ふたつの嘘

noriko

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かくしごと、またひとつ

かくしごと、またひとつ 5

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待ちに待った週末。
僕や大助と同じくらいの年齢の若者が集うその広大な敷地の入り口で、口をぽかんと開けて看板を見つめる。
大助の通っている大学は、とにかく大きい。
学部数で言えば、杏奈ちゃんの志望校である中央第一が多いと聞くけれど、学生数で言えば大助の大学のほうが多いらしい。
その分、面積も大きいのだろう。
「広い……」
キャンパスも中央に点在しているが、今日向かう都心にある一番大きなメインキャンパスには、大助の在籍している経済学部のほか、10の学部棟が軒を連ねている。
下調べしたときにも大きいとは思っていたけれど、実際その場に立つとなお、びっくりするくらい広い。
「面積で言うと2番目に大きい大学なんだってさ」
隣で他人事のようにそうのたまう大助が、慣れた足取りで門をくぐる。
「あ……これ、受付とかないの?」
「大丈夫だから。ほら、受付でパンフレットもらおうよ」
大助に先導される形で、大学に足を踏み入れた。

受け取ったパンフレットは、イベント会場のタイムテーブル、屋台の広告、サークルの配置図などそこそこ分厚く、目当ての研究室展示以外にも目移りしてしまいそうなラインナップだった。
「サークルもいっぱいあるんだねえ」
「気になるところある?」
「うーん……カレー部とカレーサークルとインドカレー研究会があるみたいなんだけど、何が違うの?」
大助は少し困ったように笑う。
「知らないけど……なんでもアリだから……」
「へえ……おいしいレシピとか教えてくれるなら行ってみたいかも」
「時間があったらな。……ついたよ、理工学部棟」
賑やかな屋台が並ぶメインロードを歩きながら話をしていると、目当ての建物にたどり着く。
この大学の中では2番目に新しい棟らしく、近代的なガラス張りの建物が輝いていた。

***

目的の研究室展示は高校生からOBまで人もそこそこに居る中で、展示を見たり、学生さんの話を聞いたり……。
「楽しかった、やっぱり大学っていいなあ……ごめんね、付き合わせて」
大助を差し置いて思う存分展示を堪能してしまったけれど、大助は嫌な顔一つしなくて、僕をみてにっこりと笑った。
「ううん、俺ぜんぜんわからなかったけど……楽しそうな民人くんが見られてよかったよ」
「うん、本当にありがとう。僕もまだまだ勉強不足だなあ……けど、モチベージョン上がったかも」
メインロードに比べて人も少なく静かな棟内に、僕と大助の足音が響く。
「俺はほとんどここには来たことないけど……ここ一体が講義室で、突き当たりを右に曲がると研究室があるよ」
「へえ、講義室って思ったより、高校の教室みたいだね」
「そうだね。1階は小さい講義室がたくさんあるけど、2階は大講義室だから……民人くんが思ってるような講義室かも。見てみる?」
大助はにこりと笑い、手で上を指す。
「うん、せっかくだから回ってみたいな」
突き当たりの階段をぐるりと上り、踊り場を経て、2階へとたどり着く。
階段を上りきると、左右二手に分かれていた。
「右側が、たしか……実験室と、小さいラウンジがあったかな。それで、左側が大講義室」
展示物もないからか、1階と比べてもなおのこと閑散としていて、そこには僕と大助だけのフロアだった。
「わあ……本当だ」
大講義室は、1階の講義室3つか4つぶんの広さがある大部屋で、座席に傾斜があったり、大きなホワイトボードがあったり、いかにも僕が想像するような「講義室」というような景色が広がっていた。
思わず、先導の大助より先に出て、その広さを堪能する。
大きな窓からは秋晴れの心地よい日光が差し、外のメインロードの賑わいが漏れ聞こえる。
きっと、平日の昼間にはここに、学生が溢れかえっているのだろうと思うと、胸が高鳴った。
「楽しいだろうな……もし、大助と一緒に、こんなところで……」
無意識にこぼれた言葉を、途中で止める。
もう、手遅れだけれど。
「ごめん大助、いまのは聞かなかったことに……」
しどろもどろながら弁解をしようと、大助を見ようと後ろを振り向こうとしたのと同時に。
後ろから、よく慣れた体温が僕を包んだ。
解けないくらい、強く、でも優しく。
「ちょっと、大助……誰もいないからって」
「ごめん。今すごく、こうしたくて」
「……」
耳元で囁かれて、返す言葉が見つからなかった。
――だって、僕に「何か」が無ければ、こうして大助と、本当に、何事もなく、大学生活を過ごせていたのかも知れないし。
でも……もしかしたら僕たちはずっと、友達のまま、だったかもしれないし。
大助も、同じことを思ったのかも、とか考えたら。
「俺も四六時中、民人くんと居られたら……て、毎日思ってる。でも、今の民人くんを、失いたくない」
ぎゅ、と力の入る腕に、思わず自分の両手を重ねる。
「……うん、ありがとう」
大助に向き直ると、なにか物欲しげな表情でこちらを見ていて。
「民人くん、誰も、いないから……」
背伸びして、そう言い訳する大助の唇に触れる。
「……ちょっと憧れるよね、教室でキスするとか」
そう言うと大助は赤面して、僕を強く抱き留めながら口吻を降らす。
「今日、最高のデートだったかも」
「まだ終わってないよ」
なんて……少しだけ教室の外に気を配りながら、夢みたいな時間を堪能していた。

