343 / 544
第5章 第十五次帝国戦役編
第338話 祖国に命を捧げる覚悟
しおりを挟む
銀星十字勲章を授与されてから数日後、第1192小隊は今日も土木作業に従事している。
丸一日以上かかった桟橋の激戦が終わってから、付近の両軍は立て直しを余儀なくされていた。
実質行動不能であれば、今のうちにやらなければならないことがある。
ゴミ掃除だ。
「おい、貴様ら何をしている」
「いや、ちょっとですね休憩の方をば……」
そういつものようにいい訳をするエルモにはまだ余裕がある。
相手がアラタではなく、第2分隊長のアーキムだからか。
「いいから働け。でなければ隊長に報告する」
「あぁ~今からやろうと思ってたのになぁ。やる気が削がれたなぁ」
「黙れ。早くしろ。これは命令だ」
余程動きたくないのか、エルモは頑としてダラダラし続けている。
アーキムからしてみれば、上官としての責任8割、残りの2割は優しさから来ているというのに、このエルモという男は一向に動こうとしない。
大体にして、この男は昔からそうだった。
アーキム・ラトレイアがカナン警察機構、特務警邏に入局した時も、この男はデスクの上に足を置いてさぼっていた。
年齢と局での経験はエルモの方が2年早く、アーキムはそれを聞いて驚いたのを今でも覚えている。
たった2年先輩なだけなのかと。
まるでその場にいる中の最古参のような雰囲気を出しつつ、まだまだ新人のペーペー。
周囲からの視線をものともせずに、彼は今日もさぼっていた。
アーキムが彼を認めるに至るにはかなりの時間がかかって、それはまた別の話なのだが、とにかくこの男のさぼり癖は一朝一夕のものでは無かった。
「いま何時?」
「11時だ。いいから動け」
「じゃあそろそろメシにしようぜ。腹減った」
「お前さっきからろくに動いていないだろうが……!」
そろそろ我慢の限界も近い彼の前で、アーキムはなおも河原に腰を下ろしたままだ。
拾ってきた橋の残骸を日よけにして、このくそ暑い中でも日陰でのうのうとしている。
先日アラタが破壊した橋は、その亡骸を川に横たえた状態のまま放置されている。
これではまたそのあたりを起点にして桟橋を掛けられかねないと、司令部から撤去命令が下った。
幸いだったのは敵軍が特に動く様子を見せなかったことだが、それでも作業自体は待っている。
エルモが仕事をさぼり始めるには十分な理由だった。
「おい、本当にいい加減にしないと怒るぞ」
「もう怒ってるじゃん」
「違う。怒るのは俺ではない」
「ご苦労様アーキム。あとは俺がやる」
こうなることは分かり切っていたのに、それでもバカはさぼることを選んだ。
シャツ一枚になって汗だくになりながら荷物を運んでいた青年が、抱えていた木材を地面に降ろした。
見た目的にはとても一人の人間が持ち上げられる重量物ではなく、地面に降ろした時のドスンという衝撃もそれを物語っていた。
ただ、この世界には魔術やスキルというものがあって、【身体強化】なんておあつらえ向きなものも存在している。
きっと彼もスキルを使用したのだろう。
青年は爽やかな表情で部下に語り掛ける。
「今ここで死ぬか、死なないギリギリまで働くか、どっちがいい?」
アラタは腰に提げた刀に手をかけた。
冗談だと分かっていても怖い。
それに、アラタからは決して冗談では済まなそうな圧を感じる。
いつものことながら、まずいとエルモは思った。
本当に学習しない男である。
それはもう、哀れなほどに。
「は、働きまーす」
「おし、行け」
「はぁーい」
アーキムの時はあんなに言っても動かなかったのに、アラタが命令するとすぐこれだ。
きっと八咫烏に在籍していた時に軽口を叩いてボコボコにされたことが尾を引いているのだろう。
それほど彼にとってアラタは恐怖の象徴なのだ。
崩れた橋の方へ向かうさぼり魔を見送った2人は、アラタが元々持っていたゴミとアーキムがここまで運んできたゴミを分担して持ち上げる。
