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初めまして、王子様

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  アルテイシアのエンシャント聖王国生活初日は荷解きで終わった。
  片付けを終え、食事も使用人専用の食堂ですませたあと、挨拶もそこそこにラトーヤに案内されたのは使用人用の宿舎であった。
  割り当てられた部屋は広さはないがひとり部屋で、調度品も整えられた部屋であった。
  令嬢時代の私室の10分の1の広さもないが、完全なプライベート空間があることは非常に有り難く、アルテイシアは己の城が確保出来たことに人知れずそっと息を吐いた。
  クローゼットには既にアルテイシア用のお仕着せがかけられていた。
  黒いワンピースと紺のエプロンというお仕着せである。これに所属部署を表すリボンを巻いて仕事をするのである。
  明日はラトーヤに城内の案内をしてもらい、王子に引き合わされる手筈となっていて、アルテイシアは頭の中で予定とすべきことを反芻(はんすう)したあと早々に眠りについた。
  自分が使用人として何処まで通じるか分からないという不安はある。
  だが、せっかくクロフォードがくれた機会を無駄にするつもりは毛頭なく、アルテイシアはある種の覚悟を持って目を閉じた。
  おかげで興奮してなかなか寝付けなかった。まことに遺憾であった。
  翌日、アルテイシアは慣れぬお仕着せに袖を通しラトーヤと共に使用人用の食堂に行くと恰幅の良い老人が出迎えてくれた。

「君がアルテイシアだね。陛下から話は聞いてるよ。遠路はるばるよく来てくれた。
  私は執事頭のドノーバンという。何かあったら私かラトーヤに言っておくれ」
「はい。宜しくお願い致します」

  ドノーバンは好々爺然とした老人であったが、抜け目のない目つきをしている辺り見た目通りの男ではないと思われた。
  ドノーバンが食堂に集った使用人たちにアルテイシアを紹介するところから朝食は始まった。
  城の使用人たちはその規模にしては少ない。
  エンシャントの王城は公爵家の屋敷より少し大きい程度の小城であるが、この人数で回すとなると役目を複数担わなければならないことは容易に想像できた。
  適材適所、やれることはやれる人間が、という標語が生まれるのが理解出来る環境であったが、そのことを不満に思っている者はいなさそうだった。
  社畜根性万歳(意訳)だったら嫌だなとアルテイシアは一瞬思わなくもなかったが、そもそもとしてアルテイシア自身も公爵家時代は社畜であった。周囲がしていなかっただけである。同類がわんさかいることに気づいていないだけだった。
  朝食を終え、アルテイシアはラトーヤに城内を案内された。エンシャント城はそこまで大仰なサイズの城ではないので、何処がどの場所であるかは直ぐに脳内の地図で描くことが出来た。
  エントランス、大広間、中庭、騎士団の屯所。
  それらを一巡して最後にやって来たのは国王との謁見をする部屋の前であった。
  丁寧に草花が彫り込まれた重厚な扉の前でラトーヤが止まると、アルテイシアもいよいよかと深呼吸をした。

「心の準備はよろしいですか」
「はい、お願いします」

  こちらを気遣ってくれる辺りは流石国王夫妻付きの侍女である。
  ラトーヤの言葉にアルテイシアもしっかりと返事をすると、ラトーヤはゆっくりと扉を開いた。

「アルテイシアを連れてきました」
「うん、ご苦労さま」

  ラトーヤの声に答えたのはクロフォードだった。
  今日も変わらず雄々しいが、何処か柔和な雰囲気を保っている。
  クロフォードは玉座にゆったりと座り、アルテイシアたちが傍に寄ってくるのを待っていた。
  その横には黒髪の若い女性が設えの良い椅子に座っている。青い質素なドレスを身に纏い、瞳をキラキラさせてアルテイシアを見ていた。彼女が王妃であろう。
  そして、王妃の膝の上には輪をかけて瞳を輝かせて足を揺らしている幼子がいた。歳の頃5歳くらいの母親譲りの黒髪と父親譲りの碧い目をした男の子は、アルテイシアを目に止めるや否や王妃の膝から飛び降りて抱き着いてきた。