しばらくして大助が目を細めた時、どちらかの携帯端末の、着信音が鳴り響いた。
我に返って身体を引き離し、携帯端末を確認する。
僕のではなかったから、大助に着信があるのだろう。
「こんな時に……。ごめん、圭介からだ」
そう言って大助が通話を始める。
「どうした……うん……え? ……ごめん民人くん、場所変えよう」
一瞬で険しい顔になった大助が、すこし焦り気味に講義室を飛び出す。
「あ、ちょっと大助……」

急な大助の動きについて行けず、足早に階段を下りていく大助を追って、廊下に出たとき。
その――大助から離れた、ほんの一瞬のことだった。
「……お兄ちゃん?」
背後から、この誰もいないはずだった空間に、女の子の声が響く。
「……え?」
振り向くと、そこには、ひとりの少女が佇んでいた。
その風貌を見て、心臓が騒がしくなる。
長い髪を……僕と同じように青みがかった髪の色の、長い髪を束ねた、僕より少し若いくらいの、女の子。
「……お兄ちゃん、だよね?」
「おにい、ちゃん……?」
喜びと動揺が混じったようなその声に、足がすくむ。
彼女は、大きな目を揺らめかせながら、こちらに歩み寄る。
「いや……僕は……」
「ねえ、翠だよ、お兄ちゃん……わかる? ちょっと大人になったからわからないかもだけど……」
「えっと……翠、さん? 僕は多分違うと……」
僕はその声を、名前を、……知らないと断言できなかった。
どこかで、聞いたことがある。
でも、心当たりが無い。
今住んでいるマンションの人でも、大助の家の人たちでもない。
だとしたら、僕の……過去の記憶、かもしれないし。
彼女はきょとん、としてから、けらけらと笑う。
少し興奮しているのか、たたみかけるように話を続ける。
「翠さん? あはは、どうしたのお兄ちゃん。余所余所しいなあ、翠でいいよ」
「いや、でも……」
勢いに気圧されて、へらへらと手を横に振っていると、彼女もようやく話すのをやめて、しばらくの沈黙が流れた。
そろそろいいかな、と会釈をして去ろうとしたとき、彼女の顔から笑顔が消えた。
そして再び、口を開く。
「ねえ、それよりさっきまで誰といたの? まさか、大助……」
その名前を聞いて、背筋が凍る。
……これ以上、彼女の話を聞いては駄目だと直感して、踵を返す。
「い、いや、翠さん。あの、やっぱり、人違い……ですよ? 僕、親戚も、いないので……すみません!」
「あ、お兄ちゃん……!」
彼女が僕を呼ぶのを振り切って、全速力で階段をのぼり、3階の男子トイレに駆け込んだ。
……だって、彼女は、僕を知ってるし、それに大助の名前を呼んだ。
その時の彼女の表情は冷めきっていて、声には、怒りみたいなのがにじみ出ていた。
これ以上、彼女と話を続けるのが、彼女から大助の話を聞くのが、怖かった。
人違いでもなんでもない、彼女は僕を知っていて、僕は彼女の「お兄ちゃん」なんだろう。
そして、彼女は絶対に……大助に会わせたら、まずい。
通話が終わってるのを祈り、大助に電話をかけると、すぐにつながった。
「……いまどこ?」
『あ、よかった……それはこっちが聞きたいんだけど……どうしたの、すごい息荒いけど、具合でも悪い? 何かあったの?』
「ううん、ちょっと急にトイレ行きたくなって、ごめん……ちょっと焦ってたから……それより、ねえ、どこ?」
『えっと……理工学部棟出て、隣の喫煙室の裏。ごめん、電話に夢中で民人くん置いてけぼりにしてて』
大助がすでにこの建物を出ていると知って、少しホッとした。
