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第3章 大公選編
第149話 デッドボール
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「うーん、これは」
クリスが唸っている正面に、群れでくつろいでいるのはスライムだ。
アラタがこの世界に来て初めて目にした生物。
半透明で、プルプルしていて、寒天かゼリーのような質感をしている。
核が存在しており、それを破壊されると確実に死に至る。
基本無害な魔物で、魔石が取れるほどの個体はそう多くない。
しかも半透明だから魔石が透けて見えるから、これほど分かりやすく貨幣価値を判断できる生物もいないだろう。
ダンジョンでアラタ達が遭遇したのはスライムの中でも特殊な変異種であり、あのレベルになってようやく魔石が取れる可能性が少し高まる。
もっとも、あの時は魔石を採取する余裕などまるでなく、捜索隊が侵入した時には既に土に還っていたわけだが。
グンダサ村を目指す道中、馬が走る街道を塞ぐ魔物。
初めて出会った時は知らなかったが、今は違う。
冒険者、特配課、黒装束と居場所を変えながらこの世界で生きてきたアラタにとって、目の前にいるそれは正体不明の危険生物ではなく、貴重な食糧だ。
「よし、昼を抜く代わりにここで飯にしよう」
少し早い今日の昼食はスライムの刺身だ。
そんな上品な食べ方はしないが、洗ったスライムをすすったり、齧ったり、飲み込んだりする。
案外弾力があり、ナタデココのような触感が近いのだろうか。
ナタデココはココナッツ汁にアセトバクタ―・キシリナムを加え、発酵させることで作ることが出来る。
かいつまんで言えば、ココナッツ汁を発酵させた上澄み、それがナタデココだ。
それに比べスライムは全体がナタデココのような触感で、作るのに手間がかかるナタデココよりも安価で入手可能な食糧である。
1人1殺したところで他のスライムは一目散に逃げていったが、十分すぎる量を確保した。
食べきれない上に持って歩くのも嫌なので残りは馬に与え、再度出発する。
道中魔物を多く目にしたが、スライム以外特に戦闘になる事もなく一行はグンダサ村付近に到着、クリスがアジトを整備している間に休息と準備を行い、昼過ぎにはオーベル村へと向かって行った。
これも道中特に言及することなく到着、強いて言えば魔物の数は飽和気味であることだろうか。
だがこれはクエスト依頼の原因でもあるので想定の範囲内であり、気がする程度でしかない。
問題はオーベル村近郊で一夜を明かし、残るヒッソス村へと向かっている最中に発生した。
「全員下馬だ。戦闘準備」
アラタが発見したのは猛禽類、のはずの生物。
嘴、翼、角、これは同じ。
首から下が明らかに彼の知っているフクロウとは異なっている。
熊、そう、熊だ。
この時点で既に動物である線は消え、魔物であることが半ば確定したのだが、彼は知識としてこの生物を知っていた。
「オウルベアだな」
「珍しいな、まだ昼だぞ」
「あれは冬眠中のはずでは?」
そう、リャンの言う通りオウルベアは冬の間冬眠する。
それは熊の特性を引き継いでいるわけだが、必ずしも熊が冬眠するとは限らない。
彼の知識の源泉はほとんどが漫画か、この世界に来てから学んだことが根底にあるのだが、そんな彼の漫画知識の中には冬眠しないヒグマの話があった。
ここでやるか。
「キィ、俺の馬を引いてくれ」
アラタは手ぶらになると、仮面とケープを脱ぐ。
戦闘準備、それもかなり気合が入っている。
「オウルベアはBランクですよ、危険なのでは?」
「問題ない。冬なら動きが鈍くなっているはずだ」
そう言うとアラタは石弾を一つ発動した。
