ふたつの嘘

noriko

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ふたりの嘘

ふたりの嘘 4

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「ありがとう、ここまで来てくれて」

「当然だよ……俺がそうしたかったから。本当に、ここでいいの」

「うん……それじゃあ、電話、するからね」



大助とは、ホテルで別れた。

本当は目的地までついてきてくれるということだったけれど。

ここからはなるべく、大助に頼らないように、と思って。

……それに、覚悟があるうちに、別れておきたくて。

寂しそうな顔をしていたけれど、笑顔で出発を見送ってくれた。

「北部にいたときは……ずっと大助と離れてたのに。僕たちが一緒にいたのなんて、ほんの2年弱なのにね」

返事をしてくれる人とは、しばらくお別れ。

長いようで、本当に短い間だったんだ。

寂しくて仕方ないけれど、もしかして……また、一人に慣れちゃうのかな。

なんて、すこし不安だったり、する。



目的地は、ホテルから歩いて10分。

小さなカフェで、僕の雇い主と待ち合わせをすることになっていた。

少し落ち着く時間が欲しくて、約束の20分前には入店していたと思う。

コーヒーを注文して、一息つく。

初対面、それも社長さんと話すというのだから、はじめの挨拶で失敗はできない。

「はじめまして、朝倉民人と申します。い、至らぬ点もあるかと思いますが何卒……」

小さな声でぶつぶつと、なんどか予行演習をしていた。

刻一刻と、約束の時間が近づく。

ちょうど、5分前。

カラン、と扉が開く音がして、一人の男性が入店してきた。

その人は、店員さんに何かを話しかける。

店員さんが僕の方へ手をやったので、約束の相手だと悟る。

思ったとおり、彼はこちらに向かって歩いてきた。

……ついに。

勢いよく立ち上がり、深々とお辞儀をする。

そして、深く息を吸い込んで、何度も練習した挨拶を――

「は、はじめまして……じゃ、ない」

するつもり……が、顔を上げて思わず、声を止めてしまった。

目の前の男性は、口に手を当ててくすり、と笑う。



忘れることなんてできない。

赤みがかった髪を固めた、眼鏡の男性。

「お久しぶりです。……覚えていてくださったんですね、あんな一瞬のこと」

「恵、さん」

僕の、朝倉民人としての、はじめての記憶を作ってくれた人。

あのとき、……大助と一緒に、僕を支えてくれた人。

「……名前まで、ありがたいことです」

目元にしわをつくって、落ち着いた声をほころばせる。

着席を促されたので席についたが、身体が浮かぶような気持ちだった。

心拍数が上がって、身体がどっとあつくなる。

……もう、会えないかもしれない、と思っていたから。

「……また、お会いできてよかったです」

「ええ、お元気そうで」

「おかげさまで……本当に、恵さんのおかげで、楽しく、過ごせています」

彼はとても楽しそうに、僕の話を聞いてくれた。



「……名字、私からとったと聞きましたよ」

その言葉を聞いて、顔に熱が集まる。

「あ、いや、その、はい……失礼しました。勝手に名乗っちゃって……」

「いいえ、構いませんよ。嬉しいものですね。家族が一人増えたみたいで」

慣れた所作で店員を呼び、コーヒーをオーダーする。



……やっぱり、誤魔化していたんだ。

大助いわく、彼は綺羅の親しい人で、しかも経営者。

「……私こそ、謝らないといけませんね。あのときは嘘をついてしまいました。通りすがりの会社員だなんて」

僕の視線を感じてか、静かに、僕に頭を下げながらそんなことを言う。

「とんでもないです。事情があってのこと、だとおもいますので」

彼はきょとん、と目を丸くしてから、目を細める。

「……相変わらず優しいですね、あなたは」

その笑顔に、不意に心臓が跳ねる。

……懐かしい笑顔だ、と思った。

「あのときの質問。……もう一度、お聞きします。どうして、僕にあんなによくしてくださったんですか」

僕が尋ねると、冷水を口に含んでから、彼は静かに口を開いた。

「ええ。あなたとの間柄を、正直にお話したほうが良いでしょうね。私はあなたのお母様の、そうですねえ……腐れ縁といいますか、幼馴染といいますか。そんな関係です。だから……あなたが産まれたときから、あなたを知っています。通りすがりなんて、大嘘もいいところでしたね。ごめんなさい」

