半身転生

片山瑛二朗

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第3章 大公選編

第92話 背中の傷

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 気が付いたら私はアラタに掴みかかっていて、そんな私をアラタは心底軽蔑するような、別の生き物を見るような眼をしていたんです。
 でもその時の私はそんなことに気を払う余裕なんてまるでなく、

「何しているんですか! ノエルがどんな気持ちで……」

「どんな気持ちでこんな時間まで飲んでたんだ? あ!? 俺に教えてくれよ」

「それは……それよりも!」

 呆然としているノエルの方を一瞥すると、再びアラタを睨みつけ拳を振り上げるリーゼ。

「止めてください! 今はアラタを、アラタを早く治療しないと!」

「シルちゃん!?」

 普段家にいるはずで冒険者ギルドに初めてきたはずのシルが2人の間に割って入ろうと体をねじ込んできた。
 リーゼは背の低いシルを見て、その服に誰かの血液が付いていることに気付いた。

 誰の血かって、それは状況的に……

「何が、一体……」

「話は後だ。取り敢えず……ハルツさんのところに行こう」

 アラタはシルを連れ、リーゼは放心状態のノエルを連れてギルドを出ると、近くにあるハルツの拠点を目指す。
 夜分遅くだが、緊急事態と伝えたら警備の人間は快く邸内に案内し、主であるハルツ・クラークが部屋着のまま出てきた。

「アラタ、お前怪我しているじゃないか。一体全体何が!?」

「屋敷が襲撃を受けました。少しの間匿ってほしいです」

「それはもちろん問題ないが……とにかくお前の治療が先だ! リーゼ、は無理か。タリア! アラタの傷を見てやれ!」

 酔っているリーゼの状態では彼の怪我を治療することは難しく、ハルツのパーティーに所属する治癒魔術師の女性が治療に当たる。
 その間シルは主の側につきっきりで心配そうに見ていたが、ノエルは呆然としたままほとんどその場から動かなかった。
 彼の怪我は幸い大したものではなく、治癒を施されて傷跡も残らないレベルの物だった。
 精神的な疲労はかなりあるようで、彼の顔は疲労困憊と言った様子だったが本人は寝れば治ると言い、借りた客間に行ってさっさと寝てしまう。
 シルは一応妖精なので睡眠の必要はないが、彼の側にいたいと言うのでアラタに付き添って寝室へ向かい、応接間にはハルツ、リーゼ、ノエルの3人が残された。
 重苦しい空気が流れる中、最初に話の口火を切ったのはハルツだ。

「あれから2年、良く持ちこたえたのではないですか?」

 彼の言う2年とはノエルのクラスが発現し、直後に契約を結んでからの期間に相当する。
 ノエルはその間、実によく力をコントロールして、力を押さえて冒険者として実績を積み上げていった。
 身に余る力に再び頼り始めたのはそう、フレディ・フリードマンの一件辺りからだろう。
 自分やリーゼだけなら分からなかったが、アラタもいるあの場で彼を庇いつつ出し惜しみできるほど敵と能力差は無かった。

「もう持たないかもしれない。次はいつ暴走するか」

「それはいけません。口にしてはいけない、何があっても心を強く保ってください」

「分かっている、分かっているけど」

 アラタに張られた頬が痛む。
 そんなに強くやられたわけではないのに、奥まで響く衝撃は強い拒絶の意思が籠っていて思い出すだけで泣きそうになる。
 仲直りしようと、謝ってまた前みたいにくだらないことで笑いたかったのに、もう嫌だ。
 なんでいつもこうなってしまうのだろうか。
 神様がいるのなら余程私のことを嫌っているに違いない。
 今日はもう寝るように言われて、用意してもらったベッドで布団をかぶっても全然寝付くことが出来ない。
 私を殴った時のアラタの表情が頭に張り付いて離れない。
 アラタの笑った時の顔を思い出したいのに、頭に浮かぶのは怒っている、疲れている表情だけで楽しそうにしている顔を思い出せない。

 そうか、私がアラタに負担をかけてアラタを怒らせているから怒った顔しか思い出すことが出来ないのだ。
 その事実を認めてしまうと、自分でも驚くほどすんなりと眠りにつくことが出来た。

 翌日、ノエルが二日酔いで痛む頭を押さえながら起きて下の階に降りると、着替えて防具に身を包んだアラタが座っていた。

『昨日は、他にもいろいろとごめんなさい』

 そう言えば全て収まるというものでもないが、アラタも少しは許してくれると思ったのに、その一言が出てこない。
 自分から謝りたくないなんて微塵も考えていない。
 ただ口に出そうとするとのどが渇いて、舌が口に張り付いて言葉が出てこないんだ。

 彼はほんの一瞬、少しだけ何かに期待したような表情を見せたがノエルが何も話さず固まっている様子を見ると呆れたように視線を逸らしてため息をつく。

「今日のクエストは俺も指名されている。力を使わなきゃいけないのは分かったから……やるなら無闇に人を殺すな。お前なら出来るだろ」

 そう言うと彼は立ち上がり、ギルドへと向かうためにハルツ邸を出ていった。

 そこからの時間はよく覚えていない、多分人格の主導権が曖昧になっていて夢を見ているような状態だったのだろう。
 誰かに何かを言われた気がするけど全く思い出せないし、気付いたらさっきまでとは別の場所に立っている。
 本当に夢の中なんじゃないだろうか。

 あ、アラタだ。

 誰かと話しているけどこっちには気づいていないみたいだ。
 それとも気付いていても無視しているのかな、私たちパーティーじゃないか。

 クエストが開始される。

 いつものように敵と戦うけど、斬れば斬るほど気分が高まって胸の高鳴りを押さえられなくなる。
 そして見知った背中を見たところで目は醒めた。

※※※※※※※※※※※※※※※

 昨日の怪我は完治したみたいだ。
 あの酔っ払い女よりよっぽどいい腕をしている。
 俺のあの人のパーティーに入りたいよ。
 あれからノエルも相変わらずボケーっとしているし、今度何かあっても近づかないようにしなきゃな。

 アラタがそんなことを考えているうちに犯罪者グループの討伐クエストは開始され、ノエルたち先行組が接敵したと情報が入った。

 俺はまだ敵の姿を見ていないけど、連日ここまで大々的に捜査、戦闘しているのにこの街でのこのこ歩いている連中だ、よほど気合の入った連中かただのバカかの二択だろ。

 アラタは気合を入れ直し、後衛組の護衛として集団の先頭を走っていた。
 ノエルたち先行グループが主に敵を処理するとは言っても、敵全てを1人の討ち漏らしもなく逮捕、殺害出来ることは無い。
 彼らが取り逃がしたり見過ごしたり、あるいは後続組を叩くために潜伏していた敵はアラタの前に現れ、既に3人ほどこちらで処理している。
 いずれも死刑待ったなしの犯罪者たちなのだが、それでもちゃんと捕まえて死刑台に送るべきだと考えるのは彼が能天気すぎる考えの持ち主だからなのだろうか、それともそれが正しい在り方なのだろうか。
 4人目の敵とアラタが少し撃ち合い、横からの魔術師の攻撃に足を取られて転倒した敵は武器を捨てて投降した。

 アラタを含めた護衛達は先行組との距離が離れることを嫌がり、犯罪者の拘束を任せて半分後続組を連れて前進する。
 相変わらず容赦なく殺された指名手配犯の遺体が転がっているのだが、それよりも今朝のノエルがボーっとしていたことが気になるアラタ。
 何個目かになる角を右に曲がると、そこは密集した建物だらけのこの地区の中では珍しく開けた場所になっていた。
 まるで校舎に囲まれた中庭、住民の生活用水があるのか井戸らしきものも散見される。
 しかしそれよりも目を引くのは惨殺死体の山、誰がこれを築いたのかは考える必要すらない。
 遺体が先行組の道標になり、血痕のついた足跡を追いかけるアラタ達後続組。
 先行していた冒険者の背中が見えたと思った時、恐らくこの場にいる最後の1人であろう盗賊をノエルが仕留める姿が見えた。

 戦闘中みたいだったし、敵も武器で戦っていた。
 流石にこれに関してはあれこれ言う必要はないか。
 少し大人げなかったのかもしれない、こう考えるのも何回目だ?
 俺の意見は俺の主観で得た情報を基に構成されていて、ノエルの眼から見たらまた別の物の見方と言うものがあるのかもしれない。
 憤っては少しして落ち着いて、また別の何かに怒って、何度繰り返せば怒りを感じた時に相手の意見も聞こうと思えるのか。
 いや、初めはちゃんとそうしていたじゃないか。
 いつからだろうか、ノエルとかリーゼのやることなすことにイライラして強く当たるようになったのは。
 もうやめよう、俺だってあいつらと喧嘩したいわけじゃない。

「ノエル、何しているんですか?」

 最期の1人を倒し、先行組の面々の緊張が解けた瞬間、アラタは間髪入れずに走り出した。

 あのバカ女は気付いていないみたいだけど、周りは気付いていないみたいだけど今のノエルからは明らかに敵意が見て取れる。

 未熟な【敵感知】だが、それ故に絞りが効かず辺りに振りまかれた殺気を見逃すことは無かった。

『近づかないようにしなきゃな』

 ……じゃねえだろうが!
 俺が冒険者になった時、あいつとリーゼ、2人に絡みながらも周りの奴らは2人と一線を引いていた。
 きっとあれは俺と同じ、剣聖の呪いが怖かったんだ。
 だからノエルはずっとリーゼしかパーティーメンバーがいなかったんだ。
 あいつがムカつくから? わがままだから? 人の言うことを聞かないから?
 そんな事今に始まった話じゃない、出会った時からずっとそうだ。
 でも、そんなあいつでも俺には優しかった、俺のことを助けてくれた。
 あいつは不器用な奴なんだ、分かりにくいやつなんだ、いいやつなんだ。

『ノエルさんが間違えたと、苦しんでいると思ったらアラタが助けてあげなきゃ。仲間なんでしょ』

 ああ、君の言う通りだエリザベス。
 俺はあいつの仲間、だったら守らなきゃな。

 振り上げられた剣は素早く振り下ろされ血を求めた。

「どけぇっ!」

 何者かに肩から体当たりを受け、吹き飛んで倒れた先の地面でリーゼの見た光景は、いつか起こると危惧されていたが2年前自身がそうなってからは誰もならなかったものだった。

 アラタが座り込んでのけぞりながら背中を押さえようとしている。
 服を伝ってポタポタと地面に落ちる血液は石畳の上に赤い血溜まりを作る。

「あ……あぁあ、いや…………こんなの私は! いやだ、いやだよ」

 この時、ノエルが自責の念に押しつぶされていたのは言わずもがなだが、同様にリーゼも自らの甘さを悔いていた。

 アラタがあれほどおかしいと警告していたのに、2年間問題なかったという事実を盾に大丈夫と、アラタは心配性だと笑い飛ばしたのは私だ。
 これはノエルのせいでもなければアラタのせいでもない。
 一度暴走をその目に見ておきながら、実際にノエルの攻撃を受けておきながらまたしても自らの危険に気付かずバカな私を庇ってアラタは傷を負った。
 ——私のせいだ。

「リーゼ……治療を」

「あ……はい!」

アラタの声で我に返ると、リーゼはすぐさま背中の治療を開始した。
 彼の傷は命まで届くような重篤なものでもなければ、半身不随などの後遺症が残るものでもなかった。
 しかしそれなりに傷は深く、この場での治療は止血程度にとどめて設備の整えられた病院に行く必要があるようなものだった。
 ノエルのケアもしなければならなかったが、先にアラタ、次にノエルと優先順位を決めアラタを搬送しようと担架を探してきてもらっている。

「リーゼ、怪我はないか」

 この人はどこまでも。

「何を……あなたが守ってくれなければ今頃私とノエルは」

「そういやそうだったな」

 言葉を交わせるくらいには元気な様子だったが、明らかに血の気がなく元気もない。
 要安静、要治療の怪我人だ、日本なら大事件で即救急車の案件をこの場で処置している。
 【痛覚軽減】の凄まじさと治癒魔術の重要性が分かる。
 止血が済むと、アラタは周囲の制止に聞く耳を持たずゆっくりと立ち上がり、座り込んだノエルの方へと歩いて行く。
 すでにノエルの手に武器はなく、剣の鞘すらも没収されていた。
 治療の際装備を脱いだアラタも刃物の類は一切持っていない。

「大丈夫か」

「…………うん」

 ノエルは体育座りで膝に顔をうずめたまま返事をした。
 よほど堪えているみたいだが、ここからの暴走の危険性はなさそうだとアラタは判断する。

「ギルドで殴ってごめんな。俺もカッカして悪かった、余裕がなかったんだ」

「うん」

「ノエル、こっちを見ろ」

「……………………」

 うずくまったまま、顔を上げることが出来ずにいる彼女を、アラタはいつかそうしたように両手で頬を挟み持ち上げる。

「こんなに泣いて、そんな大ごとじゃねーんだよ。こんなの、何回でも俺が止めてやるよ」

「…………ヒック、うん」

「だから元気出せ。いつまでもメソメソすんな、切り替えて次頑張ればいい」

「んっく、グスッ……うん」

 ようやく泣き止んだノエル、涙も鼻水もズルズルだが、アラタが彼女を見る目はただひたすらに優しく、慈愛に満ちていた。

「よし、お前はそっちの方が似合う。ってか泣いてるのが似合うやつなんていねーよな」

 担架が到着し、アラタは寝かされ病院へと運ばれていく。

「帰ったら死ぬほど掃除の練習させるからな! 覚悟しとけ! 痛っ! ちょ、優しく運んで!」

 クエストは終了、冒険者の負傷はアラタのみ、そのアラタは病院での治療と治癒魔術を受けて全快した。
 まだ暴走の危険性がなくなったわけではない。
 むしろここからが本番と言える。
 しかしノエルの側にはアラタが、リーゼが、シルが、ハルツがいる。
 決して一人ではないし、それを見て今まで様子を見ていた者たちも彼女の周りに集まる。
 剣聖の力を抜きにすればノエルの周りには人が集まる性格をしていたし、その中には身を挺して彼女を救おうとした異世界人の姿もあるはずだった。
 ……そう、あるはずだった。

 アラタは、彼女のパーティーメンバーの男は屋敷から、シルの、リーゼの、ノエルの元から去った。
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