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3 謎の青年アルトリオ
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アルトリオはミリアの手を握ったまま、素早く辺りを見渡した。
「ここはどこだ?」
「ええと……うちの屋敷の庭園の端っこだよ。ほら、この木の向こう側、あそこに正門が見えるでしょう? ……っ、あれは!」
遠目に後ろ手に縛られて連行されていく父の姿が見えた。その後ろにキルフェスもいるのを見て、たまらずミリアは叫んだ。
「お父様、キルフェスお兄様!!」
「しっ! 気づかれるよ、静かに」
優しげな顔を萎れさせて項垂れる父の姿が、騎士を睨みながらも大人しく歩くキルフェスの姿が、ミリアから遠ざかっていく。
「ああ、そんな、うそ……こんなのって……」
「ここは危険だ、もう一度飛ぶよ」
強い風が吹き、次の瞬間にはまた別の場所に立っていた。黄色く染まりはじめた太陽が、すぐそこに流れる川の流れをキラキラと反射させている。
「ふう……とりあえず、ここなら安全かな」
アルトリオは掴んでいたミリアの手をようやく離す。ミリアがキョロキョロ辺りを確認すると、そこは水上都市の北側を流れているモイラ川を越えたところだった。
一体なにが起こっているんだろう? ミリアは塔の中にいたはずなのに、いつの間に川を越えたのか。
今頃になって不可思議な現象に恐ろしくなってきたミリアは、アルトリオと距離をとった。
彼は塔台を見た後太陽の位置を確認し、杖を空に向けてかざした後、ミリアの方を振り向いた。
「まだここは安全とは言えないね、もっと離れよう。海側に太陽が沈むなら、向かうべき方向はこっちの道だ」
そう告げてアルトリオが指し示したのは、ミリアが通ることを父から禁止されている北方向への道だった。
少女が戸惑う様子を見て、アルトリオは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんだ? 大丈夫だよ、こっちに進めば安全だから」
「でも父様が、北側に行くと国境が近くなるから治安も徐々に悪くなるって」
「うん、でもよく考えてみて。今東に続く主要路を行けば、女王の追っ手に捕まる確率が高くなると思わない?」
ミリアにはアルトリオの言うことが正しいように思えた。けれども足は竦んだままで、どうしても怖くて動く気になれない。
「……行かないと、ダメ?」
「ダメというか……日が暮れる前に進んで、町か民家か何かを見つけないと、野宿になるよ」
「の、野宿? わかった……あなたに、着いていくよ」
ミリアの様子にアルトは苦笑したけれど、ミリアにはなぜそんな反応をされたのかわからなかった。
「アルトでいいよ。今更だけど、ミリアって呼んでもいい?」
ミリアの頭の中に一瞬、嫁入り前の娘が婚約者でもない殿方に愛称で呼ばれるなんて! とカーツァの小言が浮かんだけれど。
一連の出来事に頭が飽和状態だったミリアは、思考するのをいったん放棄した。
「……いいよ」
*
ミリアはその日の夜、生まれて初めて野宿を経験することになった。
パチパチと燃える火を前にして、地面に敷いたシーツの上に座ったままボーッとしているミリア。
アルトリオはそんな彼女に、火で炙った干し肉を差しだす。
「どうぞ。美味しくはないかもしれないけど、腹は膨れるよ」
ミリアはジッとアルトリオを見つめた。優しそうだし、今もミリアに笑いかけてくれているのに、謎だらけなせいかどうにも警戒心が解けない。
そんなミリアの様子に、鍋を掻きまわしながらアルトリオは困ったように笑う。
「俺がゼネルバ人だから警戒してるのかな? それとも、法術師だから怖い?」
ミリアはハッとした。そうだ、彼の服の模様を異国風だと思ったのは、ゼネルバ風の伝統的な柄だと商人に布を勧められたことがあるからだ。言われてからやっと思いだせた。
「アルトはゼネルバ人なのね? 私をゼネルバから攫いにきたの?」
「違うよ。確かにゼネルバ法国とアーガルシア王国はあまり仲はよくないけど、貴族の子女を人質にとったりとられたりなんて、戦争してるわけじゃないんだし、ないない」
ミリアはホッと胸を撫でおろした。これでアルトが敵だったなんてことになれば、ミリアは無事ではすまないところだった。
