402 / 544
第5章 第十五次帝国戦役編
第398話 お前はお前のやりたいように
しおりを挟む
「結局何も起こらなかったですね」
「……あぁ」
何か考え事をしていたのか、アラタの返事は上の空。
リャンは現在、アーキムと共に小隊の隊長補佐を務める立場、アラタに許可や判断を仰ぐ役割でもある。
「みんなを呼び戻しても大丈夫ですよね?」
「そうだね。敵も下がったんだろ」
「じゃあそんな感じで」
「はーい」
アラタの許可を得たリャンは、手綱を左に傾けて隊列を離れた。
周囲の索敵に従事している1192小隊の人間を回収するためだ。
元々、彼らに与えられていた任務は特にない。
2千からなるミラ丘陵地帯への援軍の行軍には、別の部隊が護衛と索敵を担当していた。
ただ、レイクタウン攻囲戦の前、マイケル・ガルシア中将らがミラに送った援軍要請の使者は、ついぞ帰ってくることは無かった。
一時は脱走も疑われたものの、最終的に敵軍の情報封鎖によるものだと結論付けられた。
ミラに至る道が帝国軍の管理下にある可能性がある。
そう言った懸念から、ハルツの指示を受けてアラタたちが特別に警戒をしていた。
こうして戦闘になることも想定されていたミラへの行軍は、何事もなく終了した。
途中で1泊したがこれと言って特筆することも無し、そう行軍記録係の残した手記にもある。
そんな彼らがミラに入り、まず何をしたかというと——
「まただ、まただよ。俺たちゃ工夫じゃないっつーの」
「黙って手を動かせ」
例によって、エルモが文句を垂れ、それをアーキムが叱る。
この戦争の間に10回は見た光景だ。
なおもブーブー文句を垂れ流すエルモに、アーキムはスコップで明後日の方向を指さした。
「アラタも作業しているんだ、文句を垂れるな」
「……中隊だったらな」
「お前、それ以上言ったら本当に怒るからな」
「へいへい」
これ以上は冗談では済まなくなるという境界線を、彼はよく心得ていた。
もっと手前でやめておけとアーキムはいつも思っていて、彼の中でストレスが溜まる。
中隊だったらな、そこから先は口にしてはいけない。
確かに301中隊だったら作業は分担できるし、
エルモあたりはサボることが出来る。
中隊が解散したのは、これ以上人員を補充できなくなっているという事情と、アラタと司令部との仲の悪さが原因だ。
エルモは別にアラタが悪いと言いたいわけではない。
ただ、もう少し大人になってくれれば得られるメリットもあるのではないかと提案しているだけだった。
まあアーキムはそれすらイライラの対象なわけで、エルモの愚痴を許さない。
連敗が続いている軍の雰囲気は決して良いものでは無かった。
「キィ、そこの袋取って」
「あい」
「サンキュー」
何の気なしに口にしたアラタの言葉は、本来英語のはず。
日本語が通じるのはまだ許せる、というか都合が良いからスルーするとして、これは流石にいただけない。
もっと言及すると、アルファベットが存在しない世界なのに、言葉としての『アルファベット』は通じる。
これは非常に不思議な話で、アラタは最近こう考えていた。
知らず知らずのうちに、翻訳機能が働いているのかもしれない。
言語と文字の関係は非常に奥深いもののはずで、片方が欠けていては元の世界の常識が通用しないはず。
にもかかわらず、日本語とこの世界独自の文字が共存しているという異常さ。
そこに付け加えると、この世界には言語の多様性という状況がゼロに等しい。
どういうことかというと、日本語と英語のような、多言語という考え方というか、存在がないのだ。
カナン公国で使われている言語は、反対側、東の果てでも通じるという一般常識。
これはどう考えてもおかしいとアラタですら分かっている。
アラタたちは、206中隊の一員として、砦の堀を深くしたり山中に罠を仕掛ける作業中だ。
ハルツ曰く、今のうちに出来ることはやっておきたいとのこと。
スコップを使って土を掘り、袋に詰めて土嚢にする。
そんな単純作業をしていると、アラタは時折頭の片隅に現れる難問に挑戦するのだ。
言語に翻訳機能が働いていると仮定して、なぜ文字はそのままなのか。
