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92.番が死んだ
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番が死んだ。
その瞬間、全ての音が消えた。
病院のベッドに横たわる君は、まるで眠っているだけのようで。
家に帰ると彼の匂いがまだ満ちていて。
お揃いのカップ、旅行先で買った謎の置物、今朝使ったお箸
そういう物が目に飛び込んでくるたびに、息ができなくなる。
呆然としたまま葬式を終えた。
彼はもう二度と家に帰ってこないんだ。
一人きりの部屋で何時間も立ち尽くしていた。
あまりにも悲しい時、人は涙を流さないものなんだと知った。
難聴になってしまったから、オメガなりに根性で頑張っていた営業の仕事もできなくなった。
医者によると、心因性によるものらしい。いつ治るかもわからない。
もう未来に希望も何もかもないように思えた。
そんなある日、雑踏を歩いていると、声が。
涙が出そうなほど懐かしい声が耳に飛び込んできた。
彼の声が聞こえる!
すれ違った声の主を引っ掴むと、振り向いたのは別人だった。
「なんですか?」
違う人だ。ポロリと涙が溢れた。
一度泣き始めると止まらなくて、目の前の彼はうろたえる。
「えっ、どうしたんですか? ちょっと……ああもう、こっち来てください」
死んだ番の声とそっくりなせいか、君の声は聞こえるんだ。
他の音は聞こえないのにと、つっかえながら説明すると、人のいい彼は信じてくれた。
「それじゃ大変ですね、僕が力になりますよ」
「えっ」
「どうせ大学もあとは卒業するだけなんで。しばらく貴方の側にいます、なんかほっとけない」
その日から、彼は部屋に通ってくるようになった。
荒れ放題だった部屋は片付けられ、視線をキッチンに向ければ、彼が夕食を作ってくれている。
別人なのはわかっているのに、後ろ姿は彼と被る。
こんな風に料理をしてくれたこともあったな、なんて思うと、また壊れた蛇口のように涙が溢れ出た。
「お待たせしまし……ああ、また泣いてる」
彼は皿をテーブルに置いて、肩に頭を抱き込んでくれる。
「どうぞ、遠慮なく泣いてください」
目の前の体から鼓動が伝わってくる。
温かい、生きている。
すがりつきながら大泣きした。
しばらくは、温かなまゆの中でたゆたうような生活が続いたが、四月も近くなり、研修だなんだと彼の不在が増えた。
頼ってばかりもいられない、そろそろ発情期も来ることだし、番がいないと苦しむ姿をアルファの彼に見せたくない。
耳が聞こえなくてもできるネット系の仕事を見つけて応募し、採用が決まった。
「もう大丈夫だから。本当にありがとう、君は君の人生を生きてくれ」
淡く微笑むと、彼は悲しそうに目を伏せる。
「俺は貴方の人生に必要ないってことですか?」
腕をとられて、真剣な目で告げられる。
「俺じゃ代わりになりませんか」
「なにを……」
「貴方が好きです。番になれなくてもいいから、そばにいさせてください」
「……ごめんね」
前途ある若者の未来を奪えないと、お断りした。
その夜、発情期に突入した。
一人の夜は耐え難いけれど、抑制剤を飲んで必死に耐えた。
死んだ番の服で巣作りしても、匂いが薄くて物足りない。彼が忘れていったマフラーの匂いを嗅いで気持ちを慰める。
巣の中でじっとしていると、電話がかかってきた。
「すみません、大事なマフラーを忘れてしまって。今から取りにいってもいいですか」
「だめ……」
マフラーに縋ってどうにか気持ちを保っているのに、取り上げられたらまた泣いてしまいそうだ。
震える返事を聞いた彼は、とにかく行くからと叫んで返事も聞かずに来てしまった。
しつこくインターフォンを鳴らされ、扉を開く。
フェロモンは番にしか効かないはずなのに、弱ったオメガを前に彼は理性を抑えきれなくなり、抱いてしまう。
「好きです、好き、好きだ……どうか一人で苦しまないで」
泣きながら背を抱きしめ返す。
きっともう、離れられない。そんな予感がした。
その瞬間、全ての音が消えた。
病院のベッドに横たわる君は、まるで眠っているだけのようで。
家に帰ると彼の匂いがまだ満ちていて。
お揃いのカップ、旅行先で買った謎の置物、今朝使ったお箸
そういう物が目に飛び込んでくるたびに、息ができなくなる。
呆然としたまま葬式を終えた。
彼はもう二度と家に帰ってこないんだ。
一人きりの部屋で何時間も立ち尽くしていた。
あまりにも悲しい時、人は涙を流さないものなんだと知った。
難聴になってしまったから、オメガなりに根性で頑張っていた営業の仕事もできなくなった。
医者によると、心因性によるものらしい。いつ治るかもわからない。
もう未来に希望も何もかもないように思えた。
そんなある日、雑踏を歩いていると、声が。
涙が出そうなほど懐かしい声が耳に飛び込んできた。
彼の声が聞こえる!
