529 / 544
第7章 紅玉姫の嫁入りと剣聖の片恋慕編
第524話 弱さがもたらした幸せ
しおりを挟む
「剣なんて持ってこなくていいのに」
「俺には必要なの。あとこれは刀な」
「まあいっか、遊ぶぞ!」
アラタの服は当たり障りがなくて、一周回ってなんかダメだ。
一方ノエルは気合の入り方が尋常ではない。
片方はデート、片方は護衛のつもりで2人は歩いている。
大公の娘であるノエルが街を歩けば人の目を引いてしまうと思われがちだが、実際の所住民は慣れていてあまり気にしない。
元々街に出て遊んでいたことの方が多かったノエルは、そこまでレアキャラでもないのだ。
「今日ってなにすんの?」
「んーっとねー、秘密」
「一番最初は?」
「秘密っ」
ノエルは朝からこんな感じで、アラタもそこそこ困っている。
彼女が普通にデートのつもりで自分を誘ったことくらい、アラタは理解している。
ただ護衛としての役割を果たさなければならないのも事実で、彼はこれから行く先に何があって誰がいて、どんな脅威が想定されるのか知りたかった。
だが何の捻りもなくストレートにそう言えば、ノエルは護衛のことを忘れろと言ってくるだろう。
どうしたものかと考えながら、アラタは【感知】による索敵範囲を拡大した。
「アラタは好きな物とかある?」
「いきなり?」
「うん」
「うーん…………」
遥香、エリザベス、野球、家族。
どれもこの世界には無いものだ。
かといって…………
「分かんない」
「そんなことある?」
「こっちに来てからあんまり遊んでこなかったから。何したらいいか分かんない」
「そっか」
アラタの部屋には勉強用の本や武器、トレーニング道具くらいしか物がない。
非常に無趣味且つ面白みのない部屋は、持ち主の性格と日常をこれでもかと反映している。
ノエルの部屋は剣聖の呪いも相まって、足の踏み場もないほど物で溢れ返っているのだが、これはこれで考え物。
両者共に極端すぎるのだ。
「じゃあ——」
ノエルはおもむろにアラタの手を握った。
「私がアラタの趣味を見つけてあげる!」
「ありがと」
満面の笑みを咲かせたノエルは、アラタの手を引いて走り出した。
「その服で走ると危ないよ」
「似合ってる?」
「似合ってるけど転ばないでよ」
「へへ、似合ってるでしょ!」
上から白にピンクが散りばめられたフリル付きのブラウス、腰よりやや高めの位置で留めるタイトスカート、まだ少し寒いというのに靴はくるぶしの上で固定するアンクルストラップサンダルを履いている。
金色のスティックイヤリングが揺れているのをアラタが見ていることに気付いたのか、ノエルは耳にぶら下がっているそれを手に取った。
「いいでしょ」
「ピアス? イヤリング?」
「イヤリングだよ、挟むやつ」
「だよね」
「なんで?」
「ピアスって痛そうじゃん」
「自爆覚悟で自分の魔術に巻き込まれるくせに」
ノエルは先日のアラタがクマリ教徒と戦った時のことを言っているのだろう。
あの場には彼と敵しかいなかったはずなのにと、アラタは少し驚いた。
「何で知ってんの?」
「捕まった相手が言ってたってリーゼから聞いた。治癒魔術持っているなんて反則だって」
「あちゃあ」
アラタの手を握るノエルの力が強まった。
少し怒っているように見える。
「アラタ」
「しょうがなかったんだよ」
「そういうのは良くないと思う」
「しょうがなかったことはしょうがないじゃん」
「だからあの時待ってって言ったのに。もっと頼ってよ」
「はーい」
「アラタ」
両手でアラタの右手を掴みながら、ノエルはジッとアラタの方を見た。
彼はバツが悪くて思わず目を逸らす。
そうするとさらにノエルの手の力が強くなる。
背伸びしながら顔を近づけてくるノエルを左手で押し戻しながら、アラタは求められている答えを口にする。
「今度から気を付けるよ。出来る限り避ける」
「出来る限りぃ~!?」
「もうしない。もうしないから」
「ヨシ! その代わり私が守ってあげる!」
「……どうも」
ようやくアラタが解放されたころには、2人は魔術師通りと呼ばれる小道の前までやって来ていた。