彼をこの世界に送った神が適当な存在だったからで話は終わってしまうとあんまりなので、合理的な理由を考察してみる。
彼が考えるに、その方が都合が良かった、もしくはどうでもよかったという仮説がある。
神を自称するあの存在が、もし複数回元の世界の住人を異世界に送っているのだとしたら、言語の壁は彼らの命を容易く奪ってしまう。
それでは何のための異世界転生、ということで翻訳機能もしくは言語統一を行った。
では文字は? となるが、文字は視覚情報のデザインという面で翻訳するのが非常に難しい。
じゃあ世界規模で統一だけしておいて、後の学習は自分でしてね、と丸投げする姿が容易に想像できる。
そんな彼の仮説が当たっているかどうかはこの際どうでもよくて、言語が通じ、文字を覚えたアラタはそこまで不自由していなかった。
「アラタ!」
考え事をしながらもせっせと働いていたアラタの元に、上司のハルツがやって来た。
「はーい」
「来い! あと着替えろ!」
「はーい」
1回目の返事より少し低いトーンで返事をしたのは、着替えるのが面倒だったから。
作業を抜けられる喜びと、身だしなみを整える面倒臭さはトントン。
小隊の仲間が羨ましそうな目で見てくるので、まあいいかという心境。
黒鎧の下半分とタンクトップだけの薄着から、上下ともに公国軍の正式兵装に着替えた。
カナン公国軍の鎧は自己調達なので、基本となる制服だけが統一されている。
濃紺地なのは染めやすいから、あと汚れが目立ちにくいから。
ところどころに入っている国や所属の紋章は安物感がぬぐえない。
帝国はそうではないのだが、両国の国力の差はこんなところにも表れる。
アラタが準備を終えたところで、ハルツと2人で歩き出した。
「大丈夫か」
ハルツは唐突にそう切り出した。
「はい?」
「いや、分からないならいい」
「そうですね、まあ悩み事が無い訳では……」
「どんなだ?」
「1192は問題ないんですけど、公国の弓兵ってカリキュラム修了していますよね?」
「正規兵はそうだな」
「あいつら、当てる気あります?」
「…………無いかもな」
彼も心当たりがあったのか同意した。
相手を殺す気のない攻撃は、古今東西どの戦場でも見られた光景、いわば伝統芸能だ。
「味方がそんなだと困るんですよね」
「そうだな、何とかしたいな」
「えぇ、本当に」
言いたいことが言えたと満足げな顔をしているアラタを尻目に、ハルツは少し心配になっていた。
本当に聞きたかったのはそんなことではなかったというのに、という中隊長。
彼の言った大丈夫かというのは、部隊が壊滅して病んでいないかとか、負けて落ち込んでいないかとか、事実上の降格を食らってやる気がなくなってないかとか、そういった類のことだ。
アラタも人間、というか元来彼は非常に感情豊かなので、その辺りに関して何も感じていないはずがない。
しかしそういった点に関して、戦争に入ってからのアラタはとことん無頓着だ。
ハルツはそれが心配で、どうにかならないかと苦心していた。
しかしどうにもならないものはどうにもならないので、今日も彼の苦労は続くのだ。
「第206中隊、ハルツ・クラーク、入ります」
「入りたまえ」
「は、失礼いたします」
木組みのログハウス。
その内部の最も大きな一室。
そこは第1師団の司令部として使用されていて、木に煙の臭いが染みついていた。
ハルツが扉を開くなり目に沁みる煙草の臭い、アラタは思わず顔をしかめた。
「久しぶりだね。コートランド川に向かって以来かな?」
金髪が4人。
その中で最年長の男がアラタに声をかけた。
他の3人に比べて少し髪の色がくすんでいるように見えるのは、金色の中に白いものが混じっているせいだろう。
「はい、またよろしくお願いします」
「他人行儀にすることはない。気楽にしたまえ」
アダム・クラーク中将はそう言いながら、煙草の火を揉み消した。
火が消える直前に香る煙草の臭いは、やはりいつも以上に臭く感じる。
この部屋にいるのは、アラタ以外全員クラーク家の人間だ。
アダム・クラーク中将、ブレーバー・クラーク中尉、ケンジー・クラーク少尉、フェリックス・ベルサリオ少尉。
