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第五章 変化

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 腰がおかしくなるくらいに抱かれた翌日、僕はぐったりしながら駐車場を歩いていた。自然と前屈みになる腰を巽が支えて車に乗せてくれたが、恨めしい目で見てしまう。

「もうちょっと手加減してくれてもよかったのに」

 小声で抗議すると、にこりと笑顔で交わされた。

「郁巳さんが魅力的すぎるんです」

 こいつ……何か言い返そうとしたタイミングで、和泉と大吾が荷物を抱えて車の方に向かってきた。

「親父、これで全部だ」
「忘れ物はないか?」
「ない」

 二人が後部座席に乗り込むと、車はスムーズに出発する。和泉が遠慮がちに声をかけてきた。

「父さん、昨日は急に巽さんと部屋変わってもらってごめんね?」

 ううっ、和泉……! お前のせいで父さんは酷い目にあったんだぞっ!? しかし、だったら何があったのかと尋ねられたら、死んでも言いたくはない。

 なんとか誤魔化せますようにと祈りながら、引きつった笑いを返した。

「ああ、気にしてないよ」
「なんかあの後筋肉痛になったって聞いたけど大丈夫?」
「えーと、ちょっと腕とか腰とか太ももが痛いような……昨日泳ぎ過ぎたかなー、ははは」

 乾いた笑いを漏らすと、和泉はしょうがないなと苦笑する。

「父さん、あれだけの運動量で筋肉痛になるなんて、運動不足なんじゃない? 巽さんみたいに体を鍛えた方がいいと思うよ」
「そうだなあ、考えておくよ」

 今後も昨夜のような調子で抱かれるとしたら身が保たない。どうやら巽からは逃げられそうにないし、それに……好き、かもしれないし。

 ぽぽっと頬を染めながら、家に戻ったらスポーツジムでも探してみるかと考えた。

 大吾が窓の外を見ながら話題を変える。

「昼まで宿でゆっくりしちまったな、今日はこのまま帰るんだっけ」
「いや、これから郁巳さんが美味しいとおすすめしていた、海鮮丼の店に向かうよ」
「海鮮丼ですかっ? やった!」

 魚介好きな和泉は手放しで喜んでいる。小さい頃に連れてきてやったけど覚えてるかな。店は記憶していたよりも山奥にあり、砂利道をガリガリ上っていった先に駐車場があった。

 ホームページよりも古めかしい印象の店構えを懐かしく眺める。看板を見ているうちに、夏葉が満足気に腹をさすりながら、とびきりの笑顔で語りかける姿が鮮明に浮かんだ。

『ねえ郁巳、和泉、美味しかったねえ! また来ようね、次いつにしようか』

 結局その約束は、叶えられることがなかったんだよな……

 また来年も熱海に来ようかなんて言っていたのに、次の夏には夏葉の体はボロボロになっていて、とても旅行できる状態ではなかった。

 無機質なバイタル音が耳障りな病室で、夏葉に弱々しく手を握られたことまで連鎖的に蘇る。

『旅行、また行こうって言ったのに、無理だったね。約束を破っちゃって、ごめん』

 悲しげな夏葉の笑顔が、母さんの嘘つきと責める和泉の悲痛な叫びが、今もまだ脳裏に焼き付いている。

 どうしよう、思い出が胸に迫ってきて、苦しい。俯いて思い詰めた表情でいると、巽が僕の背中に手を添えた。

「郁巳さん? どうかしましたか」
「ああ、いや……なんでもないよ」

 和泉も覚えているのだろうかと彼を振り向くと、大吾と一緒に何やら嬉しそうにはしゃいでいた。よかったと救われた気分になりながら、ため息を吐いて気持ちを切り替え、店内に入る。

「予約していた花屋敷ですが」
「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」

 通されたのは足の部分が掘りごたつのようになっている和風の部屋だった。和泉はよほど浮かれているのか、大吾の手を引いて隣同士に座ってしまった。

 ああっ、和泉の隣は僕のポジションだったのに! おのれ大吾め……

「私たちも座りましょうか」
 にこやかな巽に促され渋々彼の隣に座る。しゃがむ時にピキリと腰が痛み、巽の腕に縋りついた。

「郁巳さん? 大丈夫ですか」
「うう、大丈夫だ……」

 幸い痛みは一瞬で、すぐに引いていった。巽は心配そうな顔をしているものの、全く疲れた様子がない。なんでだ、コイツの方が年上なのにと理不尽さを感じた。はあ……運動しなきゃな。

 ああでもないこうでもないと言い合いながらメニューを選び、注文する。やってきた豪華な海鮮丼を見て、和泉は思い出したように目を丸くした。

「あれ、もしかして……父さん、ここって昔来たことある?」
「ああ、母さんと一緒に来ただろ」
「そっか、忘れてたな。あれから色々あったし」

 しみじみと告げる和泉にも、母親がいないことでずいぶん我慢させた記憶がある。

 母を亡くしたばかりの小学生の和泉の姿を思い出し、思わず息子の頭を撫でようとしたが、僕の手が届く前に大吾が和泉の肩を抱いていた。

 無言で励ます大吾に、和泉は嬉しそうに笑って身を任せている。急に和泉が遠くなった気がして、寂しさからぎゅっと手を握りこんだ。

 膝の上に降ろした手に、温かな体温が重なる。ハッと顔を上げると、慈しむような目線が巽から向けられていた。とくんと心臓が跳ねる。なんでだろう、繋がれた手がやけに熱く感じてしまう。

(ああもう、参ったな……)

 巽の優しさが身に沁みた。こんなところで手を繋ぐなんてと理性は叫ぶのに、温かな体温を手放し難く感じる自分がいる。

 和泉と大吾の視線が向いていないのをいいことに、僕は巽に手を握られたまま彼の体温を享受していた。
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