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 風邪は二、三日も経てばすっかりよくなった。ヴァレリオからもらった飴も全て食べ終えてしまった。

 風邪を治すために自宅療養した上で、今日も夕方まで執務室にこもって仕事をしていると、そろそろ外に飛びだしたくなる衝動に駆られる。

 そういう時は、ヴァレリオのマフラーの匂いを嗅ぐと落ちついた。

「すう……はー。だいぶ匂いが薄くなってきた……」

 体調不良もあって落ちこんでいた間、もはや精神安定剤と化していた彼のマフラーは、すでに執務室の机の端が定位置となっている。

 ヴァレリオ本人はお呼びでないが、彼のまとう匂いは本当に素晴らしかった。俺はすっかり彼の匂いに夢中だ。

 耳フェチといい匂いフェチといい、俺の好みは獣人の本能に則ってるなあと思いつつ、僅かに残った香りを胸いっぱいに吸いこむ。ああ、もの足りない……

 勢い余ってマフラーを首に巻いてみた。これならいい匂いに包まれて仕事ができる。

 羽根ペンを手にしたところで、テオが顔を見せた。俺が室内でマフラーを巻いている様子を目にして、怪訝な顔をしている。

「ボス? 何してるんっスか、寒いなら暖炉の薪を足してきますけど」
「違うよテオ。俺はこうやって精神を安定させ、仕事に集中しようと試みてるんだ」
「はあ、そうなんですね……ところでマフラーといえば、イツキとカイルの旦那も最近マフラーを買ったみたいなんですが」

 そこまで言って、ハッとしたようにテオは両手で口を塞いで、言葉を止めた。なんなんだ、そこで話を止められると気になるじゃないか。

「それで? テオ、話の続きは?」
「あ、いやその、えーと……ボスが落ちこみそうなんで、あんまり続きを言いたくないんスけど」
「そこまで言ったなら最後まで言いなよ。大丈夫、怒ったりしないから」
「その……二人がお互いの色をまとってて、仲のよさを見せつけてくれちゃってですね」
「ふうん……そうなんだ」

 あの二人が仲がいいのはとっくに知ってる。くっつくのも時間の問題だろうってことも、わかっている。

 けれど改めて聞くとやっぱりショックで、呆然として手を止めたせいか、ペンからポタリとインクの滴を落としてしまった。

「あちゃー、書きなおさなくちゃ」
「えっ、それ最後の一枚なんですよ? 困ったなあ、今から便箋を買い足しに行かないと」
「なら俺が行ってくるよ。テオは父様から届いた書類を仕分けておいて」
「あっちょっとボス、待ってくださいよ! ええーっ!?」

 テオに仕事を押しつけて、コートを羽織る。硬貨がポケットに入っていることを確かめると、護身用にレイピアを携え外へ飛びだした。

 年末の聖火祭に向けて、街はろうそくや電魔の光で彩られていた。夕暮れの街をぴかぴか照らす華やかな灯りに包まれて、街行く人はどこか楽しげだ。

「あ」

 向かいから歩いてくる二人組を見つけて、声をかければいいのに咄嗟に身を隠してしまった。

 イツキとカイル君だ。カイル君はこちらに一瞬怪訝そうな目を向けて目があったけど、イツキは俺に気づいていなさそうだ。

 細い路地に隠れてそのままやり過ごそうとしていると、俺の聴力に優れた豹耳が二人の会話を拾った。イツキが残念そうにため息を吐いている。

「はあ、やっぱり米はなかったなあ。もしあったら、カイルにも俺の特製料理を食べさせてやったのに」
「俺は炊いて魔力の抜けた食べ物より、イツキの方が食べたい」
「あ……だから、その言い方やめろって……今夜、部屋に行くから」
「ああ、待っている」

 目の前を通り過ぎた二人は、イツキはチャコールグレー、カイル君が青のマフラーを巻いていた。お互いの角の色と、目の色を身にまとっている……

 通り過ぎる際、カイル君が横目で俺を睥睨した。フンと鼻を鳴らし、勝ち誇ったような顔で去っていく。

 二人が通り過ぎた後も、俺はしばらく路地から動けなかった。張りついたように足が動かない。

 恥ずかしそうにカイル君を見上げる、イツキの顔が頭から離れない。彼は隠しているようだが、間違いなく恋慕の念を、カイル君に向けているようだった。

 やりきれなくて、路地の壁をドンと拳で叩いた。

「……なんだよ。俺の方が、先にイツキのことを見つけて、好きになったのに」

 カイル君なんて、最初はイツキのことを見下していたはずなのに。いつの間に、どうやってあそこまで心を通わせたのか。

 悔しくてたまらなかった。有利に交渉を運ぼうと、イツキの方から近づいてくるのを待たずに、もっと積極的に彼に関わっていれば。

 真摯に気持ちを伝えていたら、それとも無理矢理にでも想いを遂げていれば、きっと今とは違う結末になったはずなのに。

 力なく腕を落とす。ザラリとした壁の感触が、柔らかな絹のシャツを毛羽立たせたが、構ってなんていられない。

「なんでだよ……」
「……クインシー?」

 俺の絞りだすような声が聞こえたのか、体格のいい硬派な美形が俺に声をかけてきた。ヴァレリオだ。

 今日は非番なのか、騎士服の外套ではなく、黒いコートに身を包んでいる。

「どうしてこんなところに……一人か?」
「だったらなに……俺に構わないでくれ」
「クインシー? どうしたんだ」

 俺の様子がおかしいことに気づいたヴァレリオが呼び止めてくるが、無視して踵を返す。

 家に帰ろうと足を進めた後で、そういえば便箋を買いにきたんだったと思いだす。くるりと体を反転させ、道をひき返そうとした。

 すると、背後から追いかけてきていたヴァレリオの胸の中に、飛びこむ羽目になった。

「おっと」

 ドンとぶつかっても、まったく体幹をブレさせないヴァレリオ。八つ当たり気味に下から睨みつけると、彼は俺を案じて瞳を曇らせた。

「体調はもういいのか」
「もう平気だ。いいから退いてくれ」
「だったらどうして、まだ辛そうなんだ」
「君には関係ない」

 グッと胸元を押しのけて歩きだすと、彼も一緒についてきた。

「いいや、関係はある。俺は貴方の婚約者だ」
「まだそうと決まったわけじゃない」
「だとしても、貴方は俺の大切な人なんだ。愛する人が苦しんでいるのに、放っておくことなんて俺にはできない」
「だったら!」

 俺はヤケクソ気味に叫んで立ち止まった。ヴァレリオも驚いたように足を止める。

 俺は泣き笑いのような表情で、彼に告げた。

「だったら……忘れさせてくれよ」
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