半身転生

片山瑛二朗

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第2.5章 過去編 case Noel and Liese:

第72話 期限

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 ノエルは家への道中不安だった。
 剣聖と言うクラスについてノエルは詳細な情報を知らない。
 もしかしたら習ったことがあるのかもしれないが、少なくとも彼女の脳内には剣聖に関する情報は見当たらない。
 きっとノエルの記憶にはそれほど強く残らなかったのだろう。
 いずれにしろ、ノエルが不安を覚える理由の方ははっきりとしている。
 剣聖と言う名のクラスが自らの体に宿っていることが判明した時、周囲のノエルを見る目が変わった。
 決して心地よくはない感覚、今まで彼女が向けられたことの無い種類のそれだ。
 ノエルはあの視線を思い出すと少し嫌な気持ちになり身震いする。
 人間とは無関心な対象よりも、関心のある対象の方が時として残酷な仕打ちをする生き物なのである。
 ギルドでの視線はノエル・クレストと言う一人の少女を見つめるには、普段街を歩いている時にクレスト家の人間として見られているよりも、遥かに嫌悪感に満ちたものだった。
 誰だってそんな視線を向けられていることに気付けば、よほどの変態でもない限り気分を害してしまうものだし、その理由に心当たりがないことがより一層ノエルの不安を掻き立てる。
 クレスト家の屋敷に到着するとハルツはズンズン奥へ向かって進んでいった。
 ハルツは自身と家との繋がりが希薄になっているとは言えクラーク家の人間である。
 クレスト家との縁は深く、すれ違う面々とも面識がある。
 だがこれはあまりにも遠慮が無いというか、焦っているようにノエルの眼には映った。

「ハルツ殿、どうしたというのだ。一体何が起こっている?」

 ハルツは不安な思いをしているであろう少女に対して、詳しい説明をすることなくここまで連れてきたことを申し訳なく感じつつ、それを表に微塵も出さず笑みを浮かべながらこう言った。

「ノエル様、ここでしばらくお待ちください。私が付いております故、何も心配はいりません。リーゼもノエル様についているように。いいね?」

 優しい口調とは裏腹に、有無を言わせぬ雰囲気に2人はただ頷くことしかできない。
 それでもその様子を見るとハルツは、

「何も心配することはありません。私にお任せください!」

 胸をドンと叩き、白い歯を覗かせて笑った。
 それだけ言うと彼はノエルの両親がいるであろう奥の部屋へと向かって行った。

「私、何か悪いことしちゃったのかな」

「……いえ! ノエルはなにも悪くありません! だから……叔父様を待ちましょう」

「うん…………」

 リーゼはそれ以上何も言えなかった。
 彼女は剣聖と言うクラスについて何かノエルの知らないことを知っている。
 それはノエルとて感じていたが何も言わない。
 リーゼがそうするべきだと判断したのだ、ならノエルも自分が何か言う必要はないだろう、そう判断した。
 リーゼとハルツを信じてただ待つことにしたが、漠然とした不安感が拭い去ることが出来るわけではない。
 2人が微妙な空気感の中ハルツを待っている間、当の本人はと言うと、

「さあ、どうすることが正解なのか。こればかりはやってみないと分からないな」

 そう呟くと、彼の歩みに合わせて開かれた両開きの扉の向こうへと歩を進めたのだった。

※※※※※※※※※※※※※※※

 ハルツは扉をくぐった瞬間己が目を疑った。
 だがすぐに今この両目に映っている光景が現実のものであると理解する。

「ハルツ、久しいな」

「兄上、何故ここに」

「私も火急の用と連絡を受けて参上したのだ。まあお前がここに来たことと無関係ではあるまい」

 公爵の面前、いきなり兄弟で話し始めてしまったと自身の失敗を自覚しつつハルツは慣れない礼をする。

「失礼致しました。ハルツ・クラーク、ノエル様の件で参上した次第であります」

 ハルツはどうにも貴族の礼儀が肌に合わない。
 できないわけではないのだが、そんなことよりも早くノエルのことについて話を進めたいのだ。
 なぜ兄であるイーサン・クラークまでこの場にいるのか、ノエルの両親はどこまで知っているのか。
 ハルツは思考を巡らせる。

