半身転生

片山瑛二朗

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第7章 紅玉姫の嫁入りと剣聖の片恋慕編

第499話 言って欲しい

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 ノエルはアラタのことが心配だった。
 ある日を境に、アラタは狂ったように訓練に明け暮れるようになった。
 こちらの話はあまり耳に入っていないようで、生返事が返ってくることが増えた。
 今のアラタは、少し怖い。

「あの……アラタ」

 アラタは庭で素振りに集中しているようだった。

「アラタ!」

「なに?」

 振り返ったアラタの表情は特に変わりなく、いつも通り。
 ただ手からは血がダラダラと垂れ落ちていて、服を赤く染めていた。

「手から血が……」

「あぁ」

 【痛覚軽減】を起動していて気付かなかったのか、アラタはゴシゴシと服の裾で汗と汚れを拭いた後に治癒魔術を発動させた。
 みるみるうちに傷が塞がって、元通りのタコだらけの手に戻る。
 これでまた皮が破れるまで刀を振ることが出来る。

「それで? どうしたの?」

「私、何日か本家に泊ることになりそう」

「はーい」

「その、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

「あの……」

「行ってらっしゃい」

 そう繰り返すと、アラタはまた刀を振り始めた。
 その視界の中に、ノエルの居場所はないように思えた。
 ノエルは服の裾をギュッと握り締めると、絞り出すように息を吐いた。

「……行ってきます」

 ノエルとて暇ではない。
 予定の混み具合、スケジュールの忙しさで言えばアラタよりも彼女の方が厳しいものがある。
 毎日毎日あれやこれや稽古稽古稽古。
 テーブルマナーから踊りの練習、服の着付け、立ち居振る舞いの指南、基礎教養、社会情勢への理解、貴族院の実務的な基礎知識の習得。
 それもこれも、全てはこのために行ってきたことだった。

「お見合い……ですか」

 彼女の父親、シャノン・クレスト大公は首を縦に振った。

「そうだ。ノエルも今年で19、もう結婚の相手を決める頃合いだ」

「でも私は相手が見つからないからって」

「だからこうしてお見合いをして見繕おうというわけだ」

 ノエルは小さいころから蝶よ花よと育てられてきた。
 剣を学びたいと願ったのは彼女のわがままで、それも随分反対された。
 剣聖のクラスに目覚めたことで冒険者になることが叶ったが、両親が良い顔をしていないことを彼女は知っていた。
 貴族にとって、結婚とはその当人だけのものではない。
 結婚とは家と家の繋がりを強めるためのものであり、血を残すための至上命題でもある。
 自分の次の代も公国に安定と安寧をもたらすために、彼らは盤石の体制を維持するために心血を注ぐのだ。

「その、相手の方はどのような……?」

「いくつか話を付けてある。1回で決めろとは言わないし、必ずこの中から決めなければいけないわけでもない。必要があればもっと探してくるから気軽にしてほしい」

「はぁ……」

「お見合い期間よりも話がまとまってからの方が忙しくなるから、今日は家に泊ってもらうがその翌日はあの屋敷に帰るといい。積もる話もあるだろう」

「はい……分かりました父上」

 シャノンは娘のノエルの返事に元気がないことをはっきりと感じていたが、特に気にかける様子もなくその場を後にした。
 彼は彼で忙しく、娘にだけ構っている余裕はなかった。




「それではおやすみなさいませお嬢様」

「うん。おやすみマリー」

 高齢の使用人、マリーはノエルの育ての親のような人だ。
 父親のシャノンも彼女に世話されていたというのだから、この家でも随一の古参ということになる。
 ノエルはマリーが部屋の扉を閉めたのを確認すると、ふかふかのベッドにダイブした。
 アラタたちの屋敷ではシルが綺麗にしてくれたベッドに飛び込むのが大好きだったノエルは、使用人たちがいる前で同じことをしておおいに怒られた。
 お布団がダメになる、はしたない、そんな言葉を並べたてられて口々に注意された。
 ベッドでうつぶせになりながら、ノエルは暗闇の中で今までの毎日に思いを馳せていた。

 きっかけは何だったのか、今でははっきりと覚えていない。
 ただ珍しい魔物を捕まえたくらいの気分だったと漠然と記憶している。
 ノエルにとって異世界人とはその程度の認識だった。
 世界を変えるとか、未知の技術を持っているとか言われているが、目の前の男がそんな大層な力も知識も持っていないことは一目瞭然だった。
 自分を凌ぐ世間知らずで、まるで生まれたてのヒヨコを見守っているような感覚だったのだろう。
 優柔不断でムカムカさせられることもあれば、何でそんなに思い切りが良すぎるんだとツッコみたくなる時もあった。
 今にして思えば、アラタはただの1人の人間だった。

「結局、何もしてあげられなかったな」

 ぽつりと呟いた部屋の中にはノエルしかいない。
 ノエルは自分から見てもアラタに対して酷いことをしてきた自覚がある。
 家事を任せっぱなしで迷惑をかけたし、マッチポンプじみた方法で同じ屋敷に住むことにもなった。
 自分のやりたいように振舞って、後になってアラタに迷惑がかかっていたことに気づいたのは1度や2度ではない。
 異世界で1人ぼっちになってしまったアラタに対して、配慮の無い言葉から喧嘩もたくさんしてきた。
 挙句剣聖のクラスの呪いが暴走して背中を斬ってしまった。
 アラタはもうこの国にいたくなかったかもしれないのに、またも自分の強い願いで残ってもらった。
 大公の娘の自分にはとてもできないような仕事をたくさんさせてしまった。
 従軍する際も1人にさせてしまった。
 首都に残ってのうのうと暮らしていた。
 帰って来てからも、何かこれといってしてあげられたことなんてまるでなかった。

 この締め付けられるような胸の痛みの正体が分からないまま、ノエルは寝た。

※※※※※※※※※※※※※※※

「……ただいま」

「おかえりー」

 ノエルがアラタたちの住む屋敷に帰ると、台所からシルの返事があった。
 ベルフェゴールとラグエルは相変わらず暖かい場所で惰眠を貪っているようで、クリスとリーゼも家にいるようだった。
 ただ1人、アラタを除いて。

「クエスト?」

「サタロニアの方で狩猟クエストを受けたって。ノエルどうしたの?」

「あ、いや、何でもない」

 不思議そうな顔をしているシルを尻目に、ノエルは自分の部屋に入った。
 なんだかとてつもなく自分が無力な気がしてきて、足元から崩れ落ちてしまいそうな気さえする。
 ノエルは髪留めを外すとそれを机に置き、窓の外の景色を見た。
 まだ朝、これから昼になろうかという時間帯、街は人々の活気と朝の静けさの半々くらいで形作られていた。
 ここに自分はいても、アラタはいない。
 リーゼも、クリスも、シルも、天使と悪魔も、自分も確かに存在している。
 ただアラタだけがここにいない。
 明日から顔も名前も知らない人とお見合いをするというのに、会いたい人にも会えない。
 そんなストレスは、ノエルを強制的にシャットダウンさせて眠らせるには十分なものだった。
 いわゆるふて寝というやつだ。



「…………ル。……エル。ノエル、起きてください」

「んぅ……リーゼ?」

 いつの間にか寝ていたノエルは眠い目をこすりながら起き上がった。
 目の前には寝間着姿のリーゼが立っていて、ノエルの肩をゆすっていた。

「いま何時?」

「夜の11時です。そんなことより、アラタが帰ってきましたよ」

「……知らない」

 もともとふて寝していたノエル、中々素直になれない。
 そんな彼女の背中を押すのはやはり小さい時から彼女の側にいたリーゼなのだろう。

「ノエル」

「イヤ」

「こうしていればよかったなんて、ノエルにはそんな思いはしてほしくありません」

「アラタは私がどこに行こうとどうでもいいんだ。だからこんなに夜遅くまで——」

 ペシッ。

 リーゼは両手でノエルの頬を軽く叩いた。
 サンドイッチされた頬は餅のように柔らかく、思わずリーゼも感触を楽しんでしまう。

「な、なにするの」

「アラタがそんな人じゃないことくらい、ノエルだってわかっているじゃないですか。ちゃんとお話ししないと後悔しますよ」

 いつ何時なんどき今生の別れになるか分からないのだから。
 リーゼはその言葉をごっくんと飲み込んだ。
 それは不要だと判断した。
 ノエルに感情移入するあまり、ふと体験が強く自己主張しかけた。
 言葉を隠そうとも考えていることは伝わったようで、ノエルはゆっくりとベッドから起き上がった。

「……行ってくる」

「アラタは玄関にいますから。何かあったら私たちも呼んでくださいね」

「うん、ありがとう」

 ノエルが階段を降りていくと、リーゼの言った通りアラタは玄関に腰を下ろしていた。
 背中の向こう側には黒装束と武器が置かれていて、かなりの量の返り血を浴びていることが分かった。

「あの……アラタ」

「おぉ、婿探しは順調?」

「明日からだよ」

「そうだっけ?」

 アラタはどうやら日程を勘違いしていたようで、ノエルと認識のずれがあった。
 一瞬ノエルの方を向いたアラタは、再び道具の手入れに戻る。
 ノエルはその背中越しに話し続ける。

「もしこの話がまとまったら、ここには今度こそ帰ってこられなくなるかもしれない」

「そうだな」

「アラタは私にここにいて欲しい?」

「いや? 別に?」

「なっ!?」

 デリカシーゼロの発言に思わず固まったノエルに対し、アラタは振り返った。

「残って欲しいって言ってほしかったのか?」

 久しぶりに見せた笑顔はニヤニヤといたずらっぽいもので、ノエルを試そうとしているのかそれとも茶化しているだけなのか判断に困る。
 ただ、ノエルは先ほどリーゼに言われた言葉がまだ頭の中に残っていた。

「……言って欲しい」

「はい?」

「だから、一緒にいたいって言って」

「それはちょっと立場的にねぇ……」

 アラタは左ひざを玄関の上に乗せて90度体の向きを変えた。
 まだおどけた態度を崩さなかったが、少し様子が変わったようにも見える。
 刀を仕舞い、手を拭いてノエルの方をしっかりと見た。

「ノエルと一緒だと大変だけど楽しいからね。できればまだ一緒にいたかったよ」

「うん」

「でも、ここでお別れだ」

「……ヤダ」

「正直言うとね、俺は今回のお見合いのことを結構前から知ってたんだ」

 アラタの笑顔が、ニヤついたものから真面目で優しいものに変わる。

「治らない傷がつかなくて良かった、いきなり結婚じゃなくてノエルに選択権があって良かった、ノエルが我儘を言い出さなくて良かった、仲間が誰も欠けることなく任務を終えられて良かった」

「私は……」

「嫌な事ばかりの異世界生活だったけど……うん、悪くなかったと思えたのはお前のおかげだよ。ありがとうな」

「……こんな時だけ優しくしないでよ」

「俺はいつだって優しいよ。今だってノエルが良縁に恵まれることを願ってるんだし。俺最高にイイやつ」

 アラタは腰を上げると、荷物一式を持ってノエルの横を通り過ぎた。
 魔物の血の匂いを漂わせながら、ただ真っ直ぐに。
 ノエルの情緒はもう滅茶苦茶だ。
 自分でも何に対してそんなにむしゃくしゃしているのか理解できない。
 ただ、ノエルは心の奥底に沈殿したものをぶちまけた。

「私、凄い人と結婚するから」

「そうだといいね」

「アラタよりかっこよくて、お金持ちで、優しくて、面白くて、家柄も良くて、友達も多くて、私のこと大事にしてくれる人と結婚するから!」

 その後ノエルは一足先に2階へ上がっていったアラタを追いかけるように階段を駆け上り、自分の部屋に戻ってわけも分からず泣いた。
 泣き疲れて寝たものだから、ノエルが起きたのは翌日アラタが別のクエストに出発してからだった。
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