射干玉秘伝

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【参】与一という男

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 梓乃はその昼も、弓弦の音に惹かれて障子を割った。すぐの中庭で、弓を担いだその男は、巻藁に深く埋まった矢を抜きながら、からからと笑う。

「やあ天照のご尊顔じゃ」

 目尻に皺を寄せて剽げるのに毒気を抜かれ、梓乃は答える。

「されば、お前様は天鈿女命アメノウズメとな」
御前ごぜんは学もあらせられるか、楽しいのう」

 この館には別棟で射場も設えてあるそうだが、彼はわざわざ中庭に巻藁を据えて、梓乃の興味を引こうとする。

「お顔色が幾分ようなられたの。なんぞ用意させようか」

 男が手を打って下女を呼ぼうとするのを、梓乃は止めた。

「妾に構わず続けてくだされ。けんをしたいのじゃ」
「されば、今しばらく御意のまま」

 彼は梓乃に背を向けて胴を造り、弓構えをする。物見を入れた横顔は、人が変わったように張り詰めている。
 梓乃は縁側に座して背を伸ばす。
 彼は背の割に腕が長い。その射は荒々しい力の奔流を一点に押し抜く、いかにも益荒男ますらおぶりだ。
 柔を是とする越後の流派とは違う。だが一つの完成を見せつつあるのがわかる。的前でなくとも察せられる。彼は手練れだ。
 梓乃は弓と対話する身体を見飽きることがない。

「与一と呼んでくだされ」

 数日前、目覚めた梓乃に、男は言った。
 壇ノ浦の伝説、那須与一と同じと気に入っている名だという。その意はしかし、十に一つ余る、要は子沢山の十一男ということだ。
 その真名は浅利義遠という、鎌倉幕府の御家人である。
 一応出自は源氏に連なるが、市井の身分の低い妾の子で、殆ど忘れられていたおかげで自由気儘に育ったという。そのせいか、武士のくせに他愛ないことで笑みを見せる。
 弓の腕を御前試合で見出され、戦さ場で功有り、将軍源頼家に目通り叶うまでに登った。浅利の家名を許され、この甲斐国で領と屋敷を賜っている。
 年の頃は三十路に届こうか。弓さえ持たねば、浅黒い厳つい面のわりに、飄々とした風情の男である。
 未だ妻子はなく、お召しがないときは日がな弓を引き、また近隣の郷士を集めては指南をしているという。

「御前、其方については俺が預からせていただくことになった。まずはお身体の回復に専心されよ」

 与一は、梓乃が何がそんなに愉快かと訝しむほど朗らかに、そう言った。

 梓乃は実のところ、狐につままれた心地でいる。
 城氏は謀反人として滅んだ。捕縛され、鎌倉将軍の前に引き出されたとき、己もこれが最期と気力を振り絞った。
 しかし気づけば、牢どころか小綺麗な一間で寝起きを許されている。布団の下には畳まで敷かれている。
 毎日、近くの寺から医の心得がある僧が来て、腿の傷に膏薬を塗り、薬湯を煎じていく。
 下女が一人ついて、細々と世話を焼こうとする。
 粥の他に食べられるようになったとみるや、食膳が賑やかになってきた。
 魚に山菜、餡入りの餅、干し柿や干し芋といった甘味まで持ってくる。
 梓乃は、沙汰を待つ身に、過ぎた待遇だと戸惑いを感じはじめている。

「今宵はこれを」

 庭先に、見事な雉を下げた与一が揚々とやってきた。自分で獲ったという。哀れな獲物だ。かの弓に狙われたのが運の尽きであったろう。
 梓乃はため息混じりに言った。

「与一殿。ご厚意有り難いが……。妾は明日をも知れぬ身、ここまでは無用じゃ」

 与一は太眉をぐいと寄せると、縁側に腰を下ろした。

「安心めされよ。御身は俺がお守りいたす」

 梓乃は謀反人といえど女だ。この人の良さそうな男は、扱いに困っているのかもしれない。ならば遠慮をするなと言おうとしたが、その前に与一の言葉は続いた。

くよくなられて、父兄を凌ぐと名高い御技、どうか俺の目に見せてくだされ」

 それで、梓乃は合点した。
 与一は、城氏の弓の秘伝が欲しいのだ。
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