半身転生

片山瑛二朗

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第7章 紅玉姫の嫁入りと剣聖の片恋慕編

第493話 いま力を求める理由

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「あんた、治癒魔術まで……?」

「このあいだ習得しました。肝心な時に役に立ちませんでしたが」

 シャーロットは初め、動けない自分を回復してもらうためにリリーを呼んできてほしいとアラタに言った。
 孤児院のリリーは公国に3人しかいなかった治癒魔術師のうちの1人で、その腕前はかなりのものだった。
 雷槍15本をまともに受けてしまった重戦士の回復も、まあ疲れながらだがやり抜くだけの技量を持っている。

 それをアラタが治してしまったのだ、彼女も驚くことだろう。
 リリー、リーゼ、タリア。
 これがこの国が公的に把握している治癒魔術師の全てだった。
 タリアが戦死し、その数は2人に減った。
 しかしそれも極僅かな時間のみで、すぐに公国が保持する治癒魔術師は3名に返り咲く。
 アラタが治癒魔術に目覚めたのだ。

 治癒魔術には高度な知識と技量と魔力と才能が必要だ。
 人体に関する知識や、魔力学、魔道工学の知識。
 魔力操作の技量は世間一般で魔術師と呼ばれる人間たちの上位数%以上でないと厳しい。
 そして魔力、これは言うまでもない。
 それから有機物に魔力を流し込んで治癒を促進するという特殊技能、この明確なイメージを持つにはある程度の才能が必要不可欠だったのだ。
 アラタはそれらをすべてクリアしたから、こうして自分の体を治している。

「姐さんやっぱ強いですね」

「勝った人間がそういうことを言うもんじゃないよ」

「すんません。でも、近接では厳しそうでした」

「だろうね。精進なさい」

「うっす」

 アラタの治療を受けたシャーロットは原っぱから起き上がると、丘の中央に向かって歩き出した。
 アラタもその後に続く。
 そこは、つい先日もアラタが訪れたある場所。
 そう、墓地だ。

 アラタやシャーロットの胸の高さくらいまである大きな岩。
 その下にシャーロットの戦友たちが眠っていて、その傍らに小さな墓がある。
 それがアラタの想い人、エリザベス・フォン・レイフォードの墓標だ。
 あとはすぐ近くに特配課の殉職者たちの集団墓地があって、アラタはよくここへお参りに来ていた。

 罰当たりなことに、シャーロットは大きな石にもたれかかりながら煙草に火を点け、プカプカ吸い始めた。
 灰皿も何もないので、吸殻はただ地面に落とされていく。
 つい先日アラタがここで拾ったのは、やはりシャーロットのモノだった。

「ポイ捨て厳禁ですよ」

「ここは私有地、制限の範囲外よ」

「ダメですって」

「……しょうがないわね」

 2度言われてシャーロットは渋々引き下がった。
 アラタは家庭の事情で煙草を止めた身なので、周りが吸っていると自分も吸いたくなってしまう。
 家に帰ってからやれ煙草臭い、やめるって言ったよねとノエルやリーゼに詰められるのはごめん被る。
 アラタは煙草の代わりにポーチに入れていた非常食を手に取ると、半分シャーロットに渡した。
 何の肉だか分からない肉を燻製にして長期保存可能にした代物。
 出所が気になりつつも、味は悪くない。
 塩味が少し強く感じるかもしれないが、保存食なのだからそんなものなのだろう。
 海の気配を感じながら、アラタはシャーロットと同じように岩にもたれかかった。

「姐さん」

「なに?」

「強さって何ですかね」

「哲学的な問いは無理よ。あたし学ないもの」

「俺が治癒魔術に目覚めた時、腕の中にいた人はすでに死んでいました。俺は一体何のために治癒魔術を身につけたんですかね」

「さぁ…………」

 丘に吹き抜ける風は、冬なのに少し湿っていた。
 それに風もやけに強い。
 こんな時は往々にして、雨が降る。
 今の季節なら雪が降るかもしれない。
 シャーロットは寒さと口の寂しさから、懐の煙草に手を伸ばす。
 それを横からジッと見つめるアラタの視線に負けて、その手を元に戻した。

「強さとは何か……ね」

「姐さんだって、前の戦争で色々あったんでしょ? 何かないかなって」

 2人は戦争が終わってから、すでに何度かあって言葉を交わしている。
 アラタが精神崩壊を起こしかけたことも知っているし、それをノエルが救ったことも知っている。
 随分と迷惑をかけた上に恥ずべき行いをしたとアラタは言っていたが、シャーロットも似たような経験があると言って笑った。
 そんな彼女は今、後輩から難解な質問を投げかけられている。

 強さとは何か。

 そんなもの私だって知りたいと言いたくなる気持ちを押し殺して、不肖の弟子の問いに応えるべく言葉を探す。

「そうね……我を通す力のことかしらね」

「続きを聞いても?」

「もちろん。あんたも戦争に行ったんだ、殺し合いの中で善悪を語る不毛さは理解したでしょ?」

「まあ、何となくは」

「どちらも間違っているし、どちらも正しい、その押し付け合いとなすり合いが戦争であり、人間の営みそのもの。全員の希望が共存出来ておててを繋いで仲良くできれば何も問題ないけれど、そんなにうまくいくようにこの世界は作られていない。じゃあ、せめて自分と自分の仲間、自分の大切な人や物を護る為には、失わない為には何が必要か。私はそれが強さだと思う」

 そこまで言い終わると、もう我慢ならんとばかりにシャーロットは煙草に火を点けた。
 紙に包まれた煙草の葉っぱを1本取り出すと、指先から魔術で火を作り出した。
 あまりの早業にアラタも止めるタイミングを見失い、そのまま一服を許してしまう。

