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第二章
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巽の用意した夕食はなかなか凝っていた。魚介類と野菜の蒸し料理、それから白いポタージュスープと丸い大きなパンが、彩りよくテーブルに並べられている。
どれも僕には馴染みのない料理ばかりで、名称が出てこない。頭を拭きながらダイニングの入り口で所在なく立っていると、巽が口元を綻ばせ手招きしてくれた。
「郁巳さん、こちらへどうぞ」
「なんか本格的だね、いらないっていうのに」
「アクアパッツァとじゃがいものポタージュに、ブールを添えました。どうぞ」
オシャレ料理におっかなびっくりしながら、巽の引いてくれた椅子に腰かける。
あれ、また彼のペースに呑まれているぞと、ハッとして立ち上がろうとした。しかし優雅な動きなのに力強い腕に阻まれて、また腰を落とす羽目になる。
「いやだから、帰るってば」
「この量を一人では食べきれませんし、お互い一人の食事は寂しいでしょう? お願いですから召し上がっていってください」
森栄は気遣うように僕の目の下を指先でなぞった。まだ顔色が悪いのだろうか……確かに腹も減っているし、体だって疲れている。
そこまで言うなら食事だけならいいかと、居心地悪く思いながらも座り直す。森栄は安心したように笑って濡れている髪を一筋指先でつまむと、ドライヤーを持ってきて乾かしてくれた。
「ありがとう、別にいいのに」
「いえいえ、風邪を引いたら大変ですから」
ニコリと微笑まれて、目尻に優しげな皺が寄る。大人の色気を感じて、ドキリと心臓が跳ねた。慌てて首を振ってなかったことにする。
「わ、わあーそれにしても美味しそうだな! 食べていいのか?」
「もちろん。遠慮なく召し上がってください」
「では、いただきます」
アクアパッツァを一口食べてみる。ホロホロの白身魚に旨味がギュッと濃縮されていて、思わず感想が口から滑り出た。
「美味しい……」
「お口にあってよかったです」
「得意なんだな、料理」
「得意というほどではないですが、それなりにこだわっていますよ。日々精力的に活動するための力の源ですからね」
肩を小さくして、一口一口を噛み締めるようにして食べた。こんなに美味しいご飯を食べたのはいつぶりだろうか。
僕は不器用で、何年やってもそれなりの料理しか作れず、和泉に味つけを指摘されるのもしょっちゅうだ。うらやましいなと思ってしまった。
「こだわり……なにかコツとかあるのか?」
「気になるなら、今度一緒に作って実地でお教えしましょうか」
「いや、その、そこまでは求めてないかな」
なんで僕は犯された人の家で夕飯を食べているんだと、フッと我に返った。ああ、でもすごく美味しいから、食べ終わるまでは一緒にいてやってもいいかな……
巽の食べ方は洗練されていて上品で、住む世界の違いを感じさせた。
彼だったら子どもがいても関係ないとアタックしてくる女性もいそうなものだが、よりによってなぜ僕を口説いてくるんだか、本気でわからない。
見定めようとじっと視線を当てると、巽から熱っぽい視線が返ってきた。
「どうしました? そんなに見つめて……誘われているのかと勘違いしてしまいそうです」
「だから違うってば、なんですぐにそういう方向に持っていこうとするんだ」
「貴方が魅力的すぎるのがいけないんです、いくら触れてもまた欲しくなってしまう」
食事を終えた巽は立ち上がる。僕はびくりと肩を竦ませたが、彼は空になった食器を持ってキッチンの方へと歩いていった。
な、なんだよ、びっくりするじゃないか。思わせぶりなことばっかり言って……巽は僕の気も知らないで、優雅にコーヒーを淹れている。
彼は二組のコーヒーカップと、小ぶりな箱をトレイに乗せて戻ってきた。
「お待たせしました。ミルクを加えるのがお好きでしたよね?」
「あ、うん」
コーヒーのいい香りにつられて、席を立つタイミングを逃してしまう。いいや、これを飲み終えたら帰ろう……
巽は向かい側の席に座ると、持ってきていた鮮やかな緑色の箱を開けた。中には行儀よく、北欧的な鮮やかな色使いのパッケージのチョコレートが収まっている。
「これは?」
「郁巳さんと一緒に食べようと思って用意したものです。どうぞ食べてみてください」
お高そうなチョコレートだが、くれるというならもらっておこう。板チョコの半分くらいのサイズの袋を開けると、やはり予想した通り板チョコが出てきた。
凝った彫りのチョコレートを、一欠片折って口に含む。爽やかな果実とスパイシーな風味が鼻の奥に広がり、目を白黒させた。
「えっ、なんだこれ」
とても斬新な味わいだがクセになる。いくつも折って夢中で食べていると、微笑ましげに見つめる瞳と目があった。
巽はにこりと微笑むと、僕の指先を手で指し示した。
「お気に召されたようでなによりです。一口分けていただいてもいいですか?」
「あ、もちろん」
巽の手のひらにチョコレートをひとかけ落とした。彼はそれを舌の上に置いて味わう。
口の中で咀嚼する様子が、妙に情事を思い起こさせた。凝視している自分に気づいて瞳を逸らす。
「味わい深いですね。こちらもどうぞ」
「ああ、どうも」
巽からもお裾分けをもらった。こちらは花のような香りがする不思議なチョコレートだった。
「チョコレート、好きなんですか」
「ええ。正確にはチョコレートとコーヒーの組み合わせが好きですね。郁巳さんは?」
「こんなチョコレートは初めて食べたけど、うん。好きかも」
巽はホッとしたように微笑んだ。よく笑う男だ、いつもこうなのだろうか。
「郁巳さんとテーブルを囲むのは安らぎます。大吾は食事を食べ終えたら、すぐに部屋にこもってしまいますからね。よろしければ、また食事をご一緒しても構いませんか?」
「え……」
巽と夕食を食べるのはけして嫌ではなかった。流れる空気が居心地よくて、だからこんなにも長居をしてしまった。
食事だけならいいかも、なんて思う。抱かれるのは御免だが、彼の醸し出す雰囲気や声のトーン、空間なんかは心地よくて、入り浸りたくなるくらい魅力的だった。
ああ、でも食事をするだけで帰してくれたりしないよな……これだけ流されないでおこうと決意しているのに何度も流されてしまっているのだから、森栄は男を堕とすプロなのかもしれない。
彼にとっては僕なんて、手のひらの上で転がし放題できる、ちょろい存在だろう。やはりここは断るべきだと顔を上げると、祈るような黒い瞳と目があう。
(なんでそんな、切ない目で僕を見るんだ)
からかって遊んでいる訳じゃなく、僕を本気で好きなのだろうか? 戸惑って口ごもっていると、巽は僕の手を両手で包み込んでくる。
「……っ」
包まれた手から伝わる温い体温は、やっぱり嫌じゃなかった。それどころか触れられるのが心地いいくらいだ。
「ねえ、郁巳さん。どうしても無理というわけじゃないなら、お付き合いいただけませんか?」
低くセクシーな声に気持ちが吸い寄せられて、嫌と言うのを躊躇ってしまう。
「それとも、年上の男は対象外ですか?」
「年上って、そんなに変わらないだろ」
「四十二です。貴方は?」
「三十八……」
「ふふ、そうですか。歳も近いし話もあうし、何より私は巽さんのことが好きでたまらないんです。もっと貴方のことを知りたい。無理なお願いでしょうか」
こんな風に懇願されたら、嫌とは言えない……言いたくなかった。
どれも僕には馴染みのない料理ばかりで、名称が出てこない。頭を拭きながらダイニングの入り口で所在なく立っていると、巽が口元を綻ばせ手招きしてくれた。
「郁巳さん、こちらへどうぞ」
「なんか本格的だね、いらないっていうのに」
「アクアパッツァとじゃがいものポタージュに、ブールを添えました。どうぞ」
オシャレ料理におっかなびっくりしながら、巽の引いてくれた椅子に腰かける。
あれ、また彼のペースに呑まれているぞと、ハッとして立ち上がろうとした。しかし優雅な動きなのに力強い腕に阻まれて、また腰を落とす羽目になる。
「いやだから、帰るってば」
「この量を一人では食べきれませんし、お互い一人の食事は寂しいでしょう? お願いですから召し上がっていってください」
森栄は気遣うように僕の目の下を指先でなぞった。まだ顔色が悪いのだろうか……確かに腹も減っているし、体だって疲れている。
そこまで言うなら食事だけならいいかと、居心地悪く思いながらも座り直す。森栄は安心したように笑って濡れている髪を一筋指先でつまむと、ドライヤーを持ってきて乾かしてくれた。
「ありがとう、別にいいのに」
「いえいえ、風邪を引いたら大変ですから」
ニコリと微笑まれて、目尻に優しげな皺が寄る。大人の色気を感じて、ドキリと心臓が跳ねた。慌てて首を振ってなかったことにする。
「わ、わあーそれにしても美味しそうだな! 食べていいのか?」
「もちろん。遠慮なく召し上がってください」
「では、いただきます」
アクアパッツァを一口食べてみる。ホロホロの白身魚に旨味がギュッと濃縮されていて、思わず感想が口から滑り出た。
「美味しい……」
「お口にあってよかったです」
「得意なんだな、料理」
「得意というほどではないですが、それなりにこだわっていますよ。日々精力的に活動するための力の源ですからね」
肩を小さくして、一口一口を噛み締めるようにして食べた。こんなに美味しいご飯を食べたのはいつぶりだろうか。
僕は不器用で、何年やってもそれなりの料理しか作れず、和泉に味つけを指摘されるのもしょっちゅうだ。うらやましいなと思ってしまった。
「こだわり……なにかコツとかあるのか?」
「気になるなら、今度一緒に作って実地でお教えしましょうか」
「いや、その、そこまでは求めてないかな」
なんで僕は犯された人の家で夕飯を食べているんだと、フッと我に返った。ああ、でもすごく美味しいから、食べ終わるまでは一緒にいてやってもいいかな……
巽の食べ方は洗練されていて上品で、住む世界の違いを感じさせた。
彼だったら子どもがいても関係ないとアタックしてくる女性もいそうなものだが、よりによってなぜ僕を口説いてくるんだか、本気でわからない。
見定めようとじっと視線を当てると、巽から熱っぽい視線が返ってきた。
「どうしました? そんなに見つめて……誘われているのかと勘違いしてしまいそうです」
「だから違うってば、なんですぐにそういう方向に持っていこうとするんだ」
「貴方が魅力的すぎるのがいけないんです、いくら触れてもまた欲しくなってしまう」
食事を終えた巽は立ち上がる。僕はびくりと肩を竦ませたが、彼は空になった食器を持ってキッチンの方へと歩いていった。
な、なんだよ、びっくりするじゃないか。思わせぶりなことばっかり言って……巽は僕の気も知らないで、優雅にコーヒーを淹れている。
彼は二組のコーヒーカップと、小ぶりな箱をトレイに乗せて戻ってきた。
「お待たせしました。ミルクを加えるのがお好きでしたよね?」
「あ、うん」
コーヒーのいい香りにつられて、席を立つタイミングを逃してしまう。いいや、これを飲み終えたら帰ろう……
巽は向かい側の席に座ると、持ってきていた鮮やかな緑色の箱を開けた。中には行儀よく、北欧的な鮮やかな色使いのパッケージのチョコレートが収まっている。
「これは?」
「郁巳さんと一緒に食べようと思って用意したものです。どうぞ食べてみてください」
お高そうなチョコレートだが、くれるというならもらっておこう。板チョコの半分くらいのサイズの袋を開けると、やはり予想した通り板チョコが出てきた。
凝った彫りのチョコレートを、一欠片折って口に含む。爽やかな果実とスパイシーな風味が鼻の奥に広がり、目を白黒させた。
「えっ、なんだこれ」
とても斬新な味わいだがクセになる。いくつも折って夢中で食べていると、微笑ましげに見つめる瞳と目があった。
巽はにこりと微笑むと、僕の指先を手で指し示した。
「お気に召されたようでなによりです。一口分けていただいてもいいですか?」
「あ、もちろん」
巽の手のひらにチョコレートをひとかけ落とした。彼はそれを舌の上に置いて味わう。
口の中で咀嚼する様子が、妙に情事を思い起こさせた。凝視している自分に気づいて瞳を逸らす。
「味わい深いですね。こちらもどうぞ」
「ああ、どうも」
巽からもお裾分けをもらった。こちらは花のような香りがする不思議なチョコレートだった。
「チョコレート、好きなんですか」
「ええ。正確にはチョコレートとコーヒーの組み合わせが好きですね。郁巳さんは?」
「こんなチョコレートは初めて食べたけど、うん。好きかも」
巽はホッとしたように微笑んだ。よく笑う男だ、いつもこうなのだろうか。
「郁巳さんとテーブルを囲むのは安らぎます。大吾は食事を食べ終えたら、すぐに部屋にこもってしまいますからね。よろしければ、また食事をご一緒しても構いませんか?」
「え……」
巽と夕食を食べるのはけして嫌ではなかった。流れる空気が居心地よくて、だからこんなにも長居をしてしまった。
食事だけならいいかも、なんて思う。抱かれるのは御免だが、彼の醸し出す雰囲気や声のトーン、空間なんかは心地よくて、入り浸りたくなるくらい魅力的だった。
ああ、でも食事をするだけで帰してくれたりしないよな……これだけ流されないでおこうと決意しているのに何度も流されてしまっているのだから、森栄は男を堕とすプロなのかもしれない。
彼にとっては僕なんて、手のひらの上で転がし放題できる、ちょろい存在だろう。やはりここは断るべきだと顔を上げると、祈るような黒い瞳と目があう。
(なんでそんな、切ない目で僕を見るんだ)
からかって遊んでいる訳じゃなく、僕を本気で好きなのだろうか? 戸惑って口ごもっていると、巽は僕の手を両手で包み込んでくる。
「……っ」
包まれた手から伝わる温い体温は、やっぱり嫌じゃなかった。それどころか触れられるのが心地いいくらいだ。
「ねえ、郁巳さん。どうしても無理というわけじゃないなら、お付き合いいただけませんか?」
低くセクシーな声に気持ちが吸い寄せられて、嫌と言うのを躊躇ってしまう。
「それとも、年上の男は対象外ですか?」
「年上って、そんなに変わらないだろ」
「四十二です。貴方は?」
「三十八……」
「ふふ、そうですか。歳も近いし話もあうし、何より私は巽さんのことが好きでたまらないんです。もっと貴方のことを知りたい。無理なお願いでしょうか」
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