その名の通り魔術に関する商品ならここ、という場所だ。
メイソンもドレイクや実家のコネでこの辺りの店にいくつか魔道具を納品している。
工房もあれば小売店もあり、その両方を兼ねた店舗だってある。
デートにしては少しディープな場所に思える。
「ここなの?」
「そうだよ」
最初の目的地は魔術師通りにあると言われて、アラタに一抹の不安が募る。
今日の行動予定をアラタは何も知らず、全てノエルプレゼンツで行うことになっている。
だが考えてみてほしい、ノエルはこれが初恋だと言っていた。
大貴族の御令嬢で、恋愛初心者の糞雑魚ノエルに任せておいていいものなのか。
もう少し軌道修正を入れるくらいのことは自分がしなければならないのではないか、アラタにはそんな不安が頭をよぎる。
しかしすぐに、『いやいや、俺はノエルの気持ちに応えられない』と考えを改める。
どうやったらノエルが諦めて貴族同士の結婚に舵を切ってくれるのか常々考えているくせに、惰性に流されてこうしてデート紛いのことをしている。
その優柔不断さは自分の弱さだと断じておきながら、それを正すことが出来ない。
「こんにちは!」
鈴付きの扉を開けながら、ノエルは勢いよく入店した。
ここはワンオフの魔道具を依頼者と相談しながら作ることが強みのタービン工房。
昔から代々続くこの店の店主は6代目になるエラム・タービンだ。
「やあノエル様。と銀星殿か」
「こんにちは!」
「ども」
ノエルはどうやらタービンと顔見知りのようで、アラタとタービンは初対面。
初対面の人に名乗る必要が無いというのは楽でいい反面、その場の勢いで返却してしまった銀星十字勲章の異名で呼ばれるのは少し気まずい。
そんなアラタの葛藤をよそに、ノエルは店のカウンターに張り付いた。
「預かってもらっていた例の物をお願い」
「えぇ、もちろん。少々お待ちください」
タービンは暖簾で隠されたバックヤードに荷物を取りに行く。
その大柄な背中が暖簾の向こうに消えると、ノエルは店に陳列されている魔道具を物色し始めた。
「アラタはここ来たことある?」
「初めてきた」
「私の剣の柄はここで作ってもらっているんだ」
「へえ~」
「アラタは? メイソン殿のだけしか使ってない?」
「いや、他にも普通に売られてるの使ってるよ。結界魔道具とか魔石とか」
「とか?」
「……あとは大体メイソンか先生のところだな」
「たくさん作られているものの方が安定して手に入るから気を付けないとダメだよ」
突然のガチアドバイスに、アラタは思わず目を丸くした。
「……なに?」
「ノエルがまともなこと言ってる」
「バカにしてる?」
「いや、見直した」
「なら良い!」
ノエルが満足げに腰に手を当てると、丁度タービンが裏から戻って来た。
「お待たせしました~」
「来た! アラタ見て!」
桐の箱に紫色のクッションが嵌っていて、その上に緑色の魔石のようなものが置かれていた。
ゴブリンの変異種やナキオオトカゲの魔石は薄緑をしていることで有名だが、それとも少し違う。
若竹色、普通の緑よりも少し薄めのこの色が石全体から放たれている。
石の周りには金属のフレームが付いていて、おまけにチェーンまで付いている。
首から下げる前提で設計されたこの装飾品は、何というか機能美と造形美を兼ね備えた美しさを持っていた。
「タービン殿、良い感じだね!」
「それはもう、ノエル様の注文に合わせて何度も作り直しましたから」
「ははは、すまなかった」
「いえ、私の方から説明しますか?」
「いやいい。私からするから」
そう言うとノエルは箱を閉じ、タービンの渡してくれた巾着袋の中にしまい込んだ。
アラタはそんなに急がなくてもいいのではないかと聞いてみる。
「もう行くの?」
「うん、今日は忙しいよ。タービン殿もありがとう、また近いうちにクレスト家から案件があるはずだからよろしく頼む」
「それはこちらこそ御贔屓に感謝です」
「また来るね!」
「ありがとうございました~」
ノエルが肩から提げたポーチに箱を仕舞う仕草を見ると、随分大事な物だと一目で分かる。
