半身転生

片山瑛二朗

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第5章 第十五次帝国戦役編

第461話 元気の出るおまじない

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 魔力の枯渇による意識喪失。
 治癒魔術師が陥りやすい症状の1つだ。
 治療という明確な目的に対して魔術を使うものだから、医療行為という使命感も相まって自分の限界を見誤りやすい。
 そうなると本来使い切る事の無い筈の魔力を残量がゼロになるまで使ってしまい、タリアのように気を失う。
 魔力不足が原因なのだから、体を動かさずにじっとしていれば魔力が回復し、それに伴って意識も復活する。

「……んっ、わたっ、私は…………」

「おーい、タリア殿の目が覚めた。衛生兵来てくれ」

「全員死んだ。お前が看てやれ」

「マジかよ。えー、タリア殿、どこまで覚えていますか?」

 白い布を敷いた担架に仰向けになって乗せられながらゆらゆらと揺れている。
 そんな彼女の足の方を持っている兵士が彼女に話しかけた。

「えっと……アラタに魔術をかけてから……」

「なるほど、記憶の欠損はそこまでなさそうですね」

「あの、今は」

「撤退中です。とにかく西に向かって援軍との合流を最優先にとエドモンド殿が」

「そう。迷惑かけてごめんなさい」

「いえ、仲間ですので」

 笑顔を見せた冒険者兼兵士だったが、本来なら彼も早急な治療を要する負傷者である。
 肋骨にひび、腰の骨の骨折、足に打撲、軽い脳震盪。
 そんな彼も助けられる側ではなく助ける側として働かなければならないこの状況は、やはり少しおかしい。
 やや遠くで鳴り響く兵士の絶叫と戦闘音。
 ドンパチが続いているという事は、公国兵がまだ生きているという事。
 まだ負けてないという事。
 その事実は彼ら先行撤退組の安全をいくらか保証してくれる。
 担架や負傷者に肩を貸しての移動、速度はどんなに頑張っても小走り程度が関の山だった。
 だから、【身体強化】つきで走れば案外早く追いつくことができる。

「ん?」

「後方警戒。敵かもしれない」

 公国軍の冒険者たちはピタリと歩みを止めて後ろを振り返る。
 遠方に聞こえる戦闘音とは明らかに異なる何かが耳に届いた気がしたから。
 道はグネグネと曲がりくねっていて見通しが悪く、奥から何が来るのかは見えない。
 索敵能力のある元気な兵士はここにはおらず、負傷者のタリアだけが【探査】を使える。
 タリアはスキルを使えるのか、使えるとして使おうか迷う。
 しかしそんなことをしている間に遠くから聞こえる声はより鮮明になり、彼女はスキルを使うことをやめた。
 聞き覚えのある声だった。

「多分味方。ルークが来てる」

「それでも一応警戒しましょう。敵が追いかけてきている可能性もある」

 最後尾を取り仕切る兵士のいう事はもっともで、他の隊員たちも同調する。
 ルークであればよし、敵ならば戦う。
 ルークであったとしても、背後に敵を引き連れているようならこれと戦う。
 向こうの戦力次第ではここから血みどろの激戦が始まるかもしれない。
 そんな状況は、彼らの緊張感と警戒感をMAXにまで引き上げる。

「…………ーい。……32大隊のルークだ!」

「知ってるわよ」

「おーい! 公国兵ー!」

「警戒の必要あります?」

 口元を黒いスカーフで覆い隠した兵士が現場責任者に問いかける。
 彼も思うところは同じらしく、困った顔で振り返った。

「ほぼ大丈夫だろうが、気を抜くわけにはなぁ」

「ほら、見えましたよ」

「おっ」

 責任者の兵士が再び元来た道の方に目を向けると、誰かを背負いながら走る中年の兵士の姿があった。
 ルークである。
 そこまではさっきから分かっている、彼ら撤退組が知りたいのはその先だ。
 ルークを視界に入れてから数十秒、彼の後ろにはまだ何も来ていない。
 彼が敵に操られている可能性も一応考慮しておくものの、これまでの戦闘でそれらしい情報は見当たらなかった。
 敵に精神操作系の敵がいないことは、今までの数か月間がある程度保証してくれている。

「警戒解除」

「背中のは要救護者ですかね?」

「かもな。おい、ここで2分だけ止まる。散開して警戒に努めろ。水分補給もしておけ」

 上官命令で散開する兵士たち。
 冒険者大隊臨時大隊長トマスから仕事を受け継いだエドモンドはこれよりも先行していて、彼らとは別グループになる。
 この場を任され、自ら最後尾に立っていたのはドラール支部のDランク冒険者ライト・ボーズだった。

