半身転生

片山瑛二朗

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第3章 大公選編

第217話 泥中に沈む(烏鷺相克11)

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 ——ふむ。
 【狂化バーサーク】系のスキルか。

 その手に伝わってくる衝撃、アラタの表情、動き、息遣い、それら様々な情報を整理して、ユウは能力の解析中だ。
 全てを見通すような都合の良い目は持っていないが、男は経験則で敵を丸裸にしていく。

 見るからに正気を失っている。
 それに……。

 一撃、いいのがアラタの体に入った。
 フロントキックが体のど真ん中に入り、内臓を保護する役割の肋骨を破壊する。
 幾本かの骨が折れる感触が返ってきて、相手の体も吹き飛ばせるはずだった。
 これだけの衝撃が体に伝わると、人間の体は自然と硬直してしまうからだ。
 しかし、アラタは止まらない。
 口元に赤いものを滲ませながらも、攻撃を受けながらも前進する。
 まるで意に介していないのだ、即戦闘不能レベルのこのダメージを。

 脳の制限が解除されている…………というより、脳内麻薬の過剰分泌が肝か?
 動きが良くなっていることはこれで説明がつくし、痛覚軽減……は元から持っているか。
 判断能力の欠如は快楽物質からくるものなのか。
 では、これは?

 骨を折りながら突っ込んできたアラタの刀をユウは弾くと、後ろに大きく跳躍した。
 なおも追いすがるアラタに対して、彼は十分なスペースを確保する。
 何をするのに十分なのか?
 それはもちろん、見定めるため、彼が担い手にふさわしいかを、判断するために。
 半円状に、魔力が広域展開された。
 初めは結界術を使用するかに思われたそれだったが、途中で魔力の循環を止めた様子から見るに、どうやら違うらしい。
 使うのは純粋な攻撃魔術、全てが雷撃だ。
 雷撃の長所は高速起動、連続起動性能が優れていること。
 速く、沢山使える魔術ということだ。
 だから、ユウが合計15個の雷撃を展開し終えて、発射するまでにかかった時間は、たったの1.5秒。
 神速である。
 込めた魔力は大した量ではない。
 それこそ一握りいくらの魔術師が使う程度の威力。
 これではアラタを止めることは出来ない。
 ただ、止めることは出来なくても、体勢を崩すことは出来る。
 ダメージを与えることも出来る。
 既に満身創痍な彼にとって、これ以上の被弾は何が何でも避けるべき。
 普通は、論理的な思考をするのなら、そう考える。
 だから、これは試験として最適な攻撃だ。
 正常な思考力を残しているのか、そのテストとなるから。

「ォォォオオオ!!!」

 咆哮を上げながら、アラタはただ一直線に突っ込む。
 そこは180度から攻撃が降り注ぐ爆撃地域だというのに。
 初めに、一番近い左側面の魔術が彼に当たった。
 次いで正面、右側面、斜め右、斜め左、当たる当たる、それはもう面白いくらいに。
 FPSをやっていたとして、これほど綺麗に攻撃が命中すれば、それはもう面白くて仕方がないだろう。
 一方、もしこれが自分だったら、相手のチートを疑うくらいの被弾率。
 15発中、15発全弾命中。
 アラタの動きが、鈍った。

 つまらんな。
 ありきたりな、どこにでもある【狂化バーサーク】。

 ユウはこのスキルが嫌いだった。
 蛮勇とも呼ばれる、自身の理性と引き換えに戦闘力を向上させる系統のスキル。
 それは、自分が人間であることを否定するものだと、彼は考えていた。
 ヒトが何故、魔物や獰猛な危険生物溢れるこの世界で、文明を築き上げることが出来たのか、彼らには考えが及ばない。
 極限まで肉体を鍛え上げたとしても、生物的な差は埋められない。
 だからこそ、ヒトは魔力を使う術を身に着け、スキルを使いこなし、頭を使うのだ。
 幾度もシミュレーションを重ね、準備をして、危険を正しく恐れて、やりすぎなくらいに自然に備えるから、ヒトは強い。
 そこから考える力を奪ったら、霊長類の中でも大した身体能力を持たない、ただの餌としての価値しか残らない。