 このタイミングで既にこの集まり具合、ノエル様は泳がされていた?
 でも何故?
 まさか私も泳がされていたというのか!?
 ギルドで接触したうえでノエル様をここまで連れてくるのか試されていた?
 いやいや、そんなまさか、だとしたら公爵様は一体何をお考えなのか?
 ……いや、私のすることは一つだ。
 あの2人にとって最良の結果をもたらす、それが一番肝要なのだ。

 実時間にして僅か数秒間の沈黙であるが、ハルツの考えていることなど丸わかりだという風にノエルの父、シャノン公爵は高笑いした。
 その隣のアリシア公爵夫人、ノエルの母も少し笑っている。

「はっはっは、そう固くならないでくれたまえ。君たちに相談したいことはただ一つ、ノエルが冒険者になるべきかどうか、そのたった一つなんだよ」

 奥様もその通りと言わんばかりに繰り返し頷いておられる。

「ハルツ君に聞こう、ノエルが剣聖のクラスに選ばれたというのは事実かな?」

「はい、確かに確認いたしました」

「よろしい。では次に、君は剣聖と言うクラスについてどれくらいの知識がある?」

「情報の出所を提示できるわけではありませんが……」

「それでもいい、聞かせてくれたまえ」

 ハルツは1次情報を提示できるわけではないと前置きしつつ、彼が知っている剣聖という概念について語り始めた。

「では僭越ながら。近接戦闘に限れば【勇者】を超え得るということ、そして……闇堕ちの危険性、それを回避する為には3段階の試練を超える必要がある事。これだけであります」

「素晴らしい模範解答だ。ではイーサン殿、リーゼ君についてはどのような訓練を施している?」

 ひとしきり剣聖について語り終えたハルツを労いつつ、話題はハルツの姪、イーサンの娘にシフトした。

「は、リーゼには貴族としての一通りの教養と聖騎士の名に恥じぬ戦闘訓練を施してあります」

「結構。ではハルツ君にもう一度聞こう。2人が冒険者になれば、どのあたりのランクまで登る素質がありそうかな?」

「現時点では何とも……ただ、他国の覚醒した剣聖はAランクに分類される中でも指折りの実力者です。聖騎士も剣聖の側に仕えれば触発され、BからAランクになれるポテンシャルを秘めているかと思われます」

 シャノン公爵はうんうんと頷きながら話を聞いていた。
 自分の娘に対する評価は概ね良いものだったはずだが、それにしては彼の表情には暗さが見える。

「よし、ご苦労だった。君たちは一度下がりなさい。またすぐに呼ぶことになるだろうからこの屋敷の中にいるように」

 イーサンは貴族の礼をし、普通のお辞儀をしようとしたハルツは急いで兄に倣い合わせて礼をすると足早にその場を後にした。
 とてもではないが長居できるような雰囲気ではなく、部屋を出て少し歩き周囲に誰もいないことを確認すると、

「あああああ兄上! 一体何がどうなっているのですかぁ!?」

「おおお落ちちゅけ! 私とて何が何やら訳が分からんのだ! なあ、俺たちどうなると思う?」

 イーサンは『俺』という貴族らしからぬ一人称をポロリとこぼしつつ聞き返した。

「どうって……公爵様と懇意にしているのは兄上の方ではないですか! どうなるのか聞きたいのは俺です!」

 余りにも訳の分からない状況に放り込まれた兄弟は公爵の様子から余計な妄想を膨らませる。
 まあ余計と言ってもあながち的外れな妄想でもないのだが、今の2人に解答を教えてくれる人は誰一人としていない。

「なあアリシア、ノエルを冒険者にするべきだろうか? 仮にそうするとして、それは本当に正しいことなのか? 公爵として、父親として」

 夫婦以外誰もいない大広間でシャノンは妻であるアリシアに問いかける。
 彼とて一人の父親だ、如何に人前で厳かな雰囲気に身を包もうと娘の将来が不安にならないわけがないのだ。

 ――実際彼は揺れていた。

 剣聖ともなれば冒険者に限らず、戦うことを生業とする職業に就くことが当たり前だ。
 普通のクラスを持つ者は、その恩恵の少なさからクラスとは全く関係のない道を歩むことが多い。
 だが逆にこのレベルのクラスともなると、それを無視した人生設計は才能をドブに捨てているともいえる事態になってくる。
 要するにノエルは冒険者になるべき少女だった。
 いや、15歳の誕生日を以て冒険者になるべき存在に成ったのだ。
 だが危険の多い生き方をしてほしいと願う親がどこにいるのか、少なくともここにはいなかった。

「あなた」

 今まで口を開かなかったアリシアがシャノンの手を取る。

「私たちの子よ、ノエルを信じましょう?」

「分かっている、あの子の頑張りも、才能も認めている。だが、大公選の準備が本格化するこの時期にこれはリスクが高い」

「それは家にいても同じでしょう? むしろ無策でここにいた方が危険でもあるわ」

 シャノンは唸る。
 時期に関係なく、屋敷を出て外で生活するとなると懸念事項はいくつもある。
 だがアリシアの言うように、結局家にいた場合もそれなりに危険になる時は必ずやってくる。
 それならばノエルを鍛える目的で外に出すのはある意味合理的だった。

「やれやれ、君には敵わない。4人を呼んでくれ」

 父親としての責務を放棄しているのかもしれない。
 だがこうすることが最適解のはず、こうするべきであるはずなのだ。
 呼ばれたノエル、リーゼ、イーサン、ハルツの4名が広間に入ってきたことを確認する。

「ノエル、冒険者になりたいか?」

「はい! なりたいです!」

 自分の妻と同じ赤い瞳を輝かせて食い気味に返事をする愛娘に愛しさとどうしようもない無力さを感じる。
 まともな戦闘能力を持たない自分をこれほど恨めしいと思ったことはないだろう。

「うん、そうか。ではリーゼ君、君はノエルと共に冒険者になれと言われたらどうする?」

「私の居場所は常にノエルの隣ですから。勿論ついていかせていただきます」

「イーサン殿、ご息女を借り受けてもよろしいか?」

「ええ、我が娘、喜んでノエル様にお仕え致しましょう」

「うむ、ではハルツ殿、2人を1週間頼みたい」

「えっ」

 ここまでトントン拍子に話が進んできたが、1週間と言う意外な時間設定にハルツは声を漏らさずにはいられなかった。
 2人が冒険者になるのなら、自分のパーティーに組み込むか、最低でもずっと面倒を見ろと命じられると思っていたからだ。

「期限は1週間。そこで適性ありと判断できる成果を上げることが出来ればその後も冒険者を続けて構わない。もし無理だったのなら家に帰って来てもらう、いいね?」

 我ながら嫌な父親だと思う。
 素直に娘のやりたいことを応援することすらままならない。
 だがこれがあらゆる意味で私に出来る限界の妥協だ。

「分かりました! 1週間精一杯努めさせていただきます!」

 ノエルはそう言うと3人と共に笑顔で退出していった。

「お疲れ様です」

「……これでよかったのだろうか」

「心配性ですね。さっきも言ったでしょう? 私たちの子を信じるのです」

「……そうだな。我が子を信じぬ親などいるものか!」

 親が子の行く末を心配している頃、そんな親の心など全く知らないお嬢様はウキウキだった。
 なにせ絶対に現実にはならないと思っていた許可があっさりと降りたのだ。
 先刻までの不安などどこ吹く風と言った様子で冒険者生活の準備をしている。
 期限付きの自由とは言えノエルのテンションはとどまることを知らない。
 準備をすると言っても勝手に冒険者登録をして家を出ようと画策していたのだ、既に荷物はしっかりとまとめられており、荷物を背負って屋敷を出るとそこにはさらに早く用意を済ませたハルツとリーゼが彼女を待っていた。

「さあノエル、行きますよ!」

「ああ! 私たちの冒険の始まりだ!」

 こうして貴族令嬢は夢にまで見た冒険者生活をスタートしたのであった。
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