寂しい竜の懐かせ方

兎騎かなで

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はじめての町

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 沈黙しているうちに、満足いく出来に仕上がったらしい。竜は肩につかない程度に伸びた髪の毛先をつまんで、ちゅっとキスを落とした。

「……!」
「出来たぞ。女にしては短い髪だが、ショールを被れば誤魔化せるだろう。私も支度をしてくる」

 スピネルは黒に銀糸で刺繍がされた服を引っ張り出してきて着ると、自身も髪を一つに束ねた。洗練された衣装が恐ろしいほどに似合っている。

 貴公子と化したスピネルは、ジルの格好を上から下まで眺めてから頷いた。

「ふむ、悪くない。可愛らしいぞ」

 可愛らしいと言われるのは、子どもの時以来だ。可愛らしい顔だなあと猟師に言われるたびに、男らしくないってからかわれているのかと怒っていたジルだから、微妙な気分になった。

「……それって褒められているのか?」
「女の格好をしている時に、かわいいと褒めるのは間違ってはいないだろう」

 スピネルは目を細めて微笑んだ。そうか、ドレスを着ている自分はかわいいのかと思うと、途端に恥ずかしくなってくる。

 スカートを握りながら所在なく立っていると、荷物を用意し終えた彼は声をかけてきた。

「さあ、そろそろ出立の時間だ」

 スピネルは竜の姿に戻ると、背中に紐状の布を被る。それが終わると、乗れとばかりにお腹を洞窟の床につけて伏せた。尻尾側からよじ登り、巻かれた布がある場所まで辿り着く。

 布は一部分が鞄のように膨らんでいて、体が挟めるようになっていた。毛皮が敷き詰められたその中にすっぽり入って身を納めると、スピネルはのそりと立ち上がる。

「わっ」
「しっかり掴まっていろ。飛ぶぞ」

 ずん、ずんと数回足元から振動が響いた後、大きな翼が左右に開いて洞窟の外へと滑空する。紐を握って風圧に耐えた。

 外は身体中の毛が逆立つほど寒いので、顔だけを出して辺りを確認すると、素晴らしい速さで景色が遠ざかっていくのがわかった。

 前回スピネルに攫われた時とは打って変わって、快適な空の旅だ。肩までぬくぬくと毛皮に挟みこまれながら、一面の銀世界を渡っていく。

 外の景色を見るのも寒くなってきて、頭ごと毛皮の中に潜りこんだ頃、スピネルが声を上げた。

「そろそろ降りるぞ」

 バサバサと羽ばたきながら、スピネルは森の中の開けた場所に着地をした。雪に足を取られないよう気をつけて降りると、黒竜は人の姿をとった。

「ここからは歩いて向かう。ついてこい」

 スピネルは迷いのない足取りで森の中へと分け入っていく。ジルはショールを頭から被り直して彼に続いた。

「この先に人の町があるんだな。何度か行ったことのある場所か?」
「そうだ。人間には悪意を持つ者もいるから、私から離れるでないぞ」
「わかった」

 大人しくついていくと、やがて木々の合間から家々の群れが見えてきた。色とりどりに塗られた屋根が目を惹く。ジルの住んでいた小屋よりも、大きい家屋がたくさん並んでいた。