比率はアラタの方が少し多いが、誤差の範囲内だろう。
「アラタ」
「ん?」
「敵が仕掛けてこない理由は何だと思う?」
「そうだなあ」
まつげをすり抜けて目に入って来た汗に不快感を露にしつつ瞬きをする。
【身体強化】をオフにすれば良いトレーニングになるかもしれないと思いつつ、流石に効率重視でスキルを使用しながらアラタは思案する。
「こっちもそうだけど、動けないのは現場にいた部隊だけだから余裕がないってのは通用しないと思う」
「同感だ」
「じゃあ、何か企んでいるわけだけども……流石にそこまでは分かんねえ」
「確かに、その通りだと俺も思う」
アラタの回答に同意したアーキムは、なおも何か言いたそうにしている。
彼は思ったことをはっきり言葉にするタイプではあるものの、こうして言い出せないという事はかなり憶測が混じっていて信頼性に欠けるのだろうか。
アーキムの様子をそう解釈したアラタは発言を促した。
「言ってみ?」
「ウル帝国軍は開戦時に公称8万、実情は5万と言われていた」
「そだね」
「俺たちが従事したミラ丘陵地帯での偵察任務、あれから得られた情報ではミラに攻め込もうとしている敵軍は2万6千」
「だったな。少し多いな」
「では、コートランド川に沿って陣を張る敵本隊の規模はどれくらいなのか。こちらの調査では2万という話だったが、それでは腑に落ちない」
彼は几帳面な男だから、常に手帳とペンとインクを持ち歩いている。
紙もそれなりに高級品だというのに、羊皮紙ではなく植物繊維の紙を使っているのは流石ラトレイア家と言った様子だ。
所在が判明している敵軍の合計は、4万6千。
前情報と4千もずれがある。
4千もの敵が突如出現すれば、戦況は容易に崩壊しうる。
「敵はもっと多いのではないか? それに橋を建築、維持した魔術師の集団も恐らくは追加投入された部隊だ。敵軍の全容が掴めない、正確には情報が隠されている状態で、敵は何を目論んでいるのか」
「……動きを作ろうとしているのは確かだよなあ」
「俺が考えるに、敵は今戦力の一部を各地に散らして追跡不能にしているんだ。十分に隠し終わったら、然るべき動きに呼応して各地で戦闘が開始される」
「4千もいるならレイクタウンとか襲わせるんじゃないかな?」
「それもある」
日本語ではない、アラタの知る限り元の世界のどの言語とも一致しない文字で紙に書き込まれた4千という数字が、酷く恐ろしく感じられる。
「我々の背後を突く、散らして伏兵とする、どれも有効で現実的な作戦だ。司令部は気づいていないのか?」
「…………聞いてみるよ」
「あまり時間がない。いま行くべきだ」
「分かった。分かったからこれ運び終わったらな」
少し興奮気味のアーキムを抑えて、アラタは再び橋の残骸を運び始めた。
自分の運んでいる材木が、ウル帝国の一撃必殺の作戦の前段階なのだとしたら。
正直先の戦いでかなりギリギリだったのに、これがほんの小手調べだった場合、今度こそ耐えきれないかもしれない。
そう考えると、アラタはアーキムに急かされるまま早歩きで瓦礫を運び、司令部へと向かったのだった。
「…………なるほど。確かに説得力のある話だ」
「最低でも消えた4千の兵がどこにいるのか捜索するべきです」
一介の小隊長が司令官であるアイザック・アボット大将に繋がるチャンネルを持っているのは、第1192小隊特有の権力と言えるだろう。
有能であれば自由度を付与される。
司令官は苦しそうな顔をしながらコーヒーを口にした。
決して飲み物が苦いからこんな顔をしているのではない。
「はぐらかしても納得しそうにないから、本当のことを伝える」
「はい」
「仮に敵が何らかの策を弄していたとして、我が軍に対応する余力は残されていない」
「なっ…………マジで、いや本当ですか」
サンタクロースのような白いひげを蓄えた初老の男性は、無言で頷く。