だからこそ、アラタはそれが何なのか知りたくなった。
「それなんなの?」
「秘密だよ」
「いつ教えてくれる?」
「今日中」
「ふーん」
あとで教えてもらえるのならそれでいいかと、次の行く先に思考を移す。
ノエルは完全に今日の予定を頭の中に叩き込んでいるみたいで、メモや遠足のしおりのようなものはどこにも見られなかった。
「アラタこの辺で用事とかある?」
「特にないかな」
「じゃあ次は絵を描いてもらいに行こう!」
「絵? 見るとか描くとかじゃなくて!?」
「そー、描いてもらうの!」
※※※※※※※※※※※※※※※
「お客さん、ずっとじゃなくていいから笑ってくれません? ひきつっちまってますよ」
「俺、笑えてないですか」
「窮屈そうに見えますねぇ。隣の嬢ちゃんみたいに笑ってみて下さいよ」
「アラタ、にーって笑うんだよ」
「難しいなぁ」
アラタとノエルは彼女の宣言通り、絵を描いてもらっていた。
以前にも1度、リーゼの依頼で2人の寝顔を描いてもらったことがある。
あの時は許可もへったくれもなかったし、そもそも意識も無かったので自然な顔で描くことが出来た。
ただ今回アラタは起きていて、笑って見せてと言われても今の彼には少し難しい。
集合写真では人並みに笑えていたはずなのに、彼の表情筋はその使い方を忘却してしまったみたいだ。
戦争から帰ってきてしばらく経つといっても、まだ癒えない心の傷だってある。
別に笑うことが絵を描かれる必須条件ではなかったが、せっかくだから頑張ってみようというのが画家のスタンスだった。
「…………何してんの?」
笑顔とは何かという難しい問題に直面するあまり、顔面が変なことになっているアラタの脇腹をノエルがつついた。
「くすぐったくなったら笑うかなって」
「俺はくすぐり弱くないよ」
「本当かな~?」
そう言いながらノエルの攻撃は続く。
しかし虚しいことにアラタは本当にくすぐりに強いので彼の表情は変わらない。
「難しいなぁ」
困り果てながら隣を見たアラタの視界に、ふとノエルのうなじが入って来た。
視界に入って来たというべきか、視界を吸い寄せたというべきか。
とにかく何となく気になったノエルの髪の生え際を、アラタはそっと撫でてみた。
無警戒極まりないノエルの感覚神経はむき出しになっているも同然で、産毛を撫でられた時に感じる身震いするような感覚を彼女は一生忘れることが出来ない。
「ひぁぁぁあああアラタ! 何するんだ!」
「なんか……何でだろ」
「心臓飛び出ると思ったじゃないか!」
「飛び出ないから大丈夫だよ」
「出ちゃったら死んじゃうでしょうが!」
「……ふふっ、怒るなって」
「あ……アラタ…………」
画家の手はすでに動き出していた。
もし仮にアラタの表情がすぐに戻ってしまったとしても、もう観察の必要はない。
それくらい爽やかで印象的で絵になる笑顔を見たのだから、それを要求した描き手の方も満足だろう。
「笑えたね」
「あー、うん、良かった」
「でも本当にびっくりした」
「ごめんって」
「ふふ、いいよ」
ノエルの中に、楽しい時間の想い出が蓄積されていく。
そしてそれはアラタも同じであると、彼女はそう願うばかりだ。
「俺には必要なの。あとこれは刀な」
「まあいっか、遊ぶぞ!」
アラタの服は当たり障りがなくて、一周回ってなんかダメだ。
一方ノエルは気合の入り方が尋常ではない。
片方はデート、片方は護衛のつもりで2人は歩いている。
大公の娘であるノエルが街を歩けば人の目を引いてしまうと思われがちだが、実際の所住民は慣れていてあまり気にしない。
元々街に出て遊んでいたことの方が多かったノエルは、そこまでレアキャラでもないのだ。
「今日ってなにすんの?」
「んーっとねー、秘密」
「一番最初は?」
「秘密っ」
ノエルは朝からこんな感じで、アラタもそこそこ困っている。
彼女が普通にデートのつもりで自分を誘ったことくらい、アラタは理解している。
