半身転生

片山瑛二朗

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第7章 紅玉姫の嫁入りと剣聖の片恋慕編

第529話 お前と居ると決意が鈍る

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「この家を売りに出そうと思う」

 アラタの宣言は、この屋敷に住む一同を凍り付かせた。
 真っ先に反対したのはもちろんノエルである。

「ヤダ」

「嫌だも何も、俺のなんだよ」

「私とアラタの愛の巣!」

「……今はちょっと黙ってろ」

「っ、ごめん」

 強めの言葉を使うのは、何もノエルを黙らせるためだけではない。
 この話が本気であることを周知したかった。

「シル、出来れば俺と来てほしい。もし無理ならベルさんとラグエルを連れてってくれ。金は俺が出す」

「う、うん」

「クリス、すまんけど別の所に行ってくれ。紹介するし一緒に探す」

「私は別に構わないが……」

 そう言いながらクリスはノエルのことを横目で見た。
 目の前に隕石が墜落したかのような、そんな茫然とした顔をしているところを見ると、事前に何も知らされていなかったらしい。

「リーゼ、ノエル。お前らは家に帰れ。それが嫌なら前みたいにギルドの隣の宿に住むとかさ、出来ることは俺もするから、とりあえずそれで頼む」

「ノエル…………」

 クリスに続いて、リーゼもノエルの方を見た。
 彼女が承服しかねるのなんて、1+1が2であることと同じくらい当たり前のことだった。

「私は認めない」

「さっきも言ったけど、お前の意志は関係ない」

「ヤダ」

「とにかく、一緒に暮らすのはこれで終わりだ」

「ヤダ」

「聞き分けろ」

「嫌だ! 私はアラタと一緒がいい!」

 彼女が立ち上がった拍子に椅子が倒れた。
 机に手を突いてノエルは反対の意思を表明する。
 ただ先ほどアラタが言ったように、彼女の考えや気持ちがどうなのかというのはこの話し合いにおいてさほど重要ではない。
 大事なのはアラタの考えと事情だ。

「俺は……」

「まだアラタと一緒に居たいよ」

 ——本当なら、ずっと前に言うべきだった。
 そうしなかったのは俺が弱かったからだ。
 弱ければ何も護れない、失うばかりだ。

「俺はお前のことが好きじゃない」

 その言葉の衝撃は、先ほどの立ち退き宣言よりも遥かに強かっただろう。
 ノエルはゆっくりとテーブルから手を離すと、フラフラ後ろに数歩下がった。
 先ほどまで彼女が座っていて、立ち上がった拍子に倒れた椅子の足が彼女とぶつかる。
 ノエルはワナワナと唇を震わせていた。

「ヤダ……諦めないもん」

「エリー、応えられなかったけどタリアさんは別に嫌いじゃなかった。分かるだろ、俺の好きなタイプはお前じゃないんだよ。喧しくて、泣き虫で、俺はお前と一緒に居たいと思えない」

「アラタ、そんなにはっきり言わなくても……」

「はっきり伝えるべきだった。伝えなかったから誤解させた、希望を持たせた、それが間違いだった」

 アラタは席から立ち上がると、椅子に掛けていた05式隠密兵装を羽織った。

「アラタ……アラタァ…………」

「大公就任1周年のパーティーがあるだろ。その中で無理言ってお前と合いそうな人を見繕ってもらった。それが俺に出来る最大限の返事だ」

「ヤダ、私はアラタじゃなきゃ……」

 05式の下に刀を仕込み、アラタはそのまま玄関へと向かっていく。
 ノエルをはじめとして屋敷の人間たちが玄関についてきた。

「アラタ、急すぎてついていけません。せめて理由くらい教えてください。じゃなきゃ反対していいのか賛成していいのかすら分かりません」

「……嘘ついてもバレるだけか」

 アラタはため息交じりにどこまで話していいものか思案する。
 詳細を話していいわけがないのはサルでもわかる。
 だが相手が納得してくれるだけの情報量を開示しつつ任務の機密性も保持しなければならない。