「はぁぁぁあああ。やっと追いついた」

「お疲れ様です。負傷者の容体は?」

「意識を失って倒れたけど、緊急治療が必要なダメージはなし。呼吸も脈も安定している」

「なるほど。彼はこちらで……銀星のアラタ殿ですか」

「そ。ちょっと疲れた。あと頼んでもいいか?」

「もちろん。食べ物はありませんが水ならあります」

「頼む」

 体重80kgオーバーのアラタを抱えての長距離走。
 生身ならまず無理だったろう。
 出来たとしてもせいぜい100m、キロ単位の移動は不可能だった。
 そう考えると、やはりスキルというこの世界特有の特殊技能は人間の可能性を拡張しうるといえる。
 スキルなしで100m走のタイムを競う意味がなくなるし、無数の種類と組み合わせがあるこのことわりに完璧に対応した社会秩序というのは難しいのかもしれない。
 この世界は総じて文明レベルがアラタが元居た世界よりも低く、前時代的な価値観や戦争方式を取っている。
 にもかかわらず人間社会が崩壊せずに維持されているのは、実に興味深い。
 今度誰かを異世界転生させるのなら、勉強をまったくしてこなかった大学1年生よりも、社会学か歴史学、その他学者を異世界転生させることを検討するべきだろう。
 そこにはきっと2つの世界の面白い化学反応が起こるだろうから。

 ルークは貰った水をがぶ飲みしながら、タリアの隣に座った。
 彼女は担架ごと地面に降ろされて、空を見上げている形だ。
 先ほどから少し曇ってきて、もしかしたら一雨くるかもしれない、そんな不気味な天気だ。

「倒れてごめんね」

「そりゃあ、あれだけ治癒魔術乱発してれば倒れるわな。1日5人までだっけ?」

「普通の労働負荷で考えるならね」

 治癒魔術師が国に管理拘束されずに比較的自由に出来ているのはここにある。
 体力と気力と魔力の消耗が激しく、大衆向けインフラとしての価値がないのだ。
 どの国でも医師を育てることや、診療所を普及させることには力を入れている。
 だが治癒魔術師は極めて属人性が高く、安定的な人材確保が難しい。
 それに治癒魔術師としての能力を持っていたとしても、本人がそれを望むとは限らない。
 タリアは冒険者という自身の仕事の関係上、1日に治療する人数に制限をかけていた。
 それが5人である。
 それも週休3日で、2日連勤の後は1日休養、また2日やって、2日休養というサイクル。
 そんなサイクルを完全に無視して破壊して、この戦争で治療を無制限に続けていれば倒れるのは時間の問題だった。
 むしろ今まで良く耐えたといってもいい。

「最前線はどうなってるの?」

「トマスとカイワレだけ残った。カイワレは確かにわかるけどよ、トマスは……」

 ルークの口調は、どこかトマスの実力に懐疑的だ。
 強いのは確かだが、2人で敵を全て背負うのは無理。
 それは人間をやめた存在のやることだ。

「トマスさんは……うん、大丈夫」

「そうなのか?」

「奥の手があるから」

「なにそれ?」

「秘密。口に出してはいけないの」

「そうか」

 タリアが悪魔との契約のことを言っているのか、それとも別に心当たりがあるのか定かではない。
 もし前者なら、確かに口に出すのも憚られるだろう。

「アラタは?」

 タリアは想い人の名前を口にした。
 ルークが連れてきてくれたことは聞こえている。

「まだ寝てる。死にはしないと思うけど……」

「ここに連れてきて。それから私の荷物を」

「いいけど。なにすんだ?」

「いいから」

「人使いが荒いんだよ」

 そう言いつつも言われたとおりにしてくれるルークの背中を見て、タリアはフフッと儚げに笑った。
 結局、何一つ思い通りになんてならなかったから、諦めの意味も含めていたのかもしれない。

 ……私じゃ貴方を変えられなかった。
 私じゃあの人の想像を超えることができなかった。
 だから、私はあの人の思い通りに操られてしまっている。
 悔しいなぁ。
 貴方には、もっと普通の人並みの幸せを手に入れてもらいたかったのに。

「タリア、これでいいか? あとアラタは他の人が連れてきてくれる」

「うん、ありがと」

「なぁ、なにすんだ?」

「アラタをね、不幸にしてしまうの」

「はぁ」

 意味が分からないルークだが、タリアが熟考を重ねてこの判断を下したことは理解できた。
 長い付き合いだ、話さなくても分かる。
 だから、彼女の覚悟にいちいち噛みついたりすることはしなかった。

「ルークさん、どこに寝かせましょうか」

「おう、タリアの横に寝かせてくれ」

「了解です」

 言われたとおりにアラタを乗せた担架が地面に落ち着いた。
 タリアは自分の荷物の中から白い包み紙に包まれた何かと、注射器と薬品の瓶を取り出した。
 カナン公国で注射器は希少だ。
 常に職人のオーダーメイド、1つとして同じものは存在しない。
 ちなみに価格はこれ1本で金貨2枚する。

