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第三章 魔人救済編

264 四通りのプロポーズ

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 あの和平調停の日から、早くも一月が過ぎた。すでに秋真っ只中の気候だ。

 すっかり身の回りが平和になったのと、やることが盛り沢山なせいで、俺とカイルはますます別行動で仕事をすることが多くなった。あー、マジで早く魔王なんてやめてやりたい。

 魔王押しつけ先候補のリドアートも、一息つく暇もなく仕事してっけどな。先日やっとダーシュカ王国から帰ってきたアイツといったらさ……見ものだったぜ。

 執務室に姿を見せたリドアート相手に、クレミアが駆け寄っていって開口一番に、こう言ったんだ。

「おかえりなさい、リドアート」

 クレミアがはじめて、殿下呼びでなく彼の名を呼び捨てにした。

 その時点で叔父さんは、持ってきていた土産物らしき袋を床に落として、全身で挙動不審を体現しだした。

「ク、クレー? 今、なんと?」
「リドアート、お怪我などはされていませんか?」
「き、君君君今今ッ! わ、わたわた私の名をぉ!?」

 壊れたレコードみたいになった叔父さん相手に、クレミアはそれはもう綺麗に微笑んだ。

「お友達からはじめましょうね?」
「ク、ククククレーッ、クレッ、クレミアー!!」

 正常な言語能力を失った叔父さんは、何度か鳥のように鳴いて、やっとクレミアの名前を呼ぶことができた。よかったな、リッド。

 国と國の関係が正常化された影響で、大陸の南側で交易品を載せた船の行き来がはじまった。

 国境沿いの山の峠を越境するヤツらも、いるにはいるが。
 行商人が荷物を行き来させるには、結構厳しい険しさの山だからな……そのうちトンネルでも掘るかと、議会の連中に予算捻出をお願いしている。

 まだほとんど観光客なんかは来ないが、この前城下街を視察したら、獣人の旅人を見かけたんだ。

 魔人達は物珍しげに遠巻きにしていたが、気さくな旅人が料理を振る舞うと、寄ってたかって彼を質問責めにしていた。

 旅人がレシピを教えると、魔人達はありがたがって自分のオススメの料理を買ってきて、彼にプレゼントしていた。

 彼は魔人料理の、度肝を抜く斬新な味に目を白黒させながらも、こうした方が獣人的にも美味しくなるとアドバイスしていた。
 
 なかなか心温まる光景じゃねえか。俺も思わず口笛を吹いちまった。

 それにしても、早く魔王を辞めて隠居したいってのに、どんどん仕事が増えるんだよな。どうしたもんか……

 新しい議会メンバーもフル稼働しはじめたから、正直俺がいなくっても問題ないはずなんだ。だけどさ……

「イツキ陛下、頼りにしてます!」
「さすがイツキ陛下です、まさに魔王の鏡と言うべきお方だ」
「素晴らしい妙案でございます。もはや貴方様にしか、この偉業は成し遂げられないでしょう」

 などなどと議会の連中に乗せられ引き止められ、なんやかやとやってるうちに、やめ時を逃しちまった感がある……

 いや、だがそろそろ絶対にやめてやるんだ! また秋の換毛期も来るしな。

 換毛期は絶対に、カイルと二人きりでマーシャルの家で過ごすって決めてるんだよ。

 ただでさえ、最近ずっと会えてねえんだから……はあー、カイルに会いたい。

 撮り溜めた写真を見るだけじゃ、やっぱりもの足りねえんだわ。そうだ、今日この後会いにいこう。

 俺は謁見申込者が帰った後、赤のビロードが張られた豪奢な王座の上で一人、うんうんと頷いて決意を新たにした。

 その時、謁見の間の大きな扉が開く音を、俺の隠蔽された兎耳がとらえる。

 振り向くと、マントを身につけた正装姿のカイルが、レッドカーペットのど真ん中を歩いて、まっすぐこちらへと近づいてきていた。

「カイル?」

 俺が声をかけると、階段の手前までやってきたカイルは跪いて、俺に敬意を表した。

 大変絵になる上に目の保養だが、いったい何で急にこんな仰々しいことをし始めたんだ?