その言葉には、ごまかしはないのだろう。

僕と親しい人。

僕の母親と、親しい人。

返事に迷っていると、彼はああ、と付け足す。

「はじめに申しあげますけど、あなたの父親ではありませんからね。こうみえて35歳です」

「は、はあ」

その発想には、至らなかったけれど、はじめに言ってもらえてよかった。

知る限り、大助は僕の幼馴染というわけではない。

だから、大助の言っていたとおり、彼は大助よりも、綺羅のことを知っているのだと思う。

「あのとき。3日間あなたが目を覚まさない間、大助くんと相談をしました。あなたには、過去のことは振り返らないで、新しい人生を歩んでもらったほうがいいのだと。そうであれば、私の存在は、あなたの……民人さんの人生には、足枷以外のなにものでもありませんから。あなたを大助くんに託して、私はあなたとは、お別れするつもりでいました。まさか東とあなたがお友達になってるなんて、思ってもみませんでしたが」

「……そう、だったんですね」

「これは私と大助くんの、いえ……8割方、私のエゴイズムでした。そこにあなたの意志はありませんでしたから。今となっては、あのときの選択が確実に正しかったとは言えないでしょうね」

彼が注文したコーヒーが届き、少しの沈黙が流れる。

僕も、少し冷めたコーヒーをひとくち。

そのほろ苦さに、頭の中が、少し落ち着いた。

「大助も、そう話をしてくれました。僕は、恵さんと大助が、あのとき僕を思ってそう選択してくれたのなら、それが良かったんだと思っています。なんとなく察しています。知らない方が幸せな記憶、なんだって。だからこれまで、特に自分の過去と向き合うことは、してきませんでした」

彼は、黙って僕の話を聞いてくれた。

「でも。大助とこれからも一緒にいるためには、過去と向き合わないといけないと思いました。……だから、僕の都合ですけど、過去の僕のこと、教えてほしい……と、思います。よろしくお願いします」

しばらくの沈黙の後、恵さんの表情がほころぶ。

「あなたが決めたことなら。きっと受け入れがたいこともあると思いますが……私がそばにいます。絶対に、あなたを守ります。大助くん……あなたの大事な恋人と、約束しましたからね」

言われて、どきりと心臓が跳ねる。

僕と大助の関係を把握しているのは……大助と東さんが、言わないわけないか。

「ご存知でしたか、僕と大助の……。ちょっと、そう言われると、恥ずかしい、ですね」

「ふふ。あなた達は、からかいがいがありますね」

そう言って笑う恵さんに。

「……失礼ながら、東さんと同じ血を感じました」

すこしだけばつが悪そうに、咳払いをする。

「まあ、否定はしませんが。……ただ、すべてを私からお話することは、しません。あなたが覚悟したときに、あなたが、向き合ってください」

「はい。……よろしくお願いします」





お互い、ほとんどコーヒーを飲み終えた頃、再び恵さんが口を開く。

「さて……これからのあなたの生活の話を進めましょうか。職場はここから歩いて数分のところです。あなたのお住まいになる部屋も兼ねています。あなたを守る、あなたの過去と向き合うことを支えるのが目的ではありますが。私の仕事が回っていないのも事実です。どうか気の済むまで、お手伝いをお願いします」

そうだった。

僕は、恵さんの仕事を手伝うために、ここに来たのだ。

「……はい。お役に立てるかどうかわかりませんが……少しずつ、仕事を覚えます」

「はじめは簡単な事務仕事からお願いしますので、安心してください。あなたは地頭が良いですから、すぐ覚えるでしょう。……では、職場にご案内します。もしかしたら、思い出すことがあるかもしれません」
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