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第一章 領主の屋敷と青嵐の導き
13 回る火の勢いは風のごとく
しおりを挟む長い廊下を走って移動し、メレに手を引かれて階段を上る。瞬く間に三階まで駆け上り、様子を伺った。
三階は既に廊下にまで、もくもくと煙が立ち込めていた。
二人で顔を見合わせ、煙の無いところまで引き返す。
「スバルちゃん。想定外の事態だから、この先何があるかわからないわ。アタシ一人で行ってもいいけど……」
「嫌だ! 一緒に行く」
「そう言うと思ったわ」
メレは俺の両肩に手を置いて、顔を覗き込んだ。
「いいわ。アタシの魔力、存分に使いなさい」
「メレ、気づいて……?」
俺が驚いていると、メレは肩を竦めた。
「スバルちゃんが魔法を使った時にね。何となく、かつてのアタシが魔力を使った時と、同じ感触がしたの」
「ごめん、勝手に使っちゃって……」
俺が謝ると、メレは晴れやかな笑顔と共に首を振った。
「いいの。他人の魔力を使える人がいるなんて、この目で見るまで信じられなかったけど……アタシの魔力が正しく発動してるのを見て、正直涙が出る程嬉しかった。もがれた翼を取り返したような気分よ」
柔らかな桃色の髪色とは対照的に、濃いブラウンの瞳にはパチパチと赤い光が情熱的に燃え盛っていた。
強い意志と力を秘めた、血よりもなお赤く熱い炎だ。
「アタシの魔力、アンタに預けるわ。アタシ達二人で力を合わせて、必ず二人共無事に帰るの。約束よ?」
「うん、わかった。約束する!」
メレはにっこりと俺に微笑んでみせた。今の表情、ぜひ残念化粧が無いバージョンで見たかった。絶対かっこよかっただろうに。
「アタシは火属性だから、火に対して火の魔力を注げば、一時的に火を押し退けることができるわ。こう、覆い茂った草木を搔き分けるみたいにね。消すことはできないけど」
へえ、そんなこともできるんだ。魔力って不思議だね、今度時間がある時にもっと詳しく知りたいな。
「さて、じゃあ慎重に行くわよ。この布を使いなさい、あまり煙を吸い込まないようにね」
白いハンカチを渡され、それを口元に当てた。メレは片手にナイフを持ち、俺はメレのハンカチを持っている方の腕を掴ませてもらう。
素肌に触れていないと、魔力を引き出せないみたいだからね。
俺達は一歩一歩、慎重に足を進める。奥に行くに従って煙の量が増え、炎の熱気が迫ってくる。
火の元と思われる部屋の辺りから、盛大に咳き込む音が聞こえた。
黒いスーツを着た人影が片膝をついてしゃがみこんでいる。次いで赤い髪と、眼鏡の反射光が見えて……クロノスさんだ!
「クロノスさん!」
「っ、ごほっ、スバル!? なぜここに、っ!」
「アンタ何してんのよ!! まだ証拠揃わないの?」
メレが鋭く問うと、クロノスさんは俺達の方へ視線を彷徨わせ、力なく首を振った。
「その声、メイヴィル、ですよね? 証拠は既に、見つけだしスティーブに持たせてあります……っ、私は、個人的に探したい物が、うっ!」
クロノスさんは半分燃え落ちた部屋の中で、激しく咳きこんだ。メレは慌てた様子でクロノスさんの口に布を押しつける。
「クロちゃん、大分煙吸ったんでしょ!? これ以上ここにいると命の危険があるわ、早く逃げましょ」
クロノスさんは渋る様子を見せたが、目を閉じ、諦めて受け入れる。
「そう、ですね……これ以上私事に、かまけている場合ではない……ごほっ……戻りましょう」
クロノスさんの着けていた白手袋は煤色に変色し、袖口も焦げていた。
うかうかしていたら、袖口どころか全身燃えちゃうよ! 早く脱出しなきゃ。
俺はクロノスさんの露出している手首を掴み、風の魔法で煙を吹き飛ばしながら進んだ。
あんまりやると火の手が増しちゃうから、進む先をちょっとだけ払って、視界を明るくする。
やがて三階から降り、二階へと戻ってこれた。ここまでは煙も来ていないみたいだ。ほっと息を吐き出す。
「あ、クロノス! 無事だったか?」
「クロノス!!」
スティーブくんとマシューくんが息を切らせながら駆け寄ってくる。