フェリックスだけがクラーク姓を名乗っていないが、リーゼの許嫁なのだからまあいいだろう。
気楽にしたまえという言葉が社交辞令であることはよく分かっているので、アラタは姿勢をそのままに保つ。
「ハルツ、作業はどうだ?」
「まあ、ぼちぼちです。気分転換にはちょうどいいかと」
「ふふ、それなら良かった。悪いがもう少し続く、現場の管理は任せたぞ」
「はっ」
「アラタ君」
コーヒーの匂いを漂わせながら、アダム中将は次の葉に火を点ける。
苦みと煙たさの奥にある透き通るような爽快感を、アラタは既に卒業していた。
「はい」
「君、クラーク家に入る気はないかね?」
「…………はい?」
「だから、伯爵家から誰か嫁に貰う気はないかと聞いている」
「閣下!」
ハルツが止めに入ったが、老将はまるで聞く耳を持たない。
「まあいきなりとは言わん。まずは見合いから——」
「アダム・クラーク殿!!!」
空気が振動し、カップの中の黒い液体が揺れた。
ハルツは自身のクラス【聖騎士】の能力を行使してまで彼の口を噤ませた。
アダムのクラスは調香師、何も対策を取っていない状態では抗いようもなく口を閉じる。
「アラタ、すまん。こんなつもりではなかった。今後の動きについて話を聞かせておきたかったのだが……軽率だった」
「い、いやぁ、俺は別に……」
「閣下、分家のあなたが強力な血を求めるのは理解しますが、アラタは貴族ではない。そちらの世界に巻き込むために呼んだわけではないことを理解して……いただきたかった」
思わぬ展開となった顔合わせに、中将は固まるしかない。
「あ……すまんかったな」
そう言うだけで精いっぱいだった。
予定よりも大幅に時間を巻いて司令部を後にしたアラタとハルツ。
それを見送りに来たのはクラーク家直系の2人と、そこに連なる予定のフェリックスだ。
「叔父上、あれは良くないと思います」
「うるさい。俺だってあんな話をすると知っていたらこいつを連れてきたりしなかった」
「でも、叔父上だって閣下が婿を探してることは知っていたでしょう?」
リーゼの兄2人に窘められて、ハルツも少し落ち着いてきた。
ここで一番かわいそうなのはアラタ、もしくはフェリックスだ。
「でも、悪い話じゃないと思いますよ? どっちにしろ——」
弟のケンジーがそこまで言いかけたところで、兄のブレーバーが止めた。
「叔父上のいう通りだ。アラタ殿は貴族ではない」
「……すみません」
ここに来てからというもの、いたたまれない気持ちだけが彼の中に山積していく。
それを救ってくれるのは、境遇の似たハルツだ。
「閣下によく伝えておいてくれ。そういう話は好かんとな」
そんな捨て台詞を残して、帰路に就くハルツとアラタ。
こんなつもりではなかった、無神経だったと繰り返し謝罪を続ける彼に対して、アラタもあるところで止めた。
「気にしてませんから。それに、相手の子がめちゃめちゃ可愛かったらどうするんですか」
「結婚を考えるのか?」
「……いや、まあそれは」
「周りに合わせるな、流されなくていい。お前はお前のやりたいように生きればいいんだ」
「そっすね」
裏表の無い感情は、受け取ると気持ちがいい。
そこまで気分を害した訳でもないのに頑なに謝罪を繰り返す年上の人が、自分にこれでもかと気を遣ってくれているというのは、アラタにとって決して悪くないものだった。
「……あぁ」
何か考え事をしていたのか、アラタの返事は上の空。
リャンは現在、アーキムと共に小隊の隊長補佐を務める立場、アラタに許可や判断を仰ぐ役割でもある。
「みんなを呼び戻しても大丈夫ですよね?」
「そうだね。敵も下がったんだろ」
「じゃあそんな感じで」
「はーい」
アラタの許可を得たリャンは、手綱を左に傾けて隊列を離れた。
周囲の索敵に従事している1192小隊の人間を回収するためだ。
元々、彼らに与えられていた任務は特にない。
2千からなるミラ丘陵地帯への援軍の行軍には、別の部隊が護衛と索敵を担当していた。
ただ、レイクタウン攻囲戦の前、マイケル・ガルシア中将らがミラに送った援軍要請の使者は、ついぞ帰ってくることは無かった。
一時は脱走も疑われたものの、最終的に敵軍の情報封鎖によるものだと結論付けられた。
