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宝石の涙
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突然、背後からお腹周りを爪で掬いとられて引き戻される。
「っひ!?」
「落ちれば死ぬぞ。それとも死にたいのか」
死にたくはない、まだ生きていたい。自力で脱出することは諦めた。
竜との交渉も難しそうだし、他に何かないのかと洞窟内を歩き回る。
光の届き辛い奥の方に、光る物が大量に積まれているのに気がついた。
小走りで近づいてみると、貴金属や宝石、光を弾く布など、ありとあらゆる美麗な物が無造作に、山のように置いてあった。
「これは……」
「人間の国からせしめてきた物だ。だがこの中のどんな物よりも、お前の瞳の方が美しい。それはもう必要ないから、好きにしろ」
許可をもらえたので、興味の赴くままに近づいてみる。
本物の宝石は、ジルが想像していたよりずっと綺麗だった。赤色の石の中で複雑に光を弾く様は、いつまでも見ていられる。
初めて見る物ばかりだったので竜に尋ねると、その中のいくつかは名称を知っていたらしく教えてくれた。
知って何になると言いたげな、ぞんざいな口調ではあったが。
「お前は貨幣も知らないのか」
「ああ、使ったことがない。これがあれば物と交換できるんだろう? 不思議だ」
指先ほどの大きさの金貨で、肉や野菜が机に乗り切らないほど買えると猟師は言っていた。
こんな金属片にそこまでの価値があるのだろうか、確かに複雑な模様が掘り込まれているけれど。
他にも気になる物を見つけた。覗き込むと人の姿が映るのだ。
小麦色の髪に左右の目の色が違う人間の姿が鮮明に写り、びっくりして手のひらから落としてしまった。
「わっ、中に誰かいたぞ! これは俺なのか?」
「鏡だ。落とすと割れることがある」
慌てて拾いあげると、ヒビは入っておらず無事だった。
自分の顔なんて水鏡でしか見たことがないジルは、生まれて初めて自分の正確な顔を知った。
サファイアとシトリンの両眼はなるほど、宝石と言われてもおかしくないほどにキラキラと光を反射して、複雑で繊細な色合いをしている。
見ていると吸い込まれそうになる妖しい魅力を感じた。
顔立ちの美醜はよくわからなかったが、眺めていて不快だとは感じない。
どちらかというと美しい方だと言えるのではないか。
猟師と比較してみると、彼よりも左右対称に整っていて、肌はつるんとしており切長の瞳をしていて、唇は薄いかもしれない。
「どうだ。お前の瞳は素晴らしく美麗であろう」
「そうかもしれない」
「そうかもではなく、確実にそうだ」
竜が再び瞳を覗きこもうと鼻先を寄せてくる。
大きな口が眼前に迫ると食べられるのではと恐怖してしまう。心臓に悪いからやめてほしい。
「完璧な宝石眼だ。永く生きているが、ここまで美しい瞳には出会ったことがない」
「そんなことで褒められても嬉しくない、いいから早く家に帰してくれ」
「帰さないと言ったであろう」
(やはり口では説得できそうにない)
困りきって視線を財宝の山に落とすと、一本の装飾されたナイフを見つけた。刃こぼれもなく使えそうだ。
これを持って竜に戦いを挑むか? ……いや、やめておこう。どう頑張っても勝てるイメージが湧かない。
やはりジルの力では、この洞窟から抜け出すことは難しそうだった。
途方に暮れて洞窟の隅に座り込んでいると、竜は狐をジルの前に転がした。
「食え。食わないと人間はすぐに死ぬと聞いた」
「そんなにすぐには死なない……食欲がないんだ」
「では、どうすればいい」
「家に帰してくれって言ってるだろう……」
「断る」
「お前には心がないのか、こんなにも真剣に訴えているのに」
黒竜は瞳を眇めて喉の奥で唸るように鳴いた。
「心など私には必要ない。そんなものは役に立たない。不要だ」
ジルは顔をあげて竜を見つめた。声音と雰囲気から、何か言葉にならない寂しさを感じ取ったからだ。
「……お前、本当は寂しいのか?」
「寂しい? そんなことがあるわけがなかろう」
しかしジルには確かに、寂しいと言っているように感じるのだ。怪我を負った友達と同じような姿に重なって見えた。
「……俺はジルっていうんだ。なあ、お前の名前はなんなんだ」
「名前など要らぬ」
「それじゃ呼ぶ時に不便だろう。わかった、俺がつけてやる……スピネルはどうだ」
竜の瞳は綺麗な赤色で、まるで宝石のようだと思ったジルは、思いつくままに赤い宝石の名前を告げた。
すると不思議なことに竜の体が光り始め、みるみる小さくなり人の姿をとった。
