寂しい竜の懐かせ方

兎騎かなで

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友達よりも近い距離

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 月明かりは弱く、ジルには顔の輪郭しか見えなかった。

「深く考えなくていい、私が手伝いたいと思ったからやった。それだけだ」

 スピネルはそれだけ告げると、ジルを柔らかく抱きしめて目を閉じてしまった。それきり返事は返ってこない。

 全力疾走したように早鐘を打つ心臓の速度が、まだ通常に戻らない。スピネルと触れている場所が妙に熱く感じて、身じろぎをするとますます抱きしめられた。

 どうしよう、なんでこんなことに。混乱した頭で考えても一向に答えは出なかった。

 友達同士でこういうことをするのは、おかしいはずだ……死んだ猟師に頭の中で問いかけると、深く頷いてくれた。

『なあジル、おめえの瞳はえれえ綺麗だし、見られる顔をしとる。人に会うことがあれば、粉をかけられるかもしれねえなあ。

 世の中には男でも構わねえって奴らもいるから、しっかり自衛するんだぞ。触られて嫌なやつには、弓の一本でも射掛けてやれ。

 綺麗な姉ちゃんだったら大人しく乗られとくのもありかもな。ははは』

 触られても嫌じゃなかった場合は、どうすればいいんだ。猟師の言う通りに大人しく乗られておけばいいのか、考えただけでも脳内が沸騰しそうだ。

 ジルは頭を抱えたかったが、スピネルの体が邪魔で手が頭まで届かない。しょうがないので肩口にぐりぐりと額を擦りつけてやった。

 世にも美しい竜は全く取り合う気配がない。諦めて目を閉じた。いつまでも動悸がして、とても眠れそうにない。

そのまま長い間、スピネルの温かさを堪能して過ごした。


*****


 スピネルとの共寝はその後も続いた。葉が完全に落ち雪が降り始める頃には寒さが本格的になってきて、とてもじゃないが一人では眠れなかった。

 おかしいな、小屋で一人で住んでいた時には真冬で雪が降っていても、厚手の毛布と毛皮を被れば十分だったのに。スピネルに抱かれて眠るのは、やめられない中毒性がある。

 やめてほしいと思いつつも、いざ夜になって当たり前のように腕の中に収められてしまうと、その中から抜け出す気になれなかった。

 また性欲処理を手伝われたら、心臓がいくつあっても保たない。ジルはスピネルが出かけている間にひっそりと処理するようになった。

 けれど、膨らんだ竿を握った時脳裏に浮かんでくるのは、あの夜のスピネルだ。ジルの雄の象徴を握りこんで、摩って……考えると興奮してしまい、見る間に吐精してしまう。

 友達相手にこんな風になるのはおかしいと戸惑いながらも、スピネルが帰ってくると嬉しくて、ぴたりと寄り添いながら過ごした。

 洞窟から見える景色を、雪が一面の白に塗り替えた日のことだ。朝ジルは用を足し終えた後、洞窟の入り口辺りに一羽の小鳥が息絶えているのを見つけた。

 崖の際まで歩みより、冷たくなった体を手のひらの上にそっと横たえていると、奥からスピネルが近づいてきた。

「ジル、そこは危ないから早く中へ戻れ……それはなんだ」
「ああ……群れから逸れた鳥だろう。可哀想だから弔ってやりたいな。土に埋めてもいいか?」

 鳥はすでに冷たく体を凍らせていて、死後時間が経っているようだった。誰にも知られずにひとりぼっちで死んでいったのだろう。

 早めに気がついていれば、凍える体を温めてやって、助けられたのかもしれないのに。やるせない気持ちで目を伏せた。

「お前が埋めるのか?」
「していいならやりたいけど」
「駄目だ、許可できない」

 スピネルはやはりジルを外に出したくないらしい。半ばわかっていたことだったから、すんなりと受け入れて苦笑した。

「そう言うと思ったよ。それならスピネルが埋めてあげてくれないか? なあ、お願いだ」

 懇願すると、スピネルは不可解そうに眉を顰めながらも、ジルの手のひらに乗った鳥を受け取った。

「食べないのか? 腐っていないぞ」
「可哀想だと思ってしまったらもう、駄目なんだ」
「お前の感覚はよくわからないな。まあいい、埋めてきてやる」

 スピネルは竜の姿になると、爪先で小鳥を掬って空へと飛び去った。

 ジルは宝飾品を磨いたり、掘り出し物がないか探しながらスピネルの帰りを待った。

 帰ってきたスピネルは戻るなり人の姿をとった。彼が人の姿をとる時は、ジルの話に付き合ってくれる気分の時だ。喜びの気持ちを唇に乗せ、微笑みながら近づいた。

「おかえり、スピネル。ちゃんと小鳥は地面に埋めてくれたのか?」
「ああ」
「ありがとう……」

 神の御許に帰った魂が安らかでありますようにと黙祷をしていると、スピネルはどこか遠くを見るようにして、天井付近に目をやった。

「小さな生き物は、すぐに死んでしまうから嫌いだ」

 その声色に寂しがっている雰囲気を感じたジルは、スピネルの手をとった。

「そうか……お前にとってはほとんどの生き物がそうなんじゃないか? 俺も含めて」

 ジルは竜ほど大きな生き物を見たことはなかったし、猟師もこの世で一番大きくて強い生き物は竜だと教えてくれた。スピネルもその自覚があるのだろう、静かに頷いた。

「そうだな。鳥も狐も人も、すぐに死ぬ。死んでしまう」

 スピネルはジルの双眼にじっと視線を落とし、そしてジルのことを抱きしめた。

「わかっているのにな。お前のことはどうしても、連れ帰りたくなってしまった」

 痛くなる寸前まで力を込めて抱き締められて、かつてない反応に目を見張る。

「どうした? なにかあったのか」
「ジル、温かいな」
「そうだな。生きているから」
「お前は死ぬなよ」
「急になんだ、まだ死ぬ気はないぞ」

 スピネルは小麦色の髪を大切そうに撫でながら、独り言のように呟く。

「可哀想と思ったらもう駄目か……」
「なに?」
「いや、情が移った」
「さっきからなんなんだ」

 からかうように文句を言いながらも、スピネルと触れあうのが心地よくてぎゅっと抱き返した。
しばらくするとスピネルは体を離し、ジルの両肩に手を置き顔を近づけてきた。

 美しい赤がぼやけて、唇同士が触れあった。パチリと瞬きをすると、すぐに唇は離れていく。

「今のは……」

 ジルはキスを知らなかった。性器については隠しておくべき恥ずかしいものという認識があるジルだったが、その他の恋人同士の知識についてはさっぱりだ。

 スピネルはジルの無知を察したのだろう、唇が愉しげに弧を描いた。

「心が通じあった者同士がする、愛情表現だ」
「愛情表現……?」

 なんだそれは。知らない言葉だ。親しいとかそういう意味だろうか。

「友達だから口をくっつけたのか?」

「いや、友達よりももう少し距離が近いほうがいいと、私は思っているのだが。どう思う? ジル」

 額をくっつけられながら尋ねられて、心臓の鼓動が速くなる。

 友達よりも仲良しってことは、どういうことなんだ。恋人は男女がなるものだと聞いたし、スピネルは竜だから恋人になりたいわけじゃないのだろう。

 ジルはその関係の名前を知らなかったが、スピネルと口を合わせるのはちっとも嫌ではなかったから、ぎゅっと唇を引き結びながら頷いた。

「いいよ。友達よりも近い関係になろう」
「……ふふ、ああ。よろしく頼む」

 笑った! なんて綺麗なんだろう。赤い宝石のような瞳は煌めいて、喜色を滲ませている。

 今まで目にしたどんな表情よりも魅了されて、縫い付けられたみたいに視線が離せなくなる。再び顔が近づいてきても、逃げる気なんて微塵も起こらなかった。

「ふ……」

 優しく唇を啄まれて、唇の隙間から吐息が漏れていく。
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