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【弐】姫武者、捕縛の次第
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不気味なまでに鮮やかな茜に空が焼けたのち、宵闇が山から降りてくる。戦さはしばし止まり、陸続と兵が戻ってくる。
麓の本陣に篝火が焚かれたころ、総大将佐々木盛綱の前には、一人、敵方の若武者があった。
後ろ手に縄をかけられて、地に座している。
白の小袖に、紅の袴と脚絆をつけ、黒髪を童形の如く結い上げている。緋の腹巻に見える家紋は剣花菱だ。
顔色は青ざめている。見れば袴の両腿には矢傷が穿たれ、今も血が漏れて、刻々と生地をより深く染めていくところだ。
盛綱は命じた。
「名乗れ」
若武者は据わった眼でひたと盛綱を睨み、宣った。
「城資国が娘、板額じゃ」
◇◆◇
建仁元年(一二〇一年)皐月の初めのことだ。
越後国豪族城氏、当主城資盛以下、手勢千人余りは、鳥坂城付近にて、鎌倉幕府御家人の大軍と交戦した。
城氏は桓武平氏に連なる家系であったが、源氏方の武将梶原景時の口利きによって、これまで鎌倉幕府に従っていた。遠国越後の有力豪族、恭順の姿勢ならと認められた。
しかし、城氏の庇護者たる梶原景時は、初代将軍源頼朝から二代目将軍義家への代替わりに伴い、幕府内の内紛謀略により攻め滅ぼされた。
これをうけて、建仁元年正月、城長茂は、京にて幕府打倒の宣旨を求めて挙兵する。長茂は、越後城氏の当主、資盛の叔父にあたる人物だ。
今度ばかりは国元も咎めなしには済もうはずもなかった。資盛らは座して待つよりと、長茂に呼応して越後でも兵を挙げた。
しかし、京での反乱は成らず、城長茂は一月余りのち、落ちのびた先の大和吉野にて討たれている。
鎌倉幕府は思いの他、越後の平定に手間取った。近郊の手勢で始末がつくかと思いきや、城氏は堅固な山城を拠点として抗った。
奇態な噂も立っていた。
一門を率いるは、緋威の若武者だという。白馬で翔ぶように駆け、強弓速射は人の技を超えて神仏の加護をうけているが如く、射られて斃るるを免れるものがない。
当主資盛ではない。彼は十にも満たない幼子だ。
今、実質城氏の家督をとり、陣頭に立つのは、京の謀反人たる城長茂の妹であり、資盛の叔母、名を板額という姫だと、まことしやかに伝わっていた。
城氏に与する武士が増え始めたところで、鎌倉幕府は本腰をいれた。
臨時に上野にあった越後守佐々木盛綱を総大将として召し、越後・佐渡・信濃の御家人による大連合を持って、城氏攻めに当たったのである。
◇◆◇
ようやっと捕らえた敵将は、なるほど、女であった。
至近で確かめれば、光を容れぬ射干玉の眼に、戦化粧か、まなじりに紅を刷いている。泥と血に塗れてなお、神気を帯びた美貌だった。
天下の幕府の大軍が、いくら攻め手の難しい山城といえど、この板額なる姫武者がいた矢倉が立つ巻曲輪を抜けず、七日も手こずり多数の死傷者を出した。盛綱の息子まで、矢傷を負って戦線を離脱している。
巻曲輪の裏手に少数の手勢で潜り込み、彼女に射かけた信濃国の藤沢清親は、元は越後で城氏に食わせてもらっていたこともある男だった。まるで板額の従者のように横に添うている。
「このとおり、年若の娘でございます。何卒ご容赦を、伏してお願い申し上げます」
信じがたい訴えだった。清親は自ら奇襲を提案したが、さては姫武者をよその手にかけたくないあまりだったとみえる。
「笑止」
女の板額の方が、余程腹が決まっていた。
「これだけ射殺しておきながら、女じゃ許せなどと、妾も兵らも双方愚弄する物言いじゃ。遠慮は無用、殺せ」
この猛く気高い娘、望み通りこの場で首を刎ねてやりたいと盛綱は思った。
真白い細首を金箔貼りの軍配に盛って持ち上げれば、解けて垂れた黒髪に血が伝い、土に禍々しくも妙なる絵を描くだろう。
そんな倒錯した欲望を抱かせるほど、怪しい魅力だった。
しかし、盛綱はそれを空想に留め、閉じた扇で板額を指した。
「これはそちの言う通り。されど鎌倉殿が、越後城氏の謀叛人、まこと姫武者なら人品確かめたいとの仰せである」
盛綱は清親に、鎌倉までの板額の移送を命じた。
「あれは巫女じゃ。くれぐれも雑兵が無体をせぬよう見張れ。穢せば鎌倉殿がご興味の神通力、失われようぞ」
主将を失った反乱軍は翌日瓦解し、ここに年頭からの建仁の乱は終息する。
同年睦月の末、姫武者板額は鎌倉大倉御所にて将軍源義家とまみえた。手負いの身で、居並ぶ御家人衆の好奇の視線に晒されながら臆する様子なく、景時討伐の理不尽を挙げ、此度の首謀は兄たる城長茂と己であると認めた。
騒乱後、行方知れずの幼少の当主、城資盛については、一言「与り知らぬ」とのみ答えた。
翌日、論功行賞の場で、御家人の一人が義家に申し出た。別の戦さで働きがあった、源氏の弓の雄、浅利義遠といった。