 手前にはレンガの積まれた高い壁があったが、スピネルはジルを腕の中に抱えるとなんなく飛び越える。

「あ、わっ」
「誰もおらぬようだ。今の内に忍びこもう」

 スピネルは壁の上から降りると、何食わぬ顔で通りを歩きだす。ジルは初めて見る景色に視線を忙しなく動かした。

「家がこんなに……全てに人が住んでいるのか」
「さあな。大体は住んでいるのではないか」

 傾斜の強い屋根から雪の塊が滑り落ちてきて、驚いてスピネルの腕を掴んだ。彼は唇の端を釣り上げてククッと笑う。

「こんなことで驚いていては、店につく頃には疲れ果ててしまうぞ」
「ああ、うん。雪が落ちただけだったな」

 気恥ずかしくて腕を離そうとすると、グッと肩を引き寄せられた。

「……っ!」
「このままくっついていろ。お前が驚きすぎて気絶しても、すぐに抱えられる」
「そんなに驚いたりしない!」
「そうか? フフ……」
「笑うな!」

 肩を怒らせながらもピタリと身を寄せたまま、大通りへと出た。通りは雪がはけていて濡れた石畳が露出している。行き交う人々の姿を、ぽかんと口を開けて眺めた。

「うわあ……」

 美しく染色された深緑色のコートに、ツヤツヤの毛並みの襟巻きをした紳士が目の前を通りすぎていく。

 冬場は毛皮のマントを被って過ごすジルとはずいぶん違う姿に気をとられながら、スピネルに促されて足を動かした。

 暖かそうな毛糸のマフラーをつけた髪の長い人は、胸が膨らんでいた。

 女の人だ……初めて見た女性はジルよりも柔らかそうで髪が長くて、隣を通り過ぎると微かにいい匂いがした。

 人とすれ違う度にいちいち足を止めそうになるジルを、スピネルはさりげなく腰を抱いて歩かせる。人通りは徐々に増えていき、華やかな装飾を施された店が通りを彩りはじめた。

「ここに入ろう」

 スピネルは一軒の店の前で足を止めた。丁寧に磨かれた金属製の扉を押し開けると、中は暖かかった。

 様々な布がディスプレイされ、服が並べられている。商品に気を取られていると、男の店員に話しかけられた。

「いらっしゃいませ旦那様。本日は何をお求めでしょうか」
「手袋はあるか」

 店員はスピネルとジルに視線を走らせ、黒髪で異国風の美形に目を見開いた。その後、一瞬奇妙な物を見るように二人の服装に目を留めたが、すぐににこりと愛想よく微笑む。

「もちろんですとも。奥様用でしょうか」
「ああ」
「お持ち致しますので、お掛けになってお待ちください」

 ジルの知らない丁寧な言葉を使う店員は、恭しく頭を下げて店の奥へと引っ込んでいく。示された椅子に腰掛けて、凝ったデザインの布を見上げながら感嘆の吐息を漏らした。

「世の中にはこんなにも美しい物があるのか……」
「お前の瞳が一番美しい」

 淡々とした口調で真顔で告げられた言葉に、この時ばかりは心臓が跳ねた。今までだって何度も聞いた言葉なのに、やけに胸の奥まで響く。

 じわりと頬が熱くなってきて、自身の不可解な反応に首を傾げた。

「お待たせしました」

 店員は皮でできた手袋を五着ほど持ってきてくれた。

 果実の色のように鮮やかな赤、ジルの髪色より薄い黄色、そんな色とりどりの手袋の中で、黒く飾り気のない手袋に心を惹かれた。

「つけてみろ」

 スピネルに手袋を手渡されて、手を通してみる。皮は柔らかく、まるでジルのために誂えたようにぴったりだった。

「この手袋にしよう。足りるか」

 スピネルが金貨を手渡すと、店員は何枚かの銀貨と銅貨を寄越した。彼は貨幣を受け取ると無造作にポケットにつっこみ、手袋に包まれた手を撫でる。

「これで指先を冷やさずにすむ。寒がりなお前には重宝するであろうな」
「……もらっていいのか?」
「お前のために買ったのだ。使ってくれ」

 指先だけでなく、お腹の底からポカポカと温かな気持ちに包まれる。手袋を眺めているうちに、スピネルは何に使うのか香油を購入していた。見慣れない瓶を見てジルは首を傾げる。

「それはなんだ?」
「油だ。これもお前のために必要な物だ」
「何に使う物だろう」
「後でな」

 スピネルはジルの手を引いて立たせて、店の出入り口の方へと先導した。

「ありがとうございました」

 店員の言葉を背中に受けながら店を出ると、ちょうど店に入ろうとしている人と目があった。目尻に薄く皺が寄っている女性は品のいいドレスを着ていて、メイドを引き連れている。

 なぜかその顔に見覚えがあるような気がした。じっと見入っていると、スピネルも足を止めてその女性を見ていることに気がつく。
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