射出せず、その場に転がった土の塊は内部が空洞になっており、見た目より軽い。
「馬を避難させたらリャンは俺の援護、2人は馬の所で待機だ」
振りかぶったアラタ、そして身体強化をかけられた肘は問題なく機能する。
何かが弾けたような、粗いやすりで引っ搔いたような音が鳴ると、綺麗なバックスピンを描きながら飛翔物体は魔物めがけて一直線に飛んでいく。
正確には放物線を描いているのだが、空力で重力に逆らって浮き上がるように人の目には映るのだ。
その距離実に80m、崖の上に陣取っていたオウルベアの身体が動いた。
身投げするように前へと倒れ込むと、そのまま宙に舞いアラタの投げた球をひらりと躱す。
その少し前、アラタは既に2投目のモーションに入っていた。
次も真っすぐに飛んだ攻撃はこれも躱される。
どうやらこの魔物はかなり目が良いらしい。
空を飛ぶというより、滑空しているという方が正確な表現のオウルベアはアラタの方へと向かって行く。
縄張りを荒らされたうえに先制攻撃をされたのだ、当然命のやり取りになる。
直線的な動きでアラタの方へ向かってくるそれを見て、彼はもう一度、石弾を生成する。
そして、もう一度、彼はそれを投げた。
またも指先で何かが炸裂するような音と共に打ち出されたそれは、またしても魔物に向かって一直線だ。
馬鹿の一つ覚え、単調、ありきたり、そんな攻撃に慣れたのか、オウルベアは少し舐めているのか羽の角度を変え、流れるように回避に移った。
「雑魚が」
アラタは次の弾を用意しなかった。
それはもう必要ないからだ。
下へと、かいくぐるように回避に動いたオウルベアの右肩を、土の塊は異常な回転を以て変化して直撃した。
貫通はしていないが、確実に骨は折れている。
ただでさえ脆い鳥の羽、それで熊の身体を無理やり飛ばしているのだ、揚力の低下は致命的だ。
刀に手を掛ける。
魔力は循環済み、後はコントロールを失いただ落下してくる魔物を仕留めるだけだ。
タイミングは空中にいる間ではない。
着陸に失敗したその時だ。
予定していた着陸地点に届かず、アラタの前方で土煙をあげ落下した。
走り出す男。
埃立ち込める中、立ち上がった2mオーバーの巨体。
身長185cmのアラタが小柄に見えるほどの種族の違い。
だが、攻撃は当たらなければ意味はない。
確かな手応えとその後に落ちた首。
反撃を警戒して距離を取り、そして生命活動が止まったことを確認する。
スキル【敵感知】は人間以外にも有効なようで、先ほどまで感じていた反応が消えていた。
血を拭い、鞘に納めると、準備していた土棘のストックを解放した。
制御する気のない魔力はやがて大地に吸収され、木々が育つのにほんの少しだけ役立つ。
「ごめんな。成仏してくれ」
呆気なく終わった魔物討伐、オウルベアの素材は毛皮や剥製としての価値しかないので、持って行くことはせず、土に埋めた。
アラタの魔力同様、魔物の肉もいずれ土に還る。
「行くぞ、あと少しで着くはずだ。だよねクリス?」
「ああ、先を急ごう。今日中にサヌルまで戻りたい」
キィが引いてきてくれた馬にまたがり、アラタは先頭を駆けていく。
それを後ろから見るリャンは、頼もしさと畏れの念を覚えていた。
日々増える魔力、魔術の幅、曲がる石弾、剣術の腕前、オウルベアを前にして一切動じない胆力、仲間としては心強い限りですが…………
『じゃあ帰りたくなった時に帰れるように、しっかり働かないとな』
私は究極の選択を迫られた時、この人を裏切ることが出来るのでしょうか。
この人を裏切って、生きていることが出来るのでしょうか。
「リャン、どうしたの?」
並走するキィは何かを感じたのか、仮面を着けている彼に対してそう聞いた。
表に、それもキィに分かるほど出ていたのかとリャンは急いで心にも仮面を被る。