ミラに至る道が帝国軍の管理下にある可能性がある。
そう言った懸念から、ハルツの指示を受けてアラタたちが特別に警戒をしていた。
こうして戦闘になることも想定されていたミラへの行軍は、何事もなく終了した。
途中で1泊したがこれと言って特筆することも無し、そう行軍記録係の残した手記にもある。
そんな彼らがミラに入り、まず何をしたかというと——
「まただ、まただよ。俺たちゃ工夫じゃないっつーの」
「黙って手を動かせ」
例によって、エルモが文句を垂れ、それをアーキムが叱る。
この戦争の間に10回は見た光景だ。
なおもブーブー文句を垂れ流すエルモに、アーキムはスコップで明後日の方向を指さした。
「アラタも作業しているんだ、文句を垂れるな」
「……中隊だったらな」
「お前、それ以上言ったら本当に怒るからな」
「へいへい」
これ以上は冗談では済まなくなるという境界線を、彼はよく心得ていた。
もっと手前でやめておけとアーキムはいつも思っていて、彼の中でストレスが溜まる。
中隊だったらな、そこから先は口にしてはいけない。
確かに301中隊だったら作業は分担できるし、
エルモあたりはサボることが出来る。
中隊が解散したのは、これ以上人員を補充できなくなっているという事情と、アラタと司令部との仲の悪さが原因だ。
エルモは別にアラタが悪いと言いたいわけではない。
ただ、もう少し大人になってくれれば得られるメリットもあるのではないかと提案しているだけだった。
まあアーキムはそれすらイライラの対象なわけで、エルモの愚痴を許さない。
連敗が続いている軍の雰囲気は決して良いものでは無かった。
「キィ、そこの袋取って」
「あい」
「サンキュー」
何の気なしに口にしたアラタの言葉は、本来英語のはず。
日本語が通じるのはまだ許せる、というか都合が良いからスルーするとして、これは流石にいただけない。
もっと言及すると、アルファベットが存在しない世界なのに、言葉としての『アルファベット』は通じる。
これは非常に不思議な話で、アラタは最近こう考えていた。
知らず知らずのうちに、翻訳機能が働いているのかもしれない。
言語と文字の関係は非常に奥深いもののはずで、片方が欠けていては元の世界の常識が通用しないはず。
にもかかわらず、日本語とこの世界独自の文字が共存しているという異常さ。
そこに付け加えると、この世界には言語の多様性という状況がゼロに等しい。
どういうことかというと、日本語と英語のような、多言語という考え方というか、存在がないのだ。
カナン公国で使われている言語は、反対側、東の果てでも通じるという一般常識。
これはどう考えてもおかしいとアラタですら分かっている。
アラタたちは、206中隊の一員として、砦の堀を深くしたり山中に罠を仕掛ける作業中だ。
ハルツ曰く、今のうちに出来ることはやっておきたいとのこと。
スコップを使って土を掘り、袋に詰めて土嚢にする。
そんな単純作業をしていると、アラタは時折頭の片隅に現れる難問に挑戦するのだ。
言語に翻訳機能が働いていると仮定して、なぜ文字はそのままなのか。
彼をこの世界に送った神が適当な存在だったからで話は終わってしまうとあんまりなので、合理的な理由を考察してみる。
彼が考えるに、その方が都合が良かった、もしくはどうでもよかったという仮説がある。
神を自称するあの存在が、もし複数回元の世界の住人を異世界に送っているのだとしたら、言語の壁は彼らの命を容易く奪ってしまう。
それでは何のための異世界転生、ということで翻訳機能もしくは言語統一を行った。
では文字は? となるが、文字は視覚情報のデザインという面で翻訳するのが非常に難しい。
じゃあ世界規模で統一だけしておいて、後の学習は自分でしてね、と丸投げする姿が容易に想像できる。
そんな彼の仮説が当たっているかどうかはこの際どうでもよくて、言語が通じ、文字を覚えたアラタはそこまで不自由していなかった。
「アラタ!」
考え事をしながらもせっせと働いていたアラタの元に、上司のハルツがやって来た。
「はーい」
「来い! あと着替えろ!」
「はーい」
