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1巻
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さっきから俺にやたらと構うのはそれが理由か? だとしても物好きなヤツだ。
次に連れてこられた三人の奴隷はそれぞれ、山羊、鹿、猪だった。ジビエにしたら美味しいヤツらだな。怯えきった表情をしていて、本当にダンジョンで役に立つのか疑問が残る。
「こいつらは?」
奴隷商は四本指を立てた。さっきよりは安いがまだ買えそうにない。こんなことならスマホも売っぱらっておくべきだったか。オーパーツだろうからと遠慮しちまった。
「ほかのも見たい。直接見せてくれないか」
「かしこまりました」
大人しくしていたおかげか、すんなりカーテンの奥へ通してくれた。動物臭がよりキツくなり、鼻を覆いながら檻の中を見てまわる。家事奴隷は百万程度からそろっていたが、戦闘奴隷は値段が高い。
一通り見たところ、四肢が欠損しておらず病気持ちでもなくダンジョン探索ができそうで、手持ちの金で買えそうなのが一人だけいた。
そいつは獣人じゃなかった。大きな山羊の角が生えているが耳は頭上についておらず、人間の耳より尖ったエルフみたいな耳が生えている。
悪魔だそうだ。
クインシーがへえと声を上げた。
「こんなに育った個体なんて初めて見たかも。手元に置いても大丈夫なの?」
「もちろん制御内ですよ。珍しく尾がないタイプの異形でして、まだ若いので安全です」
「本当に? 俺には危うく思えるけれど」
なんの話をしてるんだこいつらは。悪魔は子どもじゃないと危ないのか? 制御がどうとか言っていたが……
奴隷を見ながら考える。灰色にくすんだ髪の奴隷はうつむいていて薄汚れているが、生気を失ってはいなかった。よくよく観察して気づいたが、奴隷たちにつけられた首輪には、微量に魔力がこめられているようだった。だがこの奴隷からは首輪よりも大きな魔力を感じる。
魔力を使って奴隷を観察していると、彼から反応があった。
薄暗いから見えにくいが、赤みを帯びた紫の瞳だ。それと目があう。
……ごくりと、彼の喉が鳴った。極限の飢えの果てに、ご馳走を目の前に差し出されたかのような顔をしている。先ほどまで地に視線を這わせて力なく座りこんでいたのが嘘のように、こちらをギラギラした目で見つめてくる。
気づけば俺は、ニヤリと口角を上げていた。
「なあ、俺、こいつを買いてえな」
クインシーはギョッと目を見開いた。
「えっ本気? 悪魔の大人なんて、奴隷紋の制御が効かずに逆襲されかねないよ?」
奴隷紋って、この首輪についてるやつのことだろうな。確かにこの悪魔の魔力に比べたら、首輪のほうはちっぽけな量の魔力しかこめられていない。
これでは行動の制御も効かなくなるだろうさ、わかってる。
(問題ないぜクインシー。俺にはそれをどうにかできそうな、ギフトとやらがあるからな)
心配そうな表情の彼に、返事代わりに不敵に笑って問いかける。
「なあクインシー、悪魔の主食はなんなのか知ってるか?」
「飢えれば獣人と同じ物でも食べるらしいけれど、ひどく偏食だって聞いたことがあるよ」
豹獣人は面食らった表情をしたが、きちんと質問には答えてくれた。奴隷商が会話に割りこむ。
「おお、さすが博識でいらっしゃる! 悪魔の好物は新鮮な果物や採れたての魚で、新鮮であればあるほど力が満ちるそうですぞ。一説によれば命あるものの魔力を喰らっているのだとか……」
「へえ、そうなんだ。面白そうな話だね、もっと聞かせてよ」
クインシーが続きを促すと、奴隷商はイキイキと話を続けた。
「実際に試した者はおりませんので、嘘か真かわかりませぬが。誰だって命は惜しいですからな! 悪魔に魔力を与えるなど、自殺行為にほかならない……高明なる貴方様であれば、重々ご承知なされているとは存じますが」
「はは、まあね。君ほど悪魔について知らないけど」
「扱う商品について熟知しておくのは、商人としての務めですから! ですので、悪魔の奴隷を買う時の注意点としましては……」
饒舌に話す奴隷商の言葉を、にこやかに聞きながら情報を引きだすクインシー。楽でいいわ。
奴隷商は最初に悪魔を買う上での注意点を告げた後、悪魔についての魅力を語りだした。
いわく、魔力が満ちておらずとも並の獣人より強く、見目も麗しい者が多いとか。
それに対して、クインシーが魔力が多すぎると奴隷紋が機能しなくなり反抗されるとか、見目が麗しいからって性奴隷にしようとして寝首をかかれたヤツもいる、なんて話をにこやかにぶっこんでいた。
厄介な奴隷の在庫処分をしたい店主と、俺に悪魔を買ってほしくないクインシー、二人の舌戦を興味深く聞きとる。
なるほどな、筋力は大型獣人より劣るが中型獣人よりは強く、魔力を使えればそこらの獣人なんぞ相手にならない、と。しかし魔力を与えすぎると危ないので、成長して魔力量が増えてくると危険だという話だった。
俺にとっては理想の奴隷だな。百二十万くらいで買える奴隷で、これ以上の条件の者はいないだろう。魔力が満ちると反抗される件についても、解決する手立てはもう思いついている。
それぞれの主張をぶつけあう二人を置いて、俺は悪魔に問いかけた。
「お前、ここから出たらなにがしたいんだ」
「……」
悪魔はギラギラとした瞳のまま、俺を穴が空くほど凝視している。
「なあ、なにがしたい」
「……別に、なにも」
なんもねえのかよ。腹が減りすぎて思考が鈍っているのかもな。質問を変えるか。
「俺はダンジョンを攻略したいんだが、つきあってくれるか?」
彼は赤紫の瞳を瞬かせ、戸惑ったような目で俺を見た。いつまでもだんまりで返事をしないので、強めに催促してみる。
「協力するならここから出してやる。なあ、答えろよ」
「……ダンジョン。いいだろう、つきあってやる」
不遜な口調でそう返答があった。強気そうでいいね。こういうヤツはやる気を焚きつければ扱いやすいだろう。
その瞳からは、魔力の飢えを満たしたいという願望が痛いほどに宿っているのを読みとれた。
アンタの望みが魔力ならば、俺が満たしてやる。代わりに俺の用事にもつきあってもらうぞ。言質はとったからな。
「こいつにする。購入手続きがしたいんだが」
「やめたほうがいいって! 俺の話聞いてた? こんな扱いにくくて危険な奴隷より、ほかの優良奴隷を買うべきだよ。お金なら出すから」
「必要ないって言ってるだろ。さあ早く」
奴隷商を急かすと、彼はカバ鼻を膨らませて速やかに対応した。
「かしこまりました旦那様。引き渡しの用意のあいだ、契約書に記入をお願いいたします」
「あ~、ちょっとちょっと……もう、どうなっても知らないよ?」
「どうにもならねえから」
「なにその根拠のない自信! 怖いんだけど!」
根拠ならある。お前には教えてやらねえが。
「こちらの契約書にサインをお願いします」
渡された厚い紙に記された契約事項を読みとる。
万が一、奴隷紋の整備を怠り奴隷に殺された場合は自己責任、遺族からの慰謝料請求には応じない、という文面に失笑する。心配しなくても家族はいねえよ。
奴隷を解放するのも主人の好きにしていいが、返品の場合は奴隷商にお声をおかけください、買い取らせていただきます、か。タダで解放するより、売って儲けようとする主人のほうが多そうだな。
一通り読み終えておかしなところはなかったため、サインをする。クインシーも口を挟まなかったし、これでいいのだろう。初めて書く字なので少々歪な形になったが、問題なく受理された。
「では、奴隷を連れてまいります」
奴隷商が出ていくと、クインシーは俺の頭上に手を伸ばした。なにをするつもりだと戸惑ったが、そういや奴隷購入に協力したら耳を触らせてやるって言ったんだったわと、つい避けそうになるのを踏みとどまる。
わしゃわしゃと遠慮なく、髪ごと耳を撫でるクインシー。
「あああっ、めちゃくちゃ肌触りがいい毛並みだなあ……! この毛並みが失われるかもしれないと思うと、正気ではいられないよ!」
なんで失うこと前提に考えてるんだお前は。俺は死なねえよ。
「イツキ、困ったことがあればいつでも俺を頼ってくれ。遠慮はいらないからね」
いきなり手をとられてギョッとしてひっこめようとすると、手の中になにか硬い物を握らされる。
「マーシャル家のクインシーに用事だと伝えてこれを見せたら、俺んちに入れるようにしとくから。絶対失くさないでね?」
「いや、いいって」
「いいからもらってよ、俺の心の安寧のために!」
渡されたのはシンプルなペンダントだった。黄色の石がついていて高そうだ。こんな高価そうな物、預かりたくはねえんだが。
「物取りに真っ先に狙われそうじゃねえか、こんなもん」
「ちゃんと首に巻いて、しっかり服の中に隠すんだ。わかったね?」
「だからいらないって言うのに」
「ダメだよ! こんなにかわいい兎ちゃんが、死……うわああぁ! やっぱり今からでも考え直さない!?」
「嫌だね」
「この頑固ちゃん! でもかわいい!」
執拗に指先で毛並みをとかされる。ふわっわしゃっ、もふもふっ、もふぁふぁふぁふぁ……
「しつこい! もう終いだ」
「ええー!?」
いつまでも触ってんじゃねえよとにらみつけると、本気でショックを受けていた。そんなに俺の耳が気に入ったのか。なんかくすぐったいし落ち着かないから、これ以上は触らせねえぞ。
(それにしても、マーシャルね。厄介そうなのと関わりを持っちまったな。いや、味方にできるならそう悪い話でもねえか?)
