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第二章 王都パラヴェレとガドラン沼地の小さな故郷
29 いざ毒沼へ
しおりを挟む王都から南西へ向かって進む。途中雨に降られる日もあったけど、マントやメレの用意したテントを駆使して難を逃れた。
数日、街道とも言えないような寂れた道を行くと、天然の障壁とも言える沼地が見えてきた。
ガドラン沼地。そこを訪れる人はほとんどいない。
沼には人に有害な毒素が含まれていて、進入を阻んでいる。
道といえないほどの道を一歩踏み間違えると、深いぬかるみに足をとられて容易には抜け出せない、そんな場所だ。
灰色の雲の下、専用の装備に着替えて俺達はついに沼に足を踏み入れようとしていた。
……というところで、思わぬハプニングが発生した。
「メレ。今日という今日は許さねえ。二度とナメたマネできねえようにしてやる」
「な、なんでそんなに怒ってるのよ!? アタシなんかした!?」
問答無用でメレを追いかけ回すヘル。ああっ、こんな沼に近いところでそんなに動き回ったら危ないよ!
「落ち着きなさいヘルムート、一体どうしたと言うのです。理由を話して下さい」
「うるせぇ! こんなもん着れっかよ!!」
クロノスに向かって毒沼専用装備服を投げ捨てるヘル。クロノスはなんなくそれを受け取った。
何がそんなに嫌なんだろう? 専用装備は全身をくまなく覆える形で、襟つきのツナギだ。鮮烈な赤が銀髪に映えそう。
それと黒い長靴、手袋、目を保護するゴーグル。
うーん、黒以外の服を着るのが嫌なのかな? いつも黒を着てるし。
俺のだったらまだマシかも、青色だからヘルの服にも使われてる色だ。
「ヘル、これを着るのが嫌なら俺のと交換する?」
袖を三回くらい折り返せばなんとか着れないこともないだろう。
……あ、ヘルの方が俺のやつは着れないか。
手足は短いだろうけど、ひょっとしたら腹周りは余るかもしれない。……言ってて虚しくなってきた。
「スバルにコレを着せる……? 冗談じゃねえ、そんくらいなら俺が着る」
ヘルは奪い取るようにクロノスの手からツナギを貰い受け、さっきまでの抵抗が嘘のように無駄のない動きで着替えた。
「まったくもう、なんなのよ……後で文句を言うくらいなら最初から自分で選べばよかったのに」
メレもグチグチ文句を言いながら赤色のツナギに着替えた。ちなみにクロノスは青だ。この二色しかないみたい。
気を取り直して、沼を渡りはじめる。視界にいくつか見える突き立てられた丸太が、道を示していた。
「ううっ、気持ち悪い」
目印の丸太に沿って比較的浅いところを進んでいるはずなのだが、道中雨の降る日があったし、いつもよりぬかるみが深くなっているようだった。
ひんやりとした感触が、長靴に覆われたふくらはぎに染みこんでくるかのようだ。
一歩進むごとに足が沈むので、転けないように足を上げて、また踏みこんで、と進むのに時間も体力もどんどん削られていく。
「スバル、どうぞ捕まってください」
「うう、ありがとうクロノス」
足の長いクロノスは俺より進みやすそうだ。
あうう、情けない……もう手を繋ぐのが恥ずかしいとか言ってられる状況でもないので、しがみつく勢いで手を繋ぎ、やっとのことで進んでいく。
「ちょっと、なんなのよこの沼! 進みにくいにもほどがあるわ、こんなのでアマドクガエルを捕まえることなんてできるのかしら?」
「村の近くの方が比較的浅い部分が多いですから、そちらで捕まえられるか試してみましょう」
「ちなみにだけど、村までってどのくらいかかるの?」
俺がやっとのことで進んでいるのに、クロノスは涼しい顔で答えた。
「沼を抜けるのに半日かかりますが、その後はすぐですよ。二刻程度で着きます」
「つまり日が出てる間はずっと毒沼移動になるわけ!? それじゃカエルを捕まえる頃には体力が尽きてるわよ……」
メレはげんなりとした様子で力なく足を運ぶ。