ただ護衛としての役割を果たさなければならないのも事実で、彼はこれから行く先に何があって誰がいて、どんな脅威が想定されるのか知りたかった。
だが何の捻りもなくストレートにそう言えば、ノエルは護衛のことを忘れろと言ってくるだろう。
どうしたものかと考えながら、アラタは【感知】による索敵範囲を拡大した。
「アラタは好きな物とかある?」
「いきなり?」
「うん」
「うーん…………」
遥香、エリザベス、野球、家族。
どれもこの世界には無いものだ。
かといって…………
「分かんない」
「そんなことある?」
「こっちに来てからあんまり遊んでこなかったから。何したらいいか分かんない」
「そっか」
アラタの部屋には勉強用の本や武器、トレーニング道具くらいしか物がない。
非常に無趣味且つ面白みのない部屋は、持ち主の性格と日常をこれでもかと反映している。
ノエルの部屋は剣聖の呪いも相まって、足の踏み場もないほど物で溢れ返っているのだが、これはこれで考え物。
両者共に極端すぎるのだ。
「じゃあ——」
ノエルはおもむろにアラタの手を握った。
「私がアラタの趣味を見つけてあげる!」
「ありがと」
満面の笑みを咲かせたノエルは、アラタの手を引いて走り出した。
「その服で走ると危ないよ」
「似合ってる?」
「似合ってるけど転ばないでよ」
「へへ、似合ってるでしょ!」
上から白にピンクが散りばめられたフリル付きのブラウス、腰よりやや高めの位置で留めるタイトスカート、まだ少し寒いというのに靴はくるぶしの上で固定するアンクルストラップサンダルを履いている。
金色のスティックイヤリングが揺れているのをアラタが見ていることに気付いたのか、ノエルは耳にぶら下がっているそれを手に取った。
「いいでしょ」
「ピアス? イヤリング?」
「イヤリングだよ、挟むやつ」
「だよね」
「なんで?」
「ピアスって痛そうじゃん」
「自爆覚悟で自分の魔術に巻き込まれるくせに」
ノエルは先日のアラタがクマリ教徒と戦った時のことを言っているのだろう。
あの場には彼と敵しかいなかったはずなのにと、アラタは少し驚いた。
「何で知ってんの?」
「捕まった相手が言ってたってリーゼから聞いた。治癒魔術持っているなんて反則だって」
「あちゃあ」
アラタの手を握るノエルの力が強まった。
少し怒っているように見える。
「アラタ」
「しょうがなかったんだよ」
「そういうのは良くないと思う」
「しょうがなかったことはしょうがないじゃん」
「だからあの時待ってって言ったのに。もっと頼ってよ」
「はーい」
「アラタ」
両手でアラタの右手を掴みながら、ノエルはジッとアラタの方を見た。
彼はバツが悪くて思わず目を逸らす。
そうするとさらにノエルの手の力が強くなる。
背伸びしながら顔を近づけてくるノエルを左手で押し戻しながら、アラタは求められている答えを口にする。
「今度から気を付けるよ。出来る限り避ける」
「出来る限りぃ~!?」
「もうしない。もうしないから」
「ヨシ! その代わり私が守ってあげる!」
「……どうも」
ようやくアラタが解放されたころには、2人は魔術師通りと呼ばれる小道の前までやって来ていた。
その名の通り魔術に関する商品ならここ、という場所だ。
メイソンもドレイクや実家のコネでこの辺りの店にいくつか魔道具を納品している。
工房もあれば小売店もあり、その両方を兼ねた店舗だってある。
デートにしては少しディープな場所に思える。
「ここなの?」
「そうだよ」
最初の目的地は魔術師通りにあると言われて、アラタに一抹の不安が募る。
今日の行動予定をアラタは何も知らず、全てノエルプレゼンツで行うことになっている。
だが考えてみてほしい、ノエルはこれが初恋だと言っていた。
大貴族の御令嬢で、恋愛初心者の糞雑魚ノエルに任せておいていいものなのか。
もう少し軌道修正を入れるくらいのことは自分がしなければならないのではないか、アラタにはそんな不安が頭をよぎる。
しかしすぐに、『いやいや、俺はノエルの気持ちに応えられない』と考えを改める。
