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ひとりじゃない
ひとりじゃない 1
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夏頃まで時を遡る。
「さて。こうして顔も見られたことだし……実は、今日はちょうど東に話したいことがあって、来てもらったんだ」
東と千菜が西部を訪れ、東のいとこを訪ねたときのこと。
彼から東に、説教以外の話を切り出すことはめったになかった。
西部に向かうと連絡をしたところ、久々に食事でも、と話を切り出されたものの、「たまには親戚に顔を見せろ」程度のものだと考えていたから、東は驚いていた。
「めずらしいな、恵くんが俺に頼み事なんて」
そして。
東が会った、そのいとここそ、後日民人が西部で身を寄せることとなった恵であった。
恵は静かにうなずき、話を続ける。
「もしよければ、気にしておいて欲しい人がいてね。ちょうどその人が、数年前に中央部に移り住んだんじゃないかと思ってる」
「気にしてほしいって……中央のどこ? 言っとくけど中央って結構広いからな。それに思ってるって……」
東が首をかしげながら返すと、彼はコーヒーを一口飲み、メガネを直して笑う。
「まあ……そうだろうな。詳しくは知らないけど……栄知大学の近くだと思う。東の所轄の近くじゃないか?」
「近いけど」
東の知る限り、恵の交友関係は西部を出ることが少ない。
もともと人付き合いは好まず、深く狭いコミュニティを大切にするタイプだったのだが。
その彼が中央の、それも東の所在地に近い場所に気にして欲しい人がいるとは。
栄知大学、……民人の彼氏が通っていたな、とぼんやり考える。
物言いから、ある程度その大学に関係する人物なのだろう、とは考えるが。
「もし出会えたらでいいんだが。……きっと君みたいな頼りになる立場の人の助けが、必要になるんじゃないかと思うから」
普段は基本的にはっきりとした物言いのいとこが、これだけ濁した物言いをすることに驚いた。
「はあ。そんないるかどうかもわからん相手をねえ。その大学のセンセーとかなの? 俺に世話になるって悪いことでもしてんの? 名前とかは?」
……それほど、言いたくない関係なのだろうと、東は同時に察して、具体的な深追いは止めておくのだが。
にしても、力になるには情報が少なすぎた。
恵は少し考えるような仕草をしてから、ぽつりぽつりと独白する。
「彼自身が学生かどうかは知らないんだ。ただ、……彼の親友が、栄知大学の学生らしい。彼のお友達は業界ではそこそこに有名な人のご子息でね。それだけは小耳に挟んだんだ。仲が良かったからきっと一緒にいるんじゃないかと思う」
学生であれば、いるかいないかくらいは確認できそうだ、と東は思った。
……もっとも、民人の恋人とまともに会話に持ち込めれば、の話であるが。
「じゃあ、俺のちょい下くらいか。名前は?」
「名前も、どう名乗っているか知らないんだ」
「なんだそれ。推理ゲームのほうがまだヒントあるぞ」
素直な東の感想だったが、恵は落胆したように肩を落とした。
「そうだよなぁ。あまりにも情報がなさすぎる。でも、本当にどう名乗っているか知らないんだ……彼は記憶を失ってしまったようだから」
その言葉を聞いて、息を呑む。
友人が栄知大学の学生。中央にいる。どう名乗っているかわからない。そして。
「記憶喪失……」
それまで黙って二人の話を聞いていた千菜が、目を見開いてつぶやく。
東も思わず、千菜と顔を見合わせた。
それはまさしく、東の友人――千菜の妹の家庭教師と、似通った特徴だったから。
そうであれば、さて、どう答えようか。
恵とはいとこだ。
誠実さは信頼している。
でも、民人は、大切な友人だ。
それに、詳しくは知らないが、相当面倒があると、日頃の大助の言動から推し量ることができた。
明らかに民人の過去を知っていながら、あえて仮の戸籍を作らせるほどだ。
もし、民人が本当に、恵の尋ね人であったとしたら。
すくなくとも、民人の過去を知る人間に、おいそれと居場所を伝えることは得策ではない。
もし、伝えたことで民人に不都合があれば――
「あの。聞いていいですか?」
東が悩み倒していると、千菜が代わりに口を開いた。
その言葉に、恵はばっと顔を上げる。
「ええ。……答えられることは、何でも答えましょう」
「千……」