褐色の肌に長い黒髪、血のように赤い瞳の全裸の青年は、ジルが今まで見たことのあるどんな生き物よりも美しかった。
彼の表情にはなんの感情も乗ってはいない。
けれど確かに心の深い部分で泣いているような気がして、ジルは自分よりも背の高い彼をそっと抱きしめて、背中を撫でてやった。
「こうすると落ち着くだろう。お前は怪我をしていたんだな、目には見えない心の怪我だ」
ひくりと竜の背中が振動する。ジルは気にせずに撫で続けた。
「傷ついているのなら、俺が治してやりたい。そして、怪我が治ったら友達になろう」
「友達……」
スピネルの瞳から、つう……と一筋の雫が流れ落ちる。彼は不思議そうに長い指を顔へと滑らせた。
「なぜ……こんなものが」
「悲しいのか?」
「私は悲しくなどない」
「そうか」
悲しくないと告げた竜の声は強張っている。きっと認めたくないのだろうと、それ以上の追求はやめておいた。
ジルが彼の背を撫でるたびに、赤い瞳から涙がこぼれ落ちていく。
スピネルはしばらくされるがままになっていたが、やがてジルの体を押して離れた。
拳で涙を無造作に拭くと、自身の浅黒い肌を見て首を傾げる。
「絆契約が成ったのか」
「なんだそれは」
「竜と人がお互いに心を開き、魔力ある人間が竜に名前をつけることで魂が繋がる。契約が発動すると、竜は人と似たような姿を取ることができるようになる……」
竜は呆然としながら言葉を紡ぐ。
「だが、私はお前に心を開いてなどいないはずだ」
「へえ、そうなのか」
スピネルは心を開いていないと言い張っているが、彼の言うことが本当であったなら絆契約は成立していないはずだ。
きっとスピネルはすごく鈍感な竜なのだろう。先程もなぜ泣いているのかと不思議そうにしていたし。
(立派ななりをしているのに、自分の気持ちもわからないのか)
面白く感じて少しばかり綻んだジルの表情を見て、スピネルは顔を思いきり近づけてきた。
「うわっ」
赤い瞳の中央に、縦に長い瞳孔が開いているのをつぶさに観察できた。近すぎる。驚いた拍子に笑顔が吹っ飛んだ。
「そうだ、その顔だ。笑うと瞳の輝きが強くなる。美しいぞ、もっと笑え。おい、なぜ笑顔を引っ込めるんだ」
「詰め寄られてびっくりしたからだよ。ちょっと離れてくれ」
スピネルは大人しく離れてくれたが、納得していなさそうな様子で腕を組んだ。
「離れたら瞳がよく見えないではないか」
今後もこの調子で近づかれたら心臓に悪い。
「っひ!?」
「落ちれば死ぬぞ。それとも死にたいのか」
死にたくはない、まだ生きていたい。自力で脱出することは諦めた。
竜との交渉も難しそうだし、他に何かないのかと洞窟内を歩き回る。
光の届き辛い奥の方に、光る物が大量に積まれているのに気がついた。
小走りで近づいてみると、貴金属や宝石、光を弾く布など、ありとあらゆる美麗な物が無造作に、山のように置いてあった。
「これは……」
「人間の国からせしめてきた物だ。だがこの中のどんな物よりも、お前の瞳の方が美しい。それはもう必要ないから、好きにしろ」
許可をもらえたので、興味の赴くままに近づいてみる。
本物の宝石は、ジルが想像していたよりずっと綺麗だった。赤色の石の中で複雑に光を弾く様は、いつまでも見ていられる。
初めて見る物ばかりだったので竜に尋ねると、その中のいくつかは名称を知っていたらしく教えてくれた。
知って何になると言いたげな、ぞんざいな口調ではあったが。
「お前は貨幣も知らないのか」
「ああ、使ったことがない。これがあれば物と交換できるんだろう? 不思議だ」
指先ほどの大きさの金貨で、肉や野菜が机に乗り切らないほど買えると猟師は言っていた。
こんな金属片にそこまでの価値があるのだろうか、確かに複雑な模様が掘り込まれているけれど。
他にも気になる物を見つけた。覗き込むと人の姿が映るのだ。
小麦色の髪に左右の目の色が違う人間の姿が鮮明に写り、びっくりして手のひらから落としてしまった。
「わっ、中に誰かいたぞ! これは俺なのか?」
「鏡だ。落とすと割れることがある」
慌てて拾いあげると、ヒビは入っておらず無事だった。
自分の顔なんて水鏡でしか見たことがないジルは、生まれて初めて自分の正確な顔を知った。
サファイアとシトリンの両眼はなるほど、宝石と言われてもおかしくないほどにキラキラと光を反射して、複雑で繊細な色合いをしている。
見ていると吸い込まれそうになる妖しい魅力を感じた。
顔立ちの美醜はよくわからなかったが、眺めていて不快だとは感じない。
どちらかというと美しい方だと言えるのではないか。
猟師と比較してみると、彼よりも左右対称に整っていて、肌はつるんとしており切長の瞳をしていて、唇は薄いかもしれない。
