寂しい竜の懐かせ方

兎騎かなで

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昔話

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真白く染まった雪の森の上を飛んでいく。

「……っくしゅん!」

 吹きつける風がとても冷たい。くしゃみをすると、黒竜は炎の膜を前方に張ってくれた。風が炎で温められて、春風みたいに心地よい。

 落ちないようにしっかりと首を掴んだ。手が疲れてきたなと頭に過ぎった頃、やっとスピネルの巣についたらしい。

 身体を滑りこませて巣に降り立つと、彼はすかさず人の姿をとってジルの両肩に手を置いた。

「ジル……私と共に暮らしたいというのは、本当か? 都合の良い夢でも見ているのではあるまいな」

 赤く瞳孔の開いた目、美しすぎて人間味のない顔が一心にジルを見つめている。彼もジルと一緒にいたいと思ってくれていると感じて、微笑んだ。

「夢じゃないよスピネル。俺はお前と一緒にいたいんだ」

 ジルが背中に腕を回すと、スピネルもおずおずと抱き返してくれた。いつも強引なくせに、こんな時は遠慮するのかとおかしくなる。

「ふふ……」
「なんだ」
「嬉しいんだ。スピネルは俺のこと、いらなくなって捨ててしまったのかと考えていたから」
「なんてことを言うのだ! 私がお前を家族の元に帰すために、どれだけの自制心を振り絞ったと思っておる!」

 カッカと怒りだしたスピネルの背を、撫で下ろし宥める。

「落ち着いてくれ、そんな風に思っていてくれたのか。俺が町に住みたいなんて言ったからか?」
「そうだ。お前の幸せの為ならば、私は孤独に耐えようと思ったのだ。もう二度と後悔はしたくないからな……」
「後悔……?」

 ジルが首を傾げるとスピネルは体を離した。長く節の張った指先が、ジルの露出した手首をなぞる。

「冷えているな。体を温めながらこちらで話そう」

 二人で作った居心地のいい椅子に隣あって座ると、火をつけてくれる。煌々と燃える炎を見つめていると、スピネルは大きく嘆息した。

「かつて、ラースと呼ばれていた時期があってな。独り立ちをした私は人間の町が物珍しくて、よく暇を潰しに空から観察していた」

 ラース……そうか、彼はすでに人と契約をしたことがあったんだな。

 どんな人だったんだろうと気になっていると、スピネルがちょうどその人について話しはじめた。

「その時に、リアと出会ったんだ。リアは破天荒なお嬢様で、自由を愛していた。彼女が家を嫌って飛び出したところに出くわし、私達は心を通わせ絆契約を結んだ。竜の翼があればどこにでも行けると喜んだ彼女と共に、様々な地を巡った」

 スピネルの若い頃は、今よりもっと活動的だったらしい。皺一つない美しい横顔だが、見た目よりも長く生きていると知っている。

「とある港町で、彼女は人間の男と恋に落ちた。男は海賊で、乱暴者だった。二人は愛し合っていたが、育ちのいい彼女はいずれ男についていけなくなり、衝突するであろうことは目に見えていた。思いとどまるよう説得し、リアは航海に出る男を泣く泣く見送った」

 少しの間沈黙を挟んで、静かな声が洞窟内に響く。

「男は帰って来なかった。事故で死んだのか、リアを置いて別の場所に移住したのかはわからない。リアは長い間男を待ち続けていた。それは人間にとっては長すぎる時間で、彼女は老いていった」
「……それで、どうなったんだ」
「リアは言った。お前のせいで私は幸せになれなかったと。竜を信じた私が馬鹿だった、お前とはもう友達でもなんでもないと叫んで……私はその時点でリアとの絆が切れて、人の姿になれなくなってしまった。港町には留まれず、逃げるようにして山の中に巣を作った」

 スピネルは片膝を引き寄せて抱えこむ。憂いを帯びた瞳からは、彼がその時のことを今でも悔いていて、とても傷ついていることが伝わってきた。

 ジルは手袋を脱ぐと、スピネルの手を励ますように握る。

「スピネルのせいじゃない。リアが男を待ち続けたのも、航海についていかないと決めたのも、リア自身がそうすると決めたからだろう」
「だとしても、私は彼女の短い生を無駄に使わせてしまった」
「無駄じゃないよ……きっと一時的に気持ちが昂っただけで、それまでスピネルと友達として過ごしたんだろう? ずっと友達だと思われていたに違いない」

 それ以上なんと言えばいいかわからなくて、褐色の手の甲を摩る。しばらく言葉を探して、口を開いた。

「俺は、スピネルと仲良くなれて嬉しいよ。可哀想なスピネル、友達に裏切られて悲しんでいたんだな。俺ならそんなことはしない。ずっとスピネルの側にいる」
「ジル……いいのか? 私はすでに生ぬるい関係では満足できない。ここに留まると言うのなら、お前を番にしてしまうぞ」
「番って?」

 人らしい生活をして色々なことを学んだけど、それでも聞いた覚えのない単語だ。聞き返すと、彼はジルに視線を寄越した。

「番契約は絆契約とは違って、どちらかが死ぬまで解除されない。絆契約を交わした契約者と身も心も結ばれて、竜が契約者の首筋を噛んで魔力を注ぐことで成立する」

 ジルの顎を指先が撫でる。麗しい顔から魅入られたように視線が外せない。

「ジル、私はお前の双眼に惚れ込んだが、美しい宝石眼以上にお前の心を愛してしまった……今なら家族の元に返してやれるぞ。番契約をすると人の寿命を外れることになる。これが最後のチャンスだ」

 脳裏に母の顔が過ぎったが、彼女の示す道を進むよりも、スピネルの側にいたいと迷いなく言い切ることができる。自ら竜の腕の中に飛び込んだ。

「俺はスピネルのことが好きだ、大好きだ。家族よりも、スピネルの側にいたい」
「そうか……なら、覚悟することだな」

 ジルを片腕に抱き上げて、ベッドに歩み寄っていくスピネル。ああ、緊張してきた……自身の頸をなぞりながら声をかける。

「痛いか?」
「頸を噛むからやはり痛むだろう。やめておくか?」
「ううん、するよ。番契約……恋人同士のように、愛しあうんだろう?」

 身も心も結ばれるって、きっとそういうことだろう。恥ずかしさを堪えながら小さな声で問いかけると、欲望でギラついた瞳と目があう。

「そうだ。ジルがいない間、お前のことばかり考えていた……今すぐにでも繋がりたい」

 低く色気を感じる声に囁かれて、つい瞳を逸らしてしまった。胸元を握る手を無意識に握りこみながら、勇気を出して返事をした。

「わかった……どうやるのか、教えてほしい」
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