 だから、男は彼を否定する。
 それは間違っていると、それでは人間足りえないと、そう拳で言い聞かせる。
 再び、地面に魔力が流れた。

※※※※※※※※※※※※※※※

 援護に入る隙が無い。
 あいつ、私の位置を分かっているのか?
 奴が躱せば、アラタに当たる位置を取り続けていく。

「…………化け物」

 クリスの手から、力が抜けていく。
 ドレイク、ディラン、そしてユウ。
 特殊配達課から組織を転々として半年以上。
 この短い期間で、どれだけの強者と出会ってきたことか。
 例え自分が百人いたとしても、相手に傷を付けられるか怪しいほど、実力に開きのある敵と相対するたびに、彼女の心は折られてきた。
 こんなモンスターがこの世にはいるのかと、しかもそれが一人ではないのだと、自分はこれを相手にしなければならないのかと、彼女はこの世を儚んだ。
 それでもクリスが戦うことをやめなかったのは、隣で諦めない男がいたから。
 初めてその姿を見たとき、この男は弱いどころの話ではなかった。
 まるでお話にならない、自分が本気を出せば10秒と持たない、どこにでもいる弱者のはずだった。
 でも、行動を共にするようになって、こいつは軽く見てはいけないと、そう思った。
 毎日、顔を合わせる度に、アラタは強くなっていく。
 やがて自分が抜かれたときも、悔しくないことが悔しかった。
 当たり前だと、そう思ってしまった自分を恥じた。
 だからこそ、精神的支柱であるアラタが圧し折られようとしている今、同様にクリスの心もポッキリと折れそうになっていた。
 あのアラタでさえ、赤子の手を捻るように畳まれてしまう。
 これほどの差があるとは、これほど手も足も出ないとは思わなんだ。
 彼女の視線の先で、【狂化】を発動しているアラタの足が止まった。
 体力の限界が来たのではなかった。
 アラタは、泥に足を取られて動けなくなっている。
 先ほどまであんなに縦横無尽に走り回っていたのに、生コンクリートの中に足を突っ込んだように、頑として動かない。
 粘性抵抗の強い物質に動きを絡めとられては、走り続けることは出来ない。
 泥沼と化した水たまりのうちのいくつかに、ユウは仕掛けを作った。
 一見ただの小さな水たまりにしか見えないが、足を踏み込んだが最後、魔術でふかふかに仕上げられた地面は、足を跳ね返すどころか吸着して沈ませに来る。
 原理的には、水属性の魔術と土属性の魔術。
 それも生成を必要とするような、高難易度の物ではない。
 どちらも現場にある物を使って、雨上がりの状況を利用して行使した、消費エネルギーの少ない賢い戦い方だ。
 ユウから言わせると、【狂化】状態ではこのような戦い方が難しくなる。
 彼の言葉を借りるなら、『不純物の無い世界』とやらではなくなってしまうのだろう。
 完全に足の止まったアラタを見て、そして何度場所を移動しても、射線が被ってしまう敵の力量を見て、クリスは弓を置いた。

「お前が……」

 死んだらエリになんて言えばいい。

 2本の短剣を手に、クリスが動いた。

※※※※※※※※※※※※※※※

「ハァ、ハァ、ブフッ、ハァ……」

 先ほどまで、アラタはまるでプールの底へ沈んでいくような感覚の中、夢を見ていた。
 自分の意思に対してダイレクトに、よりセンシティブに、キレの良いレスポンスで、体を操ることが出来た。
 痛みも和らいだし、力も溢れていた。
 ただし、周りが見えなくなった。
 トンネルマインドと呼ばれる状態に、陥ってしまった。
 こうなると、ユウが考えたように、搦め手に対して非常に脆くなる。
 それはもうすべての雷撃を食らってしまうくらい、以前と比べて圧倒的に。
 そして、再び気を確かに取り戻した時、彼の手の中にあったのは、カラっ欠になった肉体。
 立っているだけで膝が震えて、手が震えて、視界がおぼつかず、一点を見つめることが出来ない。
 視界がぶれ、200kgのバーベルを背負ってスクワットをしている最中のような、肉体的、精神的負荷が常時かかっている気さえする。

「ここまでだな」

「はは……冗談」

 なけなしの魔力を使って、拘束用の泥沼から足を引き上げた。
 膝まで浸かっていたのだから、靴の内側にも泥が入り込んでいて不快だ。
 本当なら靴ごと水洗いして、清潔にしたい。
 水虫なんて死んでも御免だから。
 そんなことを考えていること自体が、彼の集中力が限界に達していることを物語っている。

 【不溢の器カイロ・クレイ】、力をくれ。
 あと少しでいいから、俺に力を。
 少しだけ貰えれば、あとは俺がなんとかするから。
 だから、あと1回全力で動ければいいから、頼む。

 固有スキルは、応えない。
 これは人間ではないから、感情なんてものは持ち合わせていないから。
 無情にも、スキルは応えない。

「剣術、体術は叩いた。なら、次はこれだな」

 そう言うと、ユウは剣を収めた。
 代わりに取り出したのは、身の丈以上もある大きな杖。
 グネグネとカーブを描いて、一目でワンオフと分かる造形。
 駆動部分なのか、大事な部分には金属があしらわれていて、魔石も至る所に見受けられる。
 形や大きさの異なる魔力結晶を装着するために、セット部位には多少の遊びが持たされていた。
 4方向からストッパーをあてがうことで、任意の大きさのそれを固定するような構造らしい。
 位置的には三角錐の頂点的な様子だろうか。
 大小20以上の魔石が煌めく杖は、さながら棒状の魔石展示用ディスプレイだ。