「何でもないです。それより舌を噛みますよ」
不安定な均衡を保ち、黒装束は存続している。
奇妙なバランスは、一体いつまで成り立ち続けるのだろうか。
※※※※※※※※※※※※※※※
ヒッソス村に到着後、4人を待ち構えていたのは基地建設だった。
今までは特配課が残した遺産を使わせてもらっていたのだから、そこまで手間暇はかかっていない。
しかし、この村の近くにはそんな施設は無い。
当時の特配課の任務的にはそれでよかったのだろうが、今回はヒッソス村でも数日間は寝泊まりすることになる。
この時期に野宿が何日もできない事は分かり切っており、こうしてアラタ達は4人が生活できるスペースを確保する為肉体労働に従事していた。
木を切り、乾燥させることで材木を確保し、枝葉を集めて燃料を備蓄する。
結界装置はクリスが担当し、施設周辺に侵入者があれば彼女が把握できる仕組みになっている。
生い茂る木々の中に、一つだけある木組みの小屋。
ドアはないし、窓もないし、何なら半分野ざらしだ。
雨風を凌ぐことはできるが、暖房器具なしで過ごすには心もとない。
しかし残り時間も少なく、4人は基地を隠蔽し、その場を後にした。
ヒッソス村でどれだけの期間過ごさなければならないのか不明だが、この任務では全部で10の村を転々と移動する。
1箇所にだけ時間と労力を割く余裕は無かった。
「よし、サヌルに帰るぞ」
そうアラタが号令をかけた時、空は赤く染まりもうすぐ日没という時間だった。
ここからサヌル村に帰るには、グンダサ村を通過して目的地まで移動する必要がある。
予定通り到着したとして、時間は夜8時と言った所だろうか。
遅くはないが、次の日の準備などを考えれば少しきつい。
そんな焦りはほんの少し警戒態勢を雑にさせる。
食事は向こうに到着してから、アラタの決定が少しだけ4人を急がせる。
空腹は思考力と注意力を奪い取るのだ。
「リャン~、まだ~?」
「あと1時間ほどですよ、頑張ってください」
いくつかの拠点に物資を分け、気持ち軽くなった馬は何もしないと走る速度を上げ始める。
先頭を走るアラタの馬、ドバイは自分の息が切れるのも気にせず少し掛かり気味になっていた。
それにつられて他の馬もやや飛ばし気味、クリスがアラタに手綱をしっかり握るように声をかけるがどうにもドバイの反応が悪い。
初心者だがアラタは決して間違った対応をしているわけではないし、むしろよくやっている。
姿勢はしっかりしているし、緊張もしていない。
馬にはアラタの安定した精神が伝わっているはずで……クリスは何かを感じた。
杞憂で終わればそれでいいが、この場合、いつものことながら何事もなく終わった試しは無い。
最後にこの感覚を覚えたのはそう、アトラ3番街、105通り。
隠蔽された気配、聞こえるのは風を切る音だけ。
「ねーえー。ちょっと速——」
「敵だ!」
クリスは馬から飛び移り、リャンの背中に張り付いていたキィを引きずり下ろした。
それと同時に金属音と火花が散り、クリスはいつの間にか抜剣している。
アラタは【敵感知】を起動、同時に【暗視】も使用する。
アラタは自分に敵意が向いていないことを確認すると、クリスが乗り捨てた馬の回収に向かう。
乗馬しながら隣の馬の手綱を握り、何とかコントロールを試みる。
車の運転をしながら、隣の車を制御するようなもので、完全に馬を止めるまでにはかなり距離を使ってしまった。
「チッ。この際馬はどうでもいい」
アラタは馬を止めておくと、元来た方へと走り出した。
警戒は怠らなかったはずだが、それでも敵は突如として彼らの前に現れた。
アラタが戦線に復帰した時、3人は無事だったが、彼らの目の前にその答えがあった。
敵に気取られることなく距離を詰め、強襲する為の夢のような魔道具。