「あんたはどう思うんだい?」

 ニコチンを充填出来たシャーロットはご満悦のようだ。
 それに対してアラタは副流煙が不快なのか、それとも答えが出ない悩みなのか、眉をひそめて答えに詰まる。

「分からないから質問したんですけどね……」

「いいから。男ならびしっと答えなさい」

「……俺は、強さっていうのは、その人がその人らしく振舞うための在り方なんじゃないかなって思いました」

「また難しいことを言う。あんたそれ説明できるの?」

「少し難しいですけど……」

「もっとかみ砕きなさい。人に説明するためじゃなくて、自分が納得するために」

「そうですね。俺はよく迷うし、間違えるし、自分でもなんでこんな事したんだろうってことをよくやらかします。でも、それを含めて俺なのかなって。道を踏み外してしまった時も、最悪を回避するために、まだ迷ってもいいんだと余裕を持つための力、それも強さの在り方の1つなのかなって、戦争で思いました」

「勉強になったね」

「あの時こうしていれば、こう考えていれば。後悔は尽きません。でも、多分同じ問題がいま目の前に現れたとしても、きっと俺は迷って適切な判断を下せない。例えば——」

 アラタはその手に持った燻製肉を目の高さまで掲げてみせた。

「これに毒が入ってるかもしれなくて、でも見破れなくて。腹が減って死にそうで、でも毒だったらどうしようって思って。そんな時、【毒耐性】か【毒無効】のスキルを持っていたら、とりあえず食べてみようってなる。毒がスキルを貫通する危険性はあるけれど、それでも食べてみようってことになると思うんです」

「間違えたときの保険ってことかしら?」

「そんな感じです。前に進もう、挑戦してみよう、失敗したっていいじゃないか、まだやり直しがきく。そう物事を前向きに捉えるための基礎基盤のことを強さって言うのかなって」

「自分の言葉で言えるじゃないか」

「俺は口下手なんで、姐さんや誰かに引き出してもらわないとちゃんと言語化できないんですよ」

「なんとかしなさいな」

「頑張ります」

 2人は非常食を食べ終わったところで、手合わせを終了して孤児院の方に戻り始めた。
 アラタは刀を袋に戻して背負うだけだが、シャーロットは鞘の無い剣と大きな盾を背中に背負っている。
 かなりの大荷物だ。

「アラタ」

「はい」

「いくら強くても、護るものが無ければ虚しいだけだよ」

「……そうですね」

「私はそれが嫌だったから、孤児院を始めた。せっかく身につけたこの力が、年齢と共に衰えてやがて消えていくのが勿体ないと思った。あんたには護るものがある?」

 アラタは人を殺したことにより、千葉新ちばあらたという1人の日本人としてのアイデンティティを喪失した。
 最愛の人と一緒に居たかっただけなのに、どういうわけか彼女を苦しめ、追い詰め、最後はその手で殺してしまった。
 自分のことを好きだと言ってくれた人は、最後までその想いに応えることが出来ないまま自分の腕の中で冷たくなっていった。
 アラタは失い続けている。
 それこそ、彼が今まで失い続けてきたものこそが、彼が護るべきもの、護るものだったのだろう。

 失敗、大失敗だ。
 1人の人間が人生を懸けて護りたいと思えるものなんて、誰もが手に出来るほど容易に転がっているわけじゃない。
 アラタはそれを3つも4つも持っていたが、全て失ってしまった。
 護るものを数えようとするとき、彼は必ず失ったものを数える必要がある。

 失って失って失って、それでもまだ彼の手元に残っている大切な物とは何か。
 それこそが、今アラタが護るものなのかもしれない。

 シャーロットはアラタを孤児院の入り口まで見送ってくれた。

「今の力があれば、過去の自分は後悔しなかったかもしれない。その想いは消えないけどね、未来に関しても同じ話だよ。未来で得た力があれば、今の自分は後悔せずに済むかもしれない。そう考えたら、一刻も早く強さを手に入れなきゃならないって思えるだろう? 血を吐くような鍛錬にも耐えられるだろう?」

「そうですね」

「今の自分が苦しい思いをしてまで、それでも護りたいものを見つけなさい」

「……ためになります」

「また来てね。今度もどっさりと荷物を持って」

「姐さんにとってはそっちが護るものってことですか?」

「そうとも言う」

 笑いながら解散した2人。
 アラタはそのまま家に直帰する。
 今日はもう何も用事が無いから。

 屋敷の敷地内に入り、母屋までの通路を歩いていると、庭からふと良い匂いが立ち込めてきた。
 どこか懐かしいドコサヘキサエン酸をたっぷり含んだ匂いだ。

「ただいま」

「アラタ! おかえり!」

「なにしてんの?」

「へへ、炭火で焼き魚だよ!」

「へぇー、珍しいね」

「でしょ! もうすぐ焼けるから!」

 ノエルは七輪の周りをウロチョロしつつ、肝心の魚には指ひとつ触れていない。
 彼女はクラスの呪いのせいで、調理なんてとてもまともに出来そうにないから控えているのだ。
 料理ができなくてもその場で楽しそうに魚が焼ける様を観察しているノエルを見ると、アラタはなんだか心が洗われる気がした。

 無邪気なその笑顔は、自分が失くしてしまったものだったように思えて、とても尊いものだと感じられたから。
 アラタは思う。
 この笑顔は残さなければならないと。
 自分には無い物は、特別大切なものに思えてならないのだ。

 ノエルは自分のことを見つめるアラタを不思議そうな顔をして見返した。

「アラタ?」

「いや、なんでもない」

 寿命が尽きるのが先か、ノエルが家を出ていくのが先か。
 いずれにせよ遠くない未来で終着を迎えるこの生活も大切なものだよなと、アラタは毎日を大切にして生きてみることにした。
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