呼んだんだし」
東の言葉に、大助は少しだけ、表情を緩める。
そして、東をまっすぐと見つめた。
「……ありがとうございます。信じます」
「大助クンにそこまで言わせたんだから、反故にはできねえな」
東が感じていたのは、安堵だった。
ただそれは、自分を信頼してもらえたこと自体へのものというより、大助が他人を頼る選択をしたことに対してのもので。
大助が、自分が選択したこととはいえ民人の存在を一人で抱え込もうとしていることに、若干の心配があった。
器用で聡明とはいえ、成人して間もない、東からすればまだ少年にも近い年齢だ。
民人と彼の間に何があったかはわからないが、少なくとも、誰かに頼ることを覚えてほしかった。
それが、彼らのためになるだろうと考えていたから。
「俺自身は、そこまで恵さんと親しいわけではありません。会ったことは数えるくらいです。ただ、恵さんは、彼のおっしゃる通り、民人くん……と言って良いかはわかりませんが、彼が幼い頃から、家族ぐるみで親しくしていた人だと聞いています。ああ、民人くんも、生まれは西部なんです。だから……悔しいですけど、俺よりも彼に詳しいでしょう。俺はせいぜい、彼とは10代からの付き合いなので」
「あいつ俺と同郷なのか。大助クンは北部だろ? あのでけー会社の」
「ええ。実家のことを言われると少し恥ずかしいですけど……。俺と綺羅くんは同じ全寮制の高校に通っていたのが切欠で知り合っています。このあたりは民人くんにも話はしていませんが……まあ、そこは察してると思いますけど。民人くんが記憶を失う事故をしたときに駆けつけたのが、俺と恵さんでした。恵さんはそれくらい、彼と親しい人です」
「なるほどね。サンキュー。……んで、そんな親しいのに、恵くんは、民人と会わないほうが互いのためだと思ってるんだとよ。だから俺に代わりに気にかけてほしいんだってさ」
大助はそれを聞いて、こくりとうなずく。
「俺と恵さんが最後に会話をしたときも、同じことを言っていました。それで、民人くんには恵さんとの関係は明かしていませんし、話し合った結果、北部の俺の家で民人くんを引き取ることにしました。……これは俺の推測も含みますが、民人くんは家のことあまりよく思ってなかったみたいですし、民人くんが記憶をなくしたこと、恵さんとしても自分ごと民人くんを家族から離すいい機会だとも思ったんでしょう。恵さんが民人くんを気にかけているのは無理もないと思います」
「難儀だな」
黙って話を聞いていた千菜が、ポツリと呟いた。
「俺にも、恵さんの考えはわからないことは多いです。……ただ、恵さんが今も民人くんのこと気にかけてくれてるのであれば、嬉しいです。民人くんは自分の過去と向き合いたいって、言っています。そうなったら、俺だけじゃどうにもできない。いつか彼を頼る必要が出てくるので」
「なるほどねえ」
ストローを噛みながら、東が小さなため息をつく。
一気に打ち明けた大助も、汗を拭ってから、コーヒーを一口飲んだ。
少しの間、沈黙が訪れたところに、焼きたてのグラタンが3つ、サーブされてきた。
ジュワジュワと音を立てるそれのチーズの香りに、緊張の糸が解ける。
「ちょうどいいところに。……とりあえず食うか。美味かったら今度、民人も連れてきてやれよ」
「ええ。……いただきます」
とろりとしたホワイトソースとチーズとが絡んだマカロニは、未だ汗の引かない大助でも手を止められなかった。
今まで表情をあまり変えなかった千菜も、口に入れた途端、目を丸くする。
「ああ……これはたしかに、人気が出るのも納得だ。ホワイトソースが美味い。東は猫舌なんだからちゃんと冷ましてから食べろよ」
そして、ひたすらにマカロニを冷ます東を見て、くすりと笑った。
「うっせ」
悪態をつきながらも、食べ頃のマカロニに舌鼓を打った。
――それから各自、言葉もなく夢中で食べ進め、半分ほど食べ終わった頃。
「……なあ大助クン。恵くんと話す気ねえか?」
「えっ?」
「話聞いててさ。やっぱ俺イマイチ納得いかねーんだわ。恵くん、民人と関わったほうがいいんじゃねえの? って思う」
大助は一度、フォークを置いて冷水を飲む。
「……それで、俺が恵さんと?」
「ああ。俺はそう思うし、お前もそう思ってるのはなんとなくわかったから。でも民人の昔のことは知らない俺が口出せることでもない。だから、大助クンと話してもらうのがいいんじゃねーかと思ったんだけど」
千菜は頷き、腕を組んで口を挟む。
「ここで東が動いても、話がこじれるかもしれないからな」
「そういうこと。それでもやっぱり、恵くんが民人に関わらないほうが良いっていうんならそこまでだけど。そうじゃないなら、早いほうがいいだろ」
話しながらも食べ進めていた東は、最後のひとくちを平らげた。
「……そう、かもしれません」
少しの間考えていた大助が、ポツリと漏らす。
「だろ。……ちょっと待て。恵くんに電話してみるから」
「えっ……今からですか?」
東は大助の言葉に、うん、とだけ答えて携帯端末を取り出す。
「東、せっかちなので」
とだけ言う千菜を見て、大助は彼の苦悩を悟った。
「あ、もしもし、恵くん? いまいい? ……ああ、この前はありがと。んでさ、この前の話。帰ってからひょっとして……? っての思い出して確認したんだけど。探してる人の親友っての。……うん。それ。河関の大助クンて坊っちゃんだろ? ああ、やっぱり。……そう、ほんとに偶然知り合いでさ。ちょっと話したんだけど、恵くんと話したいって。……ああうん。早いほうが良いだろ」
東は一度、携帯端末から顔を離して、大助を見る。
「大助クンが西部行くでいいか? 今週の予定は? 夏休みだと思うけど。バイトとか特別講義とか入ってねえよな?」
「はい、今週は特に何も」
「サンキュー」
東は再び携帯端末に顔を近づける。
「恵くん、今週予定は? ……うん、わかった。あさってね。恵くんの連絡先伝えとくから。……じゃあ、あとはよろしく」
ゆっくりと通話を切った東は、一息ついてから大助を見た。
「あさって?」
大助は、確認するように尋ねる。
「ああ。あさっての昼なら空いてるって。行ける?」
唖然とする大助に代わって、千菜が大きなため息をついた。
「さすがに、明日出発しないと間に合わないようなのは……いくら今週と言っても」
「そうだけど、さっさと終わらせたほうが楽だろ、お互い」
大助を置いて、気の早い東をたしなめる千菜と、食い下がる東の押し問答が始まる。
その間に、当の大助は決意を固めていた。
「あの。千菜さんも、お気遣いありがとうございます。……でも、俺行きます。東さんの言うとおり、早いほうが良いですし」
「……本当にいいんですか? 明日って、用意とかもあるでしょう」
「ええ。幸い、旅行は慣れてるので、準備は大丈夫です。……話すなら、早い方がいいと思いますから」
その言葉を聞いて、心配そうな表情を浮かべていた千菜が、ふう、と息を吐いた。
「あなたがそういうなら、止めませんが。……無理だけはしないように、気をつけてください」
*****
「東」
「なに?」
善は急げ、と大助が先に去ってからしばらくのこと。
千菜はあくまで目を合わせず、ストローを咥えながら続ける。
「東は俺のこと優しい優しいって言うけど、俺はお前こそお人好しだと思うよ。友達のためにここまで労力かけて」
「なに、妬いてんの?」
褒められ慣れない東はそうはぐらかすが、千菜はそのまま続ける。
「なんでそうなるんだよ。……惚れ直した。お前が恋人なのが誇らしいよ」
ひたすら、冷たいコーヒーを飲み続けながら、そう言い放つ。
東は千菜の言葉に口をぽかんと開けるが。
千菜の耳が赤くなっているのを見逃さなかった。
「千菜……そういうこと言うときは俺の目を見てよ」
「無理」
「あのなあ……まあいいか。もし目見て言われたら嬉しすぎて死ぬかもだし。……千菜、これから時間空いてる?」
「うん、今日は一日空いてるけど」
「じゃ、場所変えるか。ホテルに」
「はあ!?」
赤面する千菜を見て、東は心を踊らせる。
「恋人らしいこと、したくなっちゃったからさあ……駄目?」
千菜は東のその問いに対してなにか言いたげに唇をもごもごと動かすが、ため息をついてから水を飲み干す。
「……時間はちゃんと決めるぞ」
なるべく早く用事を済ませよう、ということで、大助とランチの約束を取り付けたのが、西部から帰ってきて数日経ってから。
千菜は乗りかかった船だ、とでも言わんばかりに東に協力してくれて、ランチにも同行してくれた。
……だけではなく、あの東と犬猿の仲の大助が本当に来てくれるのか、東以上に心配していた。
「お前、ホント良いやつだよなあ……この数日で何回も惚れ直したわ」
そんな千菜の姿をうっとりと見つめる東に、千菜は照れつつも、引きつった笑みで返す。
「東はもう少し自分ごとで考えたほうがいいと思う」
「大丈夫だよ。大助クン、民人のことならさすがの俺相手でも絶対来るって。ドタキャンするようなやつじゃないだろうし」
指定した場所は、駅前に新しく出来たカフェ。
……理由は長居ができるソファ席があるからだ、というのが半分、もう半分は東と千菜の興味だったのだが。
大助に断られてはこまるため、民人のことで話があると率直に要件は伝えた。
大助は検討します、と答えたが、その表情はやや動揺を滲ませていたから、当然白黒つけに来ると思う。
……そんなわけで当日を迎え、几帳面な千菜に促されて約束の時間より早く到着した彼らは、メニュー表を見ながら、大助の到着を待つ。
「しっかし。コーヒーの種類多すぎるだろ、ここ。千ちゃん、違いわかる? どれがいいの?」
「わからないけど。とりあえず一番上のやつでいいんじゃないか。おすすめブレンドって名前だし。あとは……通いつめたらわかるかもな。居心地もいいし」
「まあ近いし、休みが合ったら今度は普通にくるか。……お、来た来た」
千菜と談笑しつつも入り口を気にしていた東が、約束の相手を見つける。
手を振ってアピールすると、彼――大助は入り口のほうで会釈し、少し表情を和らげたあと、少しだけばつの悪そうな顔をして口を真一文字に結んだ。
「すみません、おまたせしました」
きびきびと東たちの方向に向かった大助は、表情を変えないままもういちど一礼する。
額に滲んだ汗を拭って、東の真向かいに腰掛ける。
「オンタイムだよ。俺たちが早すぎただけだし。さ、コーヒー飲める? あとグラタン」
「はい。……千菜さんも、お久しぶりです」
「こんにちは。じゃあ、アイスコーヒー3つでいいね」
大助が一息つくと同時に、店員が水を差し出す。
「すみません、アイスコーヒーとグラタン3つ、お願いします」
千菜が伝えると、店員は一言返事をして端末を取り出しながら、バックヤードへ消えていった。
「ここ、グラタンがうまいんだってさ。……民人、なんて言ってた?」
「民人くんには相手は伝えてません。出かけるとだけ。……どうせあなたが言ってますよね、民人くんに」
腕を組みながら東を一瞥する。
「まあね。大事な彼氏を借りてくわけだから、一言いわねえと」
「あなたは俺の恋人をかなり勝手に借りてるみたいですけど……」
目を細める大助に、東は両手を合わせる。
「ああ、悪いって。友達だから俺たち。ほんと、大助クンが困るようなことしてねーから」
大助は大きく息を吐いてから、組んでいた腕を解いた。
「……まあ、今日はこの話はしないでおきます。いつまでも俺ばっかりヤキモチ焼いて、ガキみたいだし」
大助は東のことを目の敵にしているが、東は大助の、こういう年相応なところに好感がもてた。
「民人はまんざらでもないと思うけどなあ。大助クンがそこまで思ってくれてんだから。なあ千菜」
突然振られた千菜は、思わず水を飲む。
「なんで俺に振るんだよ」
「ヤキモチ焼きの先輩としてのご意見を?」
「……お前がまんざらでもないなら、そうなんじゃないか」
仏頂面で答える千菜に、東は破顔する。
「そりゃよかった。……ああ、ごめんな、呼び出しておいて置いてけぼりにしちまって」
「ああ、いえ……」
大助は目を泳がせつつも、険しい表情は抜けていた。
他愛のない話を続けていると、店員が冷たいコーヒーを3つ、机に置く。
東はストローで一口、コーヒーを飲むと、早速話を切り出した。
「……じゃあ、せっかく大助クンが来てくれたから、無駄話はほどほどにするかな。単刀直入に聞くけど、朝倉恵って知ってる? 西部にいるんだけど。今は経営者をやってる」
大助はコーヒーに伸ばした手を止めて、東を見上げた。
「……はい、その恵さんであれば確実に、知り合いです」
困惑しつつも、うなずいて見せる大助の反応を見て、東と千菜たちの想像が確信に変わる。
「やっぱり。ああ、俺は実は恵くんのいとこで」
そう伝えると、大助は今までにないほど目を見開いた。
「は?」
「まったく、世間は狭いわ。ま、とりあえずリラックスして聞いてほしいんだけど」
東は大助が先程飲むのを止めたコーヒーを指差し、いまにも飛びかかりそうな大助を制止する。
「……民人くんの話だって聞きましたけど」
コーヒーを一気にごくごくと飲んだ大助が、ひと呼吸ついてから東に尋ねる。
「ああ、まあな。順番に説明するか。恵くんと会ったのは単に久々に顔出すだけのつもりだったんだけど、恵くんから、このあたりで気にかけて欲しい人がいるって頼まれたんだ。ただ、名前も知らない。記憶がない、栄知大学の学生を頼ってるんじゃないか、という情報だけ。……まあでも、これだけで十分、民人の可能性が高いなと思ったわけ。だからこれは、恵くんの話でもあり、民人の話でもあり、大助クンの話でもあるってわけ」
食い入るように聞いていた大助は、ただ一言、ぽつりとつぶやいた。
「信じられない……」
それ以上の言葉が、見つからないのは無理もない。
「俺もだよ。……それで、恵くんが何考えてるか正直わからなかったから、俺たちはその場ではごまかして帰ってきたって感じ。今日は大助クンに事実確認しにきた」
「この話、民人くんには」
「言ってねえし、言わねえよ。だからお前だけ呼んだんだし」
東の言葉に、大助は少しだけ、表情を緩める。
そして、東をまっすぐと見つめた。
「……ありがとうございます。信じます」
「大助クンにそこまで言わせたんだから、反故にはできねえな」
東が感じていたのは、安堵だった。
ただそれは、自分を信頼してもらえたこと自体へのものというより、大助が他人を頼る選択をしたことに対してのもので。
大助が、自分が選択したこととはいえ民人の存在を一人で抱え込もうとしていることに、若干の心配があった。
器用で聡明とはいえ、成人して間もない、東からすればまだ少年にも近い年齢だ。
民人と彼の間に何があったかはわからないが、少なくとも、誰かに頼ることを覚えてほしかった。
それが、彼らのためになるだろうと考えていたから。
「俺自身は、そこまで恵さんと親しいわけではありません。会ったことは数えるくらいです。ただ、恵さんは、彼のおっしゃる通り、民人くん……と言って良いかはわかりませんが、彼が幼い頃から、家族ぐるみで親しくしていた人だと聞いています。ああ、民人くんも、生まれは西部なんです。だから……悔しいですけど、俺よりも彼に詳しいでしょう。俺はせいぜい、彼とは10代からの付き合いなので」
「あいつ俺と同郷なのか。大助クンは北部だろ? あのでけー会社の」
「ええ。実家のことを言われると少し恥ずかしいですけど……。俺と綺羅くんは同じ全寮制の高校に通っていたのが切欠で知り合っています。このあたりは民人くんにも話はしていませんが……まあ、そこは察してると思いますけど。民人くんが記憶を失う事故をしたときに駆けつけたのが、俺と恵さんでした。恵さんはそれくらい、彼と親しい人です」
「なるほどね。サンキュー。……んで、そんな親しいのに、恵くんは、民人と会わないほうが互いのためだと思ってるんだとよ。だから俺に代わりに気にかけてほしいんだってさ」
大助はそれを聞いて、こくりとうなずく。
「俺と恵さんが最後に会話をしたときも、同じことを言っていました。それで、民人くんには恵さんとの関係は明かしていませんし、話し合った結果、北部の俺の家で民人くんを引き取ることにしました。……これは俺の推測も含みますが、民人くんは家のことあまりよく思ってなかったみたいですし、民人くんが記憶をなくしたこと、恵さんとしても自分ごと民人くんを家族から離すいい機会だとも思ったんでしょう。恵さんが民人くんを気にかけているのは無理もないと思います」
「難儀だな」
黙って話を聞いていた千菜が、ポツリと呟いた。
「俺にも、恵さんの考えはわからないことは多いです。……ただ、恵さんが今も民人くんのこと気にかけてくれてるのであれば、嬉しいです。民人くんは自分の過去と向き合いたいって、言っています。そうなったら、俺だけじゃどうにもできない。いつか彼を頼る必要が出てくるので」
「なるほどねえ」
ストローを噛みながら、東が小さなため息をつく。
一気に打ち明けた大助も、汗を拭ってから、コーヒーを一口飲んだ。
少しの間、沈黙が訪れたところに、焼きたてのグラタンが3つ、サーブされてきた。
ジュワジュワと音を立てるそれのチーズの香りに、緊張の糸が解ける。
「ちょうどいいところに。……とりあえず食うか。美味かったら今度、民人も連れてきてやれよ」
「ええ。……いただきます」
とろりとしたホワイトソースとチーズとが絡んだマカロニは、未だ汗の引かない大助でも手を止められなかった。
今まで表情をあまり変えなかった千菜も、口に入れた途端、目を丸くする。
「ああ……これはたしかに、人気が出るのも納得だ。ホワイトソースが美味い。東は猫舌なんだからちゃんと冷ましてから食べろよ」
そして、ひたすらにマカロニを冷ます東を見て、くすりと笑った。
「うっせ」
悪態をつきながらも、食べ頃のマカロニに舌鼓を打った。
――それから各自、言葉もなく夢中で食べ進め、半分ほど食べ終わった頃。
「……なあ大助クン。恵くんと話す気ねえか?」
「えっ?」
「話聞いててさ。やっぱ俺イマイチ納得いかねーんだわ。恵くん、民人と関わったほうがいいんじゃねえの? って思う」