「ボスに証拠を届けておいた。探し物は見つかったのか?」
「いえ……」
スティーブくんの問いかけにクロノスさんが否を返すと、マシューくんは嘆きの声を上げた。
「ごめん、ごめんなさい! 僕のせいで……!」
「いいえ……きっと私の手元には残らない運命だったのです」
「それでいいのか? その為に俺らに今まで協力してくれてたんだろ?」
クロノスさんは口を引き結んだまま視線を床に落とした。
その目には諦めきれないとハッキリ書いてあったけれど、足は火から遠ざかるように動いた。
「庭に向かいましょう。二階に火の手が回らないよう、大量の水が必要になります」
一人背を向けて歩き出すクロノスさんにメレが走り寄る。俺達三人も後ろから追いかけた。
「スティーブくんだったよね、クロノスさんの探し物って何か知ってる?」
スティーブくんはピクリと肩を揺らして、両腕を摩る。
「おい、君付けすんなよ、なんかムズムズするじゃん。呼び捨でいいよ、スバル」
「あ、うん。わかった、スティーブ」
スティーブくんは早足でそそくさと歩いていくので、遅れないように駆け寄り隣に並んだ。
「クロノスは、領主から親父さんの形見を取り返したくて、それが理由で俺達に協力してたんだ。やっと手に入るかもって時に、この馬鹿がパニくってやらかしてさ」
「ごめんなさい! ごめんなさい!! もう絶対しないから!!」
「その言葉忘れんなよ。つってももう遅いけど」
「うううぅ~」
意気消沈するマシューくんは、頭を抱えているけど、クロノスさんの気持ちを考えると下手な慰めはできそうにない。
ぐるぐると考えているうちに池に辿り着き、消火活動が始まった。池の水を桶で掬って三階まで持っていく。大変な作業だった。
途中出会ったレジスタンスの仲間も、逃げずに残った屋敷の使用人も、敵味方関係なく消火活動に勤しむが、なかなか火の勢いは治らない。
どうしよう、どうすれば……一際よく働くクロノスさんを見ていると、胸が締め付けられる思いだった。
なんとかしてあげたい、今ならまだ、クロノスさんのお父さんの形見も、炎に巻かれて焼けてしまっていないかもしれないんだ。
どうすればいい、炎を消すには……
咄嗟に頭に浮かんだのはロウソクの火を消す方法だった。水がなくても火は消える、火が燃えるために必要なのは……
「……っ! そうか!!」
俺は思いついたことを実行に移すべく、クロノスさんを捕まえた。
「クロノスさん! お願い、力を貸して!」
「スバル?」
俺は池のほとりから三階を包む炎を見上げた。クロノスさんと繋いだ手から彼の魔力を取り入れる。
俺は脳裏に巨大な布で炎を包みこむようにイメージし、それを魔力を使って形にする。
炎を空気の膜で遮断し、閉じ込めるんだ。ロウソクを瓶の中に入れて、蓋で密封するのと同じように。
酸素が無ければ火は消える。これは魔法で産まれた炎だから、上手くいくか少し不安だったけれど、しばらく空間を遮断していると火の勢いが明らかに弱まり始めた。
「よし! もう少し!」
「スバル? 一体何をして……」
炎はみるみるうちに小さくなり、やがて煙がくすむばかりとなった。
ふと、流れ込む魔力の量がガクンと減ったのを感じてクロノスさんを振り仰ぐ。
「……っ、目眩が」
「えっ? クロノスさん!? っとと!」
クロノスさんは立っていられなかったようで倒れそうになった。俺はとっさに支えるようとする、が。
ぐぅっ、流石にクロノスさん、俺より大分身長あるから支えきれない……!
「おい、どうした!」
ヘルが駆けつけてくれて、倒れ込まないよう俺ごと受け止めてくれた。
ヘルはフラフラなクロノスさんに気づいて、彼に肩を貸す。
「っ、すみません、力が入らず」
「黙ってろ。安全な場所まで運ぶぞ」
後のことはアタシ達に任せなさい、と頼もしく肉厚な偽胸板を叩いたメレを残して、漆黒から群青に色を変え始めた夜空の下、俺達三人は一足先にアジトへと帰った。
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