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第四章 アンガス海の運び屋と元海賊の古傷
48 ヘルが風邪でダウンしました
しおりを挟むそして次の日。案の定というべきか、ヘルは風邪でダウンした。
「あーあ、ほら、言わんこっちゃないわ。今日は一日ベッドの上で大人しくしてなさい」
「うるせー……テメェに指図される……謂れはっ、ゲホッゴホッ!」
ヘル、声がガラガラになってるや。
こんな有様でも、血を洗い流した眼帯をしっかり身につけてるヘルは、息をするだけでも苦しそうだ。けっこう悪質な風邪っぽいね。
「スバル、ここはメイヴィルに任せて部屋から出ましょう。貴方にも風邪が移る可能性があります」
クロノスが俺をヘルに近づけないようにしている。ここにいてもできることはなさそうだし、クロノスの言う通り外に出てようかな。
「スバル……」
「ハイハイハイ、アンタのことはアタシが仕方なく面倒見てあげるから、スバルちゃんとはちょっとの間お別れよ。元気になったら会えるんだからそんな顔しないの」
ヘルはじぃっと、無言のまま訴えかけるように俺のことを見ていた。
「お、俺やっぱり……」
「駄目よスバルちゃん、アンタに移ったら嫌なの。アタシ、スバルちゃんが風邪で苦しんでるとこなんて見たくないわ。お願いだから外に出てて、ね?」
メレの懇願を受けて、背中にヘルの視線を感じながらも部屋を出た。
「ヘル、大変そうだったね。何か滋養にいいものとか作ってあげたらいいかな?」
「自業自得です、と言いたいところですが……料理をするのであれば、お手伝いいたします」
クロノスの協力が得られたので、パン粥に挑戦してみることにした。
ミルクを温めて、パンを千切って鍋に入れて、お砂糖も加えて。最後にゼシア聖国でみつけたスパイスを少々。
うん、クロノスのアドバイスもあって、美味しくできたんじゃないかな?
「上手くなりましたね、スバル。今度私にも何か作ってくださいませんか?」
「もちろんいいよ! 何がいいか考えておいてね」
「はい」
完成したパン粥を手に持って、クロノスと一緒にヘルの部屋へ赴く。
「ヘル起きてる? 食欲あるかな? 俺、パン粥を作ってみたんだけど」
「食う」
間髪入れずに返事をしたヘルは、熱によって火照った顔をこちらに向ける。よかった、食欲はありそうだ。
ヘルは身を起こそうと体を捩ったけれど、しばらく頑張った後再びシーツの上に突っ伏した。
「あー、クソ、起き上がれねえ……スバル……」
ヘルは熱で潤んだ瞳で俺を振り仰いだ。
「お、俺がやってほしいわけじゃねえけど……ケホッ、全然そうじゃねえんだけど、なんか起き上がれそうにねえし、た、た、……食べさせ」
「さあヘルムート、口を開けましょうか」
なぜだか凄みのある笑顔で、クロノスが匙をヘルの口元に持っていく。ゲッと表情を変えて逃れようとするヘルの顔を、メレががっちり固定した。
「テメッ、やめろ!」
「せっかくのスバルちゃんの手料理、溢したらもったいないわよ? いいからじっとしてなさい」
「うぐっ! む……」
匙を口の中に突っ込まれて、もくもくと咀嚼するヘル。
二口目をよそうクロノスに、今度こそヘルはバタバタと暴れたが、どうやら本当に力が入らないらしく、二口目もクロノスによって口の中へと運ばれた。
ヘルが不服そうに口を動かす様を見て、メレがからかうように小首を傾げた。
「あら? 不満そうね、もしかして美味しくなかったのかしら」
「美味いに決まってんだろ! そうじゃなくて、自分で」
「美味しいのね! じゃあもっと食べなさいよ」
「むぐっ!?」
美味しいんだ、よかったあ。それにしても、クロノスがヘルにご飯を食べさせてあげるなんて、いつの間にそんなに仲良くなったんだろう。
次々と匙を口元に運ぶクロノスと、ヘルの頭を固定するメレの連携プレーにより、パン粥は空になった。食べ終わる頃にはヘルはグッタリしていた。
「ふう、これで手打ちとしておきますか。……我が君を傷つけた罰としては生温すぎるくらいですが、スバルの心労とならない方法が望ましいですからね」
後半が小声すぎて聞こえなかったけど、なんて言ってたんだろう。ちょっと顔が怖かったよ?
「うふふふ、されるがままのヘルちゃんって新鮮。普段からこれくらい素直だったらいいのにー」
「テメェら……後で覚えとけよ、マジで…….」
無駄に体力を使い果たしたヘルは、昨日と同じような捨て台詞を吐きながら寝落ちした。
眉間に皺が寄ったままだ、変な悪夢を見なきゃいいけど。
眠っているヘルをおいて食堂で三人でご飯を食べた。いつもそこまで喋る方じゃないヘルだけど、いないとやっぱり物足りない感じがするね。
ヘルの食事をまるっきり残して返したからか、ばったり廊下で出くわしたランスに、食事が口に合わなかったのかと聞かれた。
ヘルが風邪ひいてるんだよ、と説明すると、そうか、と淡々とした様子で持ち場に戻っていった。
午後は部屋で本を読んで過ごした。クロノスが何冊か持ち歩いてて、その中に植物、動物図鑑みたいな挿絵のある本があったから借りたんだ。
やたらと鼻の長い狐みたいな動物や、ゼシア聖国にあった南国の植物とか見て楽しんでいると、ノックの音が聞こえた。
「スバルちゃん? 今いいかしら」
「メレ! どうしたの?」
メレは苦虫を噛み潰したような顔で俺の部屋を確認すると、ガックリと肩を落とした。
「いないわよねえ……どこに行ったのかしら、まったくあの野郎手間ァかけさせやがって」
「え、え? もしかして、ヘルいなくなっちゃった??」
ドスの効いた台詞を吐くメレに若干ビビりながらも、俺は本題を促した。途端に困り顔で肩を竦めるメレ。
「そうなのよ……ほんっとに、しょーがないヤツねえ。どこかでへばっててもいけないから、探しに行かないと」
「俺も行くよ」
「そう? うーん……じゃ、お願いね。クロちゃんにも手伝ってもらって、手分けして探しましょ」
メレは迷いつつも俺に協力を取りつけた。早速部屋から出てヘルの探索を開始する。
ヘル、どこに行っちゃったんだろう。出たはいいものの、具合が悪くなって動けなくなってる可能性もあるし、早く見つけてあげないとね。
なんとなく甲板の方が気になって、そっちに足を運んでみた。すると、日の暮れかけた甲板に伸びる長い影が目についた。
影の主はランスだ。
「ランス! ヘルに会わなかった?」
「いや、会っていない」
端的に答えを返すランス。そっか……もしかして、立ち入り禁止区域の方に行っちゃったのかな?
そうだとしたら、ランスにも協力してもらう必要がありそうだ。
「ヘルがどこかに行っちゃったみたいなんだ。心当たりがあったりしない?」
「そうだな……あれじゃないか」
ランスが上を指差す。帆をくくりつけられたマストの上の方に、チラリと銀色が光ったような気がした。
「ヘル!?」
「かもな。登って確かめてみるといい。……アイツ体調が悪いと言っていなかったか」
「えっと、はい。そうなんだ……そうなんですけど、あんな風当たりの強そうなとこにいるなんて……」
狼狽える俺に、ランスは大判の毛布を差し出した。
「これを使え。貸し出し料は昔のよしみで免除してやると伝えろ」
「え、いいんですか? ありがとうございます!」
「それと、敬語はいらない。さっきのように話される方が俺も気楽だ」
「はい……うん! わかった。登ってみるね」
「手元に気をつけろよ」
ランスのくれた毛布を、首元にマントみたいにしてくくりつける。厚手のしっかりした生地で、すごく暖かい。ランス、強面だけどいい人だね。
足を踏み外したりしないように、一歩一歩着実に登っていく。思ったより高い……グラグラ船が揺れる度に足が竦みそうになりながらも、やっとのことで上に登っていく。
ヘルってば、朝はベッドから起き上がれないくらい体調悪かったのに、こんな危ないところを登ったの?
本当にいるのかな……疑いながらも登り続けて、見張り台に到着した。そして、風になびく銀の髪を見つけた。
「ヘル! ここにいたんだ」
「スバル? よく登ってこれたな。そこは危ねえからこっちこい」
ヘルは気だるい様子で俺を手招きする。端っこは怖かったので、言われた通りにヘルに歩み寄って彼に急いで毛布を被せた。
偶然触れた首元は、俺よりかなり熱かった。やっぱりまだ熱があるんだ。
「ヘル、ここ寒いし降りよう? 身体は動くんだよね?」
「いや、無理じゃねえの。さっき登るので体力使い切っちまった」
な、何しちゃってるんだよヘル、無計画すぎるよ……!
おろおろ慌てふためく俺をヘルは気の抜けた様子で見つめている。
こんなに無防備なヘルは初めて見る、やっぱりあまり体調がよくないんだ。早く部屋に連れてって休ませないと。
「俺、クロノス達を呼んでくるよ。俺じゃ無理だけど、きっとクロノスならヘルのこと運べると思うし」
「嫌だ」
「嫌って……」
駄々っ子みたいなことを言うヘル。青い瞳がチラリと俺を伺った。
「なあスバル。俺の願いを叶えてくれたら、一つ面白い話を聞かせてやるよ。だからもう少し……あとちょっとでいいから、ここにいてくれ」
見張り台に吹く風が、俺達の間をヒュルリと通り抜けていった。
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