「どうしたんだ、そんな改まって」
「イツキ……」

 カイルは何か眩しい物でも見つめるかのように、俺に視点を当てて目を細めた。

「俺の名はカイル・ウィルプス。一人の男として、イツキ陛下に名を捧げたい」

 突然どうした……と茶化そうとして、それが臣下の挨拶だと気づく。

 カイルは苦しげに眉を顰めながら、真剣な表情で言い放った。

「もう俺に捧げられるものは、この身のほかに何もない。一生貴方に忠誠を捧げる」

 あー……そう来たか、と俺は頭を抱えた。ここ一月ほど仕事にかまけ過ぎて、遠い存在だとでも思われて不安にさせちまったか。

 違うんだよ、カイル。放置して悪かったよ。アンタのためにはじめたことで、アンタに無理をさせて追い詰めたとあっちゃ本末転倒だ。

 俺は自分の至らなさに苦笑しながら、玉座からひょいと飛び降りて、彼に立つように促した。

 階段の一番下から一段上に立ち、カイルと目線をあわせる。安心させるように、柔らかく微笑みかけた。

「俺が欲しいのは忠誠じゃねえ、愛だよ。アンタは知ってるはずだろ?」
「だが、それだけでは釣り合わないだろう……」

 あー……汚れ仕事をカイルほど上手く捌くヤツが他にいないから、ちょっと頼み過ぎたのかもしれねえな。

 顔をよく見てわかったが、煌びやかな服とは対照的に、どんよりと澱んだ瞳をしている。思考がダークサイドに染まっていそうだ。

「なんだよ、いつものアンタらしくないぜ。もっとふてぶてしく構えてろよ」
「……俺はイツキが側にいないと駄目らしい」

 頬を染めて視線を逸らし、そんなかわいいことを言いはじめたもんだから、きゅーんと胸が高鳴るのを自覚した。

 つられて軽く頬を染めながら、もはや癖になっている目眩しの結界を張って、ツノの擬装を解く。そして、いつかの約束を口にした。

「あのさ、カイル。聞いてくれ」
「なんだ」
「俺の耳を触っていいのは、アンタだけだ」
「……!」

 カイルの沈んだ瞳が、まるでアレキサンドライトのように輝きだす。はーっ、相変わらず顔がいい。どこまでいっても好みすぎる、美麗で野生味を帯びた顔を至近距離で堪能した。

 カイルの尻尾が興奮で、ぐねんぐねんと見たこともないくらい激しく蠢いていた。ワントーン高く弾んだ声で、彼は返事を寄越す。

「俺も……魔人流にプロポーズさせてもらうと、お前と生涯尻尾を絡め合いたい」
「俺の尻尾は短いが、いけるか?」
「してみせる」

 二人で顔を見合わせて、プッと噴き出した。ひとしきり笑いあった後、初めて会った奴隷と主人の関係だった頃の契約陣を取りだす。

 硬質な輝きを放つ結界を解除して、契約陣の書かれた紙をただの厚紙に戻した。

「契約を更新しよう、カイル。そうだな、健やかなる時も病める時も、ずっと一緒にいてお互いを支えあうってのはどうだ?」

 なんだかピンとこないような顔をしていたので、恥ずかしさを堪えて一言付け加えた。

「だからこれは、つまり……俺の世界でいうところの、結婚式での決まり文句だ」
「望むところだ。結婚しよう、イツキ」

 その時のカイルの誇らしげで嬉しそうで、とびっきりの笑顔といったら! 俺はきっと、生涯忘れることはないだろう。
 心の赴くまま彼の手を取って、胸の内から湧きでる熱を笑みに乗せて、快諾した。

「ははっ! 喜んで! すっげえ、空を飛びたい気分だ!! 俺が今から城を出るって言ったら、お前はついてきてくれるか?」
「もちろんだ。どこまでも共に行こう」

 麗しい顔面に最高の笑みを浮かべたカイルの手を引いて、謁見の間を抜けだす。

 こうして浮かれまくった俺達は、空の上で二人きりの結婚式を挙げた。

 ひとしきりはしゃいだ後は、みんなが困らないよう手紙を書き残した。指示と今後の方針を示した後、突然王座を辞することを詫びた。

 リドアート及びに家臣達から盛大に引き止められたが、絶対に意見を曲げなかった。最初から国内が安定したら、辞めるって約束だったからな。

 カイルに寂しい思いをさせてまで、王冠を後生大事に抱えるつもりはないんだよ。残りはアンタら魔人でがんばってくれ。

 そうやって二人でマーシャルの家に戻り、離れていた時間を埋めるように愛を育み、換毛期を乗り越えた後。結局プルテリオンの行く末が心配になって、様子を見にいっちまうんだけどな。

 魔王には戻らねえと宣言しマーシャルの我が家で暮らしながらも、新王となったリドアートに泣きつかれて、時々国家間の用事を頼まれてやっている。

 性分なんだよな、気になっちまうっていうかさ。ただ、あれからカイルとは不安になるほど長い間、離れたことはない。

 契約陣は新しく更新され、あたかも結婚誓約書のように、大事大事にお互いのインベントリの中に保管されている。
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