37 / 41
第六章 墓参り
1
しおりを挟む
本堂への参詣もそこそこに、杉線香を買って墓地の区画まで歩いていく。夏葉が眠る墓は墓地の中心部にあった。
「青木家之墓……ここだな」
墓は綺麗に管理されていた。花は飾られていなかったから、買ってきた仏花を供花として供える。巽も僕に習い、反対側の花立に花を飾っていた。
無言のまま杉線香を取り出し、ろうそくに火をつける。杉線香に火を移すと、入道雲が立ち昇る夏空にもくもくと煙が上がっていった。
巽は僕の苗字と墓に掘られた名前が違うことに、気がついただろうか。まあ、気づくよな普通……何も聞かない彼の気遣いに甘えて、素知らぬフリで墓石を見つめ続けた。
蝉の声が痛いくらい耳につく。遮る日陰のない墓場で汗を流しながら、僕は墓石の前で跪いて手を合わせた。
(夏葉、久しぶり。今日、和泉は来ていないんだ、ごめんな。あいつ受験で忙しくってさ)
大吾にあわせて今の学力より上の大学を狙うってきかないから、今必死に猛勉強しているんだ。
それなのに高校生のうちに旅行に行きたいとか言い出して、先月は熱海に行ってきたよ。お前と旅行した時のことを思い出して懐かしかったな。
僕の仕事は相変わらずって感じだよ。ああ、ちょっとプライベートで新しい知り合いができたりしたかな。
色々あるけど、それなりに頑張ってる。お前がいなくてもなんとかやれてるよ。料理はいつまでたっても下手なままだけど。
語りかけると、その度に記憶の中の夏葉が驚いたり笑ったりする。実際には声も気配も感じられないけれど、僕の心の中で彼女は確かに生きていた。
『そうなんだ。郁巳も和泉も、頑張ってるのね』
(うん)
記憶の中の夏葉は朗らかに笑う。
『いい出会いがあったんだね、楽しそうでよかった。私はアンタと和泉が幸せなのが一番嬉しいから』
「……っ」
いかにも夏葉が言いそうなことだ。けれどその言葉は今の僕にとっては痛い。
(幸せだなんて。そんなこと)
これ以上は求めるべきじゃない。頭を横に振って余計な思考を追い出した。立ち上がると、背後にいた巽が声をかけてくる。
「もういいんですか」
「ああ、うん」
生返事をすると、巽も墓の前で一礼し手を合わせた。ぼーっと見守っていると、彼は生真面目な口調で墓石に向かって語りはじめる。
「はじめまして、夏葉さん。私は森栄巽と申します」
にこやかな笑みを浮かべながら墓石に挨拶する巽を、不思議な生き物でも見るかのように眺める。まるで夏葉が生きてるみたいに語りかけている様が自然で、胸が疼いた。
「いつも郁巳さんにはお世話になっております。彼は思いやりに溢れた優しい人で、いつも一生懸命で可愛らしくて、側にいて支えたくなる魅力があります。貴方が結婚相手として選んだだけはありますね」
「や、やめろよ」
なんで急に僕のことを褒めそやしているんだ。こんなことで絆されて気持ちを暴露したりしないぞと半眼で睨むと、彼は横目でフッと笑ってから墓石に視線を戻した。
「実は不躾ながらお願いがあるのですが、聞いていただけますか」
巽は顔を上げて、しっかりとした口調で宣言した。
「貴方の夫のこれからの人生を、私にください」
「ええっ? いきなり何を言いだすんだ」
慌てて周りを見渡し、人影がないことに安心していると巽に手をとられる。
「郁巳さん、お願いです。私は貴方を愛しています、貴方を慈しみ、側にいて支えることを許してほしいんです」
「……なんで、そこまで」
僕は巽に熱烈に想われるほどのことをしただろうか。覚えがなくて、くすぐったく思いながらもどこか不可解で、巽から視線を背けた。
「聞いていただけますか?」
どうしよう。聞いてしまえば、ますます巽に惹かれてしまうかもしれない。これ以上好きになってしまったら、気持ちを伝えたくなるかもしれない……
(聞くだけなら、いいだろうか)
迷った末に頷くと巽は静かな、それでいて隠しきれない情熱のこもった声で内心を吐露した。
「私達が出会う五年も前から、ずっと貴方のことを見ていました。どこか陰りのある美しい人……その背中を抱きしめて差し上げたかった」
「そんなに前から知られていたのか?」
「ええ。子どもがいるようなので妻帯者なのだろうと、ずっと家の窓から見つめるだけで満足していました」
いつもの通勤路で見かけられていたのだろう。毎日あくせくしながら過ごしていた僕は、全然巽の視線に気がつかなかった。
「実際に知りあってみて、ますます惹かれました。貴方の危うさと可愛らしさ、それに妖艶さと弱さ……とにかく貴方の一挙一動が私の心の琴線を引っ掻き、誘惑されました」
「誘惑なんてしてないんだけどな」
そんなに物欲しそうな、寂しそうな素振りを見せていただろうか……ずっと観察されていたのなら、僕がなかなか気づかなかった寂しさも彼には筒抜けだったのかもしれない。
「最初は好みの男に対する好奇心から貴方に近づきました。けれど今は違う。貴方の弱さごと、寂しさごと抱きしめて差し上げたい」
ハッと巽の方を振り返った。じりじりと傾きはじめた太陽が、頬を焼いていく。熱くてたまらないのに、彼の眼鏡の奥の瞳から視線が離せない。
「妻を愛する貴方ごと、郁巳さんを愛します。どうか私の想いを受け入れてくれませんか」
「……っぅ」
びっくりしすぎて喉がつっかえた。思い切り目を見開き巽を見つめるけど、彼は自分の気持ちに間違いはないと告げるように、まっすぐに僕を視線で貫く。
夏葉のことを忘れなくていいと言われるなんて予想外だった。僕の全てを受け止め愛したいだなんて……熱烈な告白に、胸の鼓動がうるさいくらいに体内で響いている。
暑い、熱い、夏の日差しが、注がれる視線が、流れる汗が、繋いだままの手が、彼の想いが……あつくて堪らない。
くらくらと揺れる心は身体の芯まで溶かしたようで、僕はふらりと巽の胸に倒れこんだ。ベルガモットの香水の香りと彼自身の体臭が混ざりあった魅惑の匂いに捉えられて、もう一人で立つことすらできなさそうだ。
「郁巳さん? 大丈夫ですか? ここは暑すぎますね……涼しい場所に移動しましょうか」
手を引かれて墓場から連れだされる。振り返って見た彼女の幻影は、優しげな笑みを浮かべたままだった。
『アンタの心のままに生きなよ。私のことなんていつまでも引きずらないでよね? 私はアンタと和泉が幸せなのが一番嬉しいから』
夏葉の言葉が胸に響いて、いつまでも頭の中でリフレインしていた。
「青木家之墓……ここだな」
墓は綺麗に管理されていた。花は飾られていなかったから、買ってきた仏花を供花として供える。巽も僕に習い、反対側の花立に花を飾っていた。
無言のまま杉線香を取り出し、ろうそくに火をつける。杉線香に火を移すと、入道雲が立ち昇る夏空にもくもくと煙が上がっていった。
巽は僕の苗字と墓に掘られた名前が違うことに、気がついただろうか。まあ、気づくよな普通……何も聞かない彼の気遣いに甘えて、素知らぬフリで墓石を見つめ続けた。
蝉の声が痛いくらい耳につく。遮る日陰のない墓場で汗を流しながら、僕は墓石の前で跪いて手を合わせた。
(夏葉、久しぶり。今日、和泉は来ていないんだ、ごめんな。あいつ受験で忙しくってさ)
大吾にあわせて今の学力より上の大学を狙うってきかないから、今必死に猛勉強しているんだ。
それなのに高校生のうちに旅行に行きたいとか言い出して、先月は熱海に行ってきたよ。お前と旅行した時のことを思い出して懐かしかったな。
僕の仕事は相変わらずって感じだよ。ああ、ちょっとプライベートで新しい知り合いができたりしたかな。
色々あるけど、それなりに頑張ってる。お前がいなくてもなんとかやれてるよ。料理はいつまでたっても下手なままだけど。
語りかけると、その度に記憶の中の夏葉が驚いたり笑ったりする。実際には声も気配も感じられないけれど、僕の心の中で彼女は確かに生きていた。
『そうなんだ。郁巳も和泉も、頑張ってるのね』
(うん)
記憶の中の夏葉は朗らかに笑う。
『いい出会いがあったんだね、楽しそうでよかった。私はアンタと和泉が幸せなのが一番嬉しいから』
「……っ」
いかにも夏葉が言いそうなことだ。けれどその言葉は今の僕にとっては痛い。
(幸せだなんて。そんなこと)
これ以上は求めるべきじゃない。頭を横に振って余計な思考を追い出した。立ち上がると、背後にいた巽が声をかけてくる。
「もういいんですか」
「ああ、うん」
生返事をすると、巽も墓の前で一礼し手を合わせた。ぼーっと見守っていると、彼は生真面目な口調で墓石に向かって語りはじめる。
「はじめまして、夏葉さん。私は森栄巽と申します」
にこやかな笑みを浮かべながら墓石に挨拶する巽を、不思議な生き物でも見るかのように眺める。まるで夏葉が生きてるみたいに語りかけている様が自然で、胸が疼いた。
「いつも郁巳さんにはお世話になっております。彼は思いやりに溢れた優しい人で、いつも一生懸命で可愛らしくて、側にいて支えたくなる魅力があります。貴方が結婚相手として選んだだけはありますね」
「や、やめろよ」
なんで急に僕のことを褒めそやしているんだ。こんなことで絆されて気持ちを暴露したりしないぞと半眼で睨むと、彼は横目でフッと笑ってから墓石に視線を戻した。
「実は不躾ながらお願いがあるのですが、聞いていただけますか」
巽は顔を上げて、しっかりとした口調で宣言した。
「貴方の夫のこれからの人生を、私にください」
「ええっ? いきなり何を言いだすんだ」
慌てて周りを見渡し、人影がないことに安心していると巽に手をとられる。
「郁巳さん、お願いです。私は貴方を愛しています、貴方を慈しみ、側にいて支えることを許してほしいんです」
「……なんで、そこまで」
僕は巽に熱烈に想われるほどのことをしただろうか。覚えがなくて、くすぐったく思いながらもどこか不可解で、巽から視線を背けた。
「聞いていただけますか?」
どうしよう。聞いてしまえば、ますます巽に惹かれてしまうかもしれない。これ以上好きになってしまったら、気持ちを伝えたくなるかもしれない……
(聞くだけなら、いいだろうか)
迷った末に頷くと巽は静かな、それでいて隠しきれない情熱のこもった声で内心を吐露した。
「私達が出会う五年も前から、ずっと貴方のことを見ていました。どこか陰りのある美しい人……その背中を抱きしめて差し上げたかった」
「そんなに前から知られていたのか?」
「ええ。子どもがいるようなので妻帯者なのだろうと、ずっと家の窓から見つめるだけで満足していました」
いつもの通勤路で見かけられていたのだろう。毎日あくせくしながら過ごしていた僕は、全然巽の視線に気がつかなかった。
「実際に知りあってみて、ますます惹かれました。貴方の危うさと可愛らしさ、それに妖艶さと弱さ……とにかく貴方の一挙一動が私の心の琴線を引っ掻き、誘惑されました」
「誘惑なんてしてないんだけどな」
そんなに物欲しそうな、寂しそうな素振りを見せていただろうか……ずっと観察されていたのなら、僕がなかなか気づかなかった寂しさも彼には筒抜けだったのかもしれない。
「最初は好みの男に対する好奇心から貴方に近づきました。けれど今は違う。貴方の弱さごと、寂しさごと抱きしめて差し上げたい」
ハッと巽の方を振り返った。じりじりと傾きはじめた太陽が、頬を焼いていく。熱くてたまらないのに、彼の眼鏡の奥の瞳から視線が離せない。
「妻を愛する貴方ごと、郁巳さんを愛します。どうか私の想いを受け入れてくれませんか」
「……っぅ」
びっくりしすぎて喉がつっかえた。思い切り目を見開き巽を見つめるけど、彼は自分の気持ちに間違いはないと告げるように、まっすぐに僕を視線で貫く。
夏葉のことを忘れなくていいと言われるなんて予想外だった。僕の全てを受け止め愛したいだなんて……熱烈な告白に、胸の鼓動がうるさいくらいに体内で響いている。
暑い、熱い、夏の日差しが、注がれる視線が、流れる汗が、繋いだままの手が、彼の想いが……あつくて堪らない。
くらくらと揺れる心は身体の芯まで溶かしたようで、僕はふらりと巽の胸に倒れこんだ。ベルガモットの香水の香りと彼自身の体臭が混ざりあった魅惑の匂いに捉えられて、もう一人で立つことすらできなさそうだ。
「郁巳さん? 大丈夫ですか? ここは暑すぎますね……涼しい場所に移動しましょうか」
手を引かれて墓場から連れだされる。振り返って見た彼女の幻影は、優しげな笑みを浮かべたままだった。
『アンタの心のままに生きなよ。私のことなんていつまでも引きずらないでよね? 私はアンタと和泉が幸せなのが一番嬉しいから』
夏葉の言葉が胸に響いて、いつまでも頭の中でリフレインしていた。
435
お気に入りに追加
1,435
あなたにおすすめの小説
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式の話
八億児
BL
架空の国と儀式の、真面目騎士×どスケベビッチ王。
古代アイルランドには臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式があったそうで、それはよいものだと思いましたので古代アイルランドとは特に関係なく王の乳首を吸ってもらいました。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
皇帝陛下の精子検査
雲丹はち
BL
弱冠25歳にして帝国全土の統一を果たした若き皇帝マクシミリアン。
しかし彼は政務に追われ、いまだ妃すら迎えられていなかった。
このままでは世継ぎが産まれるかどうかも分からない。
焦れた官僚たちに迫られ、マクシミリアンは世にも屈辱的な『検査』を受けさせられることに――!?
男子寮のベットの軋む音
なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。
そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。
ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。
女子禁制の禁断の場所。
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる