半身転生

片山瑛二朗

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第3章 大公選編

第184話 越えた先にあるもの

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「綺麗……」

 仮面の下から見上げた星空は、作りものだとわかっていても、今まで見たことのあるどんな星空よりも美しかった。
 クリスはオーロラを見たことが無いので、今後記録が更新される可能性はあるが、とにかくプラネタリウムを空中に映し出したような解像度の高さには感服するほかない。
 星霜結界、拘束系の結界の中でも最上級に位置する高位結界術。
 満天の星空を映し出したような空間に、水飴の中を泳いでいるような行動阻害効果。
 そんな中でも窒息することは無く、対象はスローモーションの世界に放り込まれたような無力さに包まれる。
 膨大な魔力と精緻な魔力操作によって実現するそれは、複数人での起動が難しく、人間一人の魔力量では賄えないという矛盾をはらんでいた。
 その矛盾を解決したからこそのこの結界なのだが、帝国広しと言えどこれを使える人間は1人しかいない。

「おのれ魔女がぁ! 売国奴め!」

 そう叫ぶ兵士の動きもどこか緩慢でキレがない。
 馬に横向きに腰掛け、手綱は別の人間に握らせている少女がいた。
 いかにも魔術師と言った風体の彼女は指揮棒のような杖を一振り。
 戦闘を生業とする者であれば魔術師と言えど肉体を鍛え、近距離戦に対応するのは普通の事だが、彼女からはおおよそそれらしい気配を感じない。
 華奢な身体、一般人らしい身のこなし、傷一つない綺麗な肌。
 金髪に金の瞳はどこかの変態最強剣士を想起させる。
 彼女が杖を振ると、魔力の海の中に囚われた中から任意の個体をピックアップして引きずり出す。
 窒息はしないが完全に自由ではない結界からの解放は、クリスとキィが助かったことを意味していた。
 馬を止め、ゆっくりと慎重に下馬する少女。
 キィははじめ彼女に対してもショーテルを構えるか迷っていた。
 しかし隣にいるクリスが短剣を2本とも収めていて、抵抗する意志が一切ないことを見ると自分も武器を収めた。
 これが追手の帝国軍と仲間ではないことは分かっている。
 かと言って自分たちの味方だとは限らない。
 それでも、仮に敵だったとして、拘束を解く意義とは?
 思考の先で、2人は彼女たちに従順であるべきだという答えに辿り着いた。

「…………すか」

「すまない、今なんて?」

 十分近い位置まで近づいたはずの両者だが、クリスとキィは彼女の発した声が聞き取れない。

「……丈夫ですか」

「すみません、もう一度」

「大丈夫ですか」

 変な汗をかきながらたった一言、2人の安否を気にした彼女の顔は真っ赤に紅潮している。
 よほど初対面の人間と会話するのが苦手なのか、それとも2人の醸し出す雰囲気が苦手なのか。
 それを感じ取ったクリスはいくらか態度を柔らかくさせて返事をする。

「大丈夫だ、助けてくれて感謝する」

 いつもと全然変わらないじゃないかと思うかもしれないが、アラタやキィ、リャンから見れば随分違う。
 もう別人なんじゃないかと疑いたくなるくらい、普段の彼女からはかけ離れた優しさだ。
 ほんの少しの優しさに安心したのか、不器用な姿に共感したのか、とにかく金髪少女の表情は少し和らぎ口をついて出る言葉もいくらか軽くなった。

「ここは私たちが引き受けます。あなたたちは行ってください」

「いや、だが…………分かった。感謝する」

「バイバイおねえちゃん」

 クリスはキィの言葉に一瞬ドキッとした。
 あまりに自然で本当の兄妹のように思えたから。
 ただ、2人の見た目の相違から、すぐにその意味での『お姉ちゃん』ではないと考えた。
 少し複雑な家庭事情である可能性もあるが、リャンが裏切った時に言ったキィの言葉から、彼の身内はいないと推測する。
 固まったまま動けずにいる敵兵を前にして、2人は馬に乗りカナンを目指して走り始めた。

「じゃあみんな、始めていい?」

 交戦地点からカナン公国の領土が確定する地域まで、残り50キロほど。
 彼女たちが出動する前、別動隊の存在は確認できなかったし、これ以上の追手はないと信じたい。
 2時間後、何事もなければ彼らはカナン公国の内部に入り、こちらから仕掛けることのできない領域に入っただろう。
 アラタ達がそうしたように、こちらも少数で秘密裏に潜入する可能性はある、というかやっているはずだが、それは流石に自分で対処してほしい。
 剣聖オーウェン・ブラックを抑え、軍部の追跡を受け持った。
 これ以上は援護できない。
 この場を受け持つ少女の脳内はそんな感じだろうか。

「お嬢、ガチガチでしたね」

「うぅ……やっぱり堅かった?」

 彼女自身緊張していた自覚があるのか、少ししょんぼりしている。

「だいぶ慣れてきましたけどね。俺ら以外にも友達が出来るといいですね」

「お嬢、そろそろ」

「うん、分かってる。始めるわよ」

 彼女の声で武装した10人の男たちは周りを固めた。
 星霜結界で硬直している彼らと比較しても何ら遜色ないほどまでに練り上げられた肉体。
 それに放つ強者独特のオーラ、間違いなく彼らも一線級の猛者ばかり。

「星霜結界、解除」

 クリスとキィをピックした時のように、今度は結界術そのものを解除した。
 少女らとは反対側を向いている兵士たちは少し走ると立ち止まり、向きを反転する。

「……時間」

 指揮官は部下に現在時刻を尋ねた。
 そして何も言わず、部下は首を横に振る。
 もう無理だと、間に合わないと諦めたのだ。

「魔女が。余計なことをしてくれたな」

「わっ、わわわ私は…………」

 あれだけの大魔術を行使しておきながら、あがり症なのは変わらない。

「殺せ! 全騎突撃!」

 鬨の声を上げながら43騎の兵士は彼女たちに迫った。
 戦力差は4倍、まともな勝負ではない。
 だが、オーウェン・ブラックが軍の相手をしていた時、人数は、規模はどれほどだったか。
 400名からなる大隊を相手にして、ノーダメージで100人以上を行動不能に追い込んでいる。
 彼のウル帝国における序列は第3位、そして彼女の順位は……

「【詠唱破棄】、豪炎」

 杖の先から扇状に拡散しながら炎が放たれた。
 火炎放射器のような情け容赦ない攻撃。

「防御術式展開!」

 指揮官を先頭に、騎兵は一丸となって距離を詰める。
 ぶつかり合いに持ち込めば彼らの土俵だ。
 そんなシンプルな考えは、単純故に実行されると防ぎにくい。

「魔女め! 近接が弱いことは分かってんだよ!」

 兵士たちの怒号が迫る。
 大声で怒鳴られる度に彼女はビクッと体を震わせる。
 過去にトラウマがあるのか、単に気が弱いのか。
 それでも少女は目を逸らすことなく敵を見据える。
 そして杖を振るい、その先にあるものを見る。

「【詠唱破棄】、雷槍、並列起動」

 杖は大きく弧を描き、その先には雷が現れる。
 シャボン玉を作るようにゆっくりと丁寧に描かれた軌跡から現れた10本の光の槍は、敵を捉えている。
 ピッ、と軽く杖を敵に向けた。
 それを合図に雷槍は射出され、敵兵とその馬に迫る。

「15騎防御! 残りは突っ込め!」

「風壁!」

 先頭の十数騎が槍を捨てて両手を前に広げる。
 全体で単一の魔術を行使し、より効果的な魔術防御を実現する。
 風と雷はぶつかり合い、打ち消し合い、霧散した。
 その風の隙間から一丸となって突撃する騎兵たち。
 まだ少し距離があるが、槍を投擲すれば届く距離だ。
 あと少し詰めれば魔女と蔑んだ彼女は目と鼻の先だ。