重々しい雰囲気が司令部に流れた。
どうやら彼らは既に事情を把握しているらしい。
「詳しくお聞きしても?」
「兵士の損耗が激しく、脱走者も毎日のように出ている。そんな状態でこれ以上の戦力とぶつかるとなると、想像を絶する被害が出るだろう」
「すぐに下がって立て直さないと——」
「渡河されれば敵の戦術自由度は跳ね上がる。我々を無視して東部一帯を刈り取ることも出来るだろう。だから当方はこの場から逃げるわけにはいかない」
「ミラ丘陵地に立てこもり、にらみを利かせると言うのは?」
アイザック大将は首を横に振った。
彼が思いつく範疇の戦略ぐらい、ここにいる人間たちがすでに思いついた後に決まっている。
そう言った方策を検討した結果、打つ手が無かったという事なのだ。
「第2、第3師団は全滅するつもりですか」
「敵も打撃を受ければ立て直しを余儀なくされる。我々に課せられた使命は敵を一兵でも道連れにし、出来る限り国境の近くで敵を撤退に追い込むことなんだ」
「ちょっと……ちょっと待ってください。スケールが大きすぎて頭が追いつかない」
「銀星十字勲章の授与も、味方の士気向上を狙ってという意味もある。だがそれでは足りなかった。公国軍には、祖国に命を捧げる覚悟が足りなかった」
アイザックは唇を噛み、こぶしを握り締めた。
溜まっていたものが噴き出したように、アラタに対して現状を説明したからだろう。
もうこの軍は崩壊寸前なのだと、アラタが知らないうちにこんな状況になっていたなんて、彼は知らぬどころか想像すらしなかった。
むしろ今までの戦いは前哨戦やアップの類で、これから本番がやってくるだろうからそのつもりで小隊を鍛えていたはずだった。
いつからこうなったのか、アラタは過去の記憶をさかのぼって答えを探してみるが見つからない。
それもそうだ、激戦と言っても彼の見てきた公国軍は有利に戦局を進めてきたはずだったから。
コートランド川の大きな範囲で兵の削り合いをしている重大さをよく認識していなかった。
正確には、そこで戦う公国兵と帝国兵の強弱を考慮していなかった。
先日の桟橋の戦いにおいても、公国兵の方が被害が大きい。
有利な防衛だったにもかかわらずだ。
つまり、公国兵は帝国兵よりも弱いのだ。
2万いたここの戦力も、すでに1割5分が離脱した。
少なく感じるかもしれないが、辺りを見渡せばいなくなったやつが数人、その中の1人2人は死亡している。
「貴官は小隊を率いて第1師団と合流しろ。精鋭としてまだ出来ることはあるはずだ」
「…………っあ、か、す、少し考えさせてください」
アラタは乾いた口で、そう答えるのが精いっぱいだった。
コートランド川流域の戦場に、暗雲が立ち込めている。
それは東から西へ、まるで公国軍を飲み込もうとしているように。
丸一日以上かかった桟橋の激戦が終わってから、付近の両軍は立て直しを余儀なくされていた。
実質行動不能であれば、今のうちにやらなければならないことがある。
ゴミ掃除だ。
「おい、貴様ら何をしている」
「いや、ちょっとですね休憩の方をば……」
そういつものようにいい訳をするエルモにはまだ余裕がある。
相手がアラタではなく、第2分隊長のアーキムだからか。
「いいから働け。でなければ隊長に報告する」
「あぁ~今からやろうと思ってたのになぁ。やる気が削がれたなぁ」
「黙れ。早くしろ。これは命令だ」
余程動きたくないのか、エルモは頑としてダラダラし続けている。
アーキムからしてみれば、上官としての責任8割、残りの2割は優しさから来ているというのに、このエルモという男は一向に動こうとしない。
大体にして、この男は昔からそうだった。
アーキム・ラトレイアがカナン警察機構、特務警邏に入局した時も、この男はデスクの上に足を置いてさぼっていた。
年齢と局での経験はエルモの方が2年早く、アーキムはそれを聞いて驚いたのを今でも覚えている。
たった2年先輩なだけなのかと。