「殺しはしないと言ったが、それはお前の反応次第だ」

 ブゥンと、それっぽい起動音を杖が発しつつ、ユウは最後に問いかける。
 ここから先、発言には気を付けろと。

「お前は、何の為に武器を取る。何の為に戦う」

 根幹を、もう一度、原点を、照らし出す。

「俺は、エリーの為に、あの子が幸せになれるような世界を、あの子が笑えるような未来を勝ち取るために、戦う。命を懸けて、全てを懸けて、戦う」

 刀を杖にしなければ、もはや立っていることすら厳しいアラタの視線は、当の昔に下を向いている。
 気持ちがどうこうではなく、もうそれしか身体が言うことを聞いてくれないから。
 だが、目には見えていなくても、彼は感じていた。
 まだ諦めずに戦う、もう一人の馬鹿の存在を。

「……まあ及第点か。少し加減してやる」

 魔石から魔力が放出され、それは杖に組み込まれた回路に流れ始める。
 流入したそれは、回路に従って、あらかじめ決められた挙動をする。
 その回路に何が刻まれているのか、アラタは知らない。
 ユウのことだ、攻撃系の魔術が仕込まれていることは確実だが。
 カタカタと、魔石が揺れる。
 初めはぴったりと固定されていたのに、震えが止まらない。
 魔力を放出して、小さくなったのだから、それも当然だが、この数の魔石が、これだけ消費されるという現象、並大抵の魔術ではない。
 クリスが使った竜の魔石でも、魔力の総量でいえば劣るだろう。

「雷槍、並列起動100」

 桁が2つ多いだろ。
 心の中でそう愚痴を溢した。
 100本同じ場所にミスなくぶち込めるわけじゃあるまいし、半分以上、絶対に外れる。
 外れる攻撃に意味なんてほとんどない。
 少なくともこの状態じゃ、魔力と魔石の無駄使いだ。
 でも、ここが最後の正念場だ。
 気張れよ、俺と……クリス。

 超至近距離から、1発1発が即死に繋がる魔術を100発、アラタに撃とうとする男。
 アラタの考える通り、多分半分以上の雷槍は外れてしまうのだろう。
 だが、仮に50本が命中したとして、アラタは50回死ぬことのできる威力。
 絶望が、彼の体を支配する。
 でも、【狂化】が解けた今、思考の方はクリアだ。
 2筋の銀光が、地面を走るようにユウに向かった。
 左手の剣が空振り、右手の剣が、杖をわずかに掠める。
 そして、ユウの重心が後ろに傾いた。
 クリスは止まらない。
 ここでは不十分だと分かっているから、一縷の望みに賭けるとして、アラタは生きて戦わなければいけないから。
 その為には、両者の間に距離が必要だから。
 右手は左袈裟から、左手は突く構え。
 仮面の下の表情は、無表情。
 歯を食いしばることも無く、笑うことも無い。
 そこに割く余裕なんて、彼女にはないから。
 この戦場に不似合いな、足手纏いの彼女の剣が、未来を切り拓く。
 アラタとユウ、2人の間に割り込んで、ただで済むはずがない。
 でも、クリスの剣は、ユウを下がらせた。
 一歩、二歩、三歩と。

 想いの強さだけは、クリスも譲らない。

 敵の足元から、嫌な感じがした。
 クリスはすかさず左に避けると、彼女が動けるスピードの遥か上の速度で、土の棘が泥を伴って繰り出された。
 ユウは、今使えるギリギリのところの攻撃を、外した。

 攻撃が、届く。

「あああぁぁぁあああっ!」

 安全圏を捨てて、ここまで出てきてしまった彼女の行動は自殺行為に他ならない。
 でも、命を懸けなければ、何も為せない。

「邪魔をするなぁ!」

 ユウの左手が、クリスを捕らえた。

「寝とけ!」

 彼女の首元を抑えた彼は、アラタが序盤で彼に対してやろうとしたように、風刃でのどを切り裂くことも出来たかもしれない。
 しかし、ユウはクリスを地面にたたきつけて戦闘不能にしただけで、それ以上は何もせずに手を離した。
 今の彼にはそれ以上に大事なことがある。
 魔道具の、装填が完了、発射に入る。

「起動手順、正常終了。魔道回路、冷却開始。標準、ヨシ。百連装雷槍、発射」

 その戦場は、雷の光に包まれた。
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