口をはさもうとすると、机の下で手を握られ、「いいから」と目配せを受ける。
「その人とは、どういうご関係で?」
「……大切な人です、とても。彼が幼い頃から、見守ってきました」
「そうですか。彼と直接会うことはできないんですか?」
「ええ。会わないほうが互いのためだと思っています。ただ、彼がどうしているか、どうしても気になってしまって。……ちょうど近くにいるという東に甘えるような真似をしてしまいました」
「そうですか。すみません、ズケズケと聞いてしまいましたが。もし、私達がその方にお会いすることがあれば、気にしておきます。……なあ、東」
……千菜はこちらが迂闊に情報を出さないほうがいいことも理解しつつ、淡々と、ただ恵から情報を引き出すことに徹していた。
恵と民人、どちらとも他人の千菜だからこそ。
東の苦悩を慮っての行動だと理解し、東はじわりと緊張が溶かされるのを感じた。
「……ああ。数少ない恵くんの仲いい人みたいだからな」
「数少ないは余計だよ。……悪いね、変な話に付き合わせてしまって」
気づけばコーヒーカップは空になっていた。
それなりの時間が経ったのだろう。
「お礼に私が払っておくから。今日はありがとう。西部の観光、ゆっくり楽しんで」
恵は伝票を引き出し、メガネを直しながら言う。
「ごちそうさま。恵くんも、元気で。また連絡するわ」
***
店をでてからしばらく、東と千菜は無言だった。
無言で、ただただ歩いて、目的の駅が見えてきた頃。
「東。……まずは事実確認からだけど。……中央に帰ってからのことは、今はいいか」
こういうとき、気を利かせて話を切り出すのは、案外千菜のほうが多い。
東は足をとめて、千菜に向き合った。
「ああ……千菜、ありがとう。……お前に来てもらって本当に良かった。俺だけだったらどう立ち回ればいいか……。やっぱお前が隣にいてもらわないと、俺だめだわ」
照れくさそうに頭を掻きながらはにかむ東の言葉を聞いて、千菜は満足そうに笑う。
そして、東に手を差し出す。
「誰かさんは寝不足で頭が回ってなかったみたいだからな」
口説き文句を否定しないときの千菜は、すこぶる機嫌が良い。
東はその手をつかみ、指を絡ませた。
「はは。この調子じゃ明日も寝不足だな」
「寝かせてくれよ。……ちょっとくらい」
繋いだ手を揺らしながら、ふたたび西部の街並みを歩き進めた。
前
「さて。こうして顔も見られたことだし……実は、今日はちょうど東に話したいことがあって、来てもらったんだ」
東と千菜が西部を訪れ、東のいとこを訪ねたときのこと。
彼から東に、説教以外の話を切り出すことはめったになかった。
西部に向かうと連絡をしたところ、久々に食事でも、と話を切り出されたものの、「たまには親戚に顔を見せろ」程度のものだと考えていたから、東は驚いていた。
「めずらしいな、恵くんが俺に頼み事なんて」
そして。
東が会った、そのいとここそ、後日民人が西部で身を寄せることとなった恵であった。
恵は静かにうなずき、話を続ける。
「もしよければ、気にしておいて欲しい人がいてね。ちょうどその人が、数年前に中央部に移り住んだんじゃないかと思ってる」
「気にしてほしいって……中央のどこ? 言っとくけど中央って結構広いからな。それに思ってるって……」
東が首をかしげながら返すと、彼はコーヒーを一口飲み、メガネを直して笑う。
「まあ……そうだろうな。詳しくは知らないけど……栄知大学の近くだと思う。東の所轄の近くじゃないか?」
「近いけど」
東の知る限り、恵の交友関係は西部を出ることが少ない。
もともと人付き合いは好まず、深く狭いコミュニティを大切にするタイプだったのだが。
その彼が中央の、それも東の所在地に近い場所に気にして欲しい人がいるとは。
栄知大学、……民人の彼氏が通っていたな、とぼんやり考える。
物言いから、ある程度その大学に関係する人物なのだろう、とは考えるが。
「もし出会えたらでいいんだが。……きっと君みたいな頼りになる立場の人の助けが、必要になるんじゃないかと思うから」
普段は基本的にはっきりとした物言いのいとこが、これだけ濁した物言いをすることに驚いた。
「はあ。そんないるかどうかもわからん相手をねえ。その大学のセンセーとかなの? 俺に世話になるって悪いことでもしてんの? 名前とかは?」
……それほど、言いたくない関係なのだろうと、東は同時に察して、具体的な深追いは止めておくのだが。