「あなたがぼくの大事な人?」

  無邪気に問い掛ける男児に、アルテイシアは目をぱちくりとさせた。
  するとクロフォードが笑い含みに「カイル、お行儀が悪いぞ」とたしなめた。
  けれども、カイルと呼ばれた男児はアルテイシアの手を握ったまま「だって、だって」と唇を尖らせた。

「ぼく、ずっと楽しみにしてたのです。ぼくと共に歩んでくれる人は、どのような人なんだろうって」
「その言い方だとまるで伴侶を得た人の言い方だよ」
「んう?」

  クロフォードの言い分に、男児はよくわかっていないのかこてんと首を傾げる。
  その愛らしい姿にアルテイシアも思わず顔を綻ばせそうになるが、グッと堪えてクロフォードに目を向けた。

「陛下、この方は……」
「ふふ。すまないね。君の手を握っているのが、私たちの息子のカイルだ。そして、君が仕えることになる人物でもある」
「カイル・エンシャントです。宜しくお願いします!」

  元気よく挨拶するカイル王子に、アルテイシアは再び目をぱちくりさせた。
  エンシャントに着くまである程度話は聞いていたが、本当に幼い王子であった。
  エリオットという前例があっただけに『子どもの世話をやく』というのは比喩だと思っていたのである。
  だが同時にこのくらいの年齢の王子になら侍女をあてがう危険性は少ないとも思えた。
  妙齢の独身男性に専属の侍女をあてがっては間違いが起こりかねない。
  その点、幼子であればその心配は皆無である。
  それにこの元気の良さ、アルテイシアに期待されるのは見の周りの世話だけではあるまい。

「初めまして、カイル殿下。
  私はアルテイシアと申します。どうぞ、アルテとお呼びください」
「アルテ?」
「はい、殿下」
「アルテ」
「何でしょう、殿下」
「アルテ!」
「どうしましたか?」
 
  名を呼ぶカイルに答え続けると、カイルは嬉しそうに破顔して「ぼくが幸せにするからね!」と宣言した。
  たったそれだけのことだったのに、アルテイシアは暖かな気もちで胸がいっぱいになった。

「ありがとうございます、殿下。
  殿下を支えられるよう、精一杯おつとめいたします」
「頼むよ、アルテイシア。
  カイルはこの通り元気がいい。多少の怪我は勲章だと思ってくれて構わない。
  代わりに、礼儀作法や言葉使いなど指導もしてくれると助かる。可能なら、オリタリアで受けていた一般教養も施してくれるとなお良い。
  こちらでも専門学に関しては家庭教師がいるが、一般教養までは手が回らないのだ」
「はい。畏まりました。日常の折々でお伝えしていくという形で宜しいでしょうか」
「君の出来る範囲で構わないよ。
  それから、シルヴィオ。アルテイシアに挨拶を」
「はい」

  謁見室の入口付近から声がすると同時に人の気配が生まれる。
  振り返って見ると、細身の風変わりな剣を腰に下げた制服姿の青年がこちらに向かってくるのが知れた。
  クロフォードと変わらず長身痩躯で、こちらは明星を思わせる青い髪色の青年だった。精悍な顔立ちだが、目つきは猛禽類を思わせるように鋭い。これのせいで折角の男前が台無しになって強面という印象を抱かせていた。
  腰に下げた剣もアルテイシアが見てきた物とは別世界の物で、細身で長く少し反り返っており鍔(つば)も楕円形で細かな彫刻が施されてあった。柄には組紐が施されている。
  エンシャント独特の武器なのかも知れなかった。
  かと言って似合わないとか奇妙といった印象はなく、シルヴィオと呼ばれた青年によく馴染んでいる。
  武器を良く使い込み、大事にしている証左であった。

「シルヴィオと申します。
  カイル殿下の護衛と剣術指導を兼任しております」
「アルテイシアと申します。始めは手慣れぬこともあります故、お手数をおかけすることもあるかと思いますが、改善出来るよう善処いたします。どうぞ宜しくお願いいたします」
「こちらこそ、宜しくお願いいたします」

  互いに言い合って、どちらともなく手を取る。
  すると、何を思ったか「ぼくも!」と言ってアルテイシアとシルヴィオが握りあった手の上に自身の手を乗せてにっこりと笑った。

「みんな、これから、宜しくお願いします!」

  穏やかな昼下がり、謁見室は木漏れ日も相俟ってなんとも朗らかな空気に包まれたのだった。
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