1回目の返事より少し低いトーンで返事をしたのは、着替えるのが面倒だったから。
作業を抜けられる喜びと、身だしなみを整える面倒臭さはトントン。
小隊の仲間が羨ましそうな目で見てくるので、まあいいかという心境。
黒鎧の下半分とタンクトップだけの薄着から、上下ともに公国軍の正式兵装に着替えた。
カナン公国軍の鎧は自己調達なので、基本となる制服だけが統一されている。
濃紺地なのは染めやすいから、あと汚れが目立ちにくいから。
ところどころに入っている国や所属の紋章は安物感がぬぐえない。
帝国はそうではないのだが、両国の国力の差はこんなところにも表れる。
アラタが準備を終えたところで、ハルツと2人で歩き出した。
「大丈夫か」
ハルツは唐突にそう切り出した。
「はい?」
「いや、分からないならいい」
「そうですね、まあ悩み事が無い訳では……」
「どんなだ?」
「1192は問題ないんですけど、公国の弓兵ってカリキュラム修了していますよね?」
「正規兵はそうだな」
「あいつら、当てる気あります?」
「…………無いかもな」
彼も心当たりがあったのか同意した。
相手を殺す気のない攻撃は、古今東西どの戦場でも見られた光景、いわば伝統芸能だ。
「味方がそんなだと困るんですよね」
「そうだな、何とかしたいな」
「えぇ、本当に」
言いたいことが言えたと満足げな顔をしているアラタを尻目に、ハルツは少し心配になっていた。
本当に聞きたかったのはそんなことではなかったというのに、という中隊長。
彼の言った大丈夫かというのは、部隊が壊滅して病んでいないかとか、負けて落ち込んでいないかとか、事実上の降格を食らってやる気がなくなってないかとか、そういった類のことだ。
アラタも人間、というか元来彼は非常に感情豊かなので、その辺りに関して何も感じていないはずがない。
しかしそういった点に関して、戦争に入ってからのアラタはとことん無頓着だ。
ハルツはそれが心配で、どうにかならないかと苦心していた。
しかしどうにもならないものはどうにもならないので、今日も彼の苦労は続くのだ。
「第206中隊、ハルツ・クラーク、入ります」
「入りたまえ」
「は、失礼いたします」
木組みのログハウス。
その内部の最も大きな一室。
そこは第1師団の司令部として使用されていて、木に煙の臭いが染みついていた。
ハルツが扉を開くなり目に沁みる煙草の臭い、アラタは思わず顔をしかめた。
「久しぶりだね。コートランド川に向かって以来かな?」
金髪が4人。
その中で最年長の男がアラタに声をかけた。
他の3人に比べて少し髪の色がくすんでいるように見えるのは、金色の中に白いものが混じっているせいだろう。
「はい、またよろしくお願いします」
「他人行儀にすることはない。気楽にしたまえ」
アダム・クラーク中将はそう言いながら、煙草の火を揉み消した。
火が消える直前に香る煙草の臭いは、やはりいつも以上に臭く感じる。
この部屋にいるのは、アラタ以外全員クラーク家の人間だ。
アダム・クラーク中将、ブレーバー・クラーク中尉、ケンジー・クラーク少尉、フェリックス・ベルサリオ少尉。
フェリックスだけがクラーク姓を名乗っていないが、リーゼの許嫁なのだからまあいいだろう。
気楽にしたまえという言葉が社交辞令であることはよく分かっているので、アラタは姿勢をそのままに保つ。
「ハルツ、作業はどうだ?」
「まあ、ぼちぼちです。気分転換にはちょうどいいかと」
「ふふ、それなら良かった。悪いがもう少し続く、現場の管理は任せたぞ」
「はっ」
「アラタ君」
コーヒーの匂いを漂わせながら、アダム中将は次の葉に火を点ける。
苦みと煙たさの奥にある透き通るような爽快感を、アラタは既に卒業していた。
「はい」
「君、クラーク家に入る気はないかね?」
「…………はい?」
「だから、伯爵家から誰か嫁に貰う気はないかと聞いている」
「閣下!」
ハルツが止めに入ったが、老将はまるで聞く耳を持たない。
「まあいきなりとは言わん。まずは見合いから——」
「アダム・クラーク殿!!!」
空気が振動し、カップの中の黒い液体が揺れた。
ハルツは自身のクラス【聖騎士】の能力を行使してまで彼の口を噤ませた。
