半身転生

片山瑛二朗

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第5章 第十五次帝国戦役編

第315話 第1192小隊、初陣

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「畑はどうなったのかなぁ」

 男は憂鬱そうに溜息をつくと、まだ薄暗い空を見上げた。
 この空は故郷のウル帝国まで続いていて、どこでも同じように晴れている。
 だが、その下に生きる人々の心は違う。
 片や戦争を仕掛けた人間、片や仕掛けられた人間。
 自分たちにさしたる正義も理由もないことくらい、彼は百も承知だった。
 ただ、命じられたから、従わなければ村ごと焼かれるのだから従軍したに過ぎない。
 元々男はただの農家で、職業軍人でもなんでもない。
 それでも従軍したら給料は出るというのだから、あの荒れ地を開墾するよりかは幾分マシな仕事だという認識だった。
 そう、生きる為に戦わざるを得ない、そのはずだった。

「辛気臭い顔してんなぁ! だからお前も混ざれば良かったんだよ!」

「いや、俺は……」

「あー言わなくていい。家に嫁さんがいる、だろ? 戦地で多少敵国の人間をヤったくらいバレねえし問題ないだろ。誰が裁くってんだよ」

「そういう事では……とにかく、俺はいいんだ。それよりもうすぐ敵軍と接触するらしい。気を引き締めろ」

「はいはい。つっても片田舎の弱小国家がどれほど戦えるってんだよ。どうせ初動で叩き潰して終わりさ」

 そう言って男は高らかに笑う。
 つられて周囲の人間もゲラゲラと笑った。
 なんとも言い難い嫌悪感を抱きながら、男は自己嫌悪に陥る。
 自分も従軍している時点で、彼らと行動を共にしている時点で、無抵抗の村人たちを殺害した現場に居合わせながら、静観していた時点で同じ穴の狢なのだ。
 自分一人抵抗したところで、良くてハブられるか最悪殺される。
 だから仕方ないと自己を正当化したところで、被害者であるカナン公国民の人間が納得するはずがない。
 どうしようもできない無力感と、それでも槍で敵を突き殺すために前に進む自分の姿は、とても娘には見せられないと自嘲した。

「止まれ! 点呼をして小隊長に報告!」

 ミラ丘陵地帯まであと少しというところで、帝国軍は行軍を停止した。
 斥候の報告ではこの先に公国軍が待ち構えていて、いくつもの堅牢な砦を築いているらしい。
 これからそこを攻略しにかかるのだから、こうして部隊の詳細を把握するのは必要な作業だ。
 男は自分の名前に応えると、目の前に広がる広大な大地に目をやった。
 丘陵地帯というだけあって、山あり谷あり坂だらけ。
 いくつもの小高い丘を攻略しなければ、先には進めない。
 高低差がある地形のおかげで敵も味方も相手の動向を把握するのに苦労するのは必定で、それ故に奇襲攻撃やゲリラ戦が展開される可能性が高い。
 ここ最近分隊長や小隊長が口酸っぱく言っていたことだった。
 分隊長はともかく、彼の所属する部隊を率いる小隊長は軍属である。
 平素より戦闘に関する学習と訓練を重ね、帝国を支える暴力装置として育てられてきた。
 男にはそんな小隊長の顔色が、ここ数日優れないように思えてならない。
 しかし気性に難があり、用もないのに話しかけたくないと男は具合を聞こうとはしない。
 周りの人間も同様で、小隊長は孤立していた。

「装備を点検しながら聞け」

「説教かな」

 2つくらい隣の兵士がそう呟いたのが男には聞こえたが、小隊長の耳には届いていないようだった。

「これより進軍を再開し、ミラに突入する。我々は初めの丘を通過し陣地を確保、丘を分断して後続部隊がここを攻める。いいな」

 いよいよ本格的な戦争が開始されると、兵士たちはいきり立っていた。
 これまで相手にしてきたのは辺境の警備隊程度で、正規兵はほとんどいなかった。
 それらを蹂躙し、殺し、嬲り、犯してきた彼らは自信に満ち溢れていて、目の前の敵も鎧袖一触だと本気で考えていた。
 これが集団心理の怖いところで、他国から恐れられている帝国軍の一員というだけで、非正規兵の彼らでさえ有頂天になって自己の力を過信しているのだ。
 力ある組織に所属している自分は凄いという、何の根拠もない自己陶酔感。
 人の本質は所属する組織では決まらないというのに。
 ただまあ、例え勘違いから始まったものだとしても、帝国軍の士気は非常に高い。
 何せ奪えば奪っただけ自分たちが豊かな暮らしが出来るのだと本気で考えているから。
 やっていることは強盗と大差ない、ただ力が国家規模に膨れ上がっただけだ。
 丘陵地が近づき、丘からの射撃に警戒する。

「突撃!」

 大地を震わすような鬨の声と共に、先行して1個大隊が丘陵地帯に踏み込んだ。
 谷間を整備した道を駆け抜け、敵との接触に備える。
 いつどこから攻撃してくるのか分からないという不安を掻き消すという意味も含めての突撃だ。
 例に洩れず男も同調して走っていく。
 そして小さめの川を前にして、敵が平地に陣を敷いているのが遠目に確認できた。
 このままぶつかるのか、そう考えた男の手はギュッと槍を握り締める。

「全軍停止! この場を守備するぞ!」

「えっ?」

 小隊長の言葉に一気に肩の力が抜け、腰まで抜けそうになった。
 周囲も同じリアクションをしている。
 曲がりなりにもこれから命のやり取りになる覚悟をしていた時に、突然の停止命令。
 しかし思い出してほしい。
 彼らの仕事は丘の奪取ではなく、そのサポートとして浸潤すること。
 つまり予定通りなのだ。
 教育水準の著しく低い彼らに、興奮状態で命令を覚えておけというのも少し厳しい。
 それくらい彼らの知能というのは、現代日本人と比較して劣っていた。

「後続部隊が丘を制圧するまで待機だ。周囲の警戒を怠るな!」

 小隊長や、その上の大隊長らが馬で走り回って檄を飛ばしている。
 500名からなる人間の集団をコントロールするのも一苦労だ。
 彼らがこの場を保持し始めてからおよそ10分後、後方で歓声が上がった。
 どうやら戦いが開始されたようだ。
 そして、初戦の幕が明ける。

※※※※※※※※※※※※※※※

「始まったか」

「そのようですな」

 リーバイ・トランプ中佐は、第1師団長アダム・クラークの言葉に同調した。
 彼らが詰めている本営は、ミラ丘陵地帯の最奥に位置している。
 状況次第ではもう少し先の丘に設置するという話もあるのだが、今はこれでいい。
 前線に情報を伝達する手段というのはいくつか用意されていて、晴天の今日は視覚情報による伝達が容易だから。

「五番砦に十番砦の裏をカバーさせろ。十番砦から300側面を襲わせるんだ。軽く攻撃するだけでいい、深く戦わずに退路をしっかり確保させろ。それから、八番砦に伝令だ。206中隊を出せ」

「了解」

 これだけの情報量を間違えることなく伝達するのには、それなりに工夫が必要になる。
 ただまあ、モールス信号のようなものを定義したと考えれば、そこまで難しいものでもない。
 要は情報源符号化定理に則った符号化処理や、誤り補正ビットを加味した冗長化、そして適切な言語フォーマットさえあれば、今日のような天候なら問題はない。
 すぐに砦から砦へ、望遠鏡を併用して情報伝達が行われる。
 本営の一番砦から二番、三番、七番を経由して、八番砦に命令が飛んだ。
 出陣である。

「206中隊出撃だ! 気合を入れろお前ら!」

「「「おおおぉぉぉ!!!」」」

 第32特別大隊の内、第206中隊だけがこの八番砦に詰めていた。
 残りは第6連隊の一部が詰めていて、川を封鎖している。
 南東の主戦場と同じく、渡河を防ぐのが最も効率的な戦い方の一つだから。

「お前たちは先行して敵を叩け。一撃入れたらすぐに離脱して交代だ」

「了解。行くぞ」

 このくそ暑い日に、20名の兵士たちは黒装束を身につけて騎馬の速度を上げた。
 まだほとんど流通していないアルミを使用し、アトラダンジョンのボスである火竜の竜鱗をふんだんに使用した高級装備。
 それらに加えて、小隊長は白い仮面を着けている。
 青く刻まれたハナニラの紋様の花言葉は、悲しい別れ、恨み、卑劣、耐える愛、そして星に願いを。
 仮面の奥で、彼は何を想っているのだろうか。
 遠く離れた故郷を想うのか。
 想い人との悲しい別れを作り出したあの男を恨んでいるのか。
 どれほど卑劣なことに手を染めても、目的を達成すると意気込んでいるのか。
 きっとどれでもないのだろう。

 今の彼は、空っぽだ。

「我は熟慮する、真実を映し出す円鏡を前に——」

 戦闘の男は、魔術詠唱を開始した。
 その先に見据える的とは。

「ったく、まだ終わんねえのかよ」

「まあまあ。俺たちは暇なんだしそれでいいだろ?」

「そりゃあそうだけどよ。もっとこう、暴れたりねえよ」

 八番砦の正面に陣取り、十一番砦を攻略する帝国軍の支援をしている大隊各員は、すでに集中力を切らしていた。
 正面の砦からはまだ敵が出てこないし、後方も決着がついていない。
 カナン公国正規軍が立て籠もる十一番砦がびくともしないことを、平地の彼らは知らない。
 この時点で砦が陥落する可能性はほぼゼロであり、初戦の趨勢は決していた。
 あとは双方どれだけ被害を少なく抑えることが出来るのか、これに尽きる。
 裏を返せば、敵にどれだけ損害を与えることが出来るのかということでもある。
 そして、八番砦から砂煙が上がった。

「敵が打って出たぞ! 総員配置につけ!」

 小隊長の怒声を浴びて、兵士たちは一転空気を引き締めた。
 これから本格的な戦闘になると分かっている。
 しかし、

「……少なくねえか?」

「だな。俺たちの方が全然多いぞ」

「楽勝か?」

「そこ! 私語をするなぁ!」

 相変わらず機嫌の悪い小隊長に怒られたところで、男たちは無駄口を閉じた。
 彼らの視界に見えているのは第206中隊。
 ただ、全部ではない。
 数にして80名、1個中隊が100名前後で構成されていることを考えると、20名ばかり足りない。

「……託された篝火を我が物として振舞うこと許さざれど、一視同仁に心扶翼されたのなら願う」

「ん? なんか言ったか?」

「いや? っていうかなんか地響きみたいなのが聞こえないか?」

「さあ?」

 戦いというのは、厳しいものだ。

「扉は既に開かれた。幽世から狙いを定め、我が身体を触媒に、天炎百雷敵を穿て、炎雷」

 突如跳ね上がった存在感と魔力量に反応できたのは、現場では小隊長ただ一人だった。
 その他多くは、気づいた時には隣に立っていた仲間に雷が直撃するか、燃え広がる炎に巻かれるか、気が付く間もなく死亡しているかどれかだった。
 突如出現した20騎の敵兵、そのどれもが自分たちとは格が違うと一目でわかる。
 一番奥で馬を止めている白い仮面の男が、静かに命令を下した。

「殺せ」
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