「黒装束。レイフォード家か」
秘匿技術を持った組織同士の邂逅。
そして、レイフォード家特殊部隊の流れを汲む者同士が初めて顔を合わせた瞬間だった。
クリスが唸っている正面に、群れでくつろいでいるのはスライムだ。
アラタがこの世界に来て初めて目にした生物。
半透明で、プルプルしていて、寒天かゼリーのような質感をしている。
核が存在しており、それを破壊されると確実に死に至る。
基本無害な魔物で、魔石が取れるほどの個体はそう多くない。
しかも半透明だから魔石が透けて見えるから、これほど分かりやすく貨幣価値を判断できる生物もいないだろう。
ダンジョンでアラタ達が遭遇したのはスライムの中でも特殊な変異種であり、あのレベルになってようやく魔石が取れる可能性が少し高まる。
もっとも、あの時は魔石を採取する余裕などまるでなく、捜索隊が侵入した時には既に土に還っていたわけだが。
グンダサ村を目指す道中、馬が走る街道を塞ぐ魔物。
初めて出会った時は知らなかったが、今は違う。
冒険者、特配課、黒装束と居場所を変えながらこの世界で生きてきたアラタにとって、目の前にいるそれは正体不明の危険生物ではなく、貴重な食糧だ。
「よし、昼を抜く代わりにここで飯にしよう」
少し早い今日の昼食はスライムの刺身だ。
そんな上品な食べ方はしないが、洗ったスライムをすすったり、齧ったり、飲み込んだりする。
案外弾力があり、ナタデココのような触感が近いのだろうか。
ナタデココはココナッツ汁にアセトバクタ―・キシリナムを加え、発酵させることで作ることが出来る。
かいつまんで言えば、ココナッツ汁を発酵させた上澄み、それがナタデココだ。
それに比べスライムは全体がナタデココのような触感で、作るのに手間がかかるナタデココよりも安価で入手可能な食糧である。
1人1殺したところで他のスライムは一目散に逃げていったが、十分すぎる量を確保した。
食べきれない上に持って歩くのも嫌なので残りは馬に与え、再度出発する。
道中魔物を多く目にしたが、スライム以外特に戦闘になる事もなく一行はグンダサ村付近に到着、クリスがアジトを整備している間に休息と準備を行い、昼過ぎにはオーベル村へと向かって行った。
これも道中特に言及することなく到着、強いて言えば魔物の数は飽和気味であることだろうか。
だがこれはクエスト依頼の原因でもあるので想定の範囲内であり、気がする程度でしかない。
問題はオーベル村近郊で一夜を明かし、残るヒッソス村へと向かっている最中に発生した。
「全員下馬だ。戦闘準備」
アラタが発見したのは猛禽類、のはずの生物。
嘴、翼、角、これは同じ。
首から下が明らかに彼の知っているフクロウとは異なっている。
熊、そう、熊だ。
この時点で既に動物である線は消え、魔物であることが半ば確定したのだが、彼は知識としてこの生物を知っていた。
「オウルベアだな」
「珍しいな、まだ昼だぞ」
「あれは冬眠中のはずでは?」
そう、リャンの言う通りオウルベアは冬の間冬眠する。
それは熊の特性を引き継いでいるわけだが、必ずしも熊が冬眠するとは限らない。
彼の知識の源泉はほとんどが漫画か、この世界に来てから学んだことが根底にあるのだが、そんな彼の漫画知識の中には冬眠しないヒグマの話があった。
ここでやるか。
「キィ、俺の馬を引いてくれ」
アラタは手ぶらになると、仮面とケープを脱ぐ。
戦闘準備、それもかなり気合が入っている。
「オウルベアはBランクですよ、危険なのでは?」
「問題ない。冬なら動きが鈍くなっているはずだ」
そう言うとアラタは石弾を一つ発動した。
射出せず、その場に転がった土の塊は内部が空洞になっており、見た目より軽い。
「馬を避難させたらリャンは俺の援護、2人は馬の所で待機だ」
振りかぶったアラタ、そして身体強化をかけられた肘は問題なく機能する。
何かが弾けたような、粗いやすりで引っ搔いたような音が鳴ると、綺麗なバックスピンを描きながら飛翔物体は魔物めがけて一直線に飛んでいく。
正確には放物線を描いているのだが、空力で重力に逆らって浮き上がるように人の目には映るのだ。
その距離実に80m、崖の上に陣取っていたオウルベアの身体が動いた。
身投げするように前へと倒れ込むと、そのまま宙に舞いアラタの投げた球をひらりと躱す。
その少し前、アラタは既に2投目のモーションに入っていた。
次も真っすぐに飛んだ攻撃はこれも躱される。
どうやらこの魔物はかなり目が良いらしい。
空を飛ぶというより、滑空しているという方が正確な表現のオウルベアはアラタの方へと向かって行く。
縄張りを荒らされたうえに先制攻撃をされたのだ、当然命のやり取りになる。
直線的な動きでアラタの方へ向かってくるそれを見て、彼はもう一度、石弾を生成する。
そして、もう一度、彼はそれを投げた。
またも指先で何かが炸裂するような音と共に打ち出されたそれは、またしても魔物に向かって一直線だ。
馬鹿の一つ覚え、単調、ありきたり、そんな攻撃に慣れたのか、オウルベアは少し舐めているのか羽の角度を変え、流れるように回避に移った。
「雑魚が」
アラタは次の弾を用意しなかった。
それはもう必要ないからだ。
下へと、かいくぐるように回避に動いたオウルベアの右肩を、土の塊は異常な回転を以て変化して直撃した。
貫通はしていないが、確実に骨は折れている。
ただでさえ脆い鳥の羽、それで熊の身体を無理やり飛ばしているのだ、揚力の低下は致命的だ。
刀に手を掛ける。
魔力は循環済み、後はコントロールを失いただ落下してくる魔物を仕留めるだけだ。
タイミングは空中にいる間ではない。
着陸に失敗したその時だ。
予定していた着陸地点に届かず、アラタの前方で土煙をあげ落下した。
走り出す男。
埃立ち込める中、立ち上がった2mオーバーの巨体。
身長185cmのアラタが小柄に見えるほどの種族の違い。
だが、攻撃は当たらなければ意味はない。
確かな手応えとその後に落ちた首。
反撃を警戒して距離を取り、そして生命活動が止まったことを確認する。
スキル【敵感知】は人間以外にも有効なようで、先ほどまで感じていた反応が消えていた。
血を拭い、鞘に納めると、準備していた土棘のストックを解放した。
制御する気のない魔力はやがて大地に吸収され、木々が育つのにほんの少しだけ役立つ。
「ごめんな。成仏してくれ」
呆気なく終わった魔物討伐、オウルベアの素材は毛皮や剥製としての価値しかないので、持って行くことはせず、土に埋めた。
アラタの魔力同様、魔物の肉もいずれ土に還る。
「行くぞ、あと少しで着くはずだ。だよねクリス?」
「ああ、先を急ごう。今日中にサヌルまで戻りたい」
キィが引いてきてくれた馬にまたがり、アラタは先頭を駆けていく。
それを後ろから見るリャンは、頼もしさと畏れの念を覚えていた。
日々増える魔力、魔術の幅、曲がる石弾、剣術の腕前、オウルベアを前にして一切動じない胆力、仲間としては心強い限りですが…………
『じゃあ帰りたくなった時に帰れるように、しっかり働かないとな』
私は究極の選択を迫られた時、この人を裏切ることが出来るのでしょうか。
この人を裏切って、生きていることが出来るのでしょうか。
「リャン、どうしたの?」
並走するキィは何かを感じたのか、仮面を着けている彼に対してそう聞いた。
表に、それもキィに分かるほど出ていたのかとリャンは急いで心にも仮面を被る。
「何でもないです。それより舌を噛みますよ」
不安定な均衡を保ち、黒装束は存続している。
