半身転生

片山瑛二朗

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第6章 公国復興編

第484話 禁忌の契約

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 上機嫌でシルの淹れた茶を楽しむ美女。
 今にも斬りかかりそうな勢いで睨みつける剣聖。
 彼女ほどではないが、警戒心を解かない聖騎士。
 何が何だかさっぱりわからないので、ひとまず遠巻きに見守りつつ猫と戯れる盗賊。
 そして床に正座させられている家主。

「あの……なんでもないです」

 アラタの言葉は初めから信じてもらえなかった。
 この人が勝手にトイレに入っていたんです、僕のせいじゃないんです、何もしてないんです、そういう関係じゃないんです、といっても状況証拠的にほぼクロなのだから仕方がない。

 交友関係の許容限界は人それぞれだ。
 ガラの悪い友達とは絶交しろという人もいれば、肉体関係であっても心がこちらにあるのなら浮気じゃないとする人もこの世の中には存在する。
 で、この家の基準は世間一般と比べて厳しめに設定されていた。
 アラタが誰とどんな遊びをしようと文句を言われる筋合いはない。
 しかし、女遊びはやめろとノエルは言う。
 彼女にどこまでの権限があってそんなことを言うのかはさておき、ひとまず彼女の示したボーダーラインがアラタに適用されていた。
 そしてトイレで行為に及んだと思われるこの状況。
 本当は何もしていないというのに、可哀想な事だ。

 ノエルはアラタのことを路傍の犬の糞を見るような目で見下ろすと、視線を正面に戻した。
 綺麗な大人の女性、それもそんじょそこらでお目にかかれるような存在ではない空気。
 他の国の王妃ですと言われても通用する美貌に、ノエルは小さく舌打ちした。

「名前は」

 ぶっきらぼうに問いただす。

「ベルフェゴールよ」

 彼女の答えも端的だったが、こちらはまだ幾分か友好的に見える。
 その余裕の差が両者の人間としての器の大きさそのものを表しているような気がして、アラタはなんだかノエルがいたたまれなくなった。
 こんなことで株を下げないでくれと思いつつ、彼の視線はテーブルの下に固定されていた。
 大きめのオーバーオールを着ているノエルには微塵も興味がなく、眼が吸い寄せられるのは反対側の極楽浄土。
 何で人類はスリットなんて罪深いものを発明してしまったのだと、玉のように柔らかい曲線を描く脚に魅入られていた。

「アラタとの関係は」

「さっき会ったばかりよ」

「何の目的で」

「物見遊山、かしら。ちょっと味見をね」

「味っ……アラタァ」

「えっ? あ、いや、そんなことしてませんけど」

「これからしてみる? 私の味見」

「是…………いいえ、遠慮しておきます」

「あ、そう」

 アラタは苦虫を噛み潰したような顔で断った。
 目の端に光るものが見えるのは気のせいだろうか。
 彼だって、もう何か月も禁欲生活が続いているというのに生殺しもいいところだ。
 ちょっとくらいいいじゃないかと思いつつ、下アングルから見える景色を目に焼き付けておく。

「なぜアラタに、いや、アラタのことをどこで知った」

「第97回全国高校野球選手権大会、注目選手名鑑」

「は?」

 ベルフェゴールの言葉にまるで聞き覚えの無かったノエルは聞き返した。
 当然だろう、知るはずがない。
 逆に、アラタはその言葉を聞いてお遊びモードから一瞬にして心を切り替える。
 痺れる足を我慢しながら立ち上がると、魔力を練り上げスキルを起動した。

「ちょ、アラタ、まだ立っていいって——」

「ノエル、俺の後ろに。クリス、シルを護れ。リーゼもだ」

 刃物ナシの近接は、アラタの不得意な分野である。
 魔力ゴリ押しの魔術を織り交ぜた格闘術は一通り修めていても、このレンジでこの武装ならボクシング選手には勝てないかもしれない。
 せめて刃物の代わりにと、魔力を薄く引き伸ばして刃を作り上げる。
 属性は風、円盤状のカッターを高速回転させているイメージだ。

「アラタ?」

「手を挙げて後ろを向け。それから服を脱いで地面にうつぶせになるんだ」

「嫌よ」

「残念だ。シル!」

「はい!」

 いつどうやって持ってきたのか、シルはアラタの刀を放り投げた。
 雷撃を起動・射出してから、アラタは【気配遮断】を回しつつ刀を手に取る。
 いつもとは逆側、右手で鞘を握り左手で柄を握る。
 体と刀が飛んでくる位置関係上仕方がなかった。
 自分の出自、彼が異世界人であることを知っている人間は本当に少ない。
 それにどこから来たのか分からない謎の人物であることを考慮すると、即戦闘しても構わないとアラタは判断した。
 雷撃をするりと躱されるところまで想定内、アラタはベルフェゴール目掛けて思い切り刀を振り抜いた。

「……マジッッッッッッッッッかよ」

「家の中で刃物をブンブンしないで」

 逆向きの抜き打ちとはいえ、この結果はあり得ないとアラタは現実を否定した。
 【身体強化】ありきの抜刀術、防ぐことはおろか、躱すことだって難しい。
 もし仮に立場が逆だったとして、アラタなら距離を詰めて間合いを潰すくらいしか解決策がない攻撃だ。
 それを、替えのカッターの刃をつまむような感じで止められた。
 アラタの恐怖心からくるものか、それとも力が拮抗しているからか刃先がカタカタと震える。

 アラタが動き次第加勢しようとしていたノエル、クリス、リーゼの動きも止まる。
 あまりの非現実的な結果に、彼女たちの足も止まってしまった。
 そして当のベルフェゴールはというと、大層満足そうに妖艶な笑みを浮かべていた。

「ここのお茶は気に入ったわ。おかわりいただけるかしら」

「…………シル、頼む」

 ここまで勝てる気がしないのは、ユウ以来だな。

 アラタは勇者レン・ウォーカーにも、剣聖オーウェン・ブラックにも感じていなかった隔絶した力の差を、この女性から感じてしまった。
 恐らく勝てないと、明確にそう直感させられる、分からせられてしまった感覚。
 アラタが手に込める力を抜くと、ベルフェゴールも刀から手を離した。
 きっさきに付着した指紋はまったくズレた跡がなく、本当にビタ止めされたことを示していた。

※※※※※※※※※※※※※※※

「ベルさんは異世界人なんですか」

「違うわ」

「じゃあなんで俺のこと知ってるんです」

「知りたい?」

「えぇ」

「じゃあその前に。私はあなたの心を見に来たの。スーパーアースからの転生者で、ユニークスキル持ち。それに心が擦り切れて隙間を埋める様に別の物が流れ込んでいるなんて滅多にある事じゃないわ。あなた漫画か何かの主人公?」

「その話売れなそうですね」

「ふふ、そうね。でも私はあなたに惹かれてここにやって来た。それは事実よ」

「……なるほど」

 アラタは自分以外の全員を家の外に出して、単身ベルフェゴールと対峙していた。
 彼女はアラタに、自分のことはベルと呼ぶように言い、アラタはそれを了承した。
 現状の自分では到底かなわないと思うほどの技量を見せつけられて、従順にならないわけがない。
 アラタは今なら彼女に言われればほとんどなんでもしてしまう自信がある。
 死ねば全てなくなってしまうし、それ以外なら大抵のことは飲み込める。
 仲間の誰かを殺せとか、そういう命令でなければ飲もうと思っていた。

「ねえ、私のこと知りたい?」

「さっきから教えてくれと言ってるんですが」

「どれくらい知りたい?」

「まあまあそこそこ」

「元の世界に帰ることと比べると?」

「…………知りたい」

 数秒迷ったあと、アラタはそう言った。
 ベルフェゴールは意外だったのか、少し驚いている。

「あら、いいの? 帰れるかもしれないのよ?」

「こっちで散々人を殺した。今更親に合わす顔がない」

「あっそ。変なとこ気にするのね」

「人それぞれだろ」

「まあそうね」

 ベルフェゴールはふと窓の外を見た。
 何か影のようなものが見えたような気がしたからだ。
 アラタも【感知】でそこに誰がいるのかは理解している。
 本当は今すぐ出て行ってこの場から離れる様に怒鳴りたかったが、この場を離れないことがベストだと勘が叫んでいた。
 彼女の傍から離れるべきではないと。

「いい加減教えてくださいよ。あんた何者?」

「そうね……難しい質問だわ」

「なわけないでしょ」

「そうでもないのよ。アラタ、私と契約を結ぶ気はある?」

「なんの?」

「ユニークスキルと引き換えに、私をここに住まわせる契約よ」

「足りないなぁ」

「あなた正気?」

 彼女が呆れるのも無理はない。
 ユニークスキルは、この世界の理そのものだ。
 別名をエクストラスキルとも呼ぶその力は、他のスキルとは明らかに異なる性能を有している。
 さらに、同じスキルは同時に1つしか存在しえない。
 アラタの持つエクストラスキル【不溢の器カイロ・クレイ】はともかく、カイワレが所持していた戦闘スキル【赫ノ豺狼アレウセロン】のようなものは、自分が所持しているだけで他の人間は能力保持できないという絶対的なアドバンテージがある。
 他人が絶対に持つことのできない能力で一方的に殴れる、この差は時に残酷な現実をもたらすことになる。
 それを提示されておきながら、アラタはまだ足りないと言い放った。

「なにがほしいの?」

「俺の仲間を傷つけないと誓え」

「それだけ?」

「そんだけ」

「なんだ。つまんないの」

 ベルフェゴールはそれだけ言うと、アラタの前に一枚の紙を置いた。

「書いて。日本語でいいわよ」

 下線が引かれた空欄がある。
 そこに署名を求めているのだ。
 アラタは差し出されたペンでフルネームを記述する。
 随分と久しぶりに書く氏名だ。

「ねえ、私が言うのもなんだけど、もう少し躊躇しないの?」

「しない」

「なぜ?」

「恐らく拒否権が無いというのが1つ。それから、エクストラスキルをくれるのは普通に嬉しい。あれは手に入れようとして手に入るようなものじゃねえから」

「へぇ、よく分かってるじゃない」

「ベルさんは本当に何者?」

 署名を書き終えた紙を半回転させて、ペンと一緒に相手に差し出す。
 ベルフェゴールはそれを満足そうに受け取ると、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「私はね、悪魔なの。怠惰の悪魔、ベルフェゴール。この契約書は人間と悪魔が結んだ、いわば禁忌の契約を保証する聖遺物なのよ」

 普通なら大層驚く場面でも、アラタはさほど大きなリアクションを取らなかった。
 取れなかったという方が正しいか。
 平均的日本人である彼は無宗教に限りなく近い仏教徒で、元旦は神社に初詣に行くし、ハロウィンもクリスマスもお盆もイースターも楽しむ。
 そんな彼からしたら、悪魔だの契約だの聖遺物だのは別にそこまで気にならなかった。
 こうして彼の生涯続く契約は、ここに結ばれたのだ。
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