25 / 41
第四章 海へ
2
しおりを挟む
昼食を食べる時間には半島の入り口にまで差し掛かっていて、普段感じることのない潮の匂いが非日常感を強くする。
森栄親子のお気に入りだという創作イタリアンのお店は、カジュアルな雰囲気で居心地がよかった。僕が頼んだトマトソースパスタと和泉の注文した海鮮クリームパスタ、どちらも分け合って食べたが美味しい。
「これいいね、クリームにイカとレモンって今まで試したことなかったけどアリだな」
「父さんのトマトパスタもピリ辛で美味しい。今度家でパスタ作ろうか、僕こういうの家でも食べたい」
「パスタかー、出来合いのソースでしか作ったことないけどできるかな」
和気藹々と会話する僕達親子を見て、大吾は焦ったように声をかけてきた。
「俺も和泉の手作りパスタを食べてみたい!」
「いいよ、練習して上手になったらね」
大吾は鋭い眼差しをへにょりと歪めて、向かい側に座る和泉を眺めてデレデレしている。本気で惚れていることが伝わってきて、なんとなく見ていられなくて目を逸らした。
「大吾、よかったら私のステーキも味見するか?」
「親父のはいらない。それよりもさ、和泉も俺のハンバーグと一口交換してくれない?」
「もちろん、ハンバーグも食べてみたかったんだー」
息子同士が仲良く食事を分け合うのを、巽は苦笑しながら見守っている。
「振られてしまいました。花屋敷さん、よかったら私と一口交換してくれませんか」
「え、まあ……いいけど」
ここで断るのは大人気ないというか、流石に彼がかわいそうな気がする。巽と食事を分け合うのは中華料理店でもやったしと、一口分けてやることにした。彼は小皺の寄った目尻を甘く和ませる。
「ありがとうございます、お優しいのですね。よろしければ、もっと親睦を深めるために郁巳さんと名前でお呼びしてもいいですか」
うわあと内心慄いた。やっぱり諦めるつもりなんて微塵もないだろう!? こいつのペースに乗せられてたまるかと睨もうとすると、和泉が噴き出したので振り向いた。
「ん? どうした和泉」
「父さん、旅行に乗り気じゃなかったのに、巽さんと仲良くなれてるみたいでよかったなって」
「別に仲良くなんてないぞ?」
「本当に? タメ口きいてるし気安い雰囲気だから、気が合うんだなって思ってたよ」
「あ」
そうか、向こうは初対面を装っていたというのに、僕ときたら普段と同じような調子で話しかけてしまっていたと我に返る。
「いや、これは別に」
和泉のパスタを頬張っていた大吾も、思いついたように話しだす。
「親父もなんか楽しそうだよな。高校生にもなって保護者同伴なんてどうかと思ってたけど、案外親父達も楽しめそうでよかったじゃん」
「ああ。郁巳さんとはとても話があうからね」
「ふーん……」
巽が意味深な視線を向けてくるのが居た堪れない。色気に溢れた魅力的な声に、ぞくりと背筋が粟立つ。クッソ、今絶対何かエロいことを考えただろう!
頭の中で裸に剥かれているかもしれないと思うと、平常心ではいられなかった。
「ちょっとトイレに行ってくる」
動揺した気持ちを落ち着かせたくて、テーブル席から離れトイレへと向かう。分身が反応していないことを確認して、ホッと一息吐いた。
(気にするな、反応したら相手の思う壺だぞ)
鏡の前で両頬を叩いて気合を入れる。もう絶対流されたりしないと決めたんだ、この旅行の間も、何事も起こさずに過ごすぞと改めて誓った。
トイレから出ると、背の高い男の影が見えた。まさか巽じゃないだろうなと思いながら近づくと、待っていたのは大吾だった。
「花屋敷さん。ちょっといいですか」
「え、なに」
大吾の眼光鋭い瞳を真っ直ぐ向けられ、僕は思わず背筋を正した。彼は睨みつけるようにして僕を凝視していたが、いきなり頭を下げる。
「ちゃんとしたご挨拶が遅れてすみません! 和泉とお付き合いさせてもらってます」
「へ? ああうん、わかってるよ。わかってるから顔を上げて」
こんな他の客も立ち寄るような場所で、大声で話す内容じゃないと小声で返事をする。彼も雰囲気を察したのか声を潜めてくれた。
「受験生だし男同士だし、反対されてもしょうがないなって思ってました」
「まあ、そうだね。勉強に差し支えない程度に節度を持ってほしいとは思っているよ」
肩を怒らせ緊張しきった彼を前に、つい気遣うような言い方をした後で、しまったと思う。これじゃ暗に交際を認めていると言っているようなものじゃないか!
案の定、彼は瞳の輝きを強めて力強く肯定する。
「はい! 俺、和泉のことがすげえ好きなんです。絶対に大切にするんで、よろしくお願いします!」
あああ、やっぱり認めてると思われてしまった!
どうしよう、今更やっぱりお付き合いに反対ですなんて言えない……和泉だって納得しないだろう、今後二日間が地獄のような雰囲気になるのは目に見えている。
僕はがっくりと肩を落としながら、力なく返事をした。
「うん……わかったよ」
「ありがとうございます! じゃあ俺、先に戻ってますんで」
大吾はキビキビとした足取りでテーブル席へと戻っていく。とぼとぼと後に続いた。
途中で大吾が振り返り、何事かとビクつく。君さ、目つきが鋭すぎて怖いんだよ。和泉はよく彼を前にして怯えずにいられるな。
「んっ? まだ何かあった?」
「別に、大したことじゃないんですけど」
大吾は正面を気にしながら、先ほどよりも更に小声で僕の耳元にささやいた。
「実は親父って結構面倒臭いやつで、人の好みも激しいんです。花屋敷さんのことは気に入ってるみたいだから、よかったら仲良くしてやってください」
思いがけないことを言われて言葉に詰まっているうちに、大吾は席に戻ってしまった。参ったなと頭を掻く。
「仲良く、かあ。難しいよな……」
巽の望む仲良くの種類が友愛であったなら、僕だって喜んで一緒に遊びにいったりしただろう。シングルファザー同士で悩みを分かち合えるし、彼の醸し出す雰囲気だって心地よい。願ってもない話だった。
けれどひとたび色恋が絡むと、話は簡単にいかなくなる。
嵐の中に投げ込まれたような激情をぶつけられて、僕が普段意識すらしていない心の底を暴こうとされて、そしてあんな……あられもないことをされてしまうのは、正直勘弁してほしい。
今までの自分ではいられなくなるような、恐ろしくも魅力的な彼にはこれ以上近づきたくない。
「……戻ろ。そろそろ変に思われる」
席に着くとすでに支払いは済んでいた。ああもう、僕が払うって言ったのにこの人は……! 恐縮しながら巽に頭を下げた。
「車を出してもらった上に食事代まで……次は絶対に僕が払うから!」
「そうですか、では次回はお願いします」
涼しい顔で返されてぐぬぬと歯を噛み締める。スマート過ぎて、うかうかしているとまた流されてしまいそうだ。しっかりしなきゃと店を出ながら頬を叩いていると、和泉に怪訝な顔をされる。
「父さん、そんな風に気合を入れてるってことは、何かやらかしたの?」
「いや、まあね。でも問題ないよ、お前達二人には関係ない話だから」
「二人って僕と大吾? ってことは、巽さんには関係あるの?」
あ、しまったな。墓穴を掘ってしまったかもしれないと口を押さえる。自分の名前が呼ばれた気配を察したのか、巽が口を挟んだ。
「どうかしましたか?」
「んー、よくわかんないんだけど、父さんが何かうっかりしたらごめんねって先に謝っておくよ」
「おいこら、和泉」
親の威厳が肩なしになるようなことを言われて、がっくりきてしまう。巽は微笑ましいとでも言いたげに和泉に笑いかけた。
「大丈夫ですよ、和泉くん。郁巳さんがどんなミスをしたとしても、私がカバーしますので」
「さすが巽さん、頼りになるね」
二人は親しげに笑いあう。おいおい、随分仲が良さそうじゃないかと慌てていると、大吾が和泉の肩を組んで掻っ攫っていく。
「和泉、頼りになるのは親父だけじゃないだろ」
「もちろん。大吾はもっと頼りにしてるよ」
イチャイチャと仲睦まじく見つめ合うカップルに砂を吐きつつ、車に乗り込んだ。
森栄親子のお気に入りだという創作イタリアンのお店は、カジュアルな雰囲気で居心地がよかった。僕が頼んだトマトソースパスタと和泉の注文した海鮮クリームパスタ、どちらも分け合って食べたが美味しい。
「これいいね、クリームにイカとレモンって今まで試したことなかったけどアリだな」
「父さんのトマトパスタもピリ辛で美味しい。今度家でパスタ作ろうか、僕こういうの家でも食べたい」
「パスタかー、出来合いのソースでしか作ったことないけどできるかな」
和気藹々と会話する僕達親子を見て、大吾は焦ったように声をかけてきた。
「俺も和泉の手作りパスタを食べてみたい!」
「いいよ、練習して上手になったらね」
大吾は鋭い眼差しをへにょりと歪めて、向かい側に座る和泉を眺めてデレデレしている。本気で惚れていることが伝わってきて、なんとなく見ていられなくて目を逸らした。
「大吾、よかったら私のステーキも味見するか?」
「親父のはいらない。それよりもさ、和泉も俺のハンバーグと一口交換してくれない?」
「もちろん、ハンバーグも食べてみたかったんだー」
息子同士が仲良く食事を分け合うのを、巽は苦笑しながら見守っている。
「振られてしまいました。花屋敷さん、よかったら私と一口交換してくれませんか」
「え、まあ……いいけど」
ここで断るのは大人気ないというか、流石に彼がかわいそうな気がする。巽と食事を分け合うのは中華料理店でもやったしと、一口分けてやることにした。彼は小皺の寄った目尻を甘く和ませる。
「ありがとうございます、お優しいのですね。よろしければ、もっと親睦を深めるために郁巳さんと名前でお呼びしてもいいですか」
うわあと内心慄いた。やっぱり諦めるつもりなんて微塵もないだろう!? こいつのペースに乗せられてたまるかと睨もうとすると、和泉が噴き出したので振り向いた。
「ん? どうした和泉」
「父さん、旅行に乗り気じゃなかったのに、巽さんと仲良くなれてるみたいでよかったなって」
「別に仲良くなんてないぞ?」
「本当に? タメ口きいてるし気安い雰囲気だから、気が合うんだなって思ってたよ」
「あ」
そうか、向こうは初対面を装っていたというのに、僕ときたら普段と同じような調子で話しかけてしまっていたと我に返る。
「いや、これは別に」
和泉のパスタを頬張っていた大吾も、思いついたように話しだす。
「親父もなんか楽しそうだよな。高校生にもなって保護者同伴なんてどうかと思ってたけど、案外親父達も楽しめそうでよかったじゃん」
「ああ。郁巳さんとはとても話があうからね」
「ふーん……」
巽が意味深な視線を向けてくるのが居た堪れない。色気に溢れた魅力的な声に、ぞくりと背筋が粟立つ。クッソ、今絶対何かエロいことを考えただろう!
頭の中で裸に剥かれているかもしれないと思うと、平常心ではいられなかった。
「ちょっとトイレに行ってくる」
動揺した気持ちを落ち着かせたくて、テーブル席から離れトイレへと向かう。分身が反応していないことを確認して、ホッと一息吐いた。
(気にするな、反応したら相手の思う壺だぞ)
鏡の前で両頬を叩いて気合を入れる。もう絶対流されたりしないと決めたんだ、この旅行の間も、何事も起こさずに過ごすぞと改めて誓った。
トイレから出ると、背の高い男の影が見えた。まさか巽じゃないだろうなと思いながら近づくと、待っていたのは大吾だった。
「花屋敷さん。ちょっといいですか」
「え、なに」
大吾の眼光鋭い瞳を真っ直ぐ向けられ、僕は思わず背筋を正した。彼は睨みつけるようにして僕を凝視していたが、いきなり頭を下げる。
「ちゃんとしたご挨拶が遅れてすみません! 和泉とお付き合いさせてもらってます」
「へ? ああうん、わかってるよ。わかってるから顔を上げて」
こんな他の客も立ち寄るような場所で、大声で話す内容じゃないと小声で返事をする。彼も雰囲気を察したのか声を潜めてくれた。
「受験生だし男同士だし、反対されてもしょうがないなって思ってました」
「まあ、そうだね。勉強に差し支えない程度に節度を持ってほしいとは思っているよ」
肩を怒らせ緊張しきった彼を前に、つい気遣うような言い方をした後で、しまったと思う。これじゃ暗に交際を認めていると言っているようなものじゃないか!
案の定、彼は瞳の輝きを強めて力強く肯定する。
「はい! 俺、和泉のことがすげえ好きなんです。絶対に大切にするんで、よろしくお願いします!」
あああ、やっぱり認めてると思われてしまった!
どうしよう、今更やっぱりお付き合いに反対ですなんて言えない……和泉だって納得しないだろう、今後二日間が地獄のような雰囲気になるのは目に見えている。
僕はがっくりと肩を落としながら、力なく返事をした。
「うん……わかったよ」
「ありがとうございます! じゃあ俺、先に戻ってますんで」
大吾はキビキビとした足取りでテーブル席へと戻っていく。とぼとぼと後に続いた。
途中で大吾が振り返り、何事かとビクつく。君さ、目つきが鋭すぎて怖いんだよ。和泉はよく彼を前にして怯えずにいられるな。
「んっ? まだ何かあった?」
「別に、大したことじゃないんですけど」
大吾は正面を気にしながら、先ほどよりも更に小声で僕の耳元にささやいた。
「実は親父って結構面倒臭いやつで、人の好みも激しいんです。花屋敷さんのことは気に入ってるみたいだから、よかったら仲良くしてやってください」
思いがけないことを言われて言葉に詰まっているうちに、大吾は席に戻ってしまった。参ったなと頭を掻く。
「仲良く、かあ。難しいよな……」
巽の望む仲良くの種類が友愛であったなら、僕だって喜んで一緒に遊びにいったりしただろう。シングルファザー同士で悩みを分かち合えるし、彼の醸し出す雰囲気だって心地よい。願ってもない話だった。
けれどひとたび色恋が絡むと、話は簡単にいかなくなる。
嵐の中に投げ込まれたような激情をぶつけられて、僕が普段意識すらしていない心の底を暴こうとされて、そしてあんな……あられもないことをされてしまうのは、正直勘弁してほしい。
今までの自分ではいられなくなるような、恐ろしくも魅力的な彼にはこれ以上近づきたくない。
「……戻ろ。そろそろ変に思われる」
席に着くとすでに支払いは済んでいた。ああもう、僕が払うって言ったのにこの人は……! 恐縮しながら巽に頭を下げた。
「車を出してもらった上に食事代まで……次は絶対に僕が払うから!」
「そうですか、では次回はお願いします」
涼しい顔で返されてぐぬぬと歯を噛み締める。スマート過ぎて、うかうかしているとまた流されてしまいそうだ。しっかりしなきゃと店を出ながら頬を叩いていると、和泉に怪訝な顔をされる。
「父さん、そんな風に気合を入れてるってことは、何かやらかしたの?」
「いや、まあね。でも問題ないよ、お前達二人には関係ない話だから」
「二人って僕と大吾? ってことは、巽さんには関係あるの?」
あ、しまったな。墓穴を掘ってしまったかもしれないと口を押さえる。自分の名前が呼ばれた気配を察したのか、巽が口を挟んだ。
「どうかしましたか?」
「んー、よくわかんないんだけど、父さんが何かうっかりしたらごめんねって先に謝っておくよ」
「おいこら、和泉」
親の威厳が肩なしになるようなことを言われて、がっくりきてしまう。巽は微笑ましいとでも言いたげに和泉に笑いかけた。
「大丈夫ですよ、和泉くん。郁巳さんがどんなミスをしたとしても、私がカバーしますので」
「さすが巽さん、頼りになるね」
二人は親しげに笑いあう。おいおい、随分仲が良さそうじゃないかと慌てていると、大吾が和泉の肩を組んで掻っ攫っていく。
「和泉、頼りになるのは親父だけじゃないだろ」
「もちろん。大吾はもっと頼りにしてるよ」
イチャイチャと仲睦まじく見つめ合うカップルに砂を吐きつつ、車に乗り込んだ。
457
お気に入りに追加
1,435
あなたにおすすめの小説
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式の話
八億児
BL
架空の国と儀式の、真面目騎士×どスケベビッチ王。
古代アイルランドには臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式があったそうで、それはよいものだと思いましたので古代アイルランドとは特に関係なく王の乳首を吸ってもらいました。
皇帝陛下の精子検査
雲丹はち
BL
弱冠25歳にして帝国全土の統一を果たした若き皇帝マクシミリアン。
しかし彼は政務に追われ、いまだ妃すら迎えられていなかった。
このままでは世継ぎが産まれるかどうかも分からない。
焦れた官僚たちに迫られ、マクシミリアンは世にも屈辱的な『検査』を受けさせられることに――!?
男子寮のベットの軋む音
なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。
そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。
ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。
女子禁制の禁断の場所。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる