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第四章 アンガス海の運び屋と元海賊の古傷
46 怪我と眼帯
しおりを挟む部屋に戻る途中でメレと合流した。
「メレ! ヘルの怪我は?」
メレは溜息を吐いて頭を振る。え、え? どういうこと? 思った以上に傷が深いの?
「どうもこうも、部屋から追い出されたわ。自分で手当てするからテメェは来るんじゃねぇこのブス、ですって。親切にして損した気分」
「ヘルムートらしいですね。それだけ悪態がつけるのなら問題ないでしょう。ではスバル、まずはその雨に濡れたフードを脱いでしまいましょうか」
ヘルが心配だったけど、俺が風邪を引いちゃったらそれはそれで迷惑をかけてしまうので、まずは言われた通りにフードとマントを取り去る。
クロノスは甲斐甲斐しく俺のマントを受け取り、自分も着替えてくると言って俺を部屋にエスコートし、冷えないようにと毛布を肩からかけてくれた。至れり尽くせりだ。
メレも自分の部屋に着替えに戻る。俺は部屋でポツンと一人になって、そしてますますヘルのことが心配になった。
だってヘル、俺以上にずぶ濡れだったし、その上怪我もしてるんだし……絶対誰かが手伝った方がいいと思うんだ。
うん、様子を見に行こう。そう決意して扉に手をかける。
鍵がかかってるかなと思ったけれど、向かいの部屋は珍しいことに少し隙間が空いていた。
俺は空いた扉の隙間から中を除き込みながら、ヘルに声をかけた。
「ヘル、怪我の手当て俺も手伝う……」
薄暗い部屋の中で、ヘルは包帯を乱雑に頭に巻き、眼帯を取って右眼を露出させていた。
まっすぐに俺を見つめたその瞳の色は、血のような赤。魔獣と同じ、赤。
一瞬時が止まったように感じた。ヘルが無造作に俺の腕に手を伸ばす。部屋の中に引きずりこまれた。
グイッと身体ごと引かれて、その勢いのままベッドに投げだされ、ヘルは俺に覆い被さってきた。
「……見たな」
見たも何も、現在進行形でバッチリ目があってる。どこか他人事のようにそんな風に思った。
青の瞳は理性的に、冷徹に俺を観察していた。
赤の右眼の中には青い光が嵐のように吹き荒れている。常時、魔力が暴走しているんだ。あくまでも緩やかに波打つ左眼の光とは対照的だった。
赤い目の方には、刀傷を受けたような古傷が目を縦に切るような軌道で刻まれている。
「スバル、お前……お前は……」
ヘルは無表情のまま俺の頭から頬へと手を滑らせる。ヘルが何を考えているのかわからない、心の中は左眼のように凪いでいるのか、それとも右眼のように吹き荒れているのか。
ヘルの手が顎を辿って、俺の首筋に移動した。
「ヘル……?」
そしてそのままゆっくりと、両手で俺の首を手のひらでなぞるように撫でる。
くすぐったくてピクリと背が反応し、ベッドの上にずり上がろうと身を捩ると、ヘルの表情が凍った。
「……お前も、俺を拒絶するのか」
グッと指先に力がこもる。気道が圧迫されて、苦しくて手を引き剥がそうとすると、ますます力が強くなった。
「ヘルッ、そん……俺っ」
「俺は化物じゃねえ、俺は人間だ、人間なんだ……嫌だ、嫌だっ、見るな!!」
銀髪の頭が激しく左右に振られ、ポタポタと雨の雫が頬に降る。
それはまるでヘルの涙のように感じられて、俺は苦悶と怯えの表情を浮かべる彼の背中に手を伸ばした。
「ヘ……ル、は、っや……し、ひ……っ、かはっ!!」
ヘルは優しい人だよ、ちゃんと人間だって伝えたいのに、息が苦しくて言葉にならない。
「ぐっ……うぅ……っ!」
なんだか痺れているような指先を必死に動かして、ヘルの背中に手を回す。
背中には手が回らなかったけど、力を振り絞ってギュッと身体を抱きしめるように引き寄せた。
ヘルは怖くない、俺はヘルを拒絶してなんかいないよって気持ちが、伝わるように願いながら。
「スバル、スバル……っ俺……俺はお前を……殺したくっ……、……!」
ヘルは今にも泣きそうな顔で俺を見下ろしている。
何か話しているみたいだけど、よく聞き取れないまま、ああ、綺麗な青い光だなあ、なんて瞳に波打つ魔力の光に見惚れながら、俺は……そのまま意識を手放した。
波の音が聞こえる。目を開けてもなんとなく暗い。ここは、俺の船室……?
手が何か温かいものに包まれている感覚がして首を傾けると、俺の手を男らしい筋張った手が握っていた。
ハッと息を飲む音がして、視線を上に滑らせる。クロノスが眉根を寄せて俺を見下ろしていた。
「スバル、気がつきましたか、よかった……どこか痛いところはありませんか?」
「クロノス……俺、どうしたんだっけ」
いつの間に寝ていたんだろう、確かさっきまで船が魔獣に襲われていて、そいつらを撃退して、それから……
俺は勢いよく身を起こした。頭がクラクラする。クロノスがふらつく俺を支えてくれた。
「急に動いてはいけません、さあ、ベッド横になってください」
「ヘルは? ヘルは今どうしてるの?」
クロノスは俺をベッドに横たえた後、唇を引き結んだまま少しの間沈黙し、目を伏せた。
「……メイヴィルが事情を聞いているところです。スバルは一体なぜ……いえ、怖かったでしょう、今は何も考えずにお休み下さい」
クロノスの視線の先が俺の首元にあるのに気づく。俺からは見えないけど、ひょっとして赤い手形でもついてるのかな?
ヘル、すごく怖がって、悩んでるように見えた。あの赤い目のせいで過去に何か辛いことがあったんだ。俺は怖くないよ、大丈夫だよってちゃんと伝えなきゃ!
再びベッドから起き上がり、部屋から出て行こうとする俺をクロノスが長い腕で引き留める。
「スバル? 今は休んでいて下さいと……」
「だけど俺、ヘルのところに行かなきゃ」
「何故です? スバルは恐ろしい思いをしたのではないですか、もう一度出向いて再び危害を加えられる可能性だってあります」
「違う、怖がっているのはヘルの方だ。だから俺は怖くないよって伝えなくちゃ」
きっと今伝えなくてはこのままヘルが心を閉じて、そして二度と手の届かない所へ行ってしまうような、何かそんな予感があった。
けれどクロノスにはそんな漠然とした予感なんてわからないみたいで、というか俺を心配してくれてるんだろうけど、部屋の扉の前に立ち塞がった。
「通して、クロノス」
「なりません。御身の安全が第一です」
いやいやそんな、さっきの魔獣退治の時の方が絶対危なかったよ!
俺だってまた首絞められるかもって思うとちょっと躊躇っちゃうけど、今度触られたらちゃんと水魔法で止めるから大丈夫だよ!
きっと今、俺以上にヘルが苦しんでるんだからなんとかして伝えたいのに!!
「俺の安全が大事だって言うなら、クロノスも一緒に来てよ! ここを通して、クロノス。これは主としての命令だよ」
一歩も引かないという態度を表明しながら、クロノスの灰銀の瞳を真っ直ぐに見つめる。
クロノスはやがて顔を逸らすと、一つ息をついて扉の前から身体をずらした。
「ごめん、クロノス」
「いいえ。スバルの身に何かあれば真っ先に盾になりますので、くれぐれも危ない真似はなさらないでください。今のヘルムートには近づきすぎないように」
「わかった、約束する」
クロノスは俺を通すと、後ろに控えるように立った。一緒に来てくれるなら、もしまたヘルが混乱しちゃった時に心強い。
俺が扉を開けて向かいの部屋に歩み寄ると、開いたままの扉から話し声が聞こえた。
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