この都市の名を持つ家の御子息様は、まだ俺の耳に名残惜しげな視線を送りながら忠告をよこした。
「本当に気をつけてよ? そもそも耳だって、本来は家族や恋人にしか触らせないものなんだからね? もちろん知ってると思うけど……こんな不用心に触らせて俺は心配だよ~」
お前の常識が俺の常識と一緒だと思うなよ? もちろん知らなかったぜ、そんなこと。今度からは土下座されても触らせねえ。
やっと奴隷商が戻ってきた。貫頭衣というのか、灰色の粗末な布を身につけた悪魔が、首輪についた金属鎖に引きずられてついてくる。ボロボロのズボンも身につけていた。
奴隷は立っているとかなり背が高いことがわかった。長身のクインシーよりわずかに背が高い。
「旦那様、こちらをどうぞ」
「ああ。世話になったな」
クインシーにペンダントを突き返すのはやめて、手早く首に下げ服の中にしまいこむ。持っていてくれと懇願されたし、なにかの役に立つかもしれない。一応もらっておくことにした。
奴隷商から受けとった手鎖はズッシリと重かった。早くとりてえ、こんな重いもん。
「ところで、マシな服は売っていないのか」
「でしたら古着屋を紹介いたしましょう。あの店でしたらその奴隷にあうサイズの服もございます」
ああ……この悪魔は長身細身だもんな。大型獣人はムキムキマッチョが基本で、クインシーやこの悪魔みたいな体型は珍しいから、この奴隷館には用意してないのか。
古着屋の場所を聞いた後、ついでに紙も数枚買わせてもらえるよう交渉し手に入れた。奴隷商には変な顔をされたが、俺には必要なんだよ。
建物から出てもクインシーはなにか言いたげな表情だったが、暮れてきた空を見上げるとなにやら慌てだした。
「おっと、もうこんな時間か……イツキ、少しでも制御に綻びがあったら迷わず俺を頼るんだ、わかったね?」
「心配しなくても俺はどうもならねえよ」
「あーもう、君ってヤツは……! とにかく俺はもう行くから。そこの奴隷、イツキになにかしたら俺が容赦しないからね!」
ビシッと奴隷に指を突きつけてから、クインシーは走り去っていった。
騒がしいヤツだったな。だがあいつのおかげで助かったのも事実だ。
本当にのっぴきならない事態になったら、あいつに雇ってもらう選択肢もありか……どんな無茶を押しつけられるかわかったもんじゃねえが。
尊い血のお貴族様にとっては、俺みたいな市民権すらない小物、使い潰すのに良心は痛まないだろう。大勢のために少数の犠牲を決断する必要のある立場にいるからな、貴族ってやつは。
俺は今、社会的弱者な立場にいるわけだし、ここの法制度は日本に比べてまだまだ未整備のようだから、用心は忘れないようにしておこう。それにしてもずいぶん粘着質に心配されたが……なんだろうなあいつは。深く考えてもわからねえし、ひとまず置いておくか。
「さてと、行くか」
俺が歩きはじめると彼もついてくる。肉食獣が足音を殺して歩くようなしなやかな歩き姿からして、歩行に支障はないようだ。今のところ暴れだしそうな気配もない。
無闇に主人に逆らう馬鹿でもないらしい、やはりいい買い物をしたな。
「アンタの服を買いに行く。なにか希望はあるか?」
「……窮屈でなければなんでもいい」
古着屋で服を数着選んだ。あまり選ぶ余地もなかったが。予想した通り悪魔にしっくりきそうなサイズの服は、そんなに数がなかった。どれも貴族が身につけていたかのような衣装で、値が張ったが仕方ない。悪魔ということを隠す必要がある時用にとローブも買う。
俺も数着平民着を選んで購入した。必要かもしれないので貴族っぽい服も探したが、俺のサイズだと女性用か子ども用しかない……仕方なく子どもサイズを一着買っておいた。
意外と散財したな。手持ちの金は四分の一まで減ってしまった。明日ダンジョン用の装備や武器を買う金があるだろうか。
物価を確かめたいところだがもう日が落ちる。夜はさらに治安が悪くなるだろうから、大人しく宿に戻ることにした。
白枝のせせらぎ亭には裏口から入った。奴隷とわかるような身なりの者を連れて表から堂々と入ると、面倒くさそうな気配がしたからだ。
借りた部屋に入りベッドに腰かける。さて、どっから話すかな。
立ったままの悪魔を前にして、話の前にすることがあると気づいた。
「おい、まずは体を洗ってこい」
綺麗な宿の部屋の中にいると、汚い姿が余計に浮き彫りになった。檻の中の動物臭がまだ漂っている気さえする。彼も汚れている自覚はあるのか、大人しく俺についてきて浴室へ足を向けた。
「蛇口は……あるな。水も出るし、石けんもあるのか。コレを使って汚れがすべて落ちるまで洗えよ。服は新しいのを置いとくから」
悪魔は無言でうなずき、浴室で体を洗いはじめた。これでしばらく考えをまとめられるな。ベッドに戻ってスニーカーを脱ぎ胡座をかく。
奴隷商とクインシーの話を思い出してみる。そもそも悪魔とは獣人と違う生態を持ち、山脈を隔てた隣国で暮らしているものらしい。彼らの独り立ちは五歳と早い。
あまりにも生態が違いすぎて相容れず、獣人を襲う者が多いことから、見つけたら討伐すべきという風潮だ。子どもなら奴隷にしてしまう。
なるほど、獣人が悪魔を恐れるわけだな。しかしあの悪魔は理性があるように思えたし、すぐに獣人を襲うような輩は魔力に飢えていたんじゃないかと思う。
彼らは好奇心から、または獣人を襲うためにこの国を訪れると言われている。実際のところは故郷から追い出されたか、腹が減ってメシを探しに来たってとこだろうか? 頃合いを見て本人に聞いてみてもいいな。
悪魔は子どもでも危険な存在だ。奴隷にした後でもうっかり魔力を与えすぎると反抗され、逃げ出されたり最悪殺されたりすることもある。
それでも悪魔は貴重で、見目も麗しくコレクションとして見栄えがする。魔力を研究するのにも都合がいい。だから子どもの奴隷は需要がある。
しかし大人になると魔力が増え、奴隷紋の制御が効かなくなる。必然、大人の悪魔は買われることなく値段は暴落し……制御が完全に効かなくなる前に殺処分になる者も多いんだとか。
あいつは若いが子どもには見えない。青年になりたてってところか。だから貴重な悪魔といえど、俺でも買えるほどに安かったんだな。
魔力を蓄え成熟した悪魔は、獣人が束になっても勝てないほど強いと聞いた。
だとしたら、俺はあいつを育てて使いこなしてみせる。
気合いを入れてから、奴隷商のところで仕入れた紙にボールペンで魔法陣を描きはじめた……別に厨二病を極めているわけではないからな?
