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第3章 大公選編
第96話 弟子と師
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「尾けられてはおらぬようじゃな」
「一応【敵感知】を習得しましたから、問題ありません」
辺りは一面の原っぱ、場所はカナン公国首都アトラ、都市をぐるりと取り囲む防御壁の外側だ。
入り組んだ市街地で密談をするよりも、こういった隠れる場所の無いところの方が邪魔が入らないとドレイクは言う。
それは彼の賢者としての技量を踏まえての選択であり、本来ならば人を隠すなら人の中がベストであることに疑いの余地はない。
「報告を聞こう」
レイフォード家に潜入して1カ月弱、決められていた日になり、2人はこうして秘密裏に会っている。
もっとも、アラタの方の予定が綺麗に合うはずもなく、今日と言う日は2人が事前に打ち合わせた何度目かの接触の日であるのだ。
アラタは上着のポケットから紙を取り出すと、そこに書き込んである情報をすらすらと話し始めた。
「彼女の側にいて、公的なものから私的なものまでエリーが関わる仕事に同行しました。現状シロ、特に異常な点は見受けられず、極めて順調かつ合法的に大公選を進めています」
「ふむ」
サンタクロース、というより洋画に出てくる長老ポジションの登場人物のような髭、オールドダッチをさらに伸ばしたような形だろうか。
頬髯と顎髭を伸ばし、顔のライン全体に生えた白髭を撫でつつ彼はアラタを見定めるような視線を送っている。
彼の心中はいつも計り知れないが、異世界人であるアラタを駒として使い潰すほどの覚悟を持ってノエルとリーゼを護ろうとしていることは確かである。
アラタからすれば、自分に対して『二人の為に死ね』と命じてくる、もしくは死地に追いやるくらいのことは平気でしてくる相手、気が休まらない。
草原を吹き抜ける、秋の少し肌寒くも心地よい風は本来なら涼しいくらいで過ごしやすく、のんびりとした陽気と合わさりほのぼのとした雰囲気を演出するが、無言のドレイクが発する圧のせいかアラタは5割増しくらいで寒く感じる。
「よし、分かった」
青年からすれば、『何が?』と聞きたくなるが、彼が聞くまでもなくドレイクは次の命令を下す。
「レイフォードと男女の中になれ」
「はい…………はい!?」
もとより拒否権など存在しない師弟関係、生返事で引き受けた後その指令の内容に思わず聞き返した。
「だからより深い仲になり濃い情報を集めよと言っておる。何か疑問でも?」
「いや、男女ってそんな。俺は別に……」
「別に何じゃ、好いておるなら好都合じゃろう。分かったらはよう戻れ」
「いや、そう言うことじゃ……」
歯切れの悪いアラタとは対照的に、ドレイクは次々と言葉を投げかけ続ける。
「公爵の身の潔白を証明すると言ったのはお主じゃ。それならまずお主が身銭を切れ。言っておくが、お主に出来ねば他の者にやらせる。他人に取られたくなくば、想いを寄せる者の一人くらい落として見せよ」
「そんなぁ」
この問題、実は結構なシビアさを持っていた。
一見アラタからすれば何の躊躇いもなく実行しそうな話だが、エリザベスはあくまでも彼の恋人に似ているだけの他人であり、彼視点では浮気になりかねないこと。
さらに、もし彼女が黒の場合、アラタはいつの日か彼女の元を去り裏切らなければならないということ。
ダメ押しに、彼女が白の場合、順調にいけば2人が結ばれる未来もなくはないが、邪な目的で相手に近づきその結果潔白だったから一緒になるという自分勝手さをアラタは決して許さないということである。
総じて、師の命令に従うつもりはアラタにはなかった。
だが命令は彼の意思とは関係なく下される。
彼がやらねば他の誰かがやる、その一言でアラタは覚悟を決めざるを得ないところまで追い込まれたのだ。
ドレイクが伝えることはほぼこれで全てだったようで、アラタに背を向けて街の方角へと歩き始める。
「時間はあまり残されていない。教え子のよしみで多少の猶予はくれてやるが、それ以上は待たぬ、よいな?」
「……はい、分かりました」
「あぁ、それと」
賢者は踵を返すと、アラタに向けて小冊子くらいの本を投げた。
本を投げれば空気抵抗でページが開き、バサバサと傷ついてしまうものだがこの本は固いのかそうならなかった。