「よかった……ねえ、この前大学の外に、美味しいカフェがあるって言ってたよね。そこいかない?」
『? うん、そうだな……俺もちょうど、都合良いかも。じゃあ、理工学部棟のエントランスで集合で……』
少し間があったけれど、ちょうどいい、というように、不自然なくらいすんなりとその提案が受け入れられた。
「いや……そこいくから、待ってて」
『え? でも……』
「いいから、待ってて。大丈夫だから」
なんとか、彼女と大助が鉢合わせになるリスクを下げたくて、むりやり押し切った。
『……わかった。でも、心配だから、電話は切らないで』
「うん、わかった」
ひとしきり話を終えた後、男子トイレから左右に顔をのぞかせたら、あの女の子は僕に背を向けて僕を探していたようで、気づかれないように静かに階段を下りた。
間一髪。
もし姿が見えなかったら1階にいる可能性もあったから怖かったけれど、3階で姿が確認できたから、運がよかった。
あとは、大助と落ち合って、大学から出られればひとまず安心だろう。
棟を出ると、右手に喫煙所があり、その裏でだいすけが、安堵の表情を浮かべて手を振っていた。
そこで安心して通話を切り、大助に近づく。
「たばこ臭い……ほんとに大学生って喫煙者多いんだね」
東さんが言ってたけど……とは言わなかったが、大助は何か感じたようで、少し眉毛を動かした。
「はは、たばこ臭いのは慣れてるでしょ、民人くんは」
「そんな意地悪い言い方しなくても……さあ、とりあえず早く出よう」
自分ながら、こんな冗談を言えるくらいには余裕が出てきたことに安堵する。
大助の手を引いて、近くの門を目指した。
「民人くん、何焦ってるの?」
「……ほら、昼時だし、席空いてなかったら嫌じゃん?」
「そう、だね」
ごまかせるとは思っていないけれど、事情を話したくないのは伝わったと思う。
「……大助こそ、場所変えてまで圭介くんと何の話?」
そう聞くと、逆に大助は都合が悪そうにどもる。
「いや、ちょっとプライベートな話だから……」
「なんだよそれ、おあいこだな」
「……そうだなあ。でも民人くん、ほんと困ってたら言ってね」
「……うん」
困ってるけど、これに限っては本当、お前には言えないんだよなあ。
隠しごと、お互いにまたひとつずつ増えてしまった。

それから早足で大学の外に出て、カフェでひと休みをした。
美味しいサンドイッチと、アイスコーヒーを堪能したあと。
「……楽しかった。どうする? また大学回る?」
「楽しかったね。本当にありがとう。……でもちょっと人に酔ったみたいで」
大助は嫌な顔せず、にこりと笑う。
「うん、じゃあ今日はこれで帰ろうか」
「……ごめんね、大助もせっかく予定組んでくれてたのに」
単純に彼女がいるかもしれないと思うと、大学に戻りたくないのもあるけれど。
あと、さっきの一件でもうへとへとだった。
大助はニコリと笑って、首を横に振る。
「今日はほんとに、いい日だった、忘れられないくらい。それに俺も、今日はもう帰りたいかな」
彼は僕の片腕をつかんで、耳を寄せた。
「さっきのキスの続き、早くしようよ」
「……大学生ってそういう生き物なの?」
いくら大助でも短絡的すぎるその理由はきっと、僕が早く帰りたいうのに気を使ってくれたのだろうけれど。
今日ばかりは、その言葉に救われた気がする。
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