そうではなくて、俺にはこの世界の魔法の理が手にとるようにわかるのだ。
この世界に来た瞬間から腹の中にある力の正体は、魔力で間違いなかった。そして俺は、すでにその魔力を使いこなしている。
クインシーが言っていたギフトなるものは、この魔力自体のことではなく、もっと特別な力を指していた。
俺が持つギフトは『魔力の支配』だ。魔力について意識するだけでその知識を得られる。
それだけでなく、魔力の検知、譲渡、使用に対して常に最高の効率で使役できるし、魔力を帯びた攻撃や精神支配を受けても、そのすべてをねじ伏せ、思いのままに魔力の方向性や力の種類を変えられる。経験したわけではなくとも、自分にはそれができるのだと本能でわかった。
魔術師って職業があるかは知らんが、あるとしたら垂涎ものの能力だ。俺自身の魔力もおそらく多いほうだろう。あの弱っている悪魔はそれでもほかの獣人より魔力が多いようだが、俺の魔力はさらにその十倍近い。
この魔力を餌にしてあいつと契約を結ぼうと思う。奴隷紋で一方的に縛るのでなく、お互いに利のある対等な契約をな。
考えをめぐらせてほくそ笑んでいると、濡れ髪の悪魔が浴室から出てきた。首筋を覆う程度の長さで途切れた髪と鼻筋にかかるほどに長めの前髪は、灰色ではなく鈍く光る銀色だったようだ。
いぶし銀とでも表現すればいいのか、派手すぎない色だ。今は濡れているせいか、黒っぽく見える。均整のとれた体はかなり痩せているものの、目立った傷はない。煤を落とした肌は眩しいほど白く、顔立ちも悪くなかった。
いや、悪くないどころじゃない。灰銀に鈍く輝く髪の隙間から、野生味のある美貌が見え隠れしている。ハッキリ言ってタイプだ。思わず目を奪われそうになって、顔から視線を逸らす。
貴族風の服の中でも、動きやすそうなシャツとトラウザーズを身につけた悪魔は、首輪さえなけりゃどこぞの貴公子みたいだ。
腕を組んでニヤリと笑うと悪魔は訝しげに俺を見つめた。主人だからとへりくだらない、目を伏せることもしないし敬語すら使わない。奴隷としては失格かもしれないが、相棒としては頼りになりそうじゃねえか? しっかり役に立ってくれよな? 相棒。
とは思ったものの舐められてちゃ、まとまる話もまとまらねえ。俺の示す条件でうんと言わせるにはどうすりゃいいか。腕の見せ所だな。
「さて。アンタは俺の奴隷となったわけだが。まずは自己紹介といこうじゃないか」
ヤツはますます目を細めて、なんだこいつと言いたげに顔をしかめる。
「俺は鏑木樹。アンタの名は?」
「……俺の名など、どうでもいいだろう」
低い声が鼓膜を震わせる。声まで好みだった。少しくらいムカつくことを言われても許してしまいそうな、得な声をしている。
「威勢がいいな。一応俺はアンタの主人なんだが?」
彼はハッと吐き捨てるようにして返答した。
「ロップイヤーの最弱小型獣人が、俺の主人気どりだと? ダンジョンなんてバカなこと言ってないで、万年発情期の兎らしく腰を振っていろ」
おっ、なかなか言うなこいつ。思った通り骨がある……けど若いな。後先考えずに喧嘩吹っかけてもアンタにとって損だぜ?
俺は足を組んで、努めてにこやかに言葉を紡いだ。
「言いたいことはそれだけか?」
歯牙にもかけない俺の態度を前にして、彼は気圧されたように押し黙る。
営業と顧客からの無茶な二重要請と常に戦ってきた俺の肝はこの程度の挑発じゃ揺らがねえぞ。
「では俺からも伝えさせてもらおう。アンタに要求することは基本的に二つだ。一つ、俺の身を守ること。二つ、俺の秘密を守ること」
赤紫の神秘的な瞳が、立てた人差し指をうさんくさそうに見ていた。
「それを間違いなく遂行するのであれば、対価を与えよう。少しくらい口が悪かろうと見逃してやる……もっとも、俺の機嫌次第で供給量は変わるかもしれねえが」
指先を腹の前に持っていくと、視線がそれを追いかけてくる。
「お前は俺の魔力が欲しいんだろう?」
ごくりと喉が鳴った。またあの飢えた目をしている。
よっぽど腹が空いているのだろう。魔力を餌にすれば確実に釣れそうで内心安堵する。
奪いとろうと隙をうかがっているのがわかる。今にも飛びかかってきそうだ。
おおかた警備のキツい牢屋から出たら、舐めた考えの主人の前で奴隷紋をぶっちぎって魔力を奪おうって魂胆だったんだろうが、そうはいかねえよ?
いつでも攻撃魔術を放てると余裕を見せつけながら、彼に提案をもちかける。
「契約をしよう。こんな不完全な術式の枷とは違って、対等な契約を」
「ハッ。契約だと? 獣人風情が扱えるようなものでは……」
ヤツの目の前に先ほど用意した紙を掲げた。彼は俺の用意した魔法陣を見るなり瞠目し、その後舐めるように検分する。
「いい出来だろ? アンタが契約を破った場合は、それまで与えた魔力を返してもらう術式を埋めこんである」
「これは……くそ、お前悪魔か?」
「悪魔はお前だろ」
「違う」
いや違わないだろ。半眼で彼を見やるが、魔法陣相手に唸るばかりで俺には目もくれない。
悩んでいるな。そりゃそうか、契約が守れなかった場合は魔力をとられるんだから。魔力を喰って生きるこいつにとっては、命をとられるのと同義だ。
魔力を無理矢理奪いとるより、譲渡されるほうが味も質もずっといい。俺の新たな知識はそう教えてくれた。
目の前の悪魔もわかっているのだろう、だからこそ悪魔も俺を襲わずに、大人しく話を聞いている。けれどこれだけ悩んでいるってことは、俺の魔力はよっぽど魅力的に見えるらしい。
案の定、悪魔は質問してきた。
「テメェの身を守るってのは、ダンジョン内での話か」
「基本はそうだが、俺がアンタに休みを与えない限り、護衛として身を守るように要求する」
「休み、あるのか」
「そりゃあるだろ。そうだな、七日のうち二日じゃ少ないか?」
悪魔は呆れたような表情をした。なんだよ、働かせすぎってか? 俺なんて半月に一度しか休日がない時もあったんだぞ?
「三日に一度がいいか?」
「いや……七日に一日でも十分すぎるだろう。俺がいない時はどうやって身を守るつもりだ」
「結界を張って家にこもる」
ますます呆れたような表情をされた。なぜだ。
「なんだ、言いたいことがあるならちゃんと言えよ」
「……故意ではなく、力が及ばず守れなかった場合は?」
だからなんで呆れたんだよと気になるものの、契約について前向きに考えてくれているので、問いに答えることを優先する。
「それはその時々で話しあって決める。その時までにお互いに信頼関係が築けているといいな」
にっこり笑いかけると顔を背けられた。
おいおい、仲良くしようぜ相棒? 仲を深めるには対話と笑顔、大事だろ?
「さあ、ほかに質問がないなら対等な契約を結ぶぞ」
「なにが対等だ、俺のほうが枷が重いだろう」
「対等だろ、お前も納得して契約を結べるように、言葉を尽くしてお願いしているんだから」
魔力の少ない獣人世界で、ご飯をたらふく食べられるなんて幸福なことじゃないか?
俺の提案に迷ってるくらいなんだから、どうせ出身国にも居場所なんてないんだろ?
「嫌ならいいんだぜ? 悪魔として獣人に討伐されるか、飢えて力尽きるか。それとも腹を満たすために、大量殺人犯として追われる人生を送るのか」
指折り数えると、悪魔は嫌そうな顔をした。そういうルートは好みじゃないらしい。
実際は断られると俺も文なしの護衛なしで困るわけだが、そんなことには気づかせず余裕たっぷりに見えるように微笑む。
「でなければ、俺と契約してダンジョンに潜って金を稼ぎながら護衛して、お腹いっぱい魔力をもらうか。どっちがいいんだ?」
「……チッ」
悪魔は観念したかのように、床にどかりと座りこんだ。よしよし、賢明な判断だ。なに、お前がちゃんと契約通り働いてくれるなら命まではとらないさ。そういう風に契約を弄っておいてやろう。
「決まったな。契約に必要だからお前の真名をよこせ」
「……ウィリアム」
ウィリアムとか顔に似合わねえな、と魔法陣に名前の一文字目を書いたところで手が止まる。
魔力が乗らないぞ、偽名じゃねえか。ジロリと悪魔相手に凄みをきかせた。
「テメェふざけてんのか? 真名をよこせと言ったんだ。飢えすぎて頭が馬鹿になったのか?」
なんでそうすぐバレる嘘をついたんだ、こいつは。契約しはじめたらすぐわかることだろうに。
彼は稀有な色の眼を瞬かせて、目に見えてうろたえた。
……ひょっとして普通はわからないのか? そうか、契約途中の魔力なんて見えないからな、おかしいなんてわからないのか。しょうがねえな、言いたくなるように後押ししてやろう。
「ほら、アンタが真名を潔く渡す気になれるよう、一口だけ味見させてやるよ」
魔力を指先に乗せて、眼前に差し出す。強気に見えても飢えは限界に近かったらしく、彼は躊躇なく俺の手をとって舐めはじめた。
カッと頬に熱が昇り、発情した獣のような目つきで俺を焼く悪魔。はは、情熱的だな?
思わず口角をつりあげると、彼は立て膝をついたまま見せつけるようにして指先に舌を這わせた。
「美味い、もっとだ」
「だったらわかるな?」
「カイル」
濡れた唇で名を告げるカイルは、頑なに俺の手を離そうとしない。
力強く握られる手はそのままにして、続きを促す。
「それだけじゃないよな?」
「……カイル・ウィルプス・ルド・プルテリオン」
今度は嘘じゃないな。魔法陣に乱れなく魔力が流れるのを視て確信する。
魔力の流れが視えるってのは、想像以上に便利だな。今後も大いに活用させてもらおう。
さあ、お待ちかねの契約だ。契約文を読みあげなきゃならねえからちょっとばかし恥ずかしいが、我慢して唱える。
「鏑木樹はカイル・ウィルプス・ルド・プルテリオンに魔力を与える。魔力の対価として鏑木樹を護衛し、秘密を守ることとする」
どこぞの貴族か王族のような無駄に長い名前を、がんばって噛まずに読めるよう集中する。紙に書いたボールペンの字が魔力を帯びて光りはじめた。
「契約違反の判定が互いで異なった場合、当人同士の話しあいで決めることとする。樹の契約違反時には全魔力の八割までを奪われても、鏑木樹は抗議の申し立てができない」
カイルは意外そうに眉をピクリとさせた。
アンタを飢えさせるつもりはねえからな。魔力を渡さないってことは起こらねえだろうが、一応契約に加えておけばカイルも安心できるだろう。
「カイルの契約違反時はカイル・ウィルプス・ルド・プルテリオンの、生命維持及び身体機能に関わる魔力以外を鏑木樹に返還する」
ハッと俺を振り仰ぐ白皙の美貌に、ニヤリと笑いかける。バツが悪そうに顔を背けられた。
契約違反をしたら命をとられると思ってたんだろ? 俺はアンタに無理矢理言うことを聞かせたいわけじゃない。
最初は魔力目当てでもなんでもいい。俺が信頼に足る人間だということを、今後の行いで学んでいってくれよな。そしてそのうちアンタも俺のことを、相棒扱いしてくれたら最高だ。
故郷に帰れない者同士、仲良くやっていこうぜ。帰れねえと決まったわけでもないが。
「以上をもって契約を締結する。なお契約陣は結界により、契約破棄時まで恒久的に守られる」
カシュン! と硬質な音がして魔法陣の光が消え失せた。硬く石板のように変化した厚紙を魔力で作った空間の中に入れる。複製したものをカイルに差し出すと、彼は素っ頓狂な声を上げた。
「おま、は!? インベントリ……テメェ本当に獣人か!?」
カイルが目をカッと見開いて俺を指差した。インベントリ機能を魔力で作れないなんて、この世界の獣人は脳筋ばかりっぽいな。まあ俺も、さっき作れると気づいたばかりだが。
この程度で驚いてちゃ、俺の能力の全容を理解した日にゃ倒れるぞ? なんせ俺がファンタジー世界で魔法だと認識しているようなことは、だいたい再現できるんだから。
異世界トリップものにお約束のチートってやつだろうか。魔王を倒せと言われたわけでもないのに、こんないい能力をくれるなんて神様も気前がいい。
「獣人に見えるよなあ? 俺にも俺が何者だかよくわからねえが、これで俺とアンタは契約で結ばれたパートナーだ。仲良くやろうぜ」
「はあ……早まったか? ああでも、あんな魔力を味わった日には……」
またもの欲しそうな目をしている。待て待て、それより先にやることがある。
「もうこんな、ないよりマシ程度の魔術具はいらねえな」
奴隷紋のつけられた首輪を外す。スッキリした首筋を手で確かめたカイルが、腑に落ちないという顔をした。
「どうした?」
「いや……誰にも拾われず、殺処分される未来も近いと思っていたからな」
「間にあってよかったぜ。じゃあ早速、カイルには契約を履行するために必要な魔力を与えよう」
カイルは待ってましたとばかりに指先に吸いついた。夢中で指を舐めたくられて、むずむずとくすぐったさに肩をすくめる。
しかもその顔が非常に色気にまみれていてだな……魔力を与える度にそんなエロい顔されたら、そのうち俺まで勃っちまいそうだ。なんかいい譲渡方法を考えないと。
腹が満たされたカイルといったら、その変化に笑ってしまうほどだった。刺々しい空気はどこへやら、ぽわんと幸せそうな顔をして魔力の残滓を舌で転がしている。
「はあ……っ」
「艶めかしいため息ついてんじゃねーぞ、ったく……俺は下の食事処で飯を食ってくるが、アンタはどうする?」
「行く」
その途端に元のキリッとした顔つきに戻るカイル。もうちょい余韻を味わってもらってもよかったんだが。目のやりどころに困るほどに眼福だったしな。
カイルは自分のインベントリを展開し、契約陣の石板をしまいこんでいた。なんだよ、アンタも使えるんじゃねえか。
ランクの高い宿らしく、食事は上質な食材が使われたワンプレート料理だった。この世界の食事はなかなか悪くない。黄緑色の謎ジュースもいざ飲んでみると美味しかった。
護衛らしく俺の背後に控えるカイルに話しかける。
「アンタ、普通の食事は食べるのか? もし欲しいならやるよ、俺には量が多すぎるから」
「そうだな、少しは足しになる。今は腹が満ちているが」
カイルは手を伸ばして、紫色のトマトっぽい野菜をつまんで食べた。
「……薄いな」
「アンタにはどんな味に感じるんだ」
「かすかに甘いが、エグみがある」
「魔力を食べてるって解釈でいいんだよな?」
「そうだ」
本当に魔力だけでこんなに育ったのかと長身を見上げる。
顔もいいし服も立派だし、こうしているとまったく奴隷には見えない。
「ああそうだった、アンタの分の宿泊料金も払わねえと」
「奴隷の料金はいらないはずだろう」
「今のカイルを見て奴隷だと思うヤツがいると思うか?」
「あ……」
次に連れてこられた三人の奴隷はそれぞれ、山羊、鹿、猪だった。ジビエにしたら美味しいヤツらだな。怯えきった表情をしていて、本当にダンジョンで役に立つのか疑問が残る。
「こいつらは?」
奴隷商は四本指を立てた。さっきよりは安いがまだ買えそうにない。こんなことならスマホも売っぱらっておくべきだったか。オーパーツだろうからと遠慮しちまった。
「ほかのも見たい。直接見せてくれないか」
「かしこまりました」
大人しくしていたおかげか、すんなりカーテンの奥へ通してくれた。動物臭がよりキツくなり、鼻を覆いながら檻の中を見てまわる。家事奴隷は百万程度からそろっていたが、戦闘奴隷は値段が高い。
一通り見たところ、四肢が欠損しておらず病気持ちでもなくダンジョン探索ができそうで、手持ちの金で買えそうなのが一人だけいた。
そいつは獣人じゃなかった。大きな山羊の角が生えているが耳は頭上についておらず、人間の耳より尖ったエルフみたいな耳が生えている。
悪魔だそうだ。
クインシーがへえと声を上げた。
「こんなに育った個体なんて初めて見たかも。手元に置いても大丈夫なの?」
「もちろん制御内ですよ。珍しく尾がないタイプの異形でして、まだ若いので安全です」
「本当に? 俺には危うく思えるけれど」
なんの話をしてるんだこいつらは。悪魔は子どもじゃないと危ないのか? 制御がどうとか言っていたが……
奴隷を見ながら考える。灰色にくすんだ髪の奴隷はうつむいていて薄汚れているが、生気を失ってはいなかった。よくよく観察して気づいたが、奴隷たちにつけられた首輪には、微量に魔力がこめられているようだった。だがこの奴隷からは首輪よりも大きな魔力を感じる。
魔力を使って奴隷を観察していると、彼から反応があった。
薄暗いから見えにくいが、赤みを帯びた紫の瞳だ。それと目があう。
……ごくりと、彼の喉が鳴った。極限の飢えの果てに、ご馳走を目の前に差し出されたかのような顔をしている。先ほどまで地に視線を這わせて力なく座りこんでいたのが嘘のように、こちらをギラギラした目で見つめてくる。
気づけば俺は、ニヤリと口角を上げていた。
「なあ、俺、こいつを買いてえな」
クインシーはギョッと目を見開いた。
「えっ本気? 悪魔の大人なんて、奴隷紋の制御が効かずに逆襲されかねないよ?」
奴隷紋って、この首輪についてるやつのことだろうな。確かにこの悪魔の魔力に比べたら、首輪のほうはちっぽけな量の魔力しかこめられていない。
これでは行動の制御も効かなくなるだろうさ、わかってる。
(問題ないぜクインシー。俺にはそれをどうにかできそうな、ギフトとやらがあるからな)
心配そうな表情の彼に、返事代わりに不敵に笑って問いかける。
「なあクインシー、悪魔の主食はなんなのか知ってるか?」
「飢えれば獣人と同じ物でも食べるらしいけれど、ひどく偏食だって聞いたことがあるよ」
豹獣人は面食らった表情をしたが、きちんと質問には答えてくれた。奴隷商が会話に割りこむ。
「おお、さすが博識でいらっしゃる! 悪魔の好物は新鮮な果物や採れたての魚で、新鮮であればあるほど力が満ちるそうですぞ。一説によれば命あるものの魔力を喰らっているのだとか……」
「へえ、そうなんだ。面白そうな話だね、もっと聞かせてよ」
クインシーが続きを促すと、奴隷商はイキイキと話を続けた。
「実際に試した者はおりませんので、嘘か真かわかりませぬが。誰だって命は惜しいですからな! 悪魔に魔力を与えるなど、自殺行為にほかならない……高明なる貴方様であれば、重々ご承知なされているとは存じますが」
「はは、まあね。君ほど悪魔について知らないけど」
「扱う商品について熟知しておくのは、商人としての務めですから! ですので、悪魔の奴隷を買う時の注意点としましては……」
饒舌に話す奴隷商の言葉を、にこやかに聞きながら情報を引きだすクインシー。楽でいいわ。
奴隷商は最初に悪魔を買う上での注意点を告げた後、悪魔についての魅力を語りだした。
いわく、魔力が満ちておらずとも並の獣人より強く、見目も麗しい者が多いとか。
それに対して、クインシーが魔力が多すぎると奴隷紋が機能しなくなり反抗されるとか、見目が麗しいからって性奴隷にしようとして寝首をかかれたヤツもいる、なんて話をにこやかにぶっこんでいた。
厄介な奴隷の在庫処分をしたい店主と、俺に悪魔を買ってほしくないクインシー、二人の舌戦を興味深く聞きとる。
なるほどな、筋力は大型獣人より劣るが中型獣人よりは強く、魔力を使えればそこらの獣人なんぞ相手にならない、と。しかし魔力を与えすぎると危ないので、成長して魔力量が増えてくると危険だという話だった。
俺にとっては理想の奴隷だな。百二十万くらいで買える奴隷で、これ以上の条件の者はいないだろう。魔力が満ちると反抗される件についても、解決する手立てはもう思いついている。
それぞれの主張をぶつけあう二人を置いて、俺は悪魔に問いかけた。
「お前、ここから出たらなにがしたいんだ」
「……」
悪魔はギラギラとした瞳のまま、俺を穴が空くほど凝視している。
「なあ、なにがしたい」
「……別に、なにも」
なんもねえのかよ。腹が減りすぎて思考が鈍っているのかもな。質問を変えるか。
「俺はダンジョンを攻略したいんだが、つきあってくれるか?」
彼は赤紫の瞳を瞬かせ、戸惑ったような目で俺を見た。いつまでもだんまりで返事をしないので、強めに催促してみる。
「協力するならここから出してやる。なあ、答えろよ」
「……ダンジョン。いいだろう、つきあってやる」
不遜な口調でそう返答があった。強気そうでいいね。こういうヤツはやる気を焚きつければ扱いやすいだろう。
その瞳からは、魔力の飢えを満たしたいという願望が痛いほどに宿っているのを読みとれた。
アンタの望みが魔力ならば、俺が満たしてやる。代わりに俺の用事にもつきあってもらうぞ。言質はとったからな。
「こいつにする。購入手続きがしたいんだが」
「やめたほうがいいって! 俺の話聞いてた? こんな扱いにくくて危険な奴隷より、ほかの優良奴隷を買うべきだよ。お金なら出すから」
「必要ないって言ってるだろ。さあ早く」
奴隷商を急かすと、彼はカバ鼻を膨らませて速やかに対応した。
「かしこまりました旦那様。引き渡しの用意のあいだ、契約書に記入をお願いいたします」
「あ~、ちょっとちょっと……もう、どうなっても知らないよ?」
「どうにもならねえから」
「なにその根拠のない自信! 怖いんだけど!」
根拠ならある。お前には教えてやらねえが。
「こちらの契約書にサインをお願いします」
渡された厚い紙に記された契約事項を読みとる。
万が一、奴隷紋の整備を怠り奴隷に殺された場合は自己責任、遺族からの慰謝料請求には応じない、という文面に失笑する。心配しなくても家族はいねえよ。
奴隷を解放するのも主人の好きにしていいが、返品の場合は奴隷商にお声をおかけください、買い取らせていただきます、か。タダで解放するより、売って儲けようとする主人のほうが多そうだな。
一通り読み終えておかしなところはなかったため、サインをする。クインシーも口を挟まなかったし、これでいいのだろう。初めて書く字なので少々歪な形になったが、問題なく受理された。
「では、奴隷を連れてまいります」
奴隷商が出ていくと、クインシーは俺の頭上に手を伸ばした。なにをするつもりだと戸惑ったが、そういや奴隷購入に協力したら耳を触らせてやるって言ったんだったわと、つい避けそうになるのを踏みとどまる。
わしゃわしゃと遠慮なく、髪ごと耳を撫でるクインシー。
「あああっ、めちゃくちゃ肌触りがいい毛並みだなあ……! この毛並みが失われるかもしれないと思うと、正気ではいられないよ!」
なんで失うこと前提に考えてるんだお前は。俺は死なねえよ。
「イツキ、困ったことがあればいつでも俺を頼ってくれ。遠慮はいらないからね」
いきなり手をとられてギョッとしてひっこめようとすると、手の中になにか硬い物を握らされる。
「マーシャル家のクインシーに用事だと伝えてこれを見せたら、俺んちに入れるようにしとくから。絶対失くさないでね?」
「いや、いいって」
「いいからもらってよ、俺の心の安寧のために!」
渡されたのはシンプルなペンダントだった。黄色の石がついていて高そうだ。こんな高価そうな物、預かりたくはねえんだが。
「物取りに真っ先に狙われそうじゃねえか、こんなもん」
「ちゃんと首に巻いて、しっかり服の中に隠すんだ。わかったね?」
「だからいらないって言うのに」
「ダメだよ! こんなにかわいい兎ちゃんが、死……うわああぁ! やっぱり今からでも考え直さない!?」
「嫌だね」
「この頑固ちゃん! でもかわいい!」
執拗に指先で毛並みをとかされる。ふわっわしゃっ、もふもふっ、もふぁふぁふぁふぁ……
「しつこい! もう終いだ」
「ええー!?」
いつまでも触ってんじゃねえよとにらみつけると、本気でショックを受けていた。そんなに俺の耳が気に入ったのか。なんかくすぐったいし落ち着かないから、これ以上は触らせねえぞ。
(それにしても、マーシャルね。厄介そうなのと関わりを持っちまったな。いや、味方にできるならそう悪い話でもねえか?)
この都市の名を持つ家の御子息様は、まだ俺の耳に名残惜しげな視線を送りながら忠告をよこした。
「本当に気をつけてよ? そもそも耳だって、本来は家族や恋人にしか触らせないものなんだからね? もちろん知ってると思うけど……こんな不用心に触らせて俺は心配だよ~」
お前の常識が俺の常識と一緒だと思うなよ? もちろん知らなかったぜ、そんなこと。今度からは土下座されても触らせねえ。
やっと奴隷商が戻ってきた。貫頭衣というのか、灰色の粗末な布を身につけた悪魔が、首輪についた金属鎖に引きずられてついてくる。ボロボロのズボンも身につけていた。
奴隷は立っているとかなり背が高いことがわかった。長身のクインシーよりわずかに背が高い。
「旦那様、こちらをどうぞ」
「ああ。世話になったな」
クインシーにペンダントを突き返すのはやめて、手早く首に下げ服の中にしまいこむ。持っていてくれと懇願されたし、なにかの役に立つかもしれない。一応もらっておくことにした。
奴隷商から受けとった手鎖はズッシリと重かった。早くとりてえ、こんな重いもん。
「ところで、マシな服は売っていないのか」
「でしたら古着屋を紹介いたしましょう。あの店でしたらその奴隷にあうサイズの服もございます」
ああ……この悪魔は長身細身だもんな。大型獣人はムキムキマッチョが基本で、クインシーやこの悪魔みたいな体型は珍しいから、この奴隷館には用意してないのか。
古着屋の場所を聞いた後、ついでに紙も数枚買わせてもらえるよう交渉し手に入れた。奴隷商には変な顔をされたが、俺には必要なんだよ。
建物から出てもクインシーはなにか言いたげな表情だったが、暮れてきた空を見上げるとなにやら慌てだした。
「おっと、もうこんな時間か……イツキ、少しでも制御に綻びがあったら迷わず俺を頼るんだ、わかったね?」
「心配しなくても俺はどうもならねえよ」
「あーもう、君ってヤツは……! とにかく俺はもう行くから。そこの奴隷、イツキになにかしたら俺が容赦しないからね!」
ビシッと奴隷に指を突きつけてから、クインシーは走り去っていった。
騒がしいヤツだったな。だがあいつのおかげで助かったのも事実だ。
本当にのっぴきならない事態になったら、あいつに雇ってもらう選択肢もありか……どんな無茶を押しつけられるかわかったもんじゃねえが。
尊い血のお貴族様にとっては、俺みたいな市民権すらない小物、使い潰すのに良心は痛まないだろう。大勢のために少数の犠牲を決断する必要のある立場にいるからな、貴族ってやつは。
俺は今、社会的弱者な立場にいるわけだし、ここの法制度は日本に比べてまだまだ未整備のようだから、用心は忘れないようにしておこう。それにしてもずいぶん粘着質に心配されたが……なんだろうなあいつは。深く考えてもわからねえし、ひとまず置いておくか。
「さてと、行くか」
俺が歩きはじめると彼もついてくる。肉食獣が足音を殺して歩くようなしなやかな歩き姿からして、歩行に支障はないようだ。今のところ暴れだしそうな気配もない。
無闇に主人に逆らう馬鹿でもないらしい、やはりいい買い物をしたな。
「アンタの服を買いに行く。なにか希望はあるか?」
「……窮屈でなければなんでもいい」
古着屋で服を数着選んだ。あまり選ぶ余地もなかったが。予想した通り悪魔にしっくりきそうなサイズの服は、そんなに数がなかった。どれも貴族が身につけていたかのような衣装で、値が張ったが仕方ない。悪魔ということを隠す必要がある時用にとローブも買う。
俺も数着平民着を選んで購入した。必要かもしれないので貴族っぽい服も探したが、俺のサイズだと女性用か子ども用しかない……仕方なく子どもサイズを一着買っておいた。
意外と散財したな。手持ちの金は四分の一まで減ってしまった。明日ダンジョン用の装備や武器を買う金があるだろうか。
物価を確かめたいところだがもう日が落ちる。夜はさらに治安が悪くなるだろうから、大人しく宿に戻ることにした。
白枝のせせらぎ亭には裏口から入った。奴隷とわかるような身なりの者を連れて表から堂々と入ると、面倒くさそうな気配がしたからだ。
借りた部屋に入りベッドに腰かける。さて、どっから話すかな。
立ったままの悪魔を前にして、話の前にすることがあると気づいた。
「おい、まずは体を洗ってこい」
綺麗な宿の部屋の中にいると、汚い姿が余計に浮き彫りになった。檻の中の動物臭がまだ漂っている気さえする。彼も汚れている自覚はあるのか、大人しく俺についてきて浴室へ足を向けた。
「蛇口は……あるな。水も出るし、石けんもあるのか。コレを使って汚れがすべて落ちるまで洗えよ。服は新しいのを置いとくから」
悪魔は無言でうなずき、浴室で体を洗いはじめた。これでしばらく考えをまとめられるな。ベッドに戻ってスニーカーを脱ぎ胡座をかく。
奴隷商とクインシーの話を思い出してみる。そもそも悪魔とは獣人と違う生態を持ち、山脈を隔てた隣国で暮らしているものらしい。彼らの独り立ちは五歳と早い。
あまりにも生態が違いすぎて相容れず、獣人を襲う者が多いことから、見つけたら討伐すべきという風潮だ。子どもなら奴隷にしてしまう。
なるほど、獣人が悪魔を恐れるわけだな。しかしあの悪魔は理性があるように思えたし、すぐに獣人を襲うような輩は魔力に飢えていたんじゃないかと思う。
彼らは好奇心から、または獣人を襲うためにこの国を訪れると言われている。実際のところは故郷から追い出されたか、腹が減ってメシを探しに来たってとこだろうか? 頃合いを見て本人に聞いてみてもいいな。
悪魔は子どもでも危険な存在だ。奴隷にした後でもうっかり魔力を与えすぎると反抗され、逃げ出されたり最悪殺されたりすることもある。
それでも悪魔は貴重で、見目も麗しくコレクションとして見栄えがする。魔力を研究するのにも都合がいい。だから子どもの奴隷は需要がある。
しかし大人になると魔力が増え、奴隷紋の制御が効かなくなる。必然、大人の悪魔は買われることなく値段は暴落し……制御が完全に効かなくなる前に殺処分になる者も多いんだとか。
あいつは若いが子どもには見えない。青年になりたてってところか。だから貴重な悪魔といえど、俺でも買えるほどに安かったんだな。
魔力を蓄え成熟した悪魔は、獣人が束になっても勝てないほど強いと聞いた。
だとしたら、俺はあいつを育てて使いこなしてみせる。
気合いを入れてから、奴隷商のところで仕入れた紙にボールペンで魔法陣を描きはじめた……別に厨二病を極めているわけではないからな?