奇妙なバランスは、一体いつまで成り立ち続けるのだろうか。
※※※※※※※※※※※※※※※
ヒッソス村に到着後、4人を待ち構えていたのは基地建設だった。
今までは特配課が残した遺産を使わせてもらっていたのだから、そこまで手間暇はかかっていない。
しかし、この村の近くにはそんな施設は無い。
当時の特配課の任務的にはそれでよかったのだろうが、今回はヒッソス村でも数日間は寝泊まりすることになる。
この時期に野宿が何日もできない事は分かり切っており、こうしてアラタ達は4人が生活できるスペースを確保する為肉体労働に従事していた。
木を切り、乾燥させることで材木を確保し、枝葉を集めて燃料を備蓄する。
結界装置はクリスが担当し、施設周辺に侵入者があれば彼女が把握できる仕組みになっている。
生い茂る木々の中に、一つだけある木組みの小屋。
ドアはないし、窓もないし、何なら半分野ざらしだ。
雨風を凌ぐことはできるが、暖房器具なしで過ごすには心もとない。
しかし残り時間も少なく、4人は基地を隠蔽し、その場を後にした。
ヒッソス村でどれだけの期間過ごさなければならないのか不明だが、この任務では全部で10の村を転々と移動する。
1箇所にだけ時間と労力を割く余裕は無かった。
「よし、サヌルに帰るぞ」
そうアラタが号令をかけた時、空は赤く染まりもうすぐ日没という時間だった。
ここからサヌル村に帰るには、グンダサ村を通過して目的地まで移動する必要がある。
予定通り到着したとして、時間は夜8時と言った所だろうか。
遅くはないが、次の日の準備などを考えれば少しきつい。
そんな焦りはほんの少し警戒態勢を雑にさせる。
食事は向こうに到着してから、アラタの決定が少しだけ4人を急がせる。
空腹は思考力と注意力を奪い取るのだ。
「リャン~、まだ~?」
「あと1時間ほどですよ、頑張ってください」
いくつかの拠点に物資を分け、気持ち軽くなった馬は何もしないと走る速度を上げ始める。
先頭を走るアラタの馬、ドバイは自分の息が切れるのも気にせず少し掛かり気味になっていた。
それにつられて他の馬もやや飛ばし気味、クリスがアラタに手綱をしっかり握るように声をかけるがどうにもドバイの反応が悪い。
初心者だがアラタは決して間違った対応をしているわけではないし、むしろよくやっている。
姿勢はしっかりしているし、緊張もしていない。
馬にはアラタの安定した精神が伝わっているはずで……クリスは何かを感じた。
杞憂で終わればそれでいいが、この場合、いつものことながら何事もなく終わった試しは無い。
最後にこの感覚を覚えたのはそう、アトラ3番街、105通り。
隠蔽された気配、聞こえるのは風を切る音だけ。
「ねーえー。ちょっと速——」
「敵だ!」
クリスは馬から飛び移り、リャンの背中に張り付いていたキィを引きずり下ろした。
それと同時に金属音と火花が散り、クリスはいつの間にか抜剣している。
アラタは【敵感知】を起動、同時に【暗視】も使用する。
アラタは自分に敵意が向いていないことを確認すると、クリスが乗り捨てた馬の回収に向かう。
乗馬しながら隣の馬の手綱を握り、何とかコントロールを試みる。
車の運転をしながら、隣の車を制御するようなもので、完全に馬を止めるまでにはかなり距離を使ってしまった。
「チッ。この際馬はどうでもいい」
アラタは馬を止めておくと、元来た方へと走り出した。
警戒は怠らなかったはずだが、それでも敵は突如として彼らの前に現れた。
アラタが戦線に復帰した時、3人は無事だったが、彼らの目の前にその答えがあった。
敵に気取られることなく距離を詰め、強襲する為の夢のような魔道具。
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