にしても、力になるには情報が少なすぎた。
恵は少し考えるような仕草をしてから、ぽつりぽつりと独白する。
「彼自身が学生かどうかは知らないんだ。ただ、……彼の親友が、栄知大学の学生らしい。彼のお友達は業界ではそこそこに有名な人のご子息でね。それだけは小耳に挟んだんだ。仲が良かったからきっと一緒にいるんじゃないかと思う」
学生であれば、いるかいないかくらいは確認できそうだ、と東は思った。
……もっとも、民人の恋人とまともに会話に持ち込めれば、の話であるが。
「じゃあ、俺のちょい下くらいか。名前は?」
「名前も、どう名乗っているか知らないんだ」
「なんだそれ。推理ゲームのほうがまだヒントあるぞ」
素直な東の感想だったが、恵は落胆したように肩を落とした。
「そうだよなぁ。あまりにも情報がなさすぎる。でも、本当にどう名乗っているか知らないんだ……彼は記憶を失ってしまったようだから」
その言葉を聞いて、息を呑む。
友人が栄知大学の学生。中央にいる。どう名乗っているかわからない。そして。
「記憶喪失……」
それまで黙って二人の話を聞いていた千菜が、目を見開いてつぶやく。
東も思わず、千菜と顔を見合わせた。
それはまさしく、東の友人――千菜の妹の家庭教師と、似通った特徴だったから。
そうであれば、さて、どう答えようか。
恵とはいとこだ。
誠実さは信頼している。
でも、民人は、大切な友人だ。
それに、詳しくは知らないが、相当面倒があると、日頃の大助の言動から推し量ることができた。
明らかに民人の過去を知っていながら、あえて仮の戸籍を作らせるほどだ。
もし、民人が本当に、恵の尋ね人であったとしたら。
すくなくとも、民人の過去を知る人間に、おいそれと居場所を伝えることは得策ではない。
もし、伝えたことで民人に不都合があれば――
「あの。聞いていいですか?」
東が悩み倒していると、千菜が代わりに口を開いた。
その言葉に、恵はばっと顔を上げる。
「ええ。……答えられることは、何でも答えましょう」
「千……」
口をはさもうとすると、机の下で手を握られ、「いいから」と目配せを受ける。
「その人とは、どういうご関係で?」
「……大切な人です、とても。彼が幼い頃から、見守ってきました」
「そうですか。彼と直接会うことはできないんですか?」
「ええ。会わないほうが互いのためだと思っています。ただ、彼がどうしているか、どうしても気になってしまって。……ちょうど近くにいるという東に甘えるような真似をしてしまいました」
「そうですか。すみません、ズケズケと聞いてしまいましたが。もし、私達がその方にお会いすることがあれば、気にしておきます。……なあ、東」
……千菜はこちらが迂闊に情報を出さないほうがいいことも理解しつつ、淡々と、ただ恵から情報を引き出すことに徹していた。
恵と民人、どちらとも他人の千菜だからこそ。
東の苦悩を慮っての行動だと理解し、東はじわりと緊張が溶かされるのを感じた。
「……ああ。数少ない恵くんの仲いい人みたいだからな」
「数少ないは余計だよ。……悪いね、変な話に付き合わせてしまって」
気づけばコーヒーカップは空になっていた。
それなりの時間が経ったのだろう。
「お礼に私が払っておくから。今日はありがとう。西部の観光、ゆっくり楽しんで」
恵は伝票を引き出し、メガネを直しながら言う。
「ごちそうさま。恵くんも、元気で。また連絡するわ」
***
店をでてからしばらく、東と千菜は無言だった。
無言で、ただただ歩いて、目的の駅が見えてきた頃。
「東。……まずは事実確認からだけど。……中央に帰ってからのことは、今はいいか」
こういうとき、気を利かせて話を切り出すのは、案外千菜のほうが多い。
東は足をとめて、千菜に向き合った。
「ああ……千菜、ありがとう。……お前に来てもらって本当に良かった。俺だけだったらどう立ち回ればいいか……。やっぱお前が隣にいてもらわないと、俺だめだわ」
照れくさそうに頭を掻きながらはにかむ東の言葉を聞いて、千菜は満足そうに笑う。
そして、東に手を差し出す。
「誰かさんは寝不足で頭が回ってなかったみたいだからな」
口説き文句を否定しないときの千菜は、すこぶる機嫌が良い。
東はその手をつかみ、指を絡ませた。
「はは。この調子じゃ明日も寝不足だな」
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