そうではなくて、俺にはこの世界の魔法の理が手にとるようにわかるのだ。
この世界に来た瞬間から腹の中にある力の正体は、魔力で間違いなかった。そして俺は、すでにその魔力を使いこなしている。
クインシーが言っていたギフトなるものは、この魔力自体のことではなく、もっと特別な力を指していた。
俺が持つギフトは『魔力の支配』だ。魔力について意識するだけでその知識を得られる。
それだけでなく、魔力の検知、譲渡、使用に対して常に最高の効率で使役できるし、魔力を帯びた攻撃や精神支配を受けても、そのすべてをねじ伏せ、思いのままに魔力の方向性や力の種類を変えられる。経験したわけではなくとも、自分にはそれができるのだと本能でわかった。
魔術師って職業があるかは知らんが、あるとしたら垂涎ものの能力だ。俺自身の魔力もおそらく多いほうだろう。あの弱っている悪魔はそれでもほかの獣人より魔力が多いようだが、俺の魔力はさらにその十倍近い。
この魔力を餌にしてあいつと契約を結ぼうと思う。奴隷紋で一方的に縛るのでなく、お互いに利のある対等な契約をな。
考えをめぐらせてほくそ笑んでいると、濡れ髪の悪魔が浴室から出てきた。首筋を覆う程度の長さで途切れた髪と鼻筋にかかるほどに長めの前髪は、灰色ではなく鈍く光る銀色だったようだ。
いぶし銀とでも表現すればいいのか、派手すぎない色だ。今は濡れているせいか、黒っぽく見える。均整のとれた体はかなり痩せているものの、目立った傷はない。煤を落とした肌は眩しいほど白く、顔立ちも悪くなかった。
いや、悪くないどころじゃない。灰銀に鈍く輝く髪の隙間から、野生味のある美貌が見え隠れしている。ハッキリ言ってタイプだ。思わず目を奪われそうになって、顔から視線を逸らす。
貴族風の服の中でも、動きやすそうなシャツとトラウザーズを身につけた悪魔は、首輪さえなけりゃどこぞの貴公子みたいだ。
腕を組んでニヤリと笑うと悪魔は訝しげに俺を見つめた。主人だからとへりくだらない、目を伏せることもしないし敬語すら使わない。奴隷としては失格かもしれないが、相棒としては頼りになりそうじゃねえか? しっかり役に立ってくれよな? 相棒。
とは思ったものの舐められてちゃ、まとまる話もまとまらねえ。俺の示す条件でうんと言わせるにはどうすりゃいいか。腕の見せ所だな。
「さて。アンタは俺の奴隷となったわけだが。まずは自己紹介といこうじゃないか」
ヤツはますます目を細めて、なんだこいつと言いたげに顔をしかめる。
「俺は鏑木樹。アンタの名は?」
「……俺の名など、どうでもいいだろう」
低い声が鼓膜を震わせる。声まで好みだった。少しくらいムカつくことを言われても許してしまいそうな、得な声をしている。
「威勢がいいな。一応俺はアンタの主人なんだが?」
彼はハッと吐き捨てるようにして返答した。
「ロップイヤーの最弱小型獣人が、俺の主人気どりだと? ダンジョンなんてバカなこと言ってないで、万年発情期の兎らしく腰を振っていろ」
おっ、なかなか言うなこいつ。思った通り骨がある……けど若いな。後先考えずに喧嘩吹っかけてもアンタにとって損だぜ?
俺は足を組んで、努めてにこやかに言葉を紡いだ。
「言いたいことはそれだけか?」
歯牙にもかけない俺の態度を前にして、彼は気圧されたように押し黙る。
営業と顧客からの無茶な二重要請と常に戦ってきた俺の肝はこの程度の挑発じゃ揺らがねえぞ。
「では俺からも伝えさせてもらおう。アンタに要求することは基本的に二つだ。一つ、俺の身を守ること。二つ、俺の秘密を守ること」
赤紫の神秘的な瞳が、立てた人差し指をうさんくさそうに見ていた。
「それを間違いなく遂行するのであれば、対価を与えよう。少しくらい口が悪かろうと見逃してやる……もっとも、俺の機嫌次第で供給量は変わるかもしれねえが」
指先を腹の前に持っていくと、視線がそれを追いかけてくる。
「お前は俺の魔力が欲しいんだろう?」
ごくりと喉が鳴った。またあの飢えた目をしている。
よっぽど腹が空いているのだろう。魔力を餌にすれば確実に釣れそうで内心安堵する。
奪いとろうと隙をうかがっているのがわかる。今にも飛びかかってきそうだ。
おおかた警備のキツい牢屋から出たら、舐めた考えの主人の前で奴隷紋をぶっちぎって魔力を奪おうって魂胆だったんだろうが、そうはいかねえよ?
いつでも攻撃魔術を放てると余裕を見せつけながら、彼に提案をもちかける。
「契約をしよう。こんな不完全な術式の枷とは違って、対等な契約を」
「ハッ。契約だと? 獣人風情が扱えるようなものでは……」
ヤツの目の前に先ほど用意した紙を掲げた。彼は俺の用意した魔法陣を見るなり瞠目し、その後舐めるように検分する。
「いい出来だろ? アンタが契約を破った場合は、それまで与えた魔力を返してもらう術式を埋めこんである」
「これは……くそ、お前悪魔か?」
「悪魔はお前だろ」
「違う」
いや違わないだろ。半眼で彼を見やるが、魔法陣相手に唸るばかりで俺には目もくれない。
悩んでいるな。そりゃそうか、契約が守れなかった場合は魔力をとられるんだから。魔力を喰って生きるこいつにとっては、命をとられるのと同義だ。
魔力を無理矢理奪いとるより、譲渡されるほうが味も質もずっといい。俺の新たな知識はそう教えてくれた。
目の前の悪魔もわかっているのだろう、だからこそ悪魔も俺を襲わずに、大人しく話を聞いている。けれどこれだけ悩んでいるってことは、俺の魔力はよっぽど魅力的に見えるらしい。
案の定、悪魔は質問してきた。
「テメェの身を守るってのは、ダンジョン内での話か」
「基本はそうだが、俺がアンタに休みを与えない限り、護衛として身を守るように要求する」
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「そりゃあるだろ。そうだな、七日のうち二日じゃ少ないか?」
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「いや……七日に一日でも十分すぎるだろう。俺がいない時はどうやって身を守るつもりだ」
「結界を張って家にこもる」
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「ほら、アンタが真名を潔く渡す気になれるよう、一口だけ味見させてやるよ」
魔力を指先に乗せて、眼前に差し出す。強気に見えても飢えは限界に近かったらしく、彼は躊躇なく俺の手をとって舐めはじめた。
カッと頬に熱が昇り、発情した獣のような目つきで俺を焼く悪魔。はは、情熱的だな?
思わず口角をつりあげると、彼は立て膝をついたまま見せつけるようにして指先に舌を這わせた。
「美味い、もっとだ」
「だったらわかるな?」
「カイル」
濡れた唇で名を告げるカイルは、頑なに俺の手を離そうとしない。
力強く握られる手はそのままにして、続きを促す。
「それだけじゃないよな?」
「……カイル・ウィルプス・ルド・プルテリオン」
今度は嘘じゃないな。魔法陣に乱れなく魔力が流れるのを視て確信する。
魔力の流れが視えるってのは、想像以上に便利だな。今後も大いに活用させてもらおう。
さあ、お待ちかねの契約だ。契約文を読みあげなきゃならねえからちょっとばかし恥ずかしいが、我慢して唱える。
「鏑木樹はカイル・ウィルプス・ルド・プルテリオンに魔力を与える。魔力の対価として鏑木樹を護衛し、秘密を守ることとする」
どこぞの貴族か王族のような無駄に長い名前を、がんばって噛まずに読めるよう集中する。紙に書いたボールペンの字が魔力を帯びて光りはじめた。
「契約違反の判定が互いで異なった場合、当人同士の話しあいで決めることとする。樹の契約違反時には全魔力の八割までを奪われても、鏑木樹は抗議の申し立てができない」
カイルは意外そうに眉をピクリとさせた。
アンタを飢えさせるつもりはねえからな。魔力を渡さないってことは起こらねえだろうが、一応契約に加えておけばカイルも安心できるだろう。
「カイルの契約違反時はカイル・ウィルプス・ルド・プルテリオンの、生命維持及び身体機能に関わる魔力以外を鏑木樹に返還する」
ハッと俺を振り仰ぐ白皙の美貌に、ニヤリと笑いかける。バツが悪そうに顔を背けられた。
契約違反をしたら命をとられると思ってたんだろ? 俺はアンタに無理矢理言うことを聞かせたいわけじゃない。
最初は魔力目当てでもなんでもいい。俺が信頼に足る人間だということを、今後の行いで学んでいってくれよな。そしてそのうちアンタも俺のことを、相棒扱いしてくれたら最高だ。
故郷に帰れない者同士、仲良くやっていこうぜ。帰れねえと決まったわけでもないが。
「以上をもって契約を締結する。なお契約陣は結界により、契約破棄時まで恒久的に守られる」
カシュン! と硬質な音がして魔法陣の光が消え失せた。硬く石板のように変化した厚紙を魔力で作った空間の中に入れる。複製したものをカイルに差し出すと、彼は素っ頓狂な声を上げた。
「おま、は!? インベントリ……テメェ本当に獣人か!?」
カイルが目をカッと見開いて俺を指差した。インベントリ機能を魔力で作れないなんて、この世界の獣人は脳筋ばかりっぽいな。まあ俺も、さっき作れると気づいたばかりだが。
この程度で驚いてちゃ、俺の能力の全容を理解した日にゃ倒れるぞ? なんせ俺がファンタジー世界で魔法だと認識しているようなことは、だいたい再現できるんだから。
異世界トリップものにお約束のチートってやつだろうか。魔王を倒せと言われたわけでもないのに、こんないい能力をくれるなんて神様も気前がいい。
「獣人に見えるよなあ? 俺にも俺が何者だかよくわからねえが、これで俺とアンタは契約で結ばれたパートナーだ。仲良くやろうぜ」
「はあ……早まったか? ああでも、あんな魔力を味わった日には……」
またもの欲しそうな目をしている。待て待て、それより先にやることがある。
「もうこんな、ないよりマシ程度の魔術具はいらねえな」
奴隷紋のつけられた首輪を外す。スッキリした首筋を手で確かめたカイルが、腑に落ちないという顔をした。
「どうした?」
「いや……誰にも拾われず、殺処分される未来も近いと思っていたからな」
「間にあってよかったぜ。じゃあ早速、カイルには契約を履行するために必要な魔力を与えよう」
カイルは待ってましたとばかりに指先に吸いついた。夢中で指を舐めたくられて、むずむずとくすぐったさに肩をすくめる。
しかもその顔が非常に色気にまみれていてだな……魔力を与える度にそんなエロい顔されたら、そのうち俺まで勃っちまいそうだ。なんかいい譲渡方法を考えないと。
腹が満たされたカイルといったら、その変化に笑ってしまうほどだった。刺々しい空気はどこへやら、ぽわんと幸せそうな顔をして魔力の残滓を舌で転がしている。
「はあ……っ」
「艶めかしいため息ついてんじゃねーぞ、ったく……俺は下の食事処で飯を食ってくるが、アンタはどうする?」
「行く」
その途端に元のキリッとした顔つきに戻るカイル。もうちょい余韻を味わってもらってもよかったんだが。目のやりどころに困るほどに眼福だったしな。
カイルは自分のインベントリを展開し、契約陣の石板をしまいこんでいた。なんだよ、アンタも使えるんじゃねえか。
ランクの高い宿らしく、食事は上質な食材が使われたワンプレート料理だった。この世界の食事はなかなか悪くない。黄緑色の謎ジュースもいざ飲んでみると美味しかった。
護衛らしく俺の背後に控えるカイルに話しかける。
「アンタ、普通の食事は食べるのか? もし欲しいならやるよ、俺には量が多すぎるから」
「そうだな、少しは足しになる。今は腹が満ちているが」
カイルは手を伸ばして、紫色のトマトっぽい野菜をつまんで食べた。
「……薄いな」
「アンタにはどんな味に感じるんだ」
「かすかに甘いが、エグみがある」
「魔力を食べてるって解釈でいいんだよな?」
「そうだ」
本当に魔力だけでこんなに育ったのかと長身を見上げる。
顔もいいし服も立派だし、こうしているとまったく奴隷には見えない。
「ああそうだった、アンタの分の宿泊料金も払わねえと」
「奴隷の料金はいらないはずだろう」
「今のカイルを見て奴隷だと思うヤツがいると思うか?」
「あ……」
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高校を卒業と同時に長年暮らした養護施設を出て働き始めて半年。18歳の桜木冬夜は休日に買い物に出たはずなのに突然異世界へ迷い込んでしまった。
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冒険者を辞めて騎士に復帰すると言うクラウスに誘われ仕事を求め一緒に王都へ向かい今度は馴染み深い孤児院で働く事に。
神様からの啓示もなく、なぜ自分が迷い込んだのか理由もわからないまま周りの人に助けられながら異世界で幸せになるお話です。
2022,04,02 第二部を始めることに加え読みやすくなればと第一部に章を追加しました。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
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美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
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5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
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山中深月は美しすぎる高校生。いきなり異世界に跳ばされ、オオカミとクマ、2人の獣人から求婚され、自分の子を産めと要求されるが……
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よっしぃ
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2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
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スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
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小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
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ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
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モフモフ異世界のモブ当主になったら側近騎士からの愛がすごい
柿家猫緒
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目を覚ますとRPGゲーム『トップオブビースト』の世界に、公爵家の次期当主“リュカ”として転生していた浅草琉夏。獣人だけの世界に困惑するリュカだったが、「ゲームのメインは父。顔も映らない自分に影響はない」と安穏と暮らしていた。しかし父が急逝し、リュカが当主になってしまう! そしてふたつの直属騎士団を設立し、なぜか魔王討伐に奮闘することに……。それぞれの騎士団を率いるのは、厳格な性格で圧倒的な美貌を持つオオカミ・ヴァンと、規格外な強さを誇る爆イケなハイエナ・ピート。当主の仕事に追われるリュカだったが、とある事件をきっかけに、ヴァンとピートから思いを告げられて――!? 圧倒的な独占欲とリュカへの愛は加速中! 正反対の最強獣人騎士団長たちが、モフモフ当主をめぐって愛の火花を散らしまくる!
2023年9月 続編はじめました。
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