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シルヴィオとヤシュマ
しおりを挟むクロフォードから呼び出しを受けてから7日が経過していた。
アルテイシアは日々の業務に忙殺されているが、心の端にはエリオットやシュタイナー家の面々、そして共に事業を営んだ職人や商人たちのことが常に自己主張していた。
自分がもっと上手く立ち回っていたら、事業にエリオットらの介入を阻止できたのではという思いがどうしても拭いきれない。
シュタイナー公爵から全権を信頼できる人間に渡せていたら、無理な事業拡大はしなかったろうし、環境悪化も防げただろう。疫病も発生したとしても規模は小さく済んだ筈だ。虐殺だって起こらなかった。
終わり良ければ全て良しだなんて幻想だ。
物事は最初が肝要なのである。
アルテイシアは己の初手の何処を間違えたのか幾度も考えては頭を振った。
ことは既に起きてしまっている。
アルテイシアができることは、移住してくるかも知れぬ職人や商人たちの安寧の手助けをひっそりと行うことくらいだった。
悔やみ、悲劇性に酔うことは誰にでも出来る。
酔うことも時には必要だろう。悲しみに埋没し悲嘆に暮れることで立ち直る取っ掛かりを掴むこともある。
だが、何事も過ぎれば毒になる。
毒に蝕まれば正しい判断を見誤ることになり、同じ轍を踏むことにもなろう。
それは失敗から学ばなかったことを意味する。
後悔も失態も糧にして立ち上がらなければならない。
それが、かつて持てる者の義務を有していた娘の生き方であった。
「落ち込むのは、これで終わり!」
お仕着せに袖を通し、鏡の前で宣言してペチペチと己の頬を叩いて叱咤する。
にっこりと笑う練習をして、何時ものように早足で使用人用の食堂に向かった。
使用人宿舎は騎士団の屯所の近くにあった。
剣術の訓練場も併設されており、食堂に向かう際に朝の鍛錬を横目で見やることもあった。
この日も、訓練場では朝の鍛錬が行われていた。
シルヴィオもその中にきちんといて、複数人を同時に相手をしていても全く息を切らすことなく果敢に対戦相手に挑んでいた。
いくつかの集団が形成されての訓練だったが、どの集団も同じようにひとり対複数という構図の訓練を行っていた。
今日はそういったメニューなのだろう。
それにしても、とアルテイシアは思う。
エンシャントの剣術は無駄がない。急所を仕留めることに特化した暗殺術的要素があった。
同時に肉を切らせて骨を断つといった危険性も感じ取れたが、日々の訓練はその『肉』の被害を如何に減らすかを考えさせるもののように見えた。
アルテイシアは幼い頃からエリオットのお供でオリタリア王国騎士団の訓練場にも出入りしていた。
貴族令息たちの『お稽古剣術』ではなく『本物の剣術』を見る機会は他の令嬢よりも多かった。
エリオットは剣術の才覚がそこそこあったが、怠け癖が酷くて稽古場へ向かわせるのに何時も苦労した。
稽古場より騎士団の訓練場が近いからと場所を変更しても動かないことがしょっちゅうあり、これもギルバートの悩みの種であったことをアルテイシアは知っている。
しかし、その悩みからも間もなく開放されるのだと思うと複雑な気持ちになった。
エリオットに王族としての未来はない。
遺体の埋葬を間違えたのならまだ言い訳のしようはあったかも知れない。
だが、彼が行ったのは虐殺だ。詳しい人数は知らないが、報告書に上がるくらいだから相当な数になっているのは想像に難くない。
そうなると大変なのは第2王子の教育係だろう。
嗜み程度で済んでいた分野の勉学も帝王学に則った物に変更しなくてはならない。お稽古ごとで済んだ剣術もお遊びから実用的な物へと変えられるだろう。
幸い、第2王子は何事にも懸命に取り組む性格だ。
傅役や後ろ盾の貴族の選出さえ間違えなければ、王室の求心力も回復するに違いない。
そんなことをぼんやりと考えていると、訓練場の鐘がなって騎士たちの動きが止まる。
どうやら訓練が終わったらしい。
それぞれストレッチなどを始めたり雑談を始める中で、ひとりがシルヴィオを小突いて何事かを言う。
と、シルヴィオは辺りを見渡して何かを探し出す。
小突いた騎士がまた何かを言ってアルテイシアを指差すと、シルヴィオとアルテイシアの視線が不意にかち合った。
アルテイシアは軽く会釈する。
シルヴィオはやんわりと笑って手を振ってきた。
「ばっか、お前、そこは近付いて挨拶だろうが!」
「いてっ」
隣にいた騎士が、今度は強めにシルヴィオを小突く。
他の騎士たちも同意するようなことを口々に言ってきて、シルヴィオは困ったような照れくさそうな表情で頬を引っ掻くと、意を決したように表情を引き締めてアルテイシアへと近付いてきた。
「おはようございます、アルテイシア嬢」
「おはようございます、シルヴィオ様。
朝からの訓練、お疲れ様です」
「いえ、日課ですから。
アルテイシア嬢はこれから朝食ですか」
「ええ。今日はかぼちゃのポタージュだそうですから、楽しみにしているのです」
「かぼちゃのポタージュですか。美味しそうですね。
私はパイが一番好きですが」
「かぼちゃのパイ、ですか?」