大助は一度、フォークを置いて冷水を飲む。
「……それで、俺が恵さんと?」
「ああ。俺はそう思うし、お前もそう思ってるのはなんとなくわかったから。でも民人の昔のことは知らない俺が口出せることでもない。だから、大助クンと話してもらうのがいいんじゃねーかと思ったんだけど」
千菜は頷き、腕を組んで口を挟む。
「ここで東が動いても、話がこじれるかもしれないからな」
「そういうこと。それでもやっぱり、恵くんが民人に関わらないほうが良いっていうんならそこまでだけど。そうじゃないなら、早いほうがいいだろ」
話しながらも食べ進めていた東は、最後のひとくちを平らげた。
「……そう、かもしれません」
少しの間考えていた大助が、ポツリと漏らす。
「だろ。……ちょっと待て。恵くんに電話してみるから」
「えっ……今からですか?」
東は大助の言葉に、うん、とだけ答えて携帯端末を取り出す。
「東、せっかちなので」
とだけ言う千菜を見て、大助は彼の苦悩を悟った。
「あ、もしもし、恵くん? いまいい? ……ああ、この前はありがと。んでさ、この前の話。帰ってからひょっとして……? っての思い出して確認したんだけど。探してる人の親友っての。……うん。それ。河関の大助クンて坊っちゃんだろ? ああ、やっぱり。……そう、ほんとに偶然知り合いでさ。ちょっと話したんだけど、恵くんと話したいって。……ああうん。早いほうが良いだろ」
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「はい、今週は特に何も」
「サンキュー」
東は再び携帯端末に顔を近づける。
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「あさって?」
大助は、確認するように尋ねる。
「ああ。あさっての昼なら空いてるって。行ける?」
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その間に、当の大助は決意を固めていた。
「あの。千菜さんも、お気遣いありがとうございます。……でも、俺行きます。東さんの言うとおり、早いほうが良いですし」
「……本当にいいんですか? 明日って、用意とかもあるでしょう」
「ええ。幸い、旅行は慣れてるので、準備は大丈夫です。……話すなら、早い方がいいと思いますから」
その言葉を聞いて、心配そうな表情を浮かべていた千菜が、ふう、と息を吐いた。
「あなたがそういうなら、止めませんが。……無理だけはしないように、気をつけてください」
*****
「東」
「なに?」
善は急げ、と大助が先に去ってからしばらくのこと。
千菜はあくまで目を合わせず、ストローを咥えながら続ける。
「東は俺のこと優しい優しいって言うけど、俺はお前こそお人好しだと思うよ。友達のためにここまで労力かけて」
「なに、妬いてんの?」
褒められ慣れない東はそうはぐらかすが、千菜はそのまま続ける。
「なんでそうなるんだよ。……惚れ直した。お前が恋人なのが誇らしいよ」
ひたすら、冷たいコーヒーを飲み続けながら、そう言い放つ。
東は千菜の言葉に口をぽかんと開けるが。
千菜の耳が赤くなっているのを見逃さなかった。
「千菜……そういうこと言うときは俺の目を見てよ」
「無理」
「あのなあ……まあいいか。もし目見て言われたら嬉しすぎて死ぬかもだし。……千菜、これから時間空いてる?」
「うん、今日は一日空いてるけど」
「じゃ、場所変えるか。ホテルに」
「はあ!?」
赤面する千菜を見て、東は心を踊らせる。
「恋人らしいこと、したくなっちゃったからさあ……駄目?」
千菜は東のその問いに対してなにか言いたげに唇をもごもごと動かすが、ため息をついてから水を飲み干す。
「……時間はちゃんと決めるぞ」
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Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
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初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
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