まるでその場にいる中の最古参のような雰囲気を出しつつ、まだまだ新人のペーペー。
周囲からの視線をものともせずに、彼は今日もさぼっていた。
アーキムが彼を認めるに至るにはかなりの時間がかかって、それはまた別の話なのだが、とにかくこの男のさぼり癖は一朝一夕のものでは無かった。
「いま何時?」
「11時だ。いいから動け」
「じゃあそろそろメシにしようぜ。腹減った」
「お前さっきからろくに動いていないだろうが……!」
そろそろ我慢の限界も近い彼の前で、アーキムはなおも河原に腰を下ろしたままだ。
拾ってきた橋の残骸を日よけにして、このくそ暑い中でも日陰でのうのうとしている。
先日アラタが破壊した橋は、その亡骸を川に横たえた状態のまま放置されている。
これではまたそのあたりを起点にして桟橋を掛けられかねないと、司令部から撤去命令が下った。
幸いだったのは敵軍が特に動く様子を見せなかったことだが、それでも作業自体は待っている。
エルモが仕事をさぼり始めるには十分な理由だった。
「おい、本当にいい加減にしないと怒るぞ」
「もう怒ってるじゃん」
「違う。怒るのは俺ではない」
「ご苦労様アーキム。あとは俺がやる」
こうなることは分かり切っていたのに、それでもバカはさぼることを選んだ。
シャツ一枚になって汗だくになりながら荷物を運んでいた青年が、抱えていた木材を地面に降ろした。
見た目的にはとても一人の人間が持ち上げられる重量物ではなく、地面に降ろした時のドスンという衝撃もそれを物語っていた。
ただ、この世界には魔術やスキルというものがあって、【身体強化】なんておあつらえ向きなものも存在している。
きっと彼もスキルを使用したのだろう。
青年は爽やかな表情で部下に語り掛ける。
「今ここで死ぬか、死なないギリギリまで働くか、どっちがいい?」
アラタは腰に提げた刀に手をかけた。
冗談だと分かっていても怖い。
それに、アラタからは決して冗談では済まなそうな圧を感じる。
いつものことながら、まずいとエルモは思った。
本当に学習しない男である。
それはもう、哀れなほどに。
「は、働きまーす」
「おし、行け」
「はぁーい」
アーキムの時はあんなに言っても動かなかったのに、アラタが命令するとすぐこれだ。
きっと八咫烏に在籍していた時に軽口を叩いてボコボコにされたことが尾を引いているのだろう。
それほど彼にとってアラタは恐怖の象徴なのだ。
崩れた橋の方へ向かうさぼり魔を見送った2人は、アラタが元々持っていたゴミとアーキムがここまで運んできたゴミを分担して持ち上げる。
比率はアラタの方が少し多いが、誤差の範囲内だろう。
「アラタ」
「ん?」
「敵が仕掛けてこない理由は何だと思う?」
「そうだなあ」
まつげをすり抜けて目に入って来た汗に不快感を露にしつつ瞬きをする。
【身体強化】をオフにすれば良いトレーニングになるかもしれないと思いつつ、流石に効率重視でスキルを使用しながらアラタは思案する。
「こっちもそうだけど、動けないのは現場にいた部隊だけだから余裕がないってのは通用しないと思う」
「同感だ」
「じゃあ、何か企んでいるわけだけども……流石にそこまでは分かんねえ」
「確かに、その通りだと俺も思う」
アラタの回答に同意したアーキムは、なおも何か言いたそうにしている。
彼は思ったことをはっきり言葉にするタイプではあるものの、こうして言い出せないという事はかなり憶測が混じっていて信頼性に欠けるのだろうか。
アーキムの様子をそう解釈したアラタは発言を促した。
「言ってみ?」
「ウル帝国軍は開戦時に公称8万、実情は5万と言われていた」
「そだね」
「俺たちが従事したミラ丘陵地帯での偵察任務、あれから得られた情報ではミラに攻め込もうとしている敵軍は2万6千」
「だったな。少し多いな」
「では、コートランド川に沿って陣を張る敵本隊の規模はどれくらいなのか。こちらの調査では2万という話だったが、それでは腑に落ちない」