綺麗な放物線を描きストンとアラタの手元まで飛翔した本の表紙にはタイトルが刻まれているが今のアラタでは読めない。
「これなんて本ですか?」
「いずれ分かる」
それだけ言うとドレイクは再度背を向け歩き出した。
たかが本のタイトルくらい、素直に教えてくれよ。
少しはヒントと言うか、俺が文字を読めないこと知ってんだろ。
「タイトルは、『馬鹿でも分かる、文字書き取りドリル』じゃ」
背を向けたままアラタの疑問に答えるドレイク、エリザベスに続き師匠にも心を読まれ、そんなに自分は顔に出ているのかとアラタは頬に手を当ててみる。
「出ておるぞ」
「そこまで心読まないでくれませんかねぇ!?」
彼は後ろを向いており、アラタの顔を見たわけではないので顔に出る出ない以前にアラタと言う人間の単純さと言うか真っすぐさを信じた結果なのだが、同じことだろう。
「それと最後に」
「まだ何かあるんですか?」
グダグダの密談の終わりに、アラタは辟易としながら聞き返す。
その時ドレイクに言われた言葉はアラタの耳には痛い限りだった。
「ノエル様が気落ちして部屋から出てこぬ。貴様の責任じゃ、十二分に悔い改めよ」
「知りませんよ。遠ざけたのは先生たちでしょう、そっちで何とかしてください」
これ以上はキャパオーバー、そんな態度でアラタは去っていった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「ノエル、もしよければ出てきてくれませんか? 一緒にお風呂に入りましょう」
返事はない。
アラタが屋敷を去ってしばらく経つ。
その間ハルツに間借りしている部屋にほとんど閉じこもっているノエルは食事もほとんど取らず、日がな一日部屋にいた。
部屋の前に食事を置いておけばいつの間にか食べているし、トイレや入浴は人知れず行っているようで着替えた服は申し訳なさそうに置かれている。
置かれてはいても畳まれているわけではないのは彼女の持つクラスの呪いによるものだが、リーゼはしばらくまともに顔も見ていないノエルが心配で心配でならなかった。
分かっていたことでも、アラタが出ていったときは私もショックでしたし、後から自分たちのしたことの重さは嫌と言うほど突きつけられて、向き合いました。
でも……仕方ないじゃないですか、あの時はここまでになるとは考えもしなかったですし、ノエルだってやりたくてやったわけではないですし。
問題はアラタの行き先です。
私も知りませんでしたが、レイフォード家に身を寄せているとノエルが知ってからより一層ふさぎ込んでしまうようになりました。
「かくなる上は…………」
朝一でリーゼがどこかに出かけてから約4時間、昼も過ぎて昼食を取った者は少し眠くなってくる時間帯、それは訪……襲来した。
再度説明することになるが、ここは今までアラタ達が生活していて、シルが生まれたあの屋敷ではない。
現在行方不明のシルを除き、2人はハルツの自宅兼パーティー拠点の建物に部屋を借りている。
そんなノエルに割り当てられた部屋の扉は内側から鍵がかかっていて、その上いくつもの家具でバリケードのようなものが構築されていた。
外からそれを窺い知ることはできないが、聖騎士であるリーゼが無理やりにでもこじ開けようとしてもどうにもならなかった。
そんな扉は、ある人物の蹴りで周囲の壁ごと消し飛ばされ、轟音と粉塵を伴ってノッシノッシと踏み込む影が1つ、何事かと目を丸くする引きこもり、その様子を震えながら見る家主、その姪、さらに複数人。
「引きこもりでごく潰しの部屋はここかい?」
「シャ、シャーロット殿、その扉は私が特別に依頼して作ってもらったお気に入りなのだが……」
「そうかい。じゃあ後でお別れしないとね」
冒険者として名を上げてこの一等地に拠点を構えようという時、名のある建築士に依頼して一から制作してもらった屋敷。
こだわりの扉は同じくこだわりの家具、こだわりぬいた壁と共に粉微塵になり、後で供養してやると言う傲慢すぎる物言いに言い返すことも出来ず頭を抱える。
そんなハルツの様子を見て、シャーロットは再び視線を元の方に戻した。
「まずは……そのボサボサ髪を何とかしないとね」
「……嫌」
「じゃあご飯食べるかい? せっかくだから私が作ってあげるわ」
「…………いらない」
そう呟く彼女のお腹は空腹だと叫んでいる。
目は泣きはらしたのか赤く充血し、周りは腫れ、ベッドに体育座りしてうずくまっている。
以前同じ体勢で路地に座り込んだ時、大丈夫かと聞き、励ましてくれた仲間はここにいない。
「はぁ。まあそんなことだろうと思ったよ」
想像通りの反応ありがとうと言いながらツカツカと奥まで踏み込んだシャーロットは、一切の遠慮なくノエルの首根っこを掴み持ち上げようとする。
しかしそれに反応したノエルの身体はシャーロットが掛けた力以上に飛び上がり、勢いそのまま腕挫十字固めを極めにかかった。
完璧に極まれば肘靭帯の損傷や断裂まで狙うことが出来る危険な技だが、生憎かかりが悪くそのままノエルはシャーロットの腕に抱き着いた体勢で持ち上げられてしまう。
「体が自動で動くなんて不思議なもんだけど、そうね、今のあなたじゃそんなものよね」
そこから別の攻撃に移ろうと動くノエルの体はシャーロットの手によって固められ、身動きが取れなくなる。
平常時ならいざ知らず、コンディション最悪なCランク冒険者では元Aランク冒険者には敵わない。
シャーロットの腕に抱き着いたままだが動けないノエルは力を抜いて僅かにテンションがかかっていたシャーロットの左肘は解放される。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
やや珍しい状態だが泣きはらして涙も枯れたと思われていたノエルの赤い瞳からポタポタと涙が零れ落ちて床を濡らす。
今涙で絨毯を汚さないでくれと言ったら殺されるのだろうなとハルツは頭の中で考えたが、シャーロットと目が合ったことで考えを改めた、考えただけで殺される。
「全く、あの子もあんたも本当に手がかかるんだから。お風呂に入って綺麗になってきなさいな、リーゼも一緒に行ってあげて」
「は、はい。ノエル行きましょう」
抵抗する体力も気力も尽きたのか、腕から降ろされ解放されたノエルはリーゼに促されるまま、久しぶりに部屋から出て浴室へと向かう。
元の屋敷とは異なり大浴場という訳にはいかないが、それでもきちんとした風呂が付いているハルツ宅は流石貴族の家系と言った貫禄だ。
その家主は先ほど破壊された家具を見て絶望に打ちひしがれているわけだが。
「何か文句あるかい?」
「イエ、ナンデモアリマセン」
「一応【敵感知】を習得しましたから、問題ありません」
辺りは一面の原っぱ、場所はカナン公国首都アトラ、都市をぐるりと取り囲む防御壁の外側だ。
入り組んだ市街地で密談をするよりも、こういった隠れる場所の無いところの方が邪魔が入らないとドレイクは言う。
それは彼の賢者としての技量を踏まえての選択であり、本来ならば人を隠すなら人の中がベストであることに疑いの余地はない。
「報告を聞こう」
レイフォード家に潜入して1カ月弱、決められていた日になり、2人はこうして秘密裏に会っている。
もっとも、アラタの方の予定が綺麗に合うはずもなく、今日と言う日は2人が事前に打ち合わせた何度目かの接触の日であるのだ。
アラタは上着のポケットから紙を取り出すと、そこに書き込んである情報をすらすらと話し始めた。
「彼女の側にいて、公的なものから私的なものまでエリーが関わる仕事に同行しました。現状シロ、特に異常な点は見受けられず、極めて順調かつ合法的に大公選を進めています」
「ふむ」
サンタクロース、というより洋画に出てくる長老ポジションの登場人物のような髭、オールドダッチをさらに伸ばしたような形だろうか。
頬髯と顎髭を伸ばし、顔のライン全体に生えた白髭を撫でつつ彼はアラタを見定めるような視線を送っている。
彼の心中はいつも計り知れないが、異世界人であるアラタを駒として使い潰すほどの覚悟を持ってノエルとリーゼを護ろうとしていることは確かである。
アラタからすれば、自分に対して『二人の為に死ね』と命じてくる、もしくは死地に追いやるくらいのことは平気でしてくる相手、気が休まらない。
草原を吹き抜ける、秋の少し肌寒くも心地よい風は本来なら涼しいくらいで過ごしやすく、のんびりとした陽気と合わさりほのぼのとした雰囲気を演出するが、無言のドレイクが発する圧のせいかアラタは5割増しくらいで寒く感じる。
「よし、分かった」
青年からすれば、『何が?』と聞きたくなるが、彼が聞くまでもなくドレイクは次の命令を下す。