「此度の褒賞、領も官職も望みませぬ。ただ昨日の囚人、板額御前を預かりたい」
見目端麗なれど性の猛きこと男子にも劣らぬ、あれが欲しいとは物好きなと、散々からかった後、義家は義遠に彼女を下げ渡したのだった。
麓の本陣に篝火が焚かれたころ、総大将佐々木盛綱の前には、一人、敵方の若武者があった。
後ろ手に縄をかけられて、地に座している。
白の小袖に、紅の袴と脚絆をつけ、黒髪を童形の如く結い上げている。緋の腹巻に見える家紋は剣花菱だ。
顔色は青ざめている。見れば袴の両腿には矢傷が穿たれ、今も血が漏れて、刻々と生地をより深く染めていくところだ。
盛綱は命じた。
「名乗れ」
若武者は据わった眼でひたと盛綱を睨み、宣った。
「城資国が娘、板額じゃ」
◇◆◇
建仁元年(一二〇一年)皐月の初めのことだ。
越後国豪族城氏、当主城資盛以下、手勢千人余りは、鳥坂城付近にて、鎌倉幕府御家人の大軍と交戦した。
城氏は桓武平氏に連なる家系であったが、源氏方の武将梶原景時の口利きによって、これまで鎌倉幕府に従っていた。遠国越後の有力豪族、恭順の姿勢ならと認められた。
しかし、城氏の庇護者たる梶原景時は、初代将軍源頼朝から二代目将軍義家への代替わりに伴い、幕府内の内紛謀略により攻め滅ぼされた。
これをうけて、建仁元年正月、城長茂は、京にて幕府打倒の宣旨を求めて挙兵する。長茂は、越後城氏の当主、資盛の叔父にあたる人物だ。
今度ばかりは国元も咎めなしには済もうはずもなかった。資盛らは座して待つよりと、長茂に呼応して越後でも兵を挙げた。
しかし、京での反乱は成らず、城長茂は一月余りのち、落ちのびた先の大和吉野にて討たれている。
鎌倉幕府は思いの他、越後の平定に手間取った。近郊の手勢で始末がつくかと思いきや、城氏は堅固な山城を拠点として抗った。
奇態な噂も立っていた。
一門を率いるは、緋威の若武者だという。白馬で翔ぶように駆け、強弓速射は人の技を超えて神仏の加護をうけているが如く、射られて斃るるを免れるものがない。
当主資盛ではない。彼は十にも満たない幼子だ。
今、実質城氏の家督をとり、陣頭に立つのは、京の謀反人たる城長茂の妹であり、資盛の叔母、名を板額という姫だと、まことしやかに伝わっていた。
城氏に与する武士が増え始めたところで、鎌倉幕府は本腰をいれた。
臨時に上野にあった越後守佐々木盛綱を総大将として召し、越後・佐渡・信濃の御家人による大連合を持って、城氏攻めに当たったのである。
◇◆◇
ようやっと捕らえた敵将は、なるほど、女であった。
至近で確かめれば、光を容れぬ射干玉の眼に、戦化粧か、まなじりに紅を刷いている。泥と血に塗れてなお、神気を帯びた美貌だった。
天下の幕府の大軍が、いくら攻め手の難しい山城といえど、この板額なる姫武者がいた矢倉が立つ巻曲輪を抜けず、七日も手こずり多数の死傷者を出した。盛綱の息子まで、矢傷を負って戦線を離脱している。
巻曲輪の裏手に少数の手勢で潜り込み、彼女に射かけた信濃国の藤沢清親は、元は越後で城氏に食わせてもらっていたこともある男だった。まるで板額の従者のように横に添うている。
「このとおり、年若の娘でございます。何卒ご容赦を、伏してお願い申し上げます」
信じがたい訴えだった。清親は自ら奇襲を提案したが、さては姫武者をよその手にかけたくないあまりだったとみえる。
「笑止」
女の板額の方が、余程腹が決まっていた。
「これだけ射殺しておきながら、女じゃ許せなどと、妾も兵らも双方愚弄する物言いじゃ。遠慮は無用、殺せ」
この猛く気高い娘、望み通りこの場で首を刎ねてやりたいと盛綱は思った。
真白い細首を金箔貼りの軍配に盛って持ち上げれば、解けて垂れた黒髪に血が伝い、土に禍々しくも妙なる絵を描くだろう。
そんな倒錯した欲望を抱かせるほど、怪しい魅力だった。
しかし、盛綱はそれを空想に留め、閉じた扇で板額を指した。
「これはそちの言う通り。されど鎌倉殿が、越後城氏の謀叛人、まこと姫武者なら人品確かめたいとの仰せである」
盛綱は清親に、鎌倉までの板額の移送を命じた。
「あれは巫女じゃ。くれぐれも雑兵が無体をせぬよう見張れ。穢せば鎌倉殿がご興味の神通力、失われようぞ」
主将を失った反乱軍は翌日瓦解し、ここに年頭からの建仁の乱は終息する。
同年睦月の末、姫武者板額は鎌倉大倉御所にて将軍源義家とまみえた。手負いの身で、居並ぶ御家人衆の好奇の視線に晒されながら臆する様子なく、景時討伐の理不尽を挙げ、此度の首謀は兄たる城長茂と己であると認めた。
騒乱後、行方知れずの幼少の当主、城資盛については、一言「与り知らぬ」とのみ答えた。
翌日、論功行賞の場で、御家人の一人が義家に申し出た。別の戦さで働きがあった、源氏の弓の雄、浅利義遠といった。
「此度の褒賞、領も官職も望みませぬ。ただ昨日の囚人、板額御前を預かりたい」
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