 彼女はまず、天然ゴムでシールドされた薬品の瓶に注射針を突き刺した。
 そしてシリンジを引くことで薬品を吸い上げていく。
適量に達したところで瓶から針を引き抜き、針を上に向けて空気を抜いて、残った気泡を消そうとトントンと注射器を叩く。

「アラタの腕をまくって」

 ルークが指示通りアラタの手甲を外し、傷だらけの素肌が露になった。
 タリアは何とかして起き上がると、ポイントを見定めて針を差し込んだ。
 アラタの体内に異物が侵入する。
 注射器を押し出すその行為が、タリアにとってアラタに対する酷い裏切りだ。
 彼女は自身の行いの重大さに圧し潰されそうになりながら、責務を全うする。

「……カフッ、ゲホッゲホッ。オェ……」

「気が付いた!」

「次。ナイフ貸して」

 アラタが意識を取り戻したことを喜ぶのも束の間、ルークは指示されたままナイフの柄を向けてタリアに渡す。
 そして彼女は白い包み紙を広げ、内容物の飴のようなものをナイフで削りだした。

「アラタ、大丈夫か」

「何とか。ルークさんは?」

「俺は平気」

「タリアさん……良かった」

 ホッとした表情のアラタを見せられると、タリアは胸の奥が引きちぎられそうになる。
 この笑顔に惚れたはずなのに、彼の為にはならないことを今からしようとしているから。
 苦しい、悲しい、申し訳ないのに、そうせざるを得ない、それを予見して自分に高純度の魔石と意識回復薬を持たせたアラン・ドレイクのことが許せない。

「アラタ」

「はい?」

「私が今からすることを受け入れれば、アラタはもう今までと同じ生活はできないかもしれない。それでも私はアラタに生きてほしいから、このまま続ける。止めるかどうかはアラタが選んで」

 嫌われたな、そう思った。
 自分の事情で勝手をしようとしている人間を好きになる人は多くない。
 彼女自身、そんな人は苦手だったから、アラタに嫌われたと思った。
 それでもと決断したのは自分、でもやはりやりきれない気持ちはある。
 そんなタリアの脳内とは裏腹に、アラタは力を抜いて空を眺めていた。
 余りに脱力しきっていたので、思わずタリアも聞き返す。

「いいの?」

「タリアさんはいい人ですから。嘘をついているとは思いません。だからといって、自分勝手だとも思いません」

 そう言うとアラタは目を閉じた。
 好きなようにしていい、そういう意志の表れだった。

「……ずるいなぁ」

「タリア殿! 敵が来ているかもしれません、早く!」

「先に行ってて。絶対に間に合うから」

「しかし」

「ルーク、皆をお願い」

「おう。あとでな」

「うん、あとでね」

 それだけの会話で、ルークたちは先に進むべく行動を開始した。
 アラタやタリア以外にも、負傷していておんぶや担架での搬送が必要な人間は複数いた。
 彼らは少しでも敵と距離を取るために急ぐのだ。

「アラタ」

「はい?」

「これを飲んで」

 無色透明な固形物をゴリゴリとナイフで削った粉を、包み紙の上にまとめて差し出した。
 風が強かったらこうはいかなかっただろう。
 アラタはそれを何の迷いもなく飲み込むと、渡された水で流し込む。
 味はしない、強いて言うならオブラートのような風味だ。

「横になって、目を閉じて」

 言われたままにするアラタ。
 ふと、額に暖かいものが触れた気がした。
 目を開けると、顔を赤くしたタリアがすぐ近くにいた。

「……おまじない…………です」

「効きそうなおまじないですね。……ってあれ?」

 アラタは何を思ったのか、耳を触る。
 次いで鼻、それから目を擦る。
 ついには手のひらをニギニギと揉み、最後に一口水を飲んだ。

「こういうことですか?」

「そういうことよ」

「なるほど。まあ……仕方ないですね」

「ごめんなさい」

 これからアラタが直面する問題の数々を想像すると、タリアはどんなに謝罪してもし足りない。
 だが、アラタはいいと言った。
 こうして効果を実感して、どうなるのかある程度理解した上で、それでもいいと納得した。
 アラタは起き上がると刀を手にする。

「敵が来ます。タリアさんは先に」

「私は……」

「多分、力の調節が上手くできないから、巻き込んじゃうかもしれないんです。頼みます」

「分かった。アラタもあとでね」

「えぇ、またあとで」

 立ち去るタリアの気配をどこまでも背中で感じながら、アラタは体の調子に驚く。
 自分の身体とは思えないくらい軽く、今まで経験のないレベルで力が溢れている。
 何とも不思議な感覚だ。

「今なら何でもできそうな気がする」

 そう呟きながら、アラタは刀を天に向けた。

「並列起動50、雷槍」
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