彼は几帳面な男だから、常に手帳とペンとインクを持ち歩いている。
紙もそれなりに高級品だというのに、羊皮紙ではなく植物繊維の紙を使っているのは流石ラトレイア家と言った様子だ。
所在が判明している敵軍の合計は、4万6千。
前情報と4千もずれがある。
4千もの敵が突如出現すれば、戦況は容易に崩壊しうる。
「敵はもっと多いのではないか? それに橋を建築、維持した魔術師の集団も恐らくは追加投入された部隊だ。敵軍の全容が掴めない、正確には情報が隠されている状態で、敵は何を目論んでいるのか」
「……動きを作ろうとしているのは確かだよなあ」
「俺が考えるに、敵は今戦力の一部を各地に散らして追跡不能にしているんだ。十分に隠し終わったら、然るべき動きに呼応して各地で戦闘が開始される」
「4千もいるならレイクタウンとか襲わせるんじゃないかな?」
「それもある」
日本語ではない、アラタの知る限り元の世界のどの言語とも一致しない文字で紙に書き込まれた4千という数字が、酷く恐ろしく感じられる。
「我々の背後を突く、散らして伏兵とする、どれも有効で現実的な作戦だ。司令部は気づいていないのか?」
「…………聞いてみるよ」
「あまり時間がない。いま行くべきだ」
「分かった。分かったからこれ運び終わったらな」
少し興奮気味のアーキムを抑えて、アラタは再び橋の残骸を運び始めた。
自分の運んでいる材木が、ウル帝国の一撃必殺の作戦の前段階なのだとしたら。
正直先の戦いでかなりギリギリだったのに、これがほんの小手調べだった場合、今度こそ耐えきれないかもしれない。
そう考えると、アラタはアーキムに急かされるまま早歩きで瓦礫を運び、司令部へと向かったのだった。
「…………なるほど。確かに説得力のある話だ」
「最低でも消えた4千の兵がどこにいるのか捜索するべきです」
一介の小隊長が司令官であるアイザック・アボット大将に繋がるチャンネルを持っているのは、第1192小隊特有の権力と言えるだろう。
有能であれば自由度を付与される。
司令官は苦しそうな顔をしながらコーヒーを口にした。
決して飲み物が苦いからこんな顔をしているのではない。
「はぐらかしても納得しそうにないから、本当のことを伝える」
「はい」
「仮に敵が何らかの策を弄していたとして、我が軍に対応する余力は残されていない」
「なっ…………マジで、いや本当ですか」
サンタクロースのような白いひげを蓄えた初老の男性は、無言で頷く。
重々しい雰囲気が司令部に流れた。
どうやら彼らは既に事情を把握しているらしい。
「詳しくお聞きしても?」
「兵士の損耗が激しく、脱走者も毎日のように出ている。そんな状態でこれ以上の戦力とぶつかるとなると、想像を絶する被害が出るだろう」
「すぐに下がって立て直さないと——」
「渡河されれば敵の戦術自由度は跳ね上がる。我々を無視して東部一帯を刈り取ることも出来るだろう。だから当方はこの場から逃げるわけにはいかない」
「ミラ丘陵地に立てこもり、にらみを利かせると言うのは?」
アイザック大将は首を横に振った。
彼が思いつく範疇の戦略ぐらい、ここにいる人間たちがすでに思いついた後に決まっている。
そう言った方策を検討した結果、打つ手が無かったという事なのだ。
「第2、第3師団は全滅するつもりですか」
「敵も打撃を受ければ立て直しを余儀なくされる。我々に課せられた使命は敵を一兵でも道連れにし、出来る限り国境の近くで敵を撤退に追い込むことなんだ」
「ちょっと……ちょっと待ってください。スケールが大きすぎて頭が追いつかない」
「銀星十字勲章の授与も、味方の士気向上を狙ってという意味もある。だがそれでは足りなかった。公国軍には、祖国に命を捧げる覚悟が足りなかった」
アイザックは唇を噛み、こぶしを握り締めた。
