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第五章 変化
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海鮮丼はあの頃と変わらず美味しかった。なんだか胸がつかえて、完食することができなかったので残りを和泉にあげると喜んで食べていた。食べ盛りの息子がいて助かる。
「郁巳さん、食欲がないんですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど。ちょっと量が多かっただけだ」
「そうですか。もう少し食べられたらよかったですが」
服の下を見透かすような視線を向けられて、巽からそっと視線を外す。昨日あれだけヤッたってのにまだムラムラしているのかと呆れながらも、顔が赤くなってしまう。逃げるように立ち上がり会計した。
車に乗り込んで、最後に土産物屋に寄ってから家に帰ることになった。会社用にと当たり障りのない名物を購入しておく。
無意識のうちに巽の姿を探している自分に気づいて、首を横に振りながら入り口前で彼らが出てくるのを待つ。
自分の影をぼんやり見つめていると、後ろから来ていた巽に背を叩かれた。
「お待たせしました、行きましょうか」
最後の寄り道を済ませて助手席に腰掛けた。とうとう三連休も終わるなあと、車窓から景色を見ながら思いを馳せる。後部座席の二人は珍しいことに、仲良く眠りについていた。
「なあ、後ろ見たか? 寝てるぞ」
「全力で遊びましたからね。そっとしておいてあげましょう」
横目で巽を見るが、疲れた様子は微塵もない。もしかして顔に出ないタイプなのか?
「お前は? 疲れてないのか」
「ええ、全然。郁巳さんと触れあえたおかげで元気になりましたから」
な、なんでこんな照れることを平然と言うんだよ。何か言い換えそうとしたけれど、言ってしまうと取り返しのつかないことになる気がして上手く言葉を返せなかった。
(俺も悪くなかった、なんて……そんな風に言ったら、調子に乗られそうだ)
ただじっと巽の横顔を見つめていると、彼は前を向いたまま甘く微笑む。
「そんなに見つめられたら、視線の熱で溶けてしまいそうです」
「何言ってるんだ……そんなわけないだろ」
「ふふ、そうでしょうか」
ああもう、なんでこんな雰囲気になっているんだ。巽も僕と別れ難く感じているのだろうか、だからこんな惑わすようなことを言って……
ソワソワとはしゃぐ心を持て余していると、巽はひっそりと小声で告げる。
「郁巳さん。好きです」
「……やめろよ」
僕をこれ以上ぐらつかせないでほしい。このまま巽の腕の中に飛び込んでしまいたい気持ちと、夏葉との約束を守りたい気持ちで心が揺れている。
でも僕はもう、十分に幸せなはずなんだ。夏葉という愛する人がいて、可愛い息子がいて。これ以上を望むなんてバチが当たりそうな気がして怖い。
なぜ放っておいてくれないんだろうと、理不尽な怒りまで湧いてきてしまう。
(ああ、だとしてももう、離れられない)
巽と会わないと息子に関係をバラすと言われてしまった以上、彼に会わないという選択肢はない。だから僕は、嫌々巽に会わないといけないんだ。
彼の熱に晒されて、体も心も変えられてしまうしか……それはとても甘美で、同時に酷く恐ろしい。
(堕ちてしまった方が、楽なんだろうな)
何も考えずに、彼の情熱に身を任せられたらどんなにいいだろう。そんな風に考えてしまう自分が心許なく感じて、どうしようもなかった。
年月を経ても尚美しい横顔からも、穏やかなのに獰猛さを感じさせる瞳からも、視線を外せない。きっととっくに、巽に恋に落ちているに違いなかった。
(でも僕は、それでも)
認めたくない。変わりたくない……馬鹿だと言われようと、臆病な殻を割って彼の心に応える自分が想像できない。
(それに、そうだ……僕は幸せになっちゃいけない。夏葉を救えなかった僕には、幸せになる資格なんてない)
だから僕は、彼の告白に答えられないんだ。返す言葉もなく拒絶する僕に、巽は何も言わない。
気怠くて優しい空気が僕の曖昧な心を許すかのように、車内をぬるく占拠していた。
*****
長いようで短いドライブは過ぎ去り、夕方にはアパートに帰り着いた。和泉と大吾はあんなに長い間一緒にいたと言うのに、まだまだ語り合いたいらしく二人で話し込んでいる。
呆れながらトランクから荷物をおろしていると、後ろから寄ってきた巽が寄ってきた。
「家まで運びましょうか」
「いや、いいよ。お前こそ疲れただろ、ここまででいいから」
リュックを背負おうとすると、巽からさりげなく小包が差し出された。
「部屋に戻ったら開けてみてください。私からのプレゼントです」
「え? そんな、別にいいのに」
彼は潜めた声で、僕の耳元にささやいてくる。
「貴方との思い出がどうしてもほしかったんです。私のワガママを受け入れてもらえませんか?」
低く色っぽい声が耳朶を打つ。軽く装いながらも切実な響きを帯びた声に、お腹の底がじわりと熱くなった気がした。
「……っ、その言い方は、ずるいって」
「ふふ」
企むように笑って去っていく後ろ姿を、恨みがましく眺める。やっと大吾と別れを済ませた和泉が自分の荷物を回収しにきた。
「あれ、どうしたの父さん。顔が赤いけど体調崩しちゃった?」
「ああ、いや。なんでもないよ」
森栄親子と別れてアパートの部屋に戻ると、和泉は僕と顔を見合わせて笑う。
「旅行、終わっちゃったね」
「そうだな。楽しめたか?」
「すごくね。高校生のうちに大吾と旅行できて、本当に最高だった」
夢見るような表情に苦笑していると、また惚気てしまったと慌てた和泉は、ごかますように言葉を続ける。
「父さんも、ついてきてくれてありがとう。思ったより楽しめたみたいだし、よかったんじゃない?」
「それは、まあ……」
楽しくなかったと言えば嘘になる。色々と巽の暴走が大変だったけれど、終わってみるとなんだか惜しいような、もうちょっと一緒に色々したかったなと思うまでになっていた。
和泉はうーんと伸びをして、自室に向かって歩いていく。
「でも疲れたよねー、ちょっと部屋で休む」
「そうだな、休んでこい」
僕も自室に入って休もう。一人になると、ホッと息を吐き出した。
「あー、疲れた……」
やはり旅行は楽しいけれど体力を使うなあと、ベッドの縁に座りこんだ。昼はがっつり食べたし今晩は簡単なご飯でいいなと考えながら荷物整理をした後、残った小包を手に持つ。
プレゼントかあ、一体何を買ったんだろう。洗練されたセンスを持つ巽のことだから、きっとオシャレな物か有名な菓子か何かだろうと包みを開けていく。
「郁巳さん、食欲がないんですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど。ちょっと量が多かっただけだ」
「そうですか。もう少し食べられたらよかったですが」
服の下を見透かすような視線を向けられて、巽からそっと視線を外す。昨日あれだけヤッたってのにまだムラムラしているのかと呆れながらも、顔が赤くなってしまう。逃げるように立ち上がり会計した。
車に乗り込んで、最後に土産物屋に寄ってから家に帰ることになった。会社用にと当たり障りのない名物を購入しておく。
無意識のうちに巽の姿を探している自分に気づいて、首を横に振りながら入り口前で彼らが出てくるのを待つ。
自分の影をぼんやり見つめていると、後ろから来ていた巽に背を叩かれた。
「お待たせしました、行きましょうか」
最後の寄り道を済ませて助手席に腰掛けた。とうとう三連休も終わるなあと、車窓から景色を見ながら思いを馳せる。後部座席の二人は珍しいことに、仲良く眠りについていた。
「なあ、後ろ見たか? 寝てるぞ」
「全力で遊びましたからね。そっとしておいてあげましょう」
横目で巽を見るが、疲れた様子は微塵もない。もしかして顔に出ないタイプなのか?
「お前は? 疲れてないのか」
「ええ、全然。郁巳さんと触れあえたおかげで元気になりましたから」
な、なんでこんな照れることを平然と言うんだよ。何か言い換えそうとしたけれど、言ってしまうと取り返しのつかないことになる気がして上手く言葉を返せなかった。
(俺も悪くなかった、なんて……そんな風に言ったら、調子に乗られそうだ)
ただじっと巽の横顔を見つめていると、彼は前を向いたまま甘く微笑む。
「そんなに見つめられたら、視線の熱で溶けてしまいそうです」
「何言ってるんだ……そんなわけないだろ」
「ふふ、そうでしょうか」
ああもう、なんでこんな雰囲気になっているんだ。巽も僕と別れ難く感じているのだろうか、だからこんな惑わすようなことを言って……
ソワソワとはしゃぐ心を持て余していると、巽はひっそりと小声で告げる。
「郁巳さん。好きです」
「……やめろよ」
僕をこれ以上ぐらつかせないでほしい。このまま巽の腕の中に飛び込んでしまいたい気持ちと、夏葉との約束を守りたい気持ちで心が揺れている。
でも僕はもう、十分に幸せなはずなんだ。夏葉という愛する人がいて、可愛い息子がいて。これ以上を望むなんてバチが当たりそうな気がして怖い。
なぜ放っておいてくれないんだろうと、理不尽な怒りまで湧いてきてしまう。
(ああ、だとしてももう、離れられない)
巽と会わないと息子に関係をバラすと言われてしまった以上、彼に会わないという選択肢はない。だから僕は、嫌々巽に会わないといけないんだ。
彼の熱に晒されて、体も心も変えられてしまうしか……それはとても甘美で、同時に酷く恐ろしい。
(堕ちてしまった方が、楽なんだろうな)
何も考えずに、彼の情熱に身を任せられたらどんなにいいだろう。そんな風に考えてしまう自分が心許なく感じて、どうしようもなかった。
年月を経ても尚美しい横顔からも、穏やかなのに獰猛さを感じさせる瞳からも、視線を外せない。きっととっくに、巽に恋に落ちているに違いなかった。
(でも僕は、それでも)
認めたくない。変わりたくない……馬鹿だと言われようと、臆病な殻を割って彼の心に応える自分が想像できない。
(それに、そうだ……僕は幸せになっちゃいけない。夏葉を救えなかった僕には、幸せになる資格なんてない)
だから僕は、彼の告白に答えられないんだ。返す言葉もなく拒絶する僕に、巽は何も言わない。
気怠くて優しい空気が僕の曖昧な心を許すかのように、車内をぬるく占拠していた。
*****
長いようで短いドライブは過ぎ去り、夕方にはアパートに帰り着いた。和泉と大吾はあんなに長い間一緒にいたと言うのに、まだまだ語り合いたいらしく二人で話し込んでいる。
呆れながらトランクから荷物をおろしていると、後ろから寄ってきた巽が寄ってきた。
「家まで運びましょうか」
「いや、いいよ。お前こそ疲れただろ、ここまででいいから」
リュックを背負おうとすると、巽からさりげなく小包が差し出された。
「部屋に戻ったら開けてみてください。私からのプレゼントです」
「え? そんな、別にいいのに」
彼は潜めた声で、僕の耳元にささやいてくる。
「貴方との思い出がどうしてもほしかったんです。私のワガママを受け入れてもらえませんか?」
低く色っぽい声が耳朶を打つ。軽く装いながらも切実な響きを帯びた声に、お腹の底がじわりと熱くなった気がした。
「……っ、その言い方は、ずるいって」
「ふふ」
企むように笑って去っていく後ろ姿を、恨みがましく眺める。やっと大吾と別れを済ませた和泉が自分の荷物を回収しにきた。
「あれ、どうしたの父さん。顔が赤いけど体調崩しちゃった?」
「ああ、いや。なんでもないよ」
森栄親子と別れてアパートの部屋に戻ると、和泉は僕と顔を見合わせて笑う。
「旅行、終わっちゃったね」
「そうだな。楽しめたか?」
「すごくね。高校生のうちに大吾と旅行できて、本当に最高だった」
夢見るような表情に苦笑していると、また惚気てしまったと慌てた和泉は、ごかますように言葉を続ける。
「父さんも、ついてきてくれてありがとう。思ったより楽しめたみたいだし、よかったんじゃない?」
「それは、まあ……」
楽しくなかったと言えば嘘になる。色々と巽の暴走が大変だったけれど、終わってみるとなんだか惜しいような、もうちょっと一緒に色々したかったなと思うまでになっていた。
和泉はうーんと伸びをして、自室に向かって歩いていく。
「でも疲れたよねー、ちょっと部屋で休む」
「そうだな、休んでこい」
僕も自室に入って休もう。一人になると、ホッと息を吐き出した。
「あー、疲れた……」
やはり旅行は楽しいけれど体力を使うなあと、ベッドの縁に座りこんだ。昼はがっつり食べたし今晩は簡単なご飯でいいなと考えながら荷物整理をした後、残った小包を手に持つ。
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