アダムのクラスは調香師、何も対策を取っていない状態では抗いようもなく口を閉じる。
「アラタ、すまん。こんなつもりではなかった。今後の動きについて話を聞かせておきたかったのだが……軽率だった」
「い、いやぁ、俺は別に……」
「閣下、分家のあなたが強力な血を求めるのは理解しますが、アラタは貴族ではない。そちらの世界に巻き込むために呼んだわけではないことを理解して……いただきたかった」
思わぬ展開となった顔合わせに、中将は固まるしかない。
「あ……すまんかったな」
そう言うだけで精いっぱいだった。
予定よりも大幅に時間を巻いて司令部を後にしたアラタとハルツ。
それを見送りに来たのはクラーク家直系の2人と、そこに連なる予定のフェリックスだ。
「叔父上、あれは良くないと思います」
「うるさい。俺だってあんな話をすると知っていたらこいつを連れてきたりしなかった」
「でも、叔父上だって閣下が婿を探してることは知っていたでしょう?」
リーゼの兄2人に窘められて、ハルツも少し落ち着いてきた。
ここで一番かわいそうなのはアラタ、もしくはフェリックスだ。
「でも、悪い話じゃないと思いますよ? どっちにしろ——」
弟のケンジーがそこまで言いかけたところで、兄のブレーバーが止めた。
「叔父上のいう通りだ。アラタ殿は貴族ではない」
「……すみません」
ここに来てからというもの、いたたまれない気持ちだけが彼の中に山積していく。
それを救ってくれるのは、境遇の似たハルツだ。
「閣下によく伝えておいてくれ。そういう話は好かんとな」
そんな捨て台詞を残して、帰路に就くハルツとアラタ。
こんなつもりではなかった、無神経だったと繰り返し謝罪を続ける彼に対して、アラタもあるところで止めた。
「気にしてませんから。それに、相手の子がめちゃめちゃ可愛かったらどうするんですか」
「結婚を考えるのか?」
「……いや、まあそれは」
「周りに合わせるな、流されなくていい。お前はお前のやりたいように生きればいいんだ」
「そっすね」
裏表の無い感情は、受け取ると気持ちがいい。
そこまで気分を害した訳でもないのに頑なに謝罪を繰り返す年上の人が、自分にこれでもかと気を遣ってくれているというのは、アラタにとって決して悪くないものだった。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
悪役貴族の四男に転生した俺は、怠惰で自由な生活がしたいので、自由気ままな冒険者生活(スローライフ)を始めたかった。
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
俺は何もしてないのに兄達のせいで悪役貴族扱いされているんだが……
アーノルドは名門貴族クローリー家の四男に転生した。家の掲げる独立独行の家訓のため、剣技に魔術果ては鍛冶師の技術を身に着けた。
そして15歳となった現在。アーノルドは、魔剣士を育成する教育機関に入学するのだが、親戚や上の兄達のせいで悪役扱いをされ、付いた渾名は【悪役公子】。
実家ではやりたくもない【付与魔術】をやらされ、学園に通っていても心の無い言葉を投げかけられる日々に嫌気がさした俺は、自由を求めて冒険者になる事にした。
剣術ではなく刀を打ち刀を使う彼は、憧れの自由と、美味いメシとスローライフを求めて、時に戦い。時にメシを食らい、時に剣を打つ。
アーノルドの第二の人生が幕を開ける。しかし、同級生で仲の悪いメイザース家の娘ミナに学園での態度が演技だと知られてしまい。アーノルドの理想の生活は、ハチャメチャなものになって行く。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
新人神様のまったり天界生活
源 玄輝
ファンタジー
死後、異世界の神に召喚された主人公、長田 壮一郎。
「異世界で勇者をやってほしい」
「お断りします」
「じゃあ代わりに神様やって。これ決定事項」
「・・・え?」
神に頼まれ異世界の勇者として生まれ変わるはずが、どういうわけか異世界の神になることに!?