どうやったらノエルが諦めて貴族同士の結婚に舵を切ってくれるのか常々考えているくせに、惰性に流されてこうしてデート紛いのことをしている。
その優柔不断さは自分の弱さだと断じておきながら、それを正すことが出来ない。
「こんにちは!」
鈴付きの扉を開けながら、ノエルは勢いよく入店した。
ここはワンオフの魔道具を依頼者と相談しながら作ることが強みのタービン工房。
昔から代々続くこの店の店主は6代目になるエラム・タービンだ。
「やあノエル様。と銀星殿か」
「こんにちは!」
「ども」
ノエルはどうやらタービンと顔見知りのようで、アラタとタービンは初対面。
初対面の人に名乗る必要が無いというのは楽でいい反面、その場の勢いで返却してしまった銀星十字勲章の異名で呼ばれるのは少し気まずい。
そんなアラタの葛藤をよそに、ノエルは店のカウンターに張り付いた。
「預かってもらっていた例の物をお願い」
「えぇ、もちろん。少々お待ちください」
タービンは暖簾で隠されたバックヤードに荷物を取りに行く。
その大柄な背中が暖簾の向こうに消えると、ノエルは店に陳列されている魔道具を物色し始めた。
「アラタはここ来たことある?」
「初めてきた」
「私の剣の柄はここで作ってもらっているんだ」
「へえ~」
「アラタは? メイソン殿のだけしか使ってない?」
「いや、他にも普通に売られてるの使ってるよ。結界魔道具とか魔石とか」
「とか?」
「……あとは大体メイソンか先生のところだな」
「たくさん作られているものの方が安定して手に入るから気を付けないとダメだよ」
突然のガチアドバイスに、アラタは思わず目を丸くした。
「……なに?」
「ノエルがまともなこと言ってる」
「バカにしてる?」
「いや、見直した」
「なら良い!」
ノエルが満足げに腰に手を当てると、丁度タービンが裏から戻って来た。
「お待たせしました~」
「来た! アラタ見て!」
桐の箱に紫色のクッションが嵌っていて、その上に緑色の魔石のようなものが置かれていた。
ゴブリンの変異種やナキオオトカゲの魔石は薄緑をしていることで有名だが、それとも少し違う。
若竹色、普通の緑よりも少し薄めのこの色が石全体から放たれている。
石の周りには金属のフレームが付いていて、おまけにチェーンまで付いている。
首から下げる前提で設計されたこの装飾品は、何というか機能美と造形美を兼ね備えた美しさを持っていた。
「タービン殿、良い感じだね!」
「それはもう、ノエル様の注文に合わせて何度も作り直しましたから」
「ははは、すまなかった」
「いえ、私の方から説明しますか?」
「いやいい。私からするから」
そう言うとノエルは箱を閉じ、タービンの渡してくれた巾着袋の中にしまい込んだ。
アラタはそんなに急がなくてもいいのではないかと聞いてみる。
「もう行くの?」
「うん、今日は忙しいよ。タービン殿もありがとう、また近いうちにクレスト家から案件があるはずだからよろしく頼む」
「それはこちらこそ御贔屓に感謝です」
「また来るね!」
「ありがとうございました~」
ノエルが肩から提げたポーチに箱を仕舞う仕草を見ると、随分大事な物だと一目で分かる。
だからこそ、アラタはそれが何なのか知りたくなった。
「それなんなの?」
「秘密だよ」
「いつ教えてくれる?」
「今日中」
「ふーん」
あとで教えてもらえるのならそれでいいかと、次の行く先に思考を移す。
ノエルは完全に今日の予定を頭の中に叩き込んでいるみたいで、メモや遠足のしおりのようなものはどこにも見られなかった。
「アラタこの辺で用事とかある?」
「特にないかな」
「じゃあ次は絵を描いてもらいに行こう!」
「絵? 見るとか描くとかじゃなくて!?」
「そー、描いてもらうの!」
※※※※※※※※※※※※※※※
「お客さん、ずっとじゃなくていいから笑ってくれません? ひきつっちまってますよ」
「俺、笑えてないですか」
「窮屈そうに見えますねぇ。隣の嬢ちゃんみたいに笑ってみて下さいよ」
「アラタ、にーって笑うんだよ」
「難しいなぁ」
アラタとノエルは彼女の宣言通り、絵を描いてもらっていた。
以前にも1度、リーゼの依頼で2人の寝顔を描いてもらったことがある。
あの時は許可もへったくれもなかったし、そもそも意識も無かったので自然な顔で描くことが出来た。
ただ今回アラタは起きていて、笑って見せてと言われても今の彼には少し難しい。
集合写真では人並みに笑えていたはずなのに、彼の表情筋はその使い方を忘却してしまったみたいだ。
戦争から帰ってきてしばらく経つといっても、まだ癒えない心の傷だってある。
別に笑うことが絵を描かれる必須条件ではなかったが、せっかくだから頑張ってみようというのが画家のスタンスだった。
「…………何してんの?」
笑顔とは何かという難しい問題に直面するあまり、顔面が変なことになっているアラタの脇腹をノエルがつついた。
「くすぐったくなったら笑うかなって」
「俺はくすぐり弱くないよ」
「本当かな~?」
そう言いながらノエルの攻撃は続く。
しかし虚しいことにアラタは本当にくすぐりに強いので彼の表情は変わらない。
「難しいなぁ」
困り果てながら隣を見たアラタの視界に、ふとノエルのうなじが入って来た。
視界に入って来たというべきか、視界を吸い寄せたというべきか。
とにかく何となく気になったノエルの髪の生え際を、アラタはそっと撫でてみた。
無警戒極まりないノエルの感覚神経はむき出しになっているも同然で、産毛を撫でられた時に感じる身震いするような感覚を彼女は一生忘れることが出来ない。
「ひぁぁぁあああアラタ! 何するんだ!」
「なんか……何でだろ」
「心臓飛び出ると思ったじゃないか!」
「飛び出ないから大丈夫だよ」
「出ちゃったら死んじゃうでしょうが!」
「……ふふっ、怒るなって」
「あ……アラタ…………」
画家の手はすでに動き出していた。
もし仮にアラタの表情がすぐに戻ってしまったとしても、もう観察の必要はない。
それくらい爽やかで印象的で絵になる笑顔を見たのだから、それを要求した描き手の方も満足だろう。
「笑えたね」
「あー、うん、良かった」
「でも本当にびっくりした」
「ごめんって」
「ふふ、いいよ」
ノエルの中に、楽しい時間の想い出が蓄積されていく。
そしてそれはアラタも同じであると、彼女はそう願うばかりだ。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
悪役貴族の四男に転生した俺は、怠惰で自由な生活がしたいので、自由気ままな冒険者生活(スローライフ)を始めたかった。
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
俺は何もしてないのに兄達のせいで悪役貴族扱いされているんだが……
アーノルドは名門貴族クローリー家の四男に転生した。家の掲げる独立独行の家訓のため、剣技に魔術果ては鍛冶師の技術を身に着けた。
そして15歳となった現在。アーノルドは、魔剣士を育成する教育機関に入学するのだが、親戚や上の兄達のせいで悪役扱いをされ、付いた渾名は【悪役公子】。
実家ではやりたくもない【付与魔術】をやらされ、学園に通っていても心の無い言葉を投げかけられる日々に嫌気がさした俺は、自由を求めて冒険者になる事にした。
剣術ではなく刀を打ち刀を使う彼は、憧れの自由と、美味いメシとスローライフを求めて、時に戦い。時にメシを食らい、時に剣を打つ。
アーノルドの第二の人生が幕を開ける。しかし、同級生で仲の悪いメイザース家の娘ミナに学園での態度が演技だと知られてしまい。アーノルドの理想の生活は、ハチャメチャなものになって行く。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
新人神様のまったり天界生活
源 玄輝
ファンタジー
死後、異世界の神に召喚された主人公、長田 壮一郎。
「異世界で勇者をやってほしい」
「お断りします」
「じゃあ代わりに神様やって。これ決定事項」
「・・・え?」
神に頼まれ異世界の勇者として生まれ変わるはずが、どういうわけか異世界の神になることに!?
新人神様ソウとして右も左もわからない神様生活が今始まる!
ソウより前に異世界転生した人達のおかげで大きな戦争が無い比較的平和な下界にはなったものの信仰が薄れてしまい、実はピンチな状態。
果たしてソウは新人神様として消滅せずに済むのでしょうか。
一方で異世界の人なので人らしい生活を望み、天使達の住む空間で住民達と交流しながら料理をしたり風呂に入ったり、時にはイチャイチャしたりそんなまったりとした天界生活を満喫します。
まったりゆるい、異世界天界スローライフ神様生活開始です!
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
オタクおばさん転生する
ゆるりこ
ファンタジー
マンガとゲームと小説を、ゆるーく愛するおばさんがいぬの散歩中に異世界召喚に巻き込まれて転生した。
天使(見習い)さんにいろいろいただいて犬と共に森の中でのんびり暮そうと思っていたけど、いただいたものが思ったより強大な力だったためいろいろ予定が狂ってしまい、勇者さん達を回収しつつ奔走するお話になりそうです。
投稿ものんびりです。(なろうでも投稿しています)
転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。
襲
ファンタジー
〈あらすじ〉
信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。
目が覚めると、そこは異世界!?
あぁ、よくあるやつか。
食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに……
面倒ごとは御免なんだが。
魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。
誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。
やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。
シスターヴレイヴ!~上司に捨て駒にされ会社をクビになり無職ニートになった俺が妹と異世界に飛ばされ妹が勇者になったけど何とか生きてます~
尾山塩之進
ファンタジー
鳴鐘 慧河(なるがね けいが)25歳は上司に捨て駒にされ会社をクビになってしまい世の中に絶望し無職ニートの引き籠りになっていたが、二人の妹、優羽花(ゆうか)と静里菜(せりな)に元気づけられて再起を誓った。
だがその瞬間、妹たち共々『魔力満ちる世界エゾン・レイギス』に異世界召喚されてしまう。
全ての人間を滅ぼそうとうごめく魔族の長、大魔王を倒す星剣の勇者として、セカイを護る精霊に召喚されたのは妹だった。
勇者である妹を討つべく襲い来る魔族たち。
そして慧河より先に異世界召喚されていた慧河の元上司はこの異世界の覇権を狙い暗躍していた。
エゾン・レイギスの人間も一枚岩ではなく、様々な思惑で持って動いている。
これは戦乱渦巻く異世界で、妹たちを護ると一念発起した、勇者ではない只の一人の兄の戦いの物語である。
…その果てに妹ハーレムが作られることになろうとは当人には知るよしも無かった。
妹とは血の繋がりであろうか?
妹とは魂の繋がりである。
兄とは何か?
妹を護る存在である。
かけがいの無い大切な妹たちとのセカイを護る為に戦え!鳴鐘 慧河!戦わなければ護れない!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる