寂しい竜の懐かせ方

兎騎かなで

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魔法を教えてくれないか

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 もう少し適切な距離感というものを学んでほしいと思ったジルは、一つ提案をすることにした。

「あのな。お前にいいことを教えてやろう」
「なんだ」
「俺の近くに寄れるのは、関係性が近い者だけだ。例えば恋人とか親子とか、友達もそうだな」

 ジルが知っている人間は猟師だけだが、その猟師が初対面の人とは距離を置くものだと言っていたのだから、間違いはないだろう。

 恋人も家族もよくわからないが、友達よりも近しい存在らしい。初対面のスピネルは友達よりも遠い存在だろう。

「ほう、なるほどな」
「俺はまだスピネルのことをよく知らない。お前も俺のことがわからないだろう」
「まあ、そうだ」
「お互いのことがわかってきたら、その時に友達になろう。その頃には、お前の心の傷も治っているといいな」

 スピネルはジルの言い分を聞いて、血のように赤い目を伏せる。

「友達など、くだらない」
「なんでそんな風に言うんだ?」
「……」
「だんまりか。ところで、いつまでも裸のままでいられても落ち着かないから、服を着ないか?」

 服は宝の山の中にあるのを見かけた。布類も金貨も宝石も、何もかもがごちゃ混ぜで積まれているその中にわけ入って、スピネルが着られそうな衣装を探しだした。

 宝石が縫い付けられた派手な服を手にとる。

「ほら、これを着てみろ」
「はあ……人間とは面倒なものだな」

 服一式を見つけだして着てもらうと、それはもう素晴らしい美男子が出来上がった。

 世の中にはこんなに美しい人がいるのかと感心してしまう。いや、彼は人ではなくて竜なのだが。

「似合っているよ」
「窮屈だ」
「窮屈でも人の形をしているなら、服は着るべきだ。さあ、肉を捌くから手伝ってくれ」

 ジルはスピネルが寂しがっている様子を見て、すっかり絆されてしまった。

 言葉を交わせる友達がほしかったしちょうどいい。

 どうせスピネルはジルを洞窟から出す気はないのだから、彼の気が済むまでつきあおうと思った。

 財宝の山に紛れていたナイフを手にとり、なるべく平らな岩を見つけてその上に狐を置いた。首に切れ目を入れて逆さに吊るす。

 しばらく待った後、皮をはいで肉を部位ごとに分ける。

 落ちた血や内臓などは全てスピネルが炎の魔法で焼いて、跡形もなく片付けてくれた。

「火を自在に使えるなんて、竜は器用な生き物なんだな」
「人間どもの魔力の扱い方がなっていないだけだ」
「俺にも教えてくれないか」

 本当は、ずっと使ってみたいと思っていた。人に恐れられる力、身を滅ぼす力。

 猟師からは魔力を発現させるなとキツく言い含められていた。

 けれど、ジルには失うものなんて何もないのだ。

 そして今、側にいるのはジルの魔力に怯える人ではなく、竜であるスピネルだけだ。

 スピネルは無言でジルを見下ろした。何か言いたそうな顔をしている。

「なんだ?」
「魔法を教えれば、帰りたいと言わないか?」
「いや、帰りたいよ。だがそう訴えても、お前は俺をここから出さないつもりなんだろう。だったら何か暇つぶしにできることがほしい」

 アルノー達が無事でいるかどうか心配だが、彼らは元々野生の生き物だ。ジルがいなくとも生きていけるだろう。

 今はそれよりも、心の傷を負っているという自覚がない竜を、治してやりたい思いが強かった。

 赤い瞳は迷うように揺れていたが、やがて頷いた。

「……いいだろう。教えてやるが、私が巣を空けている時に勝手に使うのではないぞ。お前のように人の器からはみでそうなほどに魔力がある場合、下手な使い方をすれば身を滅しかねん。わかったな」
「わかった、約束する」