「レイフォードと男女の中になれ」
「はい…………はい!?」
もとより拒否権など存在しない師弟関係、生返事で引き受けた後その指令の内容に思わず聞き返した。
「だからより深い仲になり濃い情報を集めよと言っておる。何か疑問でも?」
「いや、男女ってそんな。俺は別に……」
「別に何じゃ、好いておるなら好都合じゃろう。分かったらはよう戻れ」
「いや、そう言うことじゃ……」
歯切れの悪いアラタとは対照的に、ドレイクは次々と言葉を投げかけ続ける。
「公爵の身の潔白を証明すると言ったのはお主じゃ。それならまずお主が身銭を切れ。言っておくが、お主に出来ねば他の者にやらせる。他人に取られたくなくば、想いを寄せる者の一人くらい落として見せよ」
「そんなぁ」
この問題、実は結構なシビアさを持っていた。
一見アラタからすれば何の躊躇いもなく実行しそうな話だが、エリザベスはあくまでも彼の恋人に似ているだけの他人であり、彼視点では浮気になりかねないこと。
さらに、もし彼女が黒の場合、アラタはいつの日か彼女の元を去り裏切らなければならないということ。
ダメ押しに、彼女が白の場合、順調にいけば2人が結ばれる未来もなくはないが、邪な目的で相手に近づきその結果潔白だったから一緒になるという自分勝手さをアラタは決して許さないということである。
総じて、師の命令に従うつもりはアラタにはなかった。
だが命令は彼の意思とは関係なく下される。
彼がやらねば他の誰かがやる、その一言でアラタは覚悟を決めざるを得ないところまで追い込まれたのだ。
ドレイクが伝えることはほぼこれで全てだったようで、アラタに背を向けて街の方角へと歩き始める。
「時間はあまり残されていない。教え子のよしみで多少の猶予はくれてやるが、それ以上は待たぬ、よいな?」
「……はい、分かりました」
「あぁ、それと」
賢者は踵を返すと、アラタに向けて小冊子くらいの本を投げた。
本を投げれば空気抵抗でページが開き、バサバサと傷ついてしまうものだがこの本は固いのかそうならなかった。
綺麗な放物線を描きストンとアラタの手元まで飛翔した本の表紙にはタイトルが刻まれているが今のアラタでは読めない。
「これなんて本ですか?」
「いずれ分かる」
それだけ言うとドレイクは再度背を向け歩き出した。
たかが本のタイトルくらい、素直に教えてくれよ。
少しはヒントと言うか、俺が文字を読めないこと知ってんだろ。
「タイトルは、『馬鹿でも分かる、文字書き取りドリル』じゃ」
背を向けたままアラタの疑問に答えるドレイク、エリザベスに続き師匠にも心を読まれ、そんなに自分は顔に出ているのかとアラタは頬に手を当ててみる。
「出ておるぞ」
「そこまで心読まないでくれませんかねぇ!?」
彼は後ろを向いており、アラタの顔を見たわけではないので顔に出る出ない以前にアラタと言う人間の単純さと言うか真っすぐさを信じた結果なのだが、同じことだろう。
「それと最後に」
「まだ何かあるんですか?」
グダグダの密談の終わりに、アラタは辟易としながら聞き返す。
その時ドレイクに言われた言葉はアラタの耳には痛い限りだった。
「ノエル様が気落ちして部屋から出てこぬ。貴様の責任じゃ、十二分に悔い改めよ」
「知りませんよ。遠ざけたのは先生たちでしょう、そっちで何とかしてください」
これ以上はキャパオーバー、そんな態度でアラタは去っていった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「ノエル、もしよければ出てきてくれませんか? 一緒にお風呂に入りましょう」
返事はない。
アラタが屋敷を去ってしばらく経つ。
その間ハルツに間借りしている部屋にほとんど閉じこもっているノエルは食事もほとんど取らず、日がな一日部屋にいた。
部屋の前に食事を置いておけばいつの間にか食べているし、トイレや入浴は人知れず行っているようで着替えた服は申し訳なさそうに置かれている。
置かれてはいても畳まれているわけではないのは彼女の持つクラスの呪いによるものだが、リーゼはしばらくまともに顔も見ていないノエルが心配で心配でならなかった。
分かっていたことでも、アラタが出ていったときは私もショックでしたし、後から自分たちのしたことの重さは嫌と言うほど突きつけられて、向き合いました。
でも……仕方ないじゃないですか、あの時はここまでになるとは考えもしなかったですし、ノエルだってやりたくてやったわけではないですし。
問題はアラタの行き先です。
私も知りませんでしたが、レイフォード家に身を寄せているとノエルが知ってからより一層ふさぎ込んでしまうようになりました。
「かくなる上は…………」
朝一でリーゼがどこかに出かけてから約4時間、昼も過ぎて昼食を取った者は少し眠くなってくる時間帯、それは訪……襲来した。
再度説明することになるが、ここは今までアラタ達が生活していて、シルが生まれたあの屋敷ではない。
現在行方不明のシルを除き、2人はハルツの自宅兼パーティー拠点の建物に部屋を借りている。
そんなノエルに割り当てられた部屋の扉は内側から鍵がかかっていて、その上いくつもの家具でバリケードのようなものが構築されていた。
外からそれを窺い知ることはできないが、聖騎士であるリーゼが無理やりにでもこじ開けようとしてもどうにもならなかった。
そんな扉は、ある人物の蹴りで周囲の壁ごと消し飛ばされ、轟音と粉塵を伴ってノッシノッシと踏み込む影が1つ、何事かと目を丸くする引きこもり、その様子を震えながら見る家主、その姪、さらに複数人。
「引きこもりでごく潰しの部屋はここかい?」
「シャ、シャーロット殿、その扉は私が特別に依頼して作ってもらったお気に入りなのだが……」
「そうかい。じゃあ後でお別れしないとね」
冒険者として名を上げてこの一等地に拠点を構えようという時、名のある建築士に依頼して一から制作してもらった屋敷。
こだわりの扉は同じくこだわりの家具、こだわりぬいた壁と共に粉微塵になり、後で供養してやると言う傲慢すぎる物言いに言い返すことも出来ず頭を抱える。
そんなハルツの様子を見て、シャーロットは再び視線を元の方に戻した。
「まずは……そのボサボサ髪を何とかしないとね」
「……嫌」
「じゃあご飯食べるかい? せっかくだから私が作ってあげるわ」
「…………いらない」
そう呟く彼女のお腹は空腹だと叫んでいる。
目は泣きはらしたのか赤く充血し、周りは腫れ、ベッドに体育座りしてうずくまっている。
以前同じ体勢で路地に座り込んだ時、大丈夫かと聞き、励ましてくれた仲間はここにいない。
「はぁ。まあそんなことだろうと思ったよ」
想像通りの反応ありがとうと言いながらツカツカと奥まで踏み込んだシャーロットは、一切の遠慮なくノエルの首根っこを掴み持ち上げようとする。
しかしそれに反応したノエルの身体はシャーロットが掛けた力以上に飛び上がり、勢いそのまま腕挫十字固めを極めにかかった。
完璧に極まれば肘靭帯の損傷や断裂まで狙うことが出来る危険な技だが、生憎かかりが悪くそのままノエルはシャーロットの腕に抱き着いた体勢で持ち上げられてしまう。
「体が自動で動くなんて不思議なもんだけど、そうね、今のあなたじゃそんなものよね」
そこから別の攻撃に移ろうと動くノエルの体はシャーロットの手によって固められ、身動きが取れなくなる。
平常時ならいざ知らず、コンディション最悪なCランク冒険者では元Aランク冒険者には敵わない。
シャーロットの腕に抱き着いたままだが動けないノエルは力を抜いて僅かにテンションがかかっていたシャーロットの左肘は解放される。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
やや珍しい状態だが泣きはらして涙も枯れたと思われていたノエルの赤い瞳からポタポタと涙が零れ落ちて床を濡らす。
今涙で絨毯を汚さないでくれと言ったら殺されるのだろうなとハルツは頭の中で考えたが、シャーロットと目が合ったことで考えを改めた、考えただけで殺される。
「全く、あの子もあんたも本当に手がかかるんだから。お風呂に入って綺麗になってきなさいな、リーゼも一緒に行ってあげて」
「は、はい。ノエル行きましょう」
抵抗する体力も気力も尽きたのか、腕から降ろされ解放されたノエルはリーゼに促されるまま、久しぶりに部屋から出て浴室へと向かう。
元の屋敷とは異なり大浴場という訳にはいかないが、それでもきちんとした風呂が付いているハルツ宅は流石貴族の家系と言った貫禄だ。
その家主は先ほど破壊された家具を見て絶望に打ちひしがれているわけだが。
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