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ふたりの約束
ふたりの約束 7
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その日の放課後、マリアはいつものように、高校の隣の敷地にある大学へと向かう。
学園内で試験的に開始された高大連携プログラムに参画する彼女は、定期的に大学の講義を受講したり、馴染みの研究室で実験を進めている。
今日も授業後、最終時限の講義を聴講したあとで、馴染みの研究室に足を運んだ。
試薬や機材が所狭しと並ぶその場所で、書類に埋もれて泥のように眠る女性を見つけ、叩き起こす。
「ミシェルさん、もう19時ですが」
「え? ああ……」
マリアに肩を叩かれた、ミシェルと呼ばれたショートヘアの女性は、むにゃむにゃと目をこすりながらゆっくりと覚醒する。
「しまった、また居眠り」
ずれた赤縁の眼鏡を掛け直し、腕を伸ばして伸びをする。
「はぁ~マリアちゃんは高校の勉強の後にまた研究室くるなんて、本当に精が出るねえ」
「ミシェルさんは相変わらずですね……」
きっと昨晩も夜遅くまで文献でも読み漁っていたのだろう。
昼間はしゃきっとしているが、定刻をすぎるとぐったりと眠っていることが多い。
「ああ、よく寝た……気分転換にご飯いこっか」
「はい」
こうして、大学の食堂で彼女と夕飯を取りながら話をすることも日課の一つだった。
暗い大学構内でぼんやりと光る食堂は、昼間とは異なり人もまばらで、程よく静かな環境が心地いい。
「それにしても毎日遅くまで、お母さん心配しない?」
「いえ、遅いと言っても大学ですし、夕飯まで済ませてこれば楽でいいって言ってるので。食事もバランスいいですし」
「なるほど。それはwin-winてやつだねえ」
ミシェルは大学こそ東部の他校であるものの、縁あって大学院からこの学園に編入してきた修士2年。
ミシェルは逆に、高校の生物部に顔を出し、部員であったマリアと意気投合したことで、ここ半年ですっかりともに過ごす時間が増えた。
味噌でしっとりと煮付けられた鯖を箸で摘みながら、話は進む。
「それにしても、良かったよねえ、無事ご両親を説得できて」
「はい。はじめは少し未練もあったみたいですけれど、最近は私が真面目に大学の講義を受けてるのも見て、受け入れてくれるようになりました。ミシェルさんのおかげです」
「そんなことないよぉ。私は単純にこのプログラムを紹介しただけだからね」
「いいえ、本当に。ミシェルさんが教えてくれなければ、私は今頃、研究者の夢を諦めるしかなかったですから」
幼い頃から両親から家業の跡継ぎを期待され、別の学部への進学を希望されていたマリアだったが、一方で彼女は研究者を志していたという。
大学進学という大きな人生の選択を迫られたところに、ミシェルが紹介したのが、マリアが志す学者の道につながる、高大連携プログラムだった。
このプログラムがきっかけで、両親からもマリアの夢を認められ、無事にマリアの志す進路への道が開かれたのだった。
そういえば幼い頃も、こんな話を誰かとした気がする。
ふと、マリアは一つの記憶をたどる。
「そうだ、ほら。うちの学科に一人新しい教授が来たじゃん?」
「ええ。先程ちょうど講義を拝聴してきました。えっと、名前は……」
話題は、春先に招かれたという新しい教授に関してに切り替わる。
白髪混じりの真っ直ぐな髪をした、穏やかな男性だった。
「そうそう。多分その人。瀬戸先生って言ってね。今、弟の指導教員なんだけど、実はその人、もともとは私のいた大学の教授でさ」
「へえ、偶然ですね」
純粋に驚きながらも、マリアは胸の引っかかりを感じる。
瀬戸、どこかでも聞いたような。
「でしょ~? 世間ってほんと狭いよねえ。その人と結構仲良くて。実は高大連携プログラムも、別の学校だけど、その人が自分の娘さんに参加させたって言うから私も知ったんだよね」
マリアから進路相談を受けたミシェルが、彼女の突破口になればと紹介できたのも、その教授のおかげだという。
その娘さんが時々来るんだけど、また可愛くてねえ、と、ミシェルの話は止まらない。
一方で、ミシェルの話半分で、マリアは引っかかりの正体がつかめず、すっかり考え込んでしまう。
青い髪、進路の話、瀬戸という名前。
既視感の正体は――かつて児童館で話をした、教師を志していた年上の少年。
「ミシェルさん、瀬戸先生の下の名前ってなんでしたっけ?」
「えっと、明日羅、だったかな? 変わった名前だよね」
「その人、ミシェルさんと同い年くらいの息子さんがいたりしませんか?」
急なマリアの質問に、ミシェルは驚く。
「急にどうしたの?」
「いえ、昔、似た名前の人に会ったことがあって、急に思い出してしまって」
「ああ、そういうことなんだ。びっくりしたあ。たしかに、別居しているみたいだけど、息子さんの話も聞いたことあるかなあ」
妙に上ずった声で、明後日の方向を見ながら話をする。
「はい。今日たまたま、似た人を見かけて……」
その言葉を聞いて、ミシェルは血相を変えた。
「ど、どこで!? 綺羅がいたの?」
「い、いえ、近所のマンションですけど、髪の毛の色とか顔の感じが似ていて。……でも、名前は違ってるから他人の空似かも……」
ミシェルの急な反応に、思わず怖気づく。
「あ、そっか……ごめん。ちょっとびっくりして……大きな声だしちゃった」
ミシェルが「綺羅」とよんだことに、少し驚く。
「いえ……やっぱり、綺羅さん、なんですね。……お知り合い、なんですか?」
「うん、やっぱり綺羅のことだよね。同じ高校の友人で。ちょうど弟の同級生。昔から明日羅さんとは色々あったみたいで……でも、あいつ、少し前に行方不明になったって噂が……」
そのことで、マリアは確信する。
教師を志す、記憶喪失の青年。
失踪したという、かつて邂逅した少年。
彼も、同じ髪色をしていた。
考えすぎだろうか。
でも、珍しい髪色、そうそうあるだろうか。
――全部つながって、いるのかもしれない。
「そうでしたか……すみません、ずけずけと」
「ううん。いやでも、そうそういない髪の毛の色してるからな、あいつ……もしかしたら何かあって別の人生とか、歩んじゃってるのかも」
重苦しい空気を作り出したことに耐えかね、マリアが口を開く。
「すみません、変な話になっちゃって」
「ううん、こっちこそごめん。……ねえマリアちゃん、申し訳ないけどさっきの話、忘れてほしいとは言わないけど……多分無理だし……でも、ここだけにとどめておいてくれない? とくに明日羅さんやその娘さんには、話さないでほしいんだ。その人がほんとに綺羅だったとしても、たぶん、そのほうがお互いのためだから」
「ええ……はい」
普段は飄々としたミシェルのその真面目な口ぶりに、自分はこれ以上踏み込んではいけないことを悟る。
(杏奈、その人、ほんとに大丈夫なの……)
杏奈には直接関係ないとはいえ、一抹の不安が残った。
学園内で試験的に開始された高大連携プログラムに参画する彼女は、定期的に大学の講義を受講したり、馴染みの研究室で実験を進めている。
今日も授業後、最終時限の講義を聴講したあとで、馴染みの研究室に足を運んだ。
試薬や機材が所狭しと並ぶその場所で、書類に埋もれて泥のように眠る女性を見つけ、叩き起こす。
「ミシェルさん、もう19時ですが」
「え? ああ……」
マリアに肩を叩かれた、ミシェルと呼ばれたショートヘアの女性は、むにゃむにゃと目をこすりながらゆっくりと覚醒する。
「しまった、また居眠り」
ずれた赤縁の眼鏡を掛け直し、腕を伸ばして伸びをする。
「はぁ~マリアちゃんは高校の勉強の後にまた研究室くるなんて、本当に精が出るねえ」
「ミシェルさんは相変わらずですね……」
きっと昨晩も夜遅くまで文献でも読み漁っていたのだろう。
昼間はしゃきっとしているが、定刻をすぎるとぐったりと眠っていることが多い。
「ああ、よく寝た……気分転換にご飯いこっか」
「はい」
こうして、大学の食堂で彼女と夕飯を取りながら話をすることも日課の一つだった。
暗い大学構内でぼんやりと光る食堂は、昼間とは異なり人もまばらで、程よく静かな環境が心地いい。
「それにしても毎日遅くまで、お母さん心配しない?」
「いえ、遅いと言っても大学ですし、夕飯まで済ませてこれば楽でいいって言ってるので。食事もバランスいいですし」
「なるほど。それはwin-winてやつだねえ」
ミシェルは大学こそ東部の他校であるものの、縁あって大学院からこの学園に編入してきた修士2年。
ミシェルは逆に、高校の生物部に顔を出し、部員であったマリアと意気投合したことで、ここ半年ですっかりともに過ごす時間が増えた。
味噌でしっとりと煮付けられた鯖を箸で摘みながら、話は進む。
「それにしても、良かったよねえ、無事ご両親を説得できて」
「はい。はじめは少し未練もあったみたいですけれど、最近は私が真面目に大学の講義を受けてるのも見て、受け入れてくれるようになりました。ミシェルさんのおかげです」
「そんなことないよぉ。私は単純にこのプログラムを紹介しただけだからね」
「いいえ、本当に。ミシェルさんが教えてくれなければ、私は今頃、研究者の夢を諦めるしかなかったですから」
幼い頃から両親から家業の跡継ぎを期待され、別の学部への進学を希望されていたマリアだったが、一方で彼女は研究者を志していたという。
大学進学という大きな人生の選択を迫られたところに、ミシェルが紹介したのが、マリアが志す学者の道につながる、高大連携プログラムだった。
このプログラムがきっかけで、両親からもマリアの夢を認められ、無事にマリアの志す進路への道が開かれたのだった。
そういえば幼い頃も、こんな話を誰かとした気がする。
ふと、マリアは一つの記憶をたどる。
「そうだ、ほら。うちの学科に一人新しい教授が来たじゃん?」
「ええ。先程ちょうど講義を拝聴してきました。えっと、名前は……」
話題は、春先に招かれたという新しい教授に関してに切り替わる。
白髪混じりの真っ直ぐな髪をした、穏やかな男性だった。
「そうそう。多分その人。瀬戸先生って言ってね。今、弟の指導教員なんだけど、実はその人、もともとは私のいた大学の教授でさ」
「へえ、偶然ですね」
純粋に驚きながらも、マリアは胸の引っかかりを感じる。
瀬戸、どこかでも聞いたような。
「でしょ~? 世間ってほんと狭いよねえ。その人と結構仲良くて。実は高大連携プログラムも、別の学校だけど、その人が自分の娘さんに参加させたって言うから私も知ったんだよね」
マリアから進路相談を受けたミシェルが、彼女の突破口になればと紹介できたのも、その教授のおかげだという。
その娘さんが時々来るんだけど、また可愛くてねえ、と、ミシェルの話は止まらない。
一方で、ミシェルの話半分で、マリアは引っかかりの正体がつかめず、すっかり考え込んでしまう。
青い髪、進路の話、瀬戸という名前。
既視感の正体は――かつて児童館で話をした、教師を志していた年上の少年。
「ミシェルさん、瀬戸先生の下の名前ってなんでしたっけ?」
「えっと、明日羅、だったかな? 変わった名前だよね」
「その人、ミシェルさんと同い年くらいの息子さんがいたりしませんか?」
急なマリアの質問に、ミシェルは驚く。
「急にどうしたの?」
「いえ、昔、似た名前の人に会ったことがあって、急に思い出してしまって」
「ああ、そういうことなんだ。びっくりしたあ。たしかに、別居しているみたいだけど、息子さんの話も聞いたことあるかなあ」
妙に上ずった声で、明後日の方向を見ながら話をする。
「はい。今日たまたま、似た人を見かけて……」
その言葉を聞いて、ミシェルは血相を変えた。
「ど、どこで!? 綺羅がいたの?」
「い、いえ、近所のマンションですけど、髪の毛の色とか顔の感じが似ていて。……でも、名前は違ってるから他人の空似かも……」
ミシェルの急な反応に、思わず怖気づく。
「あ、そっか……ごめん。ちょっとびっくりして……大きな声だしちゃった」
ミシェルが「綺羅」とよんだことに、少し驚く。
「いえ……やっぱり、綺羅さん、なんですね。……お知り合い、なんですか?」
「うん、やっぱり綺羅のことだよね。同じ高校の友人で。ちょうど弟の同級生。昔から明日羅さんとは色々あったみたいで……でも、あいつ、少し前に行方不明になったって噂が……」
そのことで、マリアは確信する。
教師を志す、記憶喪失の青年。
失踪したという、かつて邂逅した少年。
彼も、同じ髪色をしていた。
考えすぎだろうか。
でも、珍しい髪色、そうそうあるだろうか。
――全部つながって、いるのかもしれない。
「そうでしたか……すみません、ずけずけと」
「ううん。いやでも、そうそういない髪の毛の色してるからな、あいつ……もしかしたら何かあって別の人生とか、歩んじゃってるのかも」
重苦しい空気を作り出したことに耐えかね、マリアが口を開く。
「すみません、変な話になっちゃって」
「ううん、こっちこそごめん。……ねえマリアちゃん、申し訳ないけどさっきの話、忘れてほしいとは言わないけど……多分無理だし……でも、ここだけにとどめておいてくれない? とくに明日羅さんやその娘さんには、話さないでほしいんだ。その人がほんとに綺羅だったとしても、たぶん、そのほうがお互いのためだから」
「ええ……はい」
普段は飄々としたミシェルのその真面目な口ぶりに、自分はこれ以上踏み込んではいけないことを悟る。
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