「どうだ。お前の瞳は素晴らしく美麗であろう」
「そうかもしれない」
「そうかもではなく、確実にそうだ」
竜が再び瞳を覗きこもうと鼻先を寄せてくる。
大きな口が眼前に迫ると食べられるのではと恐怖してしまう。心臓に悪いからやめてほしい。
「完璧な宝石眼だ。永く生きているが、ここまで美しい瞳には出会ったことがない」
「そんなことで褒められても嬉しくない、いいから早く家に帰してくれ」
「帰さないと言ったであろう」
(やはり口では説得できそうにない)
困りきって視線を財宝の山に落とすと、一本の装飾されたナイフを見つけた。刃こぼれもなく使えそうだ。
これを持って竜に戦いを挑むか? ……いや、やめておこう。どう頑張っても勝てるイメージが湧かない。
やはりジルの力では、この洞窟から抜け出すことは難しそうだった。
途方に暮れて洞窟の隅に座り込んでいると、竜は狐をジルの前に転がした。
「食え。食わないと人間はすぐに死ぬと聞いた」
「そんなにすぐには死なない……食欲がないんだ」
「では、どうすればいい」
「家に帰してくれって言ってるだろう……」
「断る」
「お前には心がないのか、こんなにも真剣に訴えているのに」
黒竜は瞳を眇めて喉の奥で唸るように鳴いた。
「心など私には必要ない。そんなものは役に立たない。不要だ」
ジルは顔をあげて竜を見つめた。声音と雰囲気から、何か言葉にならない寂しさを感じ取ったからだ。
「……お前、本当は寂しいのか?」
「寂しい? そんなことがあるわけがなかろう」
しかしジルには確かに、寂しいと言っているように感じるのだ。怪我を負った友達と同じような姿に重なって見えた。
「……俺はジルっていうんだ。なあ、お前の名前はなんなんだ」
「名前など要らぬ」
「それじゃ呼ぶ時に不便だろう。わかった、俺がつけてやる……スピネルはどうだ」
竜の瞳は綺麗な赤色で、まるで宝石のようだと思ったジルは、思いつくままに赤い宝石の名前を告げた。
すると不思議なことに竜の体が光り始め、みるみる小さくなり人の姿をとった。
褐色の肌に長い黒髪、血のように赤い瞳の全裸の青年は、ジルが今まで見たことのあるどんな生き物よりも美しかった。
彼の表情にはなんの感情も乗ってはいない。
けれど確かに心の深い部分で泣いているような気がして、ジルは自分よりも背の高い彼をそっと抱きしめて、背中を撫でてやった。
「こうすると落ち着くだろう。お前は怪我をしていたんだな、目には見えない心の怪我だ」
ひくりと竜の背中が振動する。ジルは気にせずに撫で続けた。
「傷ついているのなら、俺が治してやりたい。そして、怪我が治ったら友達になろう」
「友達……」
スピネルの瞳から、つう……と一筋の雫が流れ落ちる。彼は不思議そうに長い指を顔へと滑らせた。
「なぜ……こんなものが」
「悲しいのか?」
「私は悲しくなどない」
「そうか」
悲しくないと告げた竜の声は強張っている。きっと認めたくないのだろうと、それ以上の追求はやめておいた。
ジルが彼の背を撫でるたびに、赤い瞳から涙がこぼれ落ちていく。
スピネルはしばらくされるがままになっていたが、やがてジルの体を押して離れた。
拳で涙を無造作に拭くと、自身の浅黒い肌を見て首を傾げる。
「絆契約が成ったのか」
「なんだそれは」
「竜と人がお互いに心を開き、魔力ある人間が竜に名前をつけることで魂が繋がる。契約が発動すると、竜は人と似たような姿を取ることができるようになる……」
竜は呆然としながら言葉を紡ぐ。
「だが、私はお前に心を開いてなどいないはずだ」
「へえ、そうなのか」
スピネルは心を開いていないと言い張っているが、彼の言うことが本当であったなら絆契約は成立していないはずだ。
きっとスピネルはすごく鈍感な竜なのだろう。先程もなぜ泣いているのかと不思議そうにしていたし。
(立派ななりをしているのに、自分の気持ちもわからないのか)
面白く感じて少しばかり綻んだジルの表情を見て、スピネルは顔を思いきり近づけてきた。
「うわっ」
赤い瞳の中央に、縦に長い瞳孔が開いているのをつぶさに観察できた。近すぎる。驚いた拍子に笑顔が吹っ飛んだ。
「そうだ、その顔だ。笑うと瞳の輝きが強くなる。美しいぞ、もっと笑え。おい、なぜ笑顔を引っ込めるんだ」
「詰め寄られてびっくりしたからだよ。ちょっと離れてくれ」
スピネルは大人しく離れてくれたが、納得していなさそうな様子で腕を組んだ。
「離れたら瞳がよく見えないではないか」
今後もこの調子で近づかれたら心臓に悪い。
応援ありがとうございます!
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