 ジルだって命を失いたくはないから、大人しく聞き入れた。

 魔力のことは何もわからないので、スピネルの意見に全面的に従おう。

 狐を捌き終えたので、すぐに食べない分は綺麗な布で包んでおく。

 洞窟の外を見ると、空に日が高く昇っているのがわかった。ちょうど昼時辺りだろう。

 自分で出した火で肉を炙って食べてみたいと、やる気がむくむくと湧いてきた。

「さあ、早速火の起こし方を教えてくれ」

 スピネルは奇妙な生き物でも見るような目をジルに向けた。

「お前は何を言っているんだ。どう見てもお前には火属性の魔法は使えない。土と、それから水の属性だろう」

 どうやら瞳の色によって使える魔法が変わるらしい。

(なんだ、火の魔法が使えたら便利だったのに……)

 火打ち石で火を起こすのは時間がかかって面倒だから、あまり好きではない。

 肩を落とすジルの目の前で、スピネルはいとも簡単に何もない空中で火を起こしてくれた。

「まずは肉を焼いて食べろ。話はそれからだ」

 スピネルに木の棒を拾ってきてもらい、串焼きにして狐の肉を食べた。

 血抜きをするのが遅かったので多少生臭いが、食べられないほどではない。命を粗末にしないよう、焼いた分は残さずに食べた。

「スピネルも食べるか?」
「ふむ、わざわざ焼いて食べるとは、人間は酔狂なことをする」

 そんな風に言いながら、生焼けの肉にひょいと齧りつく。

 人の姿をしているといっても牙は鋭く、肉を噛み切りやすそうな歯の形をしている。

 ほとんど丸呑みしながら、彼は面倒臭そうに首を振った。

「ちまちまと食べるのは性にあわん」

 そう言うや否や、スピネルは元の巨大な竜の姿に戻って、爪先で摘んだ肉を串ごと口の中に放り込み、一口で食べてしまった。

 あっけにとられているジルの目の前で、ゴクリと肉を飲みこんだ黒竜は再び人の姿に戻る。おかしなことに、ちゃんと服も着たままだ。

「私はもういらぬ、残りはお前が食え」
「元の姿にも戻れるんだな」
「何を当たり前のことを言っている」

 当たり前らしい。スピネルにとっては、服を着たまま変身するのも当たり前にできることなのだろう。

 まるでどうなっているかわからないと目を見張りながらも、肉を平げた。


**2**


 洞窟に攫われてきてから、もう十日以上が経った。スピネルとの暮らしは想像した程は悪くなかった。

 欲しいものや必要な物を告げると、どこからともなくスピネルが仕入れてきてくれる。

 体を綺麗にしたいとお願いすれば、大きなたらいに水をたっぷり汲んできてくれたし、肉以外のものも食べたいと言えば木の実をとってきてくれた。

 しかし弓や斧などは、危ないから使うなと制限されてしまった。

 それでは困ると訴えるとナイフすらも取り上げられそうになったから、武器は調達できていない。弓の腕前が鈍りそうだ。

 ジルは藁を重ねた上に布を敷いたベッドに寝転がり、雲の移り変わりを見つめながらスピネルの帰りを待っていた。

 厚手の毛布が欲しいとお願いしたが、果たしていつ帰ってくるだろうか。吹き込む風に肩を竦めながらひたすら待ち続けた。

 スピネルは太陽が地平から顔を見せる頃に巣から出て、真上に上がりきる前に帰ってきたから、どうやら近くに人里があるようだ。

「今度俺も人のいるところに連れていってくれないか」

 彼はジルの手のひらくらいの大きさの真紅の瞳をギロリと光らせ、ジルを見下ろした。

「連れていったら逃げ出すつもりだろう」
「そんなことはしないよ、俺の小屋がどこにあるかわからないのに。ただ、気になるんだ。町がどんなところで、人がどのくらいいて、買い物はどうやってするのか」
「別に面白くもなんともない、普通だ」

 その普通がジルにはよくわからない。しつこく尋ねるとスピネルはそっぽを向いてしまった。

 大きな黒い尻尾をそっと、鱗の向きに沿って撫でる。

「悪かったよ、機嫌を直してくれ。今日は魔法を教えてくれないのか?」
「仕方がないな」

 スピネルはのそりと頭を持ち上げると、シュルシュルと縮んで人の姿をとった。
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