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第三章 魔獣遭遇とゼシア聖国での恋騒動
34 魔獣の脅威
しおりを挟むスタスタと早足で歩くヘルを、小走りで追いかける。村はどんどん遠ざかっていった。
やがて村が遥か彼方にポツリと見えるか見えないかくらい遠ざかった頃に、やっとヘルは足を止めた。
俺は軽く肩で息をしながら問いかける。
「はあ、はあ……何、なんであの人達、あんなに必死だったの?」
全然見当がつかない俺と違って、クロノスとメレは勘づく事があったようだ。クロノスは無意識に顎に手を添えながら、憶測を披露する。
「そういえば、王都の市場で噂を小耳に挟みました。魔獣が王都の南の小村を襲うと。ただの噂と思われていたようですが……」
「噂じゃねぇよ。馬鹿で無知な村のガキ共が、魔力持ちの獣を寄ってたかって虐めていたら、そいつの魔力が暴走して魔獣化し、村を襲うようになったんだとよ」
はじめて着いた村の情報にやけに精通しているヘルに、メレは眉を寄せて訝しむ。
「アンタそんな情報どこで拾って来たのよ? ……ああ、ただ飲みに行ってただけかと思ってたら王都で情報屋にでも通ってたわけ? スバルちゃんを安全に旅させるためかしら、焼けるわね~って、痛い!」
照れ隠しなのか、無言でメレに蹴りを入れるヘル。
「そういう理由であれば、あの村に留まるのは得策ではありませんね。魔獣は恨みを持つとその相手を執拗に狙い続けると言いますから、恨みを買った人間から離れるのが安全です」
「そうだね、村にいたら危ないところだった。……でも、その子ども達は大丈夫なのかな? 魔獣って危ない生き物なんでしょ?」
クロノスは真剣な表情で頷いた。
「ええ、恨みの気持ちに囚われた魔獣は非常に危険です。身体の限界を考慮することなく動く、魔力によって強化された手足は、凶悪の一言に尽きます。痛みをほとんど感じなくなるとも言われていますね」
「まるで不死者みたいにしつっこく、死ぬまで何度でも襲いかかってくるのよ。速いし魔法使うし捨て身だし、対魔獣用に鍛えられた魔法兵が、五人がかりでやっと倒せるヤツなの。下手に準備無しに首突っこむと、本当に命がけよ!」
感情豊かに、まるで見てきたように捲したてるメレ。巨大な怪物を想像してしまった俺の顔は引きつってしまう。
うわあ、それは恐ろしい。村人で対抗できる人なんていないんじゃなかろうか。
「や、やっぱり助けてあげた方が……」
「いらねえよ」
きっぱり吐き捨てるヘルに、うぐっと言葉に詰まる。
そうだよね、俺達でも勝てるかどうかわからないんだし、安易に引き受ける訳にはいかないってわかるよ、わかるけども……見捨てるのも後味が悪い、なあ……
心に引っかかるものを感じて黙り込んでいると、メレが励ますように俺の肩を軽く叩いた。
「だーいじょうぶよ。王都で噂になってたってことは、もう誰かが救助の要請に行ったってことなのよ。じきに王国の魔法兵が派遣されるわ」
「それまでに、子どもや村の人がやられちゃったりしないかな?」
「村人は恨みを持たれていないですから、下手に刺激しなければしつこく襲ってはきません。おそらく、一時的に原因の子どもを隣村にでも預けてあるのでしょう。あの村は妙に静かでしたからね」
「だからあの村長は、単に俺達を使い捨てようとしただけだ。俺達を標的にさせて、一時的に恐怖から逃れるためにな。ケッ、胸糞わりぃ」
ヘルの、冷たく突き放すような態度がようやく腑に落ちた。言葉少なでわからなかったけど、そういう理由ならそりゃ怒るよね。
この世界は優しいばっかりじゃない。優しいクロノスや親切なメレ、捻くれて見えるけど本当は俺を気遣ってくれているヘルに巡り会えて、本当によかった。
俺は改めて自分の幸運を噛み締めた。
できるだけ村から遠ざかり、魔獣の活動範囲を抜けようと歩く三人に遅れないように着いていく。
不意にクロノスが立ち止まり、パッと背後を振り返った。
「どうしたの?」
「何か……近づいてきます」
俺を背に庇いながら警戒するクロノス。ヘルも無言で、大振りな曲刀を取り出した。
「ちょっと……なんでよ、おかしいじゃない。なんでわざわざコッチに来るのよ?」
「さあ。理由はわかりかねますが、危険は排除しなければ」
「おい、もう来るぜ。無駄口叩いてる暇があったら警戒しろ」
土埃を上げながら、ドドドッと腹に来る音を響かせ、狂った獣が近づいてくる。
それは身の丈が人の背もあろうかという大きさの猪だった。毛が逆立っているせいか、一際大きく凶暴に見える。
牙を剥き出しにしながら威嚇する獣の両の瞳は、まるで脈打つ鮮血のような真っ赤な色に染まっていた。
「こ、これが魔獣……」
思わず呟いた声に反応したのか、俺を狙って一直線に魔獣が飛びかかってきた。
「っ!」
避けるなんて暇もなく、ただ腕を顔の前にクロスさせてギュッと目を閉じる。ガキィン!!と金属音が響き目を見開く。ヘルの曲刀が猪の突進をいなしていた。
「……っ! かってぇなコイツの牙、刃がかけちまう」
毒づきながらも次の攻撃に備えるヘル。風のように飛び出したクロノスが、キラリと光るものをいくつも投げる。そのうちの一つが口の中に刺さった。
投げ矢を受けた猪は怒りの咆哮を上げて、クロノスめがけて猪突する。通りがけにヘルが刀で猪を斬りつけたが、浅く毛皮を裂いただけだった。
「速えな。おいクロノス、協力しやがれ」
「いいでしょう。次は足を狙います」
突っ立っている俺の手を、メレが掴んで引き寄せる。
「スバルちゃん、いったん離れましょ! 遠くから炎をぶっ放してやって!!」
メレの言葉にハッと気を持ち直して、少し離れたところからメレの炎を使った。
炎を浴びた魔獣はもがきながらも、また突進を繰り返す。前足が焦げて、少し速度が落ちたようだ。
クロノスとヘルの連携、そしてメレの炎により猪は傷を着実に蓄えていったが、決定的な一撃が入れられないまま時が過ぎていく。
このままじゃ前衛の二人の体力が尽きてしまうだろう。同じことを危惧したのか、ヘルがクロノスに合図を送った。
「クロノス! 次で決める!!」
「お願いします!」
クロノスが飛ばした投げ矢は魔獣の赤い眼を射抜き、大きな隙が生まれた。
「おりゃあぁ!!」
すかさず振りかぶったヘルの刃は急所である喉を切り裂いたが、魔獣の動きは止まらない。
どこにそんな力を隠していたのか、と驚愕する速度で、俺達に向かって真っ直ぐに、最期の力を振り絞り突進してきた。
「危ない!」
メレは咄嗟に俺を突き飛ばす。草の上に投げ出された俺は、メレに迫る血塗れの魔獣をただ見ている事しかできなかった。
「メレーーッ!!!」
叫ぶと同時に、猪の背後から広がった網が迫る。それは間一髪間に合い、猪の身体に巻きつき勢いを削ぐ。
桃色の髪が一房ハラリと宙に舞い、メレは尻餅をつく。魔獣はメレの鼻先で事切れていた。急激に赤い目は力を失い、体毛と同じ茶に戻る。
グラリと傾いだ体はドウッと音を立て、地面に倒れた。
心臓が早鐘を打っていた。膝が震えている。
猪が倒れたことで、やっと終わったことを理解した。
「はあ、はあ……終わったんだ、よね?」
「……も、もうダメかと思った、魔力の根源世界が一瞬、垣間見えたわよ……」
三途の川一歩手前まで逝ったメレは、ため息をついて胸を撫で下ろした。
「間に合ったようですね。人間用ですから強度が足りるか心配でしたが、なんとか足りたようです」
クロノスが片手で網を持ち上げながら、メレにもう片方の手を差し出す。メレは苦笑しながらその手を取った。
「獣用じゃなくて人間用の投擲網? アンタ物騒なモン隠し持ってるのね」
「領主が逃げ出した時のために備えておいたのですが、使う機会がありませんでした。絶対に逃げだせないよう金属を編みこんでおいて丁度よかった、役に立ったようでなによりです」
「ええ、大いに役に立ったわよ、なんせアタシの命を救ってくれたんだから」
クロノスは手早く網を回収しながら、戦いの後とは思えないくらい落ち着いた笑みを浮かべた。
「貴方には借りがありますからね、返す前に勝手に死なれては困ります」
「今ので貸しなんて十分帳消しよ。ありがとね」
穏やかに無事を喜びあう戦友達。俺もやっと震えが収まった足を使って立ち上がった。
「スバルちゃん! 咄嗟に突き飛ばしちゃったけど、大丈夫だった!?」
「俺はなんともないよ! メレこそ間に合ってよかった、怪我はない?」
俺の問いを受けて、メレはパタパタと自分の体をタッチしながら確認する。
「怪我? 無いみた……アッ、アタシの髪がー!!」
前髪がおかしな具合に切れてしまっていたが、髪以外はなんともなさそうだ。
メレは嘆くのに忙しいみたいだけど、俺はホッとして力が抜けてしまった。もう一度座り込んで地面に足を投げ出す。
「スバル!? 立てないのか? 怪我は!?」
血に濡れた曲刀を携えたヘルは、真っ黒な姿に返り血もミックスされて、まるで死神のようだった。
「う、ううん。怪我はないよ、ちょっと疲れただけだから!」
うわっ、その怖い格好で、すごい形相で近づかれたら思わず後ずさりしちゃうってば! せめて刀の血を拭いて!!
内心ビビりながらもヘルの全身に目を走らせると、二の腕がざっくり切れていた。
「ちょ、ヘル! 俺よりヘルの方が大変だよ、腕! 止血しなきゃ!!」
「あ? こんなモンかすり傷だ」
わちゃわちゃしながら止血したり、網を元通り収納したり、ちゃっかりメレが猪の牙を素材として回収し、お肉を捌いたりしているうちにすっかり日が暮れ、俺達は災難な一日を無事に野宿で締めくくった。
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