新人神様ソウとして右も左もわからない神様生活が今始まる!
ソウより前に異世界転生した人達のおかげで大きな戦争が無い比較的平和な下界にはなったものの信仰が薄れてしまい、実はピンチな状態。
果たしてソウは新人神様として消滅せずに済むのでしょうか。
一方で異世界の人なので人らしい生活を望み、天使達の住む空間で住民達と交流しながら料理をしたり風呂に入ったり、時にはイチャイチャしたりそんなまったりとした天界生活を満喫します。
まったりゆるい、異世界天界スローライフ神様生活開始です!
【完結】デュラハンは逃走中-Dullahan is on the run-
コル
ファンタジー
人類滅亡の危機が前触れなく訪れた。
突如魔神ファルベインが人類の前に現れ、殺戮と破壊を尽くした。
人類の危機にアース・カルデナス、レイン・ニコラス、ジョシュア・ティリス、オーウェン・サンティア、オリバー・ジョサムの5人が立ち上がる。
彼等は辛くも魔神ファルベインを倒す事が出来たが、その代償にアースは命を落としてしまう。
そして、約10年の月日が流れアースは目を覚ます。
アースが身体を起こすと金属音が鳴り疑問に思い、自分の体を見ると……なんと金属でできた鎧に覆われていた。
こんな物は着ていられないとアースは鎧を脱ごうとするが、鎧の中には生身が無く空っぽだった。
生身の身体がないのに動いている状況に混乱するアース、そんな彼の前に死霊術士の女性ラティア・ストレイトが現れる。
彼女はずっとアースに会いたいと思っており、死霊術でアースの魂を鎧に宿したのだった。
その頃、レイン、ジョシュアは各地を回りモンスター退治をしていた。
偶然にもラティア家の付近にいる時に蛇型モンスターに急襲されピンチに陥ってしまう。
それを見ていたアースはレインを助けるも、言葉が通じずレインはアースを首無し騎士・デュラハンだと勘違いし攻撃をする。
その場は何とか逃げれたアースであったが、このままではレインに退治されてしまうと恐怖する。
どうにか出来ないかと考えた末、かつての仲間である魔法使いのオリバーなら何かいい案を貸してくれるのではとアースはラティアと共にオリバーを探す旅に出る。
レインも退治できなかったデュラハンが今後人類の脅威になると考え跡を追う事を決める。
果たしてアースは、レインに退治される前にオリバーを探し出す事が出来るのか……!
・後日物語
【完結】スケルトンでも愛してほしい!
[https://www.alphapolis.co.jp/novel/525653722/331309959]
※この作品は「小説家になろう」さん、「カクヨム」さん、「ノベルアップ+」さん、「ノベリズム」さんとのマルチ投稿です。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
オタクおばさん転生する
ゆるりこ
ファンタジー
マンガとゲームと小説を、ゆるーく愛するおばさんがいぬの散歩中に異世界召喚に巻き込まれて転生した。
天使(見習い)さんにいろいろいただいて犬と共に森の中でのんびり暮そうと思っていたけど、いただいたものが思ったより強大な力だったためいろいろ予定が狂ってしまい、勇者さん達を回収しつつ奔走するお話になりそうです。
投稿ものんびりです。(なろうでも投稿しています)
悪役令息に転生したけど、静かな老後を送りたい!
えながゆうき
ファンタジー
妹がやっていた乙女ゲームの世界に転生し、自分がゲームの中の悪役令息であり、魔王フラグ持ちであることに気がついたシリウス。しかし、乙女ゲームに興味がなかった事が仇となり、断片的にしかゲームの内容が分からない!わずかな記憶を頼りに魔王フラグをへし折って、静かな老後を送りたい!
剣と魔法のファンタジー世界で、精一杯、悪足搔きさせていただきます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる