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 俺が治安のよくない方向に迷いなくつき進み、連れこみ宿に飛びこむと、ヴァレリオも追いかけてきた。

「クインシー? 待ってくれ」
「部屋を貸してくれ、一晩でいい」
「はいよ。お客さん、暴力沙汰は御法度だよ」

 俺の思い詰めた表情と腰のレイピアを見て、カウンターの従業員が釘を刺した。

 こんなところに来る貴族はいないから、貴族風の服に扮した成金か、探索者だと思われたのだろう。

 都合のいい誤解はそのままにして、金を渡す代わりに部屋の鍵を受け取り、二階へ登った。

「クインシー、話を聞いてくれ!」
「うるさいな」

 俺は彼の懇願に足を止めたりせず、借りた部屋に入った。ヴァレリオもためらいながらも入ってきたので、内側から鍵をかける。

「ねえ。今日だけ俺のこと、好きにしていいよ」

 俺がヴァレリオに向き直り、彼を真っ直ぐに見つめながらそう告げると、ヴァレリオは息をのんだ。

「なにも考えたくないんだよ……なにもかも忘れたい気分なんだ」

 力なくうなだれて彼の鎖骨の辺りに額をくっつけると、戸惑いを含んだ指先が、そっと稲穂色の髪を撫でた。

「どうしたんだ、何があったんだ。教えてくれ」
「……失恋、したんだ」

 何もとりつくろう気になれなくて、馬鹿正直にそう答えた。

 イツキはもう、間違いなくカイル君のことが好きだろう。カイル君もそんなイツキを手放す気はないとでも言いたげに、俺を小馬鹿にしていた。

 もう二人の間に入りこむ隙は、まったくなさそうだった。萎れたまま動かない俺に対して、一瞬の沈黙の後、ヴァレリオは返事を返してくる。

「……そうか、辛かったな」
「辛いよ。慰めて」
「がんばったなクインシー」

 背中をぽんぽんと優しく叩かれて、じわりと目尻に涙が滲む。悟られたくなくて、必死に涙を堪えた。

 あーあ……もうがんばるのは疲れちゃったな。身を削って領地のために仕事して、苦労してお願いを叶えていた婚約者には逃げられて。

 好きな人と結ばれないだろうなってのが悔しくて、その相手に意地悪したのに、二人はさっさと結ばれて。

 あげく忠誠を誓う王様には、いきなり見ず知らずの男と結婚しろとか言われちゃうしさあ。

 なにもかもが虚しくなってベッドに倒れこむと、ヴァレリオが心配そうに俺の顔をのぞきこんできた。

「急に倒れこんでどうしたんだ」
「疲れたんだよ……ねえヴァレリオ、もうちょっとこっちに来て」

 ヴァレリオがベッドの端に座ってくれたので、俺は彼のコートのボタンを外しにかかった。

「クインシー? 待て、何をするつもりだ」
「いいから早くこれ脱いで」

 ヴァレリオはためらいながらも、大人しくコートを脱いでくれた。俺はその黒のコートを頭から被る。

 ウッディムスクのような彼の匂いが、身体中を満たす。ああ、幸せだ……大好き、この匂い……

 なにも考えずただ息を吸って吐いて、至高の香りを味わっていると、遠慮がちにヴァレリオが声をかけてきた。

「貴方はさっきから、何がしたいんだ……」
「俺? 呼吸をしているよ」
「意味がわからないが、それで満足か?」
「んー……」

 どうだろう。満足かと問われると、そうでもない気がしてくる。

 コートから頭を出すと、なんとも言えない困った表情をしたヴァレリオと目があった。

 俺の奇行にどう対応すべきか考えあぐねている様子を、まざまざと目の当たりにして、ぷっと吹きだした。

「ぷはっ! その顔おもしろいね、もっと側で見せてくれ」

 伸びあがって顔を近づけると、ヴァレリオが身を引いた。その頬は赤みを帯びている。

「ちょっと、なんで逃げるんだ」
「貴方が近づくからだ」
「君の方からは、俺にめちゃくちゃ近づくくせに」

 思いきり鼻先を近づけると、ヴァレリオの瞳がスッと細まる。食い入るように見つめられながら、口と口が重なった。

 俺はパチパチと瞬きをしたが、彼は視線を逸らす様子が微塵もない。

 俺の驚いた様子をひとしきり眺めた後、ぺろりと下唇をひと舐めして離れていった。

「……あまり誘惑しないでくれ。貴方は本心から俺に抱かれたいわけではないだろう。こうも煽られると、我慢できなくなる」

 恥じいるように瞳を逸らすヴァレリオは、あまり色事に慣れていない様子だった。俺がそんな表情をさせているのかと思うと、少しだけ愉快な気分になる。

「据え膳はお気に召さないって?」
「言っただろう、俺は君の身体だけではなく、心も欲しいと」
「そうだったね」

 俺は彼の膝に頭を乗せた。狼狽えたように身じろぎしたヴァレリオだったが、大人しく枕になってくれている。

 楽しくなってきて尻尾をピーンと立てていると、ヴァレリオの尻尾も左右に揺れて、パタパタとシーツを叩きはじめた。

「俺が懐いてくれて嬉しいんだ?」
「ゴホン! ……そうだ」

 ヴァレリオは咳払いしながら肯定した。いいな、ヴァレリオ本人はともかく、素直でわかりやすい尻尾は好きかもしれない。

 貴族連中ったら、尻尾で感情を悟られないために、尻尾を動かさない訓練までするからね。ヴァレリオはその辺を俺の前で隠す気がなさそうで、好感が持てる。

「俺、君の尻尾は好きかもしれない」
「は?」
「あと匂いも」
「匂い……」

 ヴァレリオはスンスンと袖口の匂いを嗅いだが、腑に落ちないと言いたげな顔をした。続いて俺の手をとる。

「俺も貴方の匂いが好きだ。甘過ぎない程度の、ほのかに甘い花の香りがする」
「香水とかつけてないけど」
「では、貴方本来の香りなのだろう」

 ピンとこなかった。自分の匂いって自分じゃわからないものだよねえ。

 俺はそれについて考えるのをやめて、ひたすらヴァレリオの尻尾が揺れる様を目で追いかけた。

「……触ってみるか?」
「あー……そうだね」
「!」

 ヴァレリオは驚いたように眉を上げた。ピンと耳が立つ。尻尾を触るというのは基本、あなたに性的に興味があるといっているサインだからだ。

 別にそんな興味は……ないと思うけど、ただヴァレリオの尻尾を触って、二度と触らしてもらえないであろう、イツキの耳の感触を上書きしたかった。

 背中側に手を回して、視界の端で揺れている尻尾をむんずと掴む。ヴァレリオが息を詰めた。

 しばらく無言で尻尾を弄る。ヴァレリオが緊張した表情で、膝の上の俺を見下ろしているのがなんとも愉快だ。
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