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デート

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 熱心に味を確かめながら、一口、もう一口とパイを口に運んでいると、すでに食べ終わったヴァレリオが、優しい目で俺を見つめているのに気づいた。

「なにさ」
「貴方の側にいられて嬉しいんだ」

 硬派な顔を笑みで崩して、そんなこっぱずかしいことをのたまうヴァレリオ。

 そこまでストレートに好意を向けられるなんて、久しく経験していないから照れる……

 顔に熱が昇るのを自覚して、頬杖をつくフリで頬を隠し、顔を背けた。

「あっそう。よかったね」
「ああ」

 微笑みながら俺を見つめるヴァレリオに、早く視線を外してくれよと、内心念を送る。

「この後、貴方と行きたいところがあるんだ。願いの泉に寄ってもいいだろうか」
「あの辺りは人通りが多いから、魔車で向かうのは大変だと思うけど?」
「歩いていこう」

 乗り気なヴァレリオに促されて店を出る。当たり前のように奢られてしまい、お礼を告げると尻尾がふさふさ揺れた。

 人通りの多い場所の手前まで、魔車に乗りこんで同行する。

 城下町の中心部には、願いの泉と呼ばれる噴水が存在する。庶民の間では、この噴水に硬貨を投げ入れると願いが叶う、なんて噂になっているらしい。

「ヴァレリオがこういう庶民的な場所を好むなんて、意外だったよ」

 隣を歩く体格のいい彼にそう告げると、黒い狼耳がぴくりと揺れた。

「庶民の税により、我々の生活は成りたっているんだ。彼らの願いがなんなのか理解しておくことは、貴族の一員として大事なことだろう?」
「まーた堅苦しいことを考えているなあ」

 それは確かに一理どころか万理あるが、今日は俺とのデートのつもりじゃなかったのかな? 仕事をしにきた訳じゃないはずだけど。

 自分はちゃっかりリゴの実の普及活動のために、ヴァレリオのデートを受けておきながら、内心ちょっと不満に思っていると、彼は立ち止まった。

「着いたぞ、ここだ」

 高い建物が区切れる一角があり、道の中心に噴水が鎮座していた。冬真っ盛りで雪も積もっているというのに、この周辺には露店も出ていて賑やかだ。

 噴水は凍ることなく、水を放出し続けている。マーシャル領にこれがあったら、寒すぎて凍ってしまうかもしれない。いや、さすがにないか。

 ちょうど家族連れが、噴水の側に向かっていくところだった。親子三人で仲良く手を繋いでいる。

 暖かそうな毛皮の帽子を被った幼児が、父親にコインをもらって泉に投げ入れた。父親がしゃがみこんで、子どもに促す。

「ほら、願い事を言うんだ」
「美味しいものをいっぱい食べたい!」
「貴方はいつもそれね。私もお願いしようかしら。家族みんなが元気でいられますように」
「俺も願っておこう。俺達の村が魔物に襲われませんように」

 家族連れが去っていった。それからもポツポツと人がやってきて、願い事を口にしたり、時には黙々と祈ってはコインを投げ入れて去っていく。

「今手がけている仕事を、最後までやり遂げたい」
「絶対にあの子を振り向かせてみせる! あいつには負けん!」

 ヴァレリオは俺の背中に手を添えて、面白そうに告げた。

「庶民の願いも、俺達とそう変わらないな。これが春になると、恋の願い一色になったりするんだ。見ていてなかなか興味深い」

 春は獣人の発情期だからね、そりゃそうでしょうよ。ヴァレリオは俺の背中を押して、噴水の側まで歩み寄った。

「俺達もコインを投げよう」

 ヴァレリオが俺の手のひらにコインを一枚落とす。彼は自分の手のひらの中に残した一枚を、噴水に投げ入れた。

「クインと添い遂げられますように」
「君さ、重いよ」
「俺の心からの願いだ」

 ヴァレリオは胸を張って言い放った。俺を見下ろす緑の瞳は、熱情の炎を灯しているのがありありとわかった。

「クイン、貴方の願いはなんなんだ?」
「俺は……」

 少し前までなら、ヴァレリオと結婚したくないと即答していただろう。けれど今の俺は、本当にそうしたいのか自信がなくなってきてしまった。

 俺の願い、願いか……いや、決まっている。豹獣人の女性と結婚して、貴族の高貴な血統を繋ぐ義務を果たして、領地の兄様を助ける。それが俺の願いのはずだ。

 ……コインを持つ手を、長いこと動かせなかった。子どもの、青年の、庶民のみんなが口にした願いの、真剣な声音と表情を思いだす。

 俺の願いには、情熱がないと感じた。あまりにも精彩を欠いていて、そうしなきゃいけないと言い聞かせているような、空虚さを感じる。

 いつのまにかボタンをかけ違えて、真実がわからなくなってしまったような、そんな心細さがじわじわと胸の中に巣食う。

 ……そもそも、どうして俺は貴族の義務を果たさなきゃ、なんて思ったんだっけ。いやいや、それは貴族に生まれたものとして、当然のことじゃないか。

「クイン?」

 ヴァレリオの訝しげな声が聞こえ、ハッと物思いから抜けだす。手の中のコインを握りしめて、思いきり投げた。

 ぽちゃんと音を立てたコインは、水の中に沈んでいった。それを見送ったヴァレリオは、落ち着いた声音で俺に語りかける。

「何を願ったのか、聞いてもいいか?」
「……内緒だよ」

 何を願っていいのかわからなかった俺は、ヴァレリオに振り向いて、人差し指を口に当てて誤魔化した。

 言葉少なに魔車へと戻る。魔車の中で二人きりになると、ヴァレリオがおもむろに言葉を紡いだ。

「即答しなかったな」
「なんの話?」
「俺と結婚したくないと願わなかったな、という意味だ」

 思いの外真剣な声音が、俺の豹耳をくすぐった。うつむいていた顔を上げると、膝をつきあわせるほど間近にいるヴァレリオが、俺の頬に手を添えた。

「少しは希望を持っていいのか?」
「……っ、自惚れないでくれ。自信過剰だってば、まったく」
「そうか?」

 手を払ってそっぽを向くが、ヴァレリオは含み笑いをやめない。明確に頬の熱さを感じるが、こんな至近距離じゃ隠せもしない。

「貴方が少しでも俺を意識しているのなら、こんなに嬉しいことはない」
「勝手な解釈をしないでもらえるかな。もう、余計なことばっかり話しかけてこないでよ」

 心が見透かされそうな不安から、つい足の間に潜りこませたくなった尻尾の動きを、意識して止めた。

 おかしいな、こんなはずじゃなかったのに。いつの間にか、ヴァレリオに心の深いところにまで入りこまれてしまったようで、酷く落ちつかない。

 その後は魔車で家に送り届けてもらうまで、ずっと沈黙を貫き続けた。
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