少しだけ安心したミリアは、いただいた干し肉をお礼を言って受けとり、筋張っていて固い繊維をがんばってかじる。
言われた通り美味しくなかったけど、なにも食料を用意してこなかったミリアは我慢して食べた。
「ミリアはゼネルバについて、どこまで知ってる?」
「あんまり知らないよ。この国の北側にあって、よくわからない法術っていう魔法? が盛んで……十年くらい前に戦争かクーデターかなにかあって、国の名前がゼシアからゼネルバに変わったことくらいなら知ってるけど。あとは教養として少し、ゼネルバ語を習ったことがあるくらい」
「そっか。法術は魔法ではないんだけどね」
「そうなの? なんか空を飛んだり、祝詞を唱えると海の中を歩いたりできるって聞いたけど」
「それはまた……すごい誤解だね。さすがに法術はそんなに万能ではないよ」
アルトは苦笑すると、焚き火に薪を足した。アルトの座っている倒れた木の幹には、大振りな杖が立てかけてある。きっと、あれで法術とやらを使ってミリアを地上へ運んだのだろう。
まるで物語の中の魔法みたいだと、今この状況が現実だと信じられないミリアはそんなことを考えた。
モイラ川からそう遠くない空き地は、火の音が弾ける以外は不気味なほど静かだ。時々ざわざわと木が揺れる音が恐ろしくて、怖さをごまかすためにミリアは話を続けた。
「そういえば、前の王様のお妃様はゼシアの方だったらしいの。絵姿でしか見たことがないんだけど、とっても綺麗な方でね。双子のお姫様と並んだ絵はたくさん売れたそうだよ。そのお姫様の妹君の方が今の女王様で……」
ミリアの言葉はそこで途切れた。
女王様はどうして、お父様とキルフェスお兄様を連れていったのだろう。私が知らないだけで、二人はなにか悪いことをしていたのだろうか。……今も、無事なんだろうか。
わからない、なにもわからないよ……お父様、キルフェスお兄様……会いたい。
足を抱えてうつむくミリアの目の前に、ずいっとパンとスープが押しつけられた。
「君の父も兄も、命を取られてはいないさ。命を狙ったのならあの場で切り捨てられているはずだ。さあ、食べて。明日も歩くよ」
ミリアは全然食欲なんて湧かなかったけれど、アルトリオに言われるままスープを口に入れた。
心はまだ冷えたままだったが、体は少し温かくなった。
アルトリオは、その背中に背負ったリュックのどこに入っていたのかという量の荷物を持っていて、ミリアの使わせてもらっているテントも彼が用意したものだ。
アルトが外で寝るというのでミリアは遠慮したが、ちゃんと寝て明日も歩いてほしいから使ってね、と断られてしまった。
早速大活躍しているシーツを体に巻きつけて、ミリアはテント内に横になる。
夏だというのに地面からの冷気が体に染みる。寝られないかもしれないとミリアは危惧したが、気がついたら意識は夢の中だった。
*
温かいなにかが目の前にあって、ミリアは無意識にすり寄った。サラッとしていて柔らかくて、いい匂い……なに、これ……? ミリアは青い目をゆっくりと見開いた。
最初に見えたのは白。近すぎるそれにまばたきをしてピントをあわせると、どうやら人の髪だということがわかった。白い髪はかなり長くて、ミリアの腰近くまで伸びている……え、髪? 誰の??
パッと起き上がり離れようとしたが、自分の腰に誰かの腕が巻きついていて動けない。ミリアはパニックになって叫んだ。
「きゃー!? きゃーっ!!」
「ミリア!? 入るよ!」
アルトリオがテントの中に飛びこんできた。彼はミリアの隣で呑気に寝こけたままの人影を見つけると、怪訝そうに眉を寄せた。
「ミリア、その人は誰?」
「わわわ、わからないの……起きたら、隣にいて」
巻きついた腕をぐいぐい押すと外れてくれた。ぱち、と謎の人物の瞳が開く。
タンザナイトのような紫がかった青の瞳がとても美しくて、ミリアはそんな場合じゃないのに見惚れてしまう。
よく見ると、まるで人形のように綺麗な顔をした人だった。夏だというのに全身を真っ黒コーディネートで固めたその人は、機敏な動作で起きあがる。
そして、ボサボサの髪のままでミリアの顔をまっすぐに見つめ、真顔で一言告げた。
「おはよう、ミリア」
……なんでこの人も、初対面の私の名前を知ってるの!?