「投擲用意!」

 胸を張り、馬上から逆手に持った槍の切先を敵に向ける数十名の男たち。

「放っ——」

「雷槍群」

 それはまるで、神のいかずちそのものだった。
 降り注いだ無数の雷槍は、落雷のような威力でもって騎兵を打ち据えた。
 尋常ではない数の魔術攻撃は完全に被弾者の感知能力の外からやってきていて、少女の攻撃範囲の広さを物語っていた。
 およそ人の成せる業ではない。
 それが指揮官の最期の思考だった。
 ただれた皮膚、焼けた髪、千切れた手足は地面に張り付いていて、動かすことすら出来ない。
 雷撃などとは次元が違う。
 本物の落雷に打たれたのならこうなるだろうという結果が己が身に降り注いだのだ。
 それも偶然ではなく人間の悪意を、殺意を以て。

「ふぅーっ」

 深く息を吐いた彼女は、ブカブカのマントの下に杖を仕舞いこむと、帰るべく振り返って歩き出した。

「お疲れ様です、お嬢」

「うん。疲れた」

 馬を引いてきた部下の男はさっきまで敵だった人間たちの焼死体を見て残念なものを見るような眼をした。

「バカな奴らだ。Aランカーにこの人数で挑むなど」

「それ止めてよね。私冒険者じゃないから」

 Aランカーと呼ばれると、少女は少し嫌そうな顔をして抗議した。
 冒険者の等級で言うAランクに相当すると呼ばれるのだから、褒め言葉に近いはず。
 だが彼女はそれを嫌がる。
 何故だか気になるが、彼女は多くを語らない。
 そして彼女がそうするのならば、付き従う彼らもそうする。

「帰りましょ。お腹空いちゃった」

 そう軽口を叩きながら彼女は馬に乗りあがる。
 1人では乗れないので補助付きで。
 その姿だけを見れば、さっき無数の雷槍を放ち敵を殲滅した女と同一人物にはとても見えない。

「あとは神のみぞ知る、ね」

 そう呟いた彼女を連れて、十騎の騎兵はグランヴァインへと戻っていった。

※※※※※※※※※※※※※※※

「アラタ、流石に」

「スゥゥゥウウウ、ハァァァアアア。……行くか」

 長いブレスの後に、アラタはもう一度後ろを振り向き、そして何かを諦めるようにゆっくりと馬を歩かせた。
 そんなことをしても意味はない。
 初めからそう言う作戦だったから。
 もしも分裂するようなことがあれば、優先順位を付けて敵を受け持つと。
 そう決めたのはほかならぬアラタその人だ。
 完全なカナン公国の領土内まで残り40km。
 河川で境界が区切られているのではなく、おおよそこの辺りはカナン公国の支配下だ、と現地住民が認識しているだけだ。
 だから境界線を越えたところで敵は少し追ってくる。
 故に急がねば、逃げ込まねばならない。

「アラタ、速く」

「あぁ」

 恨んでくれて構わない。
 猟犬たちの死後、一方的にそう言ったことを彼は昨日のことのように覚えている。
 お前らも恨んでくれて構わない、そう考えた時、アラタの感覚に何かが引っかかった。

「リャン、警戒態勢。【魔術効果減衰】の起動準備」

 地形は渓谷が続き、見晴らしは悪い。
 何か、人間が近づいてきていることは分かるが、それが誰なのか、敵なのか味方なのか、その区別すらつかない。
 刀に手を掛け、鯉口を切る。

「数が少ないな」

「ええ。これは…………」

 次の瞬間、見慣れた2頭の馬とそれに乗る黒装束が目に映った。
 そしてその流れで隣にいるアラタの顔をリャンは見た。
 仮面を着けているが、あの時アラタは間違いなく喜んでいたと、そう彼は証言する。
 鯉口を閉める音が鳴り、スキルは解除される。
 とっくに歩みを止めているアラタとリャンに、クリス、キィが追い付いた。

「お前らいったい…………」

「命を懸ける場所はあそこではなかったみたいだ」

「………………謝りはしない。でも、良く戻ってきた」

「あぁ、行こう」

 その日、八咫烏第1小隊はカナン公国に戻ってきた。
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