かぼちゃはオリタリアにはなかった食材だったので、パイはまだ食べたことがない。
エンシャントで食べたのはポタージュと素焼きした物だけだったので、アルテイシアは俄然興味が湧いた。
それに気付かないシルヴィオは肯定して口を開いた。
「干し葡萄をラム酒で戻し、潰したかぼちゃに混ぜてフィリングにしたものをパイ生地で包んで焼くのです。スパイスも沢山入っていて独特の甘さになりますが、とても美味しいですよ」
「まあ、それは素敵! 是非食べてみたいですね!」
「だったらシルヴィオに作って貰えばいいんじゃないですかね?」
「うわっ」
唐突に声がしたかと思うと、シルヴィオの首に腕が回され後ろに仰反る。
何事かと思い目を向けると、赤い髪の軽そうな印象の青年がニッカリと笑っていた。
「貴方は……」
「初めまして、アルテイシア嬢。シルヴィオと同期のヤシュマと申します。以後お見知りおきを。
貴女の話は何時もシルヴィオから聞いていますよ」
「ご丁寧にどうも。アルテイシアと申します」
「アルテイシア嬢、コイツに挨拶などしなくていいです。
おい、ヤシュマ。離せ」
人懐っこい笑みを浮かべながら挨拶をしてくるヤシュマに反して、シルヴィオは苦虫を噛み潰したような顔で拘束している腕を叩く。
シルヴィオがこんな表情を見せるなんて初めて見たのでアルテイシアは思わず瞬きすると、ヤシュマは「あっはっは」と快活に笑った。
「離して欲しけりゃ自分で解きな」
「くそっ、出来ないと分かっていて言ってるな?」
「シルヴィオ様のお力でも難しいのですか…………?」
「俺、鬼人の末裔なんで普通の人間より力持ちなんスよ」
「口が汚い!」
「口調が汚いの間違いね。言葉は正しく使いましょうね、シルヴィオたん」
「誰がシルヴィオたんだ!」
鬼人。かつて魔族と呼ばれた人々の中において取り分け身体能力が高かった種族である。
今では信じられない話だが、太古の昔、人間とその他の種族という構図で争いが起きていたという。
魔法も『法術』と『魔術』に別れており、互いの違いを認め合わず戦争が繰り返されていたのだそうだ。
それも2000年前に人種解放戦争が終わったことにより人々は共存共栄の道を選んだ。
今では純粋な種族はいなくなり、全ての種族が混血しかいなくなり、〇〇族の末裔という言葉が頻繁に聞かれるようになった。
それは種族による秘技が失われていったことも意味するが、それはまた別の話である。
「シルヴィオはね、何時も貴女の話をするんですよ。
この間なんて『アルテイシア嬢からクッキーを貰ったんだが、勿体なくて食べられない』とか言っちゃって」
「ヤシュマ!」
「本当のことだろー?」
悪戯っ子のように笑うヤシュマにシルヴィオは名を呼んで抗議するがヤシュマはどこ吹く風である。
アルテイシアはというと、クッキーという単語に何時のことだっか記憶を巡らせていた。
「あっ」
「思い出しました?」
「ええ、ええ、思い出しました!
携帯食をひと袋しか食べてないというから、腹が立って休憩の合間に食べようと思ったクッキーをお渡ししたんです。
シルヴィオ様、あの時ちゃんと食べたと仰っておられたではありませんか。食べてなかったのですか?」
「いや、その…………」
問い詰めるアルテイシアに、シルヴィオはどうしたものかとしどろもどろになる。
補足するように言ったのはカラカラと笑うヤシュマだった。
「こいつね、食には興味ありませーんて言うくせにお菓子には目がないんですよ。
だからね、アルテイシア嬢のクッキーだってきちんと食べましたよ。
そりゃあもう大事に、大事に。
何が入ってるか分析まで始めちゃって。
何日か前なんか、夜中に料理長に頼み込んで厨房使わせてもらって、自分で再現しようとしてたんですよ」
「シルヴィオ様が?」
「~~~!! ヤシュマ! やめてくれ!」
「いいじゃん、これくらい。さっき鳩尾に喰らった仕返しさ」
「仕返しなら訓練でしろ! この口軽!」
「剣の一撃が重い代わりに口は軽いのよ、俺」
悪びれる風でもなく笑うヤシュマに、シルヴィオは憎々しげに睨みつける。
アルテイシアはというと、この猛禽類のような男性がお菓子を大事に食べて一生懸命再現しようとしていた事実に面食らっていた。
厳密に言えば、シルヴィオは食に興味がないわけではないのだ。そこを知れたのは安心である。
しかし、お菓子ばかり食べていてはそれはそれで健康に良くない気がした。
「お菓子以外もきちんと食べてらっしゃいますよね?」
「あー…………その…………」
「シルヴィオ様?」
「………きちんと食べるように致します…………」
「あははは。流石の次期剣聖も女性にはかたなしか!」
声を上げて笑うヤシュマを、シルヴィオは恨めしそうに睨んだ。
まるで子犬が戯れているようだと思ったのは内緒にしておこう。
そう決意したアルテイシアはシルヴィオの目を真っ直ぐに見据えて言った。
「それで、シルヴィオ様。
かぼちゃのパイをお作りいただける日はいつでしょうか?」
勘弁してください! というシルヴィオの悲痛な叫びは、使用人宿舎にまで届いたという。
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