「仕事だ。都合上家に帰ってくることは多分ない。だからもう要らない。解散してそれぞれの居場所で新しい生活をスタートするいい機会だと思った。これでいいかな」

 リーゼに対するアラタの答えは、ほぼ満点の答えだった。
 任務のことは何も開示せず、ただ帰ってこないというワードから覚悟と任務の厳しさを提示する。
 ノエルへの自分の気持ちは先ほど伝えた通り、それなら新しい人生をそれぞれに歩き出してもらういい機会だと考えた、それが彼の考えた彼なりの主張だ。
 それに対して待ったをかけるのは、これまたノエルなのだろう。
 他の面々も言いたいことの10や20くらい持っている。
 だがノエル以上に心を籠めて伝えられる自信がなかった。
 彼女の想いの深さは、生活していれば嫌でも目に付くし耳に入ってきたから。

「私も行く。私も行って、一緒に帰ってくる。それならこの家もそのままで——」

「ダメだ」

「私だってアラタの役に立ちたいよ」

「なら尚更来ないで欲しい」

 ノエルもリーゼも、クラスの補助もあってアラタの言葉が本心であることを理解する。
 理解したくなかったのに、理解せざるを得なかった。
 ベルフェゴールもラグエルもそれは同様で、シル、クリスも同じことを肌で感じ取っている。
 アラタはブーツの靴紐を締めると立ち上がった。

「お前らと一緒に居ると、俺は弱くなる。弱い奴は死ぬ。俺はまだ死ぬわけにはいかない、やり残したことがある」

「私がアラタを!」

「お前と居ると決意が鈍る。覚悟ができねえ。咄嗟の判断に迷いが生まれる。ノエルお前、頼むからもう付いてこないでくれ」

 ペタンとノエルは尻をついた。
 力が抜けてしまってそのまま廊下に座り込んだ。
 ほんの少しずつしか成長できない自分を置いて、アラタはどんどん前に進んでしまう。
 今の自分ではアラタの場所に届かないと、ノエルは知ってしまった。
 少し前から知っていて、今やっとそれを認めてしまった。

「今日出て行けとは言わない。ただ準備はしておいて欲しい」

 そう言い残し、アラタは出て行ってしまった。

※※※※※※※※※※※※※※※

「すまないと思っている」

「俺は気にしません」

「こちらから焚きつけるようなことをしておきながら、本当にすまない」

 大公と面会するなり、アラタはいきなり謝罪を受けた。
 シャノン大公の立場になって考えれば、アラタに対して謝るのもまあ分からなくはない。
 ただそれを踏まえたうえで、アラタは自分の率直な感想を口にした。
 すなわち、謝る必要はないと。

「他の人間でもとは思ったのだが……どうしてもこの苦境に君の力が必要なんだ」

「ですから行きますって。大丈夫ですから頭を上げてください」

「いや、君にはどれだけ謝っても、感謝しても足りない恩がある」

「そんなの無いですよ」

「君にはもう危険な任務を頼みたくはなかった。恨んでくれていい、断ってくれてもいい、ただ、出来るのなら公国の危機を救って欲しい」

「ですからやりますって。なんかしつこいですよ」

「すまない」

 申し訳ないのは分かるけど、堂々巡りになる感じだなコレ。

 アラタはその辺で面倒くさくなって大公に話を合わせることにした。
 謝らなくていいと言っても謝ってくるのだから、向こうは初めからこちらの意志なんて気にしていない。
 ただ謝りたいからそうしていると言ってしまうと少し角が立つが、とにかくシャノンが謝罪すべきだと思っているのだからさせればいい。

「ノエルのこともすまなかった。代わりの話まで用意してもらって」

「……ま、俺は元々誰かと所帯を持てるほどまともな人間じゃねえです。そういう意味ではこれで良かったと思います」

「私はそうは…………いや、もう何も言うまい。君の決意と覚悟に失礼というものだ」

「そうですよ、俺はただ、俺の大切な人たちを護ることが出来ればそれでいい。誰かを好きになるなんて、そんな怖いこと俺には2度と出来ない。その代わりに俺のことを好きだと言ってくれた人が笑って暮らせるように、何不自由なく理不尽に脅かされることもなく、いつか来る天寿を全うするその日まで、ただ平々凡々と暮らせるように、俺は俺の命を懸けますよ」

「…………大公の立場が無いな。それは本来私の口から出るべき言葉だった」

「色々と準備がありますので、この辺で失礼いたします。ノエル様のこととついでにリーゼ様やクリスたちのことを気にかけてくれると助かります」

 こうしてアラタは次々と身辺整理を進めていくのだった。
 仲間たちのこれから、自分の生活に関わる情報の抹消、その他諸々の処理が終わって初めて彼は帝国潜入の工作員としての訓練を開始する。
 それまでに、ほんの少しだけ猶予は残されていた。




「…………嫌い。大っ嫌い」

 この屋敷でも随一の部屋の汚さを誇る住人、ノエル・クレスト。
 剣聖のクラスに付与された呪いのせいで、彼女は満足に家事ができない。
 皿洗いをしては皿を割り、料理をひっくり返し、どら焼きは煙の後に爆発し、部屋は汚く、靴は揃えられない。
 絵に描いたようなダメ人間の彼女は幸か不幸か大金持ちの家の子供である。
 本人の収入も必要以上に確保されているため、シルか家事代行サービスの手を借りることで生活できている。

 ノエルは自分のベッドに顔をうずめて泣いていた。
 アラタなんて嫌いだと、眼中にないと、そう自分に言い聞かせる。

「あんなの嫌い。気にしてなんかないもん、もっとカッコいい人知ってるもん」

 ジタバタ足をばたつかせ、歯を食いしばって涙する。
 はじめはただ物珍しさしかなかった。
 異世界人であることは非常に彼女の興味を引き、クラスが無いこと以外特に変わった点が無いと分かるとその興味も徐々に薄れていった。
 異世界人というラベルは、彼女にとって心底どうでもいいものに変化した。

 そこそこ体が動かせる、洞察力とそれに裏打ちされた要領の良さ、アラタの長所と言えば、それくらいだった。
 それくらいと言っても、ノエルはその点を非常に評価していた。
 1回言えば理解してくれるというのは非常に気が楽なのだ。

 それから、料理が得意だと知った。
 意外と感情が表に出て分かりやすいことも知った。
 厳しさよりも優しさが勝ってしまうから、自分が貧乏くじを引きやすい人なのだと知った。
 剣聖のクラスが暴走した時、【剣聖の間合い】で【痛覚軽減】も無効化されていた可能性が高いのにも関わらず、背中を斬られたことよりも斬ってしまった自分の心の心配をしてくれた時、彼の底なしの優しさに触れた。

 惚れた。

 どんなに喧嘩しても、どんなに遠く離れても、どんなに彼の好みと違っていたとしても、どんなに立場が違っても、どんなに勝ち目が薄くても、どんなにフラれても、それでもノエルはアラタに恋していた。

「……………………好き」

 隣に居たい。
 一緒に居たい。
 役に立ちたい。
 好かれたい。
 嫌われたくない。
 苦しんでほしくない。
 泣いてほしくない。
 諦めたくない。

 それが彼女の行動原理であり、燃料となる。
 だって彼女はまだ嫁入り前の初心うぶなお姫様なのだから。
 剣聖とは言え、片想いにその身を焦がすただの少女なのだから。
 好きな人に好かれたい、その単純明快な欲求を満たすために、彼女はどこまで世界に喧嘩を売れるのか。
 アラタが色々考えて生きているように、ノエルだって、リーゼだって、クリスだって、シルだって、みんな自分の人生があってその中にそれぞれアラタという人間が存在しているのだ。
 屋敷を売り払った所で、それが消えるわけではない。
 ノエルはベッドから起き上がると、部屋を出てリビングへの階段を降りて行ったのだった。
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