「ここはどこだ?」
「ええと……うちの屋敷の庭園の端っこだよ。ほら、この木の向こう側、あそこに正門が見えるでしょう? ……っ、あれは!」
遠目に後ろ手に縛られて連行されていく父の姿が見えた。その後ろにキルフェスもいるのを見て、たまらずミリアは叫んだ。
「お父様、キルフェスお兄様!!」
「しっ! 気づかれるよ、静かに」
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「ああ、そんな、うそ……こんなのって……」
「ここは危険だ、もう一度飛ぶよ」
強い風が吹き、次の瞬間にはまた別の場所に立っていた。黄色く染まりはじめた太陽が、すぐそこに流れる川の流れをキラキラと反射させている。
「ふう……とりあえず、ここなら安全かな」
アルトリオは掴んでいたミリアの手をようやく離す。ミリアがキョロキョロ辺りを確認すると、そこは水上都市の北側を流れているモイラ川を越えたところだった。
一体なにが起こっているんだろう? ミリアは塔の中にいたはずなのに、いつの間に川を越えたのか。
今頃になって不可思議な現象に恐ろしくなってきたミリアは、アルトリオと距離をとった。
彼は塔台を見た後太陽の位置を確認し、杖を空に向けてかざした後、ミリアの方を振り向いた。
「まだここは安全とは言えないね、もっと離れよう。海側に太陽が沈むなら、向かうべき方向はこっちの道だ」
そう告げてアルトリオが指し示したのは、ミリアが通ることを父から禁止されている北方向への道だった。
少女が戸惑う様子を見て、アルトリオは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんだ? 大丈夫だよ、こっちに進めば安全だから」
「でも父様が、北側に行くと国境が近くなるから治安も徐々に悪くなるって」
「うん、でもよく考えてみて。今東に続く主要路を行けば、女王の追っ手に捕まる確率が高くなると思わない?」
ミリアにはアルトリオの言うことが正しいように思えた。けれども足は竦んだままで、どうしても怖くて動く気になれない。
「……行かないと、ダメ?」
「ダメというか……日が暮れる前に進んで、町か民家か何かを見つけないと、野宿になるよ」
「の、野宿? わかった……あなたに、着いていくよ」
ミリアの様子にアルトは苦笑したけれど、ミリアにはなぜそんな反応をされたのかわからなかった。
「アルトでいいよ。今更だけど、ミリアって呼んでもいい?」
ミリアの頭の中に一瞬、嫁入り前の娘が婚約者でもない殿方に愛称で呼ばれるなんて! とカーツァの小言が浮かんだけれど。
一連の出来事に頭が飽和状態だったミリアは、思考するのをいったん放棄した。
「……いいよ」
*
ミリアはその日の夜、生まれて初めて野宿を経験することになった。
パチパチと燃える火を前にして、地面に敷いたシーツの上に座ったままボーッとしているミリア。
アルトリオはそんな彼女に、火で炙った干し肉を差しだす。
「どうぞ。美味しくはないかもしれないけど、腹は膨れるよ」
ミリアはジッとアルトリオを見つめた。優しそうだし、今もミリアに笑いかけてくれているのに、謎だらけなせいかどうにも警戒心が解けない。
そんなミリアの様子に、鍋を掻きまわしながらアルトリオは困ったように笑う。
「俺がゼネルバ人だから警戒してるのかな? それとも、法術師だから怖い?」
ミリアはハッとした。そうだ、彼の服の模様を異国風だと思ったのは、ゼネルバ風の伝統的な柄だと商人に布を勧められたことがあるからだ。言われてからやっと思いだせた。
「アルトはゼネルバ人なのね? 私をゼネルバから攫いにきたの?」
「違うよ。確かにゼネルバ法国とアーガルシア王国はあまり仲はよくないけど、貴族の子女を人質にとったりとられたりなんて、戦争してるわけじゃないんだし、ないない」
ミリアはホッと胸を撫でおろした。これでアルトが敵だったなんてことになれば、ミリアは無事ではすまないところだった。
少しだけ安心したミリアは、いただいた干し肉をお礼を言って受けとり、筋張っていて固い繊維をがんばってかじる。
言われた通り美味しくなかったけど、なにも食料を用意してこなかったミリアは我慢して食べた。
「ミリアはゼネルバについて、どこまで知ってる?」
「あんまり知らないよ。この国の北側にあって、よくわからない法術っていう魔法? が盛んで……十年くらい前に戦争かクーデターかなにかあって、国の名前がゼシアからゼネルバに変わったことくらいなら知ってるけど。あとは教養として少し、ゼネルバ語を習ったことがあるくらい」
「そっか。法術は魔法ではないんだけどね」
「そうなの? なんか空を飛んだり、祝詞を唱えると海の中を歩いたりできるって聞いたけど」
「それはまた……すごい誤解だね。さすがに法術はそんなに万能ではないよ」
アルトは苦笑すると、焚き火に薪を足した。アルトの座っている倒れた木の幹には、大振りな杖が立てかけてある。きっと、あれで法術とやらを使ってミリアを地上へ運んだのだろう。
まるで物語の中の魔法みたいだと、今この状況が現実だと信じられないミリアはそんなことを考えた。
モイラ川からそう遠くない空き地は、火の音が弾ける以外は不気味なほど静かだ。時々ざわざわと木が揺れる音が恐ろしくて、怖さをごまかすためにミリアは話を続けた。
「そういえば、前の王様のお妃様はゼシアの方だったらしいの。絵姿でしか見たことがないんだけど、とっても綺麗な方でね。双子のお姫様と並んだ絵はたくさん売れたそうだよ。そのお姫様の妹君の方が今の女王様で……」
ミリアの言葉はそこで途切れた。
女王様はどうして、お父様とキルフェスお兄様を連れていったのだろう。私が知らないだけで、二人はなにか悪いことをしていたのだろうか。……今も、無事なんだろうか。
わからない、なにもわからないよ……お父様、キルフェスお兄様……会いたい。
足を抱えてうつむくミリアの目の前に、ずいっとパンとスープが押しつけられた。
「君の父も兄も、命を取られてはいないさ。命を狙ったのならあの場で切り捨てられているはずだ。さあ、食べて。明日も歩くよ」
ミリアは全然食欲なんて湧かなかったけれど、アルトリオに言われるままスープを口に入れた。
心はまだ冷えたままだったが、体は少し温かくなった。
アルトリオは、その背中に背負ったリュックのどこに入っていたのかという量の荷物を持っていて、ミリアの使わせてもらっているテントも彼が用意したものだ。
アルトが外で寝るというのでミリアは遠慮したが、ちゃんと寝て明日も歩いてほしいから使ってね、と断られてしまった。
早速大活躍しているシーツを体に巻きつけて、ミリアはテント内に横になる。
夏だというのに地面からの冷気が体に染みる。寝られないかもしれないとミリアは危惧したが、気がついたら意識は夢の中だった。
*
温かいなにかが目の前にあって、ミリアは無意識にすり寄った。サラッとしていて柔らかくて、いい匂い……なに、これ……? ミリアは青い目をゆっくりと見開いた。
最初に見えたのは白。近すぎるそれにまばたきをしてピントをあわせると、どうやら人の髪だということがわかった。白い髪はかなり長くて、ミリアの腰近くまで伸びている……え、髪? 誰の??
パッと起き上がり離れようとしたが、自分の腰に誰かの腕が巻きついていて動けない。ミリアはパニックになって叫んだ。
「きゃー!? きゃーっ!!」
「ミリア!? 入るよ!」
アルトリオがテントの中に飛びこんできた。彼はミリアの隣で呑気に寝こけたままの人影を見つけると、怪訝そうに眉を寄せた。
「ミリア、その人は誰?」
「わわわ、わからないの……起きたら、隣にいて」
巻きついた腕をぐいぐい押すと外れてくれた。ぱち、と謎の人物の瞳が開く。
タンザナイトのような紫がかった青の瞳がとても美しくて、ミリアはそんな場合じゃないのに見惚れてしまう。
よく見ると、まるで人形のように綺麗な顔をした人だった。夏だというのに全身を真っ黒コーディネートで固めたその人は、機敏な動作で起きあがる。
そして、ボサボサの髪のままでミリアの顔をまっすぐに見つめ、真顔で一言告げた。
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