俺達が話している間にもヘルは無言でずかずかと進む。泥が跳ねるのも気にしていないようで、遠くまで行っては俺達をゴーグル越しに睨む。
「おい、早くしろよ」
「ちょっとは気遣いなさいよ、スバルちゃんは小さい分移動が大変なんだから!」
うっ、メレ、小さいは禁句です……落ち込んでいると、メレは俺の顔色に気づいて慌てて弁解する。
「スバルちゃん、小さいのは個性よ! スバルちゃんの魅力をより引き立たせる個性なんだから、可愛くて抱き心地もよくってとってもいいと思うわ! 本当よ?」
「メイヴィル? 何故抱き心地などという単語が出てくるのです? もしやスバルを抱きしめたことがおありで?」
「あらやだークロちゃん、お顔が怖いわよー?」
メレ、誤魔化しきれてないよ? クロノスはメレを無言で威圧している。
「チッ。スバル、俺に掴まれ」
焦れたヘルが俺の腕をとり、強引に背におんぶする。
「ヘル、重いから下ろして!」
「重くねえ。柔らけえ……ちゃんと捕まってろよ」
ヘルは一歩一歩着実に歩みを進めた。俺が歩くよりも断然早い。
俺を気遣う必要がなくなったクロノスも、何か言いたげな素振りをしながらもそれに続き、一人メレが悲鳴を上げた。
「ちょっとアンタ達、待ちなさいよ!」
「……きついなら手を貸しましょうか」
「お断りよ! アタシだってこれでも体力あるんだから。でも、ちょっと、早すぎるわよヘル!!」
「こんな不快なところに長居するなんざ冗談じゃねえ。先に行くぞ」
「待ちなさいってば!」
ヘルは頑なに歩を緩めない。話している最中にも声が遠ざかっていく。
「ねえヘル、みんなで一緒に行こうよ、このままじゃはぐれちゃう」
「別にいいだろ、俺はあいつらと仲良く友達ごっこしたいわけじゃねえ。スバルがいればそれでいい」
「だめだよ、こんなところではぐれたら、もしものことがあるかもしれない」
「ねえよ」
「ヘル、下ろして!!」
ヘルは説得に耳を貸さずにずんずん歩いていく。俺はなんとか下りようと身をよじらせたが、その度にヘルに抱えなおされてしまう。
「じっとしてろよ、危ねえから」
「ヘルが下ろしてくれたらやらないよ!」
「チッ」
耳のすぐ傍で忌々しげな舌打ちが聞こえた。
こ、怖くないよ! 眼帯の上にゴーグルかけてて目がほとんど見えない怪しい人になってるけど、ヘルが優しいことはちゃんとわかってるんだ。
「ヘル、お願いだから、もう少しゆっくり歩いてほしい」
俺が真剣に訴えかけると、ヘルは沈黙の後で寂しげな声を漏らした。
「……俺はスバルがいればそれでいいのに、お前はそうじゃないんだな」
ヘルの言葉にとっさに言い返せなかった。
俺にとってここは見知らぬ世界だから、俺に親切にしてくれた人とはなるべく仲良くしたいし、別れたくない。
不安なんだ、いつかヘルが、メレが、もしかしたらクロノスも、俺から離れていってしまうのが。
そしたら俺はこの知らない世界で、ひとりぼっちになってしまう。
けれど、ヘルにとってはみんなでいることが負担なのかな……俺がヘルに気持ちを返せない以上、離れた方がお互いのためになるんだろうか?
沈黙が続くと共にヘルの足が鈍り、メレが文句を言いながらもついてこられているのがわかった。
「はあ、はあ、きっついわぁ……あとどのくらいあるの?」
「半分程度進んだと思いますよ」
「まだ半分なの!?」
ずっとストイックに前を見つめるヘルは疲れた様子を見せない。
「ヘル、そろそろ一回休憩しない? ずっと俺を背負ってたんじゃ疲れるし」
「なんともねえよ」
「はい! アタシ休憩したい!! ヘル! アンタいい加減に協調性ってやつを少しは持ちなさい!!」
「ハッ」
メレが抗議の声を上げたが、ヘルはそれを鼻で笑う。そのまま進むかと思われた足が、唐突に止まった。
クロノスもすぐに追いついて、前方に広がる景色に声を失う。
「道が……」
今まで微かに続いていた道は跡形もなく、そこには水浸しの毒の水たまりが、延々と地平近くまで続いていた。
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