すれ違った声の主を引っ掴むと、振り向いたのは別人だった。
「なんですか?」
違う人だ。ポロリと涙が溢れた。
一度泣き始めると止まらなくて、目の前の彼はうろたえる。
「えっ、どうしたんですか? ちょっと……ああもう、こっち来てください」
死んだ番の声とそっくりなせいか、君の声は聞こえるんだ。
他の音は聞こえないのにと、つっかえながら説明すると、人のいい彼は信じてくれた。
「それじゃ大変ですね、僕が力になりますよ」
「えっ」
「どうせ大学もあとは卒業するだけなんで。しばらく貴方の側にいます、なんかほっとけない」
その日から、彼は部屋に通ってくるようになった。
荒れ放題だった部屋は片付けられ、視線をキッチンに向ければ、彼が夕食を作ってくれている。
別人なのはわかっているのに、後ろ姿は彼と被る。
こんな風に料理をしてくれたこともあったな、なんて思うと、また壊れた蛇口のように涙が溢れ出た。
「お待たせしまし……ああ、また泣いてる」
彼は皿をテーブルに置いて、肩に頭を抱き込んでくれる。
「どうぞ、遠慮なく泣いてください」
目の前の体から鼓動が伝わってくる。
温かい、生きている。
すがりつきながら大泣きした。
しばらくは、温かなまゆの中でたゆたうような生活が続いたが、四月も近くなり、研修だなんだと彼の不在が増えた。
頼ってばかりもいられない、そろそろ発情期も来ることだし、番がいないと苦しむ姿をアルファの彼に見せたくない。
耳が聞こえなくてもできるネット系の仕事を見つけて応募し、採用が決まった。
「もう大丈夫だから。本当にありがとう、君は君の人生を生きてくれ」
淡く微笑むと、彼は悲しそうに目を伏せる。
「俺は貴方の人生に必要ないってことですか?」
腕をとられて、真剣な目で告げられる。
「俺じゃ代わりになりませんか」
「なにを……」
「貴方が好きです。番になれなくてもいいから、そばにいさせてください」
「……ごめんね」
前途ある若者の未来を奪えないと、お断りした。
その夜、発情期に突入した。
一人の夜は耐え難いけれど、抑制剤を飲んで必死に耐えた。
死んだ番の服で巣作りしても、匂いが薄くて物足りない。彼が忘れていったマフラーの匂いを嗅いで気持ちを慰める。
巣の中でじっとしていると、電話がかかってきた。
「すみません、大事なマフラーを忘れてしまって。今から取りにいってもいいですか」
「だめ……」
マフラーに縋ってどうにか気持ちを保っているのに、取り上げられたらまた泣いてしまいそうだ。
震える返事を聞いた彼は、とにかく行くからと叫んで返事も聞かずに来てしまった。
しつこくインターフォンを鳴らされ、扉を開く。
フェロモンは番にしか効かないはずなのに、弱ったオメガを前に彼は理性を抑えきれなくなり、抱いてしまう。
「好きです、好き、好きだ……どうか一人で苦しまないで」
泣きながら背を抱きしめ返す。
きっともう、離れられない。そんな予感がした。
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