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第二章 王都パラヴェレとガドラン沼地の小さな故郷
32 クロノス参戦
しおりを挟む翌朝。俺は日の出前に目を覚ましたようだ。頭がスッキリしている。
背中が温かくって振り返ると、メレがすぐ隣で寝息を立てていた。相変わらず男前だなあ、桃色まつげの一本一本まで綺麗で、視線が吸い込まれてしまう。
しばらく見惚れた後に、メレの向こう側に銀色の髪が見えた。ヘルは背中を向けていたけれど、規則的に肩が上下しているのでまだ寝ているみたい。
そういえばクロノスは? と前を確認するが、そこには誰もいなかった。
クロノスが俺に声もかけずにいなくなるなんて珍しい。ひょっとしたらはじめてのことかもしれない。
気になって、俺は寝入っている二人を残して着替えて外に出た。空の色は漆黒から群青に染まり、もう朝が近いことを示している。
薄く光る星々の下、山の緑に埋もれるようにある村は、この先に毒の沼があるだなんて想像もできないくらい静かで美しい風景だった。
夜明け前の空気を胸いっぱいに吸いこみ、俺は村の中を散策する。クロノスはどこにもいない。
トッドの家の前を通りかかると、彼は起きていて家の前を掃除していた。
「ようスバル、もっと寝ててもいいんだぞ」
「おはようトッド、目が冴えちゃって。クロノスがどこ行っちゃったか知らない?」
「クロ坊なら山の方へ行ったぜ。ここからまっすぐ進むとな、村が見渡せる見晴らしのいい場所があるんだ」
トッドの差した方角は、山が一部せりだしたように開けた土地になっていた。
「ありがとう、行ってみるよ」
「ああ、ちょっと待て」
トッドは俺を呼び止めると、俺の手のひらに小さな箱を一つ乗せた。よく磨かれた金属と布張りの箱は高価そうで、俺は困惑する。
「何これ?」
「アルスとクレイラが遺した物だ。それはお前から渡してやるのが効果的だろう」
「クロノスさんに……?」
「魔石とやらが鍵になってるんだとよ、ここに帰ってきたってことは、持ってるんだろう?」
「……はい」
「そうか。なら行ってやりな」
トッドはひらひらと手を振って家の中へ帰ってしまった。一体何が入ってるんだろう?
箱の蓋との継ぎ目には、何かをはめ込む穴がある。ここに魔石をはめろってことなのかな。
よくわからないながらも、俺は当初の目的通りクロノスを探した。
山の裾野に下草の生えていない道のようなものを見つけて、そこを辿って山を登っていく。
時々聞き馴染みのない鳥の声が響く山の中をさくさく歩いていくと、ほどなくして開けた場所に出た。
その場所にはたくさんの石が等間隔に立ち並んでいた。近くに寄ってみると、文字が刻まれているのがわかった。人の名前だ。ここは……墓地のようだ。
クロノスは、一番端の山の木の陰になったところにある墓石の前に、立て膝をついてしゃがみこんでいた。
声をかけようか迷って、結局何も言わずに歩を進める。クロノスは俺に気づいて立ち上がった。
「おはようございますスバル、御身の傍を許可なく離れてしまい、申し訳ありません。すぐに戻る予定だったのですが」
「そんなの全然いいよ! ……それ、アルスお父さんのお墓なの?」
クロノスさんの足元には台座を斜めに設置したような岩の墓があり、小さな野花が飾られていた。
「はい、そうです。誰かが埋葬してくれていたようですね。沼に行ったっきり拐われてしまいましたから……大切に手入れされているようで、安心しました」
クロノスはどことなく寂しそうに、過去を惜しむように視線を墓に落とす。
俺はお墓の前にしゃがみ込んで手をあわせた。
「スバル?」
「……アルスお父さんが、天国でクレイラお父さんと会えますように」
俺の隣にクロノスもしゃがんで、片手を上下させる。この世界でいう願いのポーズなのかな。
「……それは素敵な考えですね。アルス父さんもクレイラ父さんもとっくに魔力の源へと還ってしまったでしょうが、せめて魂だけでも二人で寄り添えられたなら、と思います」
しばらく二人でお祈りした後、俺達は立ちあがる。
俺は先程トッドから預かった高価そうな小箱を懐から取り出した。
「これ、トッドから。クロノスのお父さんが遺したものだって」
「父さん達が……これが」
クロノスは丁重な手つきでそれを受け取った。
「……ここで開けてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。クロノスの物だから、クロノスの好きにしてよ」
俺が許可を出すとクロノスは魔石をはめる穴を確認して、慎重に石を窪みに押し込む。
箱は魔石に僅かに残っていた魔力に反応し、ふわ、と明滅するとカチリと小さな音がして上下に開く。
「……これは、手紙?」
クロノスの呟きを受けて俺も箱の中を覗き込むと、丁寧に折りたたまれた高級そうな便箋が、蜜蝋によって封されていた。
クロノスはおっかなびっくりそれを取り出し、自分に宛てられた物だと確信すると、手紙を開いて読みはじめた。
最初はほぼ無表情で視線を滑らせていたクロノスだったが、その瞳に困惑が滲み出し、読み終えると同時に俺を振り向いた。
「ど、どうしたの?」
「スバル……いえ……その、あまりにも今の私の状況がわかっているような内容でしたので、驚いてしまって」
「なんて書いてあったの?」
「たいしたことでは、ないのですが……」
たいしたことでないにしては歯切れが悪いクロノスの物言いに、話し辛いことだったかと思い当たる。
「別に無理に話さなくてもいいよ! ただちょっと、気になっただけだから」
「……スバル」
クロノスはどこか思い詰めたような表情で、そっと俺の両手をとった。
「私は今、貴方の傍にいられて十二分に幸せなんです、満ち足りています。我慢をしているつもりはありません、ありませんが……それ以上を望むことは、許されることなのでしょうか」
ええと、どういうことなんだろう。具体的に何を我慢してるのかイマイチわからないんだけど、俺が言えるのは一つだけだ。
「俺はクロノスには幸せになってほしいなって思うよ。だから、我慢しなくていいことだったらしなくていいだろうし、欲しいものがあるなら欲しいって言えばいいと思う」
クロノスはアーモンドの瞳をこれ以上ないほど見開いて硬直した。
えっ、なに!? 駄目だった? 的外れなことを言っちゃったかな??
俺もつられて固まっていると、クロノスは確かめるように俺の手のひらを撫でた。
「貴方は……貴方も、同じことを言うんですね。わかりました、ではスバル。一つお願いがあるのですが」
「なに? 俺にできることだったら何でもするよ!」
「何でも……いえ、そんなに大変なことではありません。少しの間、目を閉じていただいてもよろしいでしょうか?」
なんだろう、と思いつつも俺は目蓋を下ろす。クロノスが俺に酷いことをするわけがないと信頼しているので、俺は安心して身を委ねた。
クロノスの手が頰に添えられる。砂糖細工に触れるかのように恐る恐る触れられて、ちょっとくすぐったい。
顔に吐息がかかり、フニャリと柔らかなものが一瞬頬に触れる。
パチリと目を見開くと、灰銀の瞳が至近距離で俺を見つめていた。左右対称の美麗顔がすぐ目の前に。
「ふぇっ!?」
「おや、驚かせてしまいましたね」
クロノスは銀の鏡のような瞳を煌めかせて笑う。その表情には妖しげな色香が漂い、俺の鼓動はドキドキと脈打ちはじめた。
「今の、もしかして……キス?」
顔が赤くなるのがわかる。クロノスは猫のように目を細めた。
「ええ、大切な貴方への気持ちを表したくて。……動揺しましたか?」
「し、した」
「そうですか。私も、実はかなり心臓が高鳴っています。まだ欲しいものを臆面なく欲しいと言えるほど慣れていませんので……少しづつ、できることから伝えていきたいと思います。お互い、慣れるまで時間がかかりそうですね」
クロノスはそう言って照れたように笑いながら瞳を伏せた。
……ヤバい、今ちょっと、大分キュンときたかも。
「気づかないうちに貴方の気持ちばかりを推し量っていたようです。貴方の気持ちを優先するあまり自分の思いを無視するのではなく、私の想いも大切にしていきますね。それが我が主、ひいては両親の望みでもあるようですから」
……ん? もしかして、俺ってば余計なスイッチ押しちゃったのかな?事態をよりややこしくさせちゃったんじゃない? もしかして。
……クロノスの望みって、俺ともっと仲良くなりたいってこと、だよね?
きっと多分おそらく、恋とか愛とかそんなんじゃない、よね?
今のキスは頬にくれたわけだし、ここは西洋風の世界だから挨拶の一種だったりして。
それで今になって親密な挨拶をしてくれた理由は、主と執事の枠を超えて親友みたいに仲良くなりたいってことかもしれない。うん、きっとそう。
そう……だよね?
焦る俺の気持ちを無視して朝日が昇る。網膜を焼く強烈な光は、暴力的なまでの爽やかさに満ちていた。
クロノスは俺の片方の手をぎゅっと握り直すと、軽く頬を上気させつつ晴れやかな笑顔で告げた。
「さあ、そろそろ二人が起き出す頃です。戻りましょうか」
俺は赤くなればいいのか青くなるべきなのか混乱しつつも、クロノスに手を引かれるまま村へと下りていった。
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