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第二章 王都パラヴェレとガドラン沼地の小さな故郷
30 ヘルの魔力
しおりを挟むやっと追いついたメレも前方の様子を目にして、声を失う。
「え……ちょっと、やだ……どうすんのよこれ、進めないじゃないの」
「ここ数日の雨で増水したのでしょうね、うかつでした。一度引き返すしかありません」
「せっかくここまで来たのに!? アタシもう無理よ!!」
メレが頭を抱えている。俺も同じ気持ちだった、せっかく半分も進んだのに、引き返さなくちゃならないなんて。
「残念ですが、この沼で夜を明かすことは自殺行為に等しい。もう日も降りはじめています、ない道を探して時間を浪費するより、一度元来た道を戻ることを提案致します」
クロノスの言うことはわかる、わかるけど……どうにかできないかな、この沼をもう一度渡りなおすのは俺も嫌だ。
ヘルはさっきから沈黙を保って沼地をじっと見つめていた。何を考えているんだろう、もしかしてヘルには、この沼を越える方法が思い当たるのかな?
「ヘル、何かいい考えない?」
「……無理だな。昔の俺ならともかく、今の俺にできることはねえ」
昔のヘルならできた……? ハッと脳裏に電流が駆け巡る。身を乗り出すようにして、ヘルの耳元に熱心に訴えかけた。
「ヘル! 魔力を使わせて!! ヘルの属性は水なんじゃない? その力があれば、沼の水を一時的に退けることができるかも……!」
「……そうよ、その手があったわ! ヘル、スバルちゃんに任せなさいよ」
俺とメレの願いにヘルは即答できなかった。苦々しげに言葉を濁す。
「いや、俺は……俺はもう魔法は二度と使わねえって決めてんだ」
「アンタが使うんじゃないわよ、使うのはスバルちゃん!」
メレの指摘にもヘルは煮え切らない態度だ。
「だとしても……俺はもう、間違いたくねえ」
きっと俺にだけ聞こえただろうその言葉に、俺の胸は微かに軋んだ。
ヘルは傷ついていた。魔力が使えなくなったことに? それとも……わからないけれど、俺はヘルの心の傷口に触れないように言葉を選びながら、説得を試みた。
「ヘルが恐れるようなことは起こらないよ。俺はちゃんと、ヘルの魔力を使いこなしてみせるから。だから、俺にヘルの魔力を貸して?」
それでも渋るヘルに、俺は傍にいたメレと顔を見あわせた。
「強情ね。スバルちゃん、あれやってくれる?」
メレに請われた通りに彼の手を取り、炎の鳥を形作る。ヘルの頭の近くを自由自在に飛びまわる火の鳥に、ヘルは目が釘付けだ。
「おいスバル、これ、お前の仕業か?」
「そうだよ、しっかり制御できてるでしょ?」
俺は簡単にできてしまったけれど、本来ここまでできるようになるのは長い修練と特別な才能の両方が必要らしい。
ヘルは驚いたのか自然と手から力が抜けた。
やっと地面に降り立った俺は、ヘルの両手をとってゴーグル越しにまっすぐに瞳を見つめた。
「ヘル、俺達はここを安全に渡れるよ。ヘルが魔力を使わせてくれるなら、ね。約束する」
「……別に俺はどうしてもここを渡りたいわけじゃねえんだけどな」
ヘルはガシガシと内心を誤魔化すように頭を掻いて、チラリと俺とクロノスを見た。
「まあ、スバルがどうしてもって言うなら、やってやらなくもねえっつうか……ああ、でもな」
「なによ、この期に及んで往生際が悪いわね」
「テメェは黙ってろ」
ヘルは袖口を捲り上げて俺に差し出した。俺は自然と緩む口元をしっかりと引き結びながら、ヘルにお礼を言う。
「ありがとう」
「別にお前のためじゃねえよ、そもそもクロノスの野郎がここを通りたいなんて言いださなきゃお前もここにいなかったわけだし、あいつのせいでお前が困ってるのは筋違いだと思っただけであって」
照れ隠しついでに当て擦られたクロノスは、ヘルムートに完璧な笑顔を浮かべてみせた。
「ヘルムート、頼んだわけではありませんがご同行いただきありがとうございます。結果的に貴方がいることで沼を渡れそうですね」
「お前は言い方がいちいち嫌味ったらしいんだよ!」
俺も手袋を外してヘルの素肌に触れる。ぐん、と流れ込む魔力。
力強い、暴力的なまでに巨きな魔力の奔流を、歯を食いしばり受け止める。りょ、量がすごく多いよ!?
最初はびっくりしたけれど、徐々に慣れてきた。流れ込む魔力の流れに逆らわず、いなすように沼の方向へと流すと、流したそばからぱっくりと水たまりが割れた。
魔力を注げば注ぐほど沼の水は左右に押し流され、沼の底に溜まっていた石が露出する。
やがて左右に大きく盛り上がった泥の山が形成され、水っぽい毒の沼地だった場所はクレーターのようにへこんでしまった。
「すごい……」
俺はヘルの腕をとったままクレーターに下りてみる。ゴツゴツした岩は歩きにくいけれど、どろどろヘドロの沼に足をとられるよりも何倍も歩きやすい。
「これいいわね、大分道のりが楽になったわ」
「圧巻ですね、沼地の底をこんなに易々と歩ける日が来ようとは」
「ヘルのおかげだよ! 本当にありがとう!!」
ヘルは喜ぶ俺達と共に周りを見渡して呆然としている。
「俺の魔力が、こんなに整然と……これは夢か?」
「夢じゃないよ」
俺が笑いかけると、ヘルはじわじわと実感が伴ってきたのか、口の端が釣り上がる。と同時に、その笑顔はヘルの手によって覆われてしまった。
せっかくの貴重な笑顔がもったいない。
「そうか……行こうぜ」
「うん!」
俺は喜び勇んで先へ先へと進む。足取りは軽くなり、注意が散漫になったせいでこけかけた。
「おっと」
「わっごめん」
「なにやってんだよ」
は、と吹き出しながら自然に笑う顔に見惚れていると、ヘルは手袋を外して俺の手をしっかりと握りなおした。
「これでいいだろ。足元気をつけろよ」
「わ、わかった」
「スバル、大丈夫でしたか!?」
少し先を偵察がてら歩いていたクロノスが引き返してきた。ヘルは繋いでいない方の手を振って追い返すような仕草をする。
「お前はお呼びじゃねえんだよ、俺がしっかり見てるから周りを警戒しとけ」
「……スバルに怪我をさせたら許しませんよ?」
チクリと釘を刺して前を向くクロノス。ヘルは握る手に力を込めた。
「今、スバルと手を繋いでるのは俺だ。……ずっと繋いでみたかった」
ぽつりと呟くような後半の言葉は微かに俺の耳に届いた。
心の内がつい漏れ出たようないじらしい響きに、ヘルの気持ちを感じとりじんわりと身体が火照る。
「そういや、お前から俺に触ってくれたの、はじめてだよな……」
ヘルもヘルで照れたらしく、頬を赤く染めていた。
き、気まずいというかなんというか……手を離したいんだけど離すと泥が落ちてきそうだし、あああ~なんか恥ずかしいっ!!
メレのからかう声が聞こえないのは幸いだった。もしからかわれたりしたら居たたまれなさからつい手を離しちゃったかもしれない。
桃色の髪はずっと沼地の端っこを飛び回っていた。
「すごいわ、アマドクガエルがこんなに……! 魔力に当てられたのかしら、気絶してるからとってもとりやすいわ~」
そのまま沼を渡りきり、日暮れ前には村にたどり着くことができたのだった。
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