溜まっていたものが噴き出したように、アラタに対して現状を説明したからだろう。
もうこの軍は崩壊寸前なのだと、アラタが知らないうちにこんな状況になっていたなんて、彼は知らぬどころか想像すらしなかった。
むしろ今までの戦いは前哨戦やアップの類で、これから本番がやってくるだろうからそのつもりで小隊を鍛えていたはずだった。
いつからこうなったのか、アラタは過去の記憶をさかのぼって答えを探してみるが見つからない。
それもそうだ、激戦と言っても彼の見てきた公国軍は有利に戦局を進めてきたはずだったから。
コートランド川の大きな範囲で兵の削り合いをしている重大さをよく認識していなかった。
正確には、そこで戦う公国兵と帝国兵の強弱を考慮していなかった。
先日の桟橋の戦いにおいても、公国兵の方が被害が大きい。
有利な防衛だったにもかかわらずだ。
つまり、公国兵は帝国兵よりも弱いのだ。
2万いたここの戦力も、すでに1割5分が離脱した。
少なく感じるかもしれないが、辺りを見渡せばいなくなったやつが数人、その中の1人2人は死亡している。
「貴官は小隊を率いて第1師団と合流しろ。精鋭としてまだ出来ることはあるはずだ」
「…………っあ、か、す、少し考えさせてください」
アラタは乾いた口で、そう答えるのが精いっぱいだった。
コートランド川流域の戦場に、暗雲が立ち込めている。
それは東から西へ、まるで公国軍を飲み込もうとしているように。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
【R18】童貞のまま転生し悪魔になったけど、エロ女騎士を救ったら筆下ろしを手伝ってくれる契約をしてくれた。
飼猫タマ
ファンタジー
訳あって、冒険者をしている没落騎士の娘、アナ·アナシア。
ダンジョン探索中、フロアーボスの付き人悪魔Bに捕まり、恥辱を受けていた。
そんな折、そのダンジョンのフロアーボスである、残虐で鬼畜だと巷で噂の悪魔Aが復活してしまい、アナ·アナシアは死を覚悟する。
しかし、その悪魔は違う意味で悪魔らしくなかった。
自分の前世は人間だったと言い張り、自分は童貞で、SEXさせてくれたらアナ·アナシアを殺さないと言う。
アナ·アナシアは殺さない為に、童貞チェリーボーイの悪魔Aの筆下ろしをする契約をしたのだった!
転生者は力を隠して荷役をしていたが、勇者パーティーに裏切られて生贄にされる。
克全
ファンタジー
第6回カクヨムWeb小説コンテスト中間選考通過作
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
2020年11月4日「カクヨム」異世界ファンタジー部門日間ランキング51位
2020年11月4日「カクヨム」異世界ファンタジー部門週間ランキング52位
【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する
雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。
その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。
代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。
それを